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第1章

弟爆誕

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「はぁ……きゃわいい……」


むにむにのほっぺたをつつきながら、俺はうっとりとしたため息を吐いた。ふわふわな肌も、高い体温も、優しいミルクの匂いも、その小さな手も、全てが愛おしい。

そう、つい先日、オーウェン公爵家には新たな家族が増えたのである。

無事に母子ともに健康で出産を終えた母上は、まだベッドで寝ていることが多いが、日に日に出歩く時間も増えてきており、体力も回復しつつある。そして今俺の目の前にいる生まれたてほやほやな弟は、ただいま我が家ではアイドル的存在となっている。

お兄ちゃんになった俺は、注目を集める弟を妬ましく思う…こともなく、順調にその可愛さにメロメロにされている。多分この屋敷の中で一番ハートを鷲掴みにされている自信がある。


「しょうがないよね、ジルが可愛すぎるだもん」


ベビーベッドですやすやと眠る弟のジルを眺めて、そう呟いた。後ろでロイが呆れた顔をしたのが分かったけど無視。

ジルは、父上と同じ銀髪で、瞳の色は俺の目よりも薄い水色だった。ほとんどグレーと言っても過言ではないくらい。黒髪の俺と違って全体的に色素が薄い。これは将来、儚げイケメンになるのでは…!?と思ったりしている。


「セト様、講義のお時間ですよ」

「え~、もう?…また後でね、ジル」


アニーに急かされて、俺はジルの部屋を後にする。ふわりとミルクの香りがする部屋を出て、自室へと向かう。オーウェン公爵家に次男が誕生したことはとても喜ばしいことだ。これで俺にもしものことがあったとしてもオーウェン公爵家は安泰だし、世間の目が少しだけ俺から逸れた。

巷では俺に何か毒の後遺症が残ったことで、慌てて跡継ぎを用意したのではないかとまことしやかに囁かれているらしいが、そんな噂もすぐに静まるだろう。そもそもジルは完璧うちの子な上に、誰がどう見ても父上そっくりなのだ。毒殺未遂事件の後に用意したという見立ては、時期的にも計算が合わない。

何でもかんでも面白おかしくしたがるのは人間の性のようだ。まともに相手をしていたらキリがない。それに、養子を否定されると残るのは実子か母上が不貞を働いたかの2択になる。ゴシップとしては後者として噂を広めたいんだろうけど、そんなこと父上が許すはずがない。他でもない最愛の妻がそんな汚名を着せられるなんて、あの愛妻家として有名なアダム・オーウェンが放って置くわけがないのだ。

調子に乗ってあることないこと吹聴していた者は、徹底的に調べられて父上にとっ捕まるだろう。どんまい、とは思わない。だって自業自得だもん。


「皆、暇だよねぇ」


人の粗探しばっかりして、上に立つものを引きずり下ろす機会をずっと伺っている。そんな人生、楽しいのだろうか。他人のことにばかり気を配っていないで、たった一度きりの人生なんだから、自分が楽しいことをしたらいいのに。大人の事情は、まだ子供の俺にはよく分からない。

毒殺未遂から半年が経った。ジルが生まれたことで、事件から一年が経つ頃には俺ももう少しは動きやすくなるだろう。二年経てば、きっと皆「あぁそんなこともあったね」って笑うだろう。人の噂なんてそんなもんである。


相変わらず、俺は殆どの時間を屋敷の中で過ごしている。まぁ、寒くて外に出たくないのもあるけど。ヒソヒソされながら買い物するなんて嫌だし、そもそも一人で買い物に行ったって楽しくない。だからこそ、俺は魔法の技術向上に必死だった。


「今日はここまでにしましょう」

「ありがとうございました、サシェ先生」


ペコリ、とその臙脂色のドレスに向かって頭を下げる。今日も今日とて俺は、光魔法の練習を重ねている。あれから俺は、光の玉を操って部屋を明るくしたり、光で形を具現化したりすることは可能になった。まだ光の矢とかは無理だけど、兎の形にしてぴょんぴょんとジルの頭上を走らせるくらいは朝飯前だ。ジルはピカピカの兎を楽しそうに見上げてはしゃいでくれる。

しかし依然として、認識阻害の魔法は習得できていない。このままじゃいつまで経ってもロルフを外に出してやれない。庭を駆け回るロルフを見る度に、俺は何とも言えない焦燥感に追われていた。

変身魔法とかも考えたけど、それは闇魔法の専売特許らしく、俺には使えないらしい。今のところ周りに闇魔法が使える人はいないし、変身魔法は現実的ではなさそうだ。変装も、ロルフの耳としっぽは隠しきれないので却下。

変装ポーションも考えたけど、流通してるのは髪色や目の色、肌の色を変えるだけのものであって、姿形を変えられる訳ではないみたい。やっぱり俺が認識阻害魔法を習得するのが一番短い道のりのようだ。


「セト、ジルに会いに行ってたの?」

「うん」


文字を綺麗に書く練習をしていたロルフが手を止める。単語を書けるようになったロルフは、最近文章を読む練習と書く練習をしている。その傍らで、綺麗な文字をかけるように一日一回筆を握っているのだ。

ロイに見守られながら俺の講義の時間練習しているらしく、2人はいつの間にか仲良くなったようだった。と言っても基本いつも口喧嘩してるけど。ロイは年の離れたお兄ちゃんみたいで、悪態をつきながら俺とロルフに付き合ってくれるし、口は悪いが良い人だ。多分、素直じゃないだけ。

疑るような、本心を探るような目つきは、今じゃ殆ど見なくなった。時折むず痒い顔をしながら、渋々好意を受け入れてくれている。これもきっと成長なんだろうな、と見てて思う。ルークはそんなロイを微笑みながら見守っている。もしかしたら、彼もこんな未来を望んでいたのかもしれない。


「どした?」


護衛の成長に思いを馳せていると、手を止めたままのロルフの視線が刺さった。 声を掛けるとそっとペンを置いたロルフがその大きな目を潤ませて言った。


「セトは、ボクよりジルの方が好き…?」

「え?」


思いもよらぬ言葉に、俺は両の眼を瞬かせた。ロルフほ耳はへにょりと垂れて、しっぽも自信なさげに下がっている。


「ボクは、セトの家族じゃないから…」

「ロルフ…!」


俯いたロルフの両頬をガシリと掴んで上を向かせた。しまった、弟が生まれたことによってロルフのメンタルが崩れるなんて、思ってもみなかった。

冷静に考えたら、ロルフが不安になることなんて分かり切ったことだったのに。


「ロルフもジルも、同じくらい可愛くて大事な俺の弟だ。血は繋がってないけど、俺はロルフだって家族だと思ってるし、弟みたいに思ってる。天秤にかけられないくらい、どっちも大好きだよ」

「セト…」


拾った時より大きくなったロルフの身体を抱き締める。まだ俺よりは小さいけど、うかうかしてるとすぐに抜かされちゃいそう。ロルフの成長を嬉しく思いつつも、何だか少し寂しかったりする。俺を置いて、そんなに早く大人にならないで欲しい。


「それにね、ロルフ。ロルフは、特別なんだよ」

「トクベツ…?」

「うん。だってロルフは、俺の家族で、初めての友達。これからどれだけ友達が増えても、は、絶対変わらない。今後一生、ロルフだけ」

「ボク、だけ……」


そうだ。この世界で、初めての友達は、紛れもなくロルフで。これから沢山増えるかもしれないけど、一番最初に友達になったという事実は変わることはない。この先の未来にロルフがいなくても、それは変わることはないのだ。

だからきっと俺は、ロルフのことは忘れられないだろう。まだ見ぬメンヘラ予備軍に出会っても、聖女に出会っても。ずっとずっと、大事な友達として俺の中に君臨し続けていくのは間違いなくロルフだ。


「ね?特別でしょ?」

「うんっ……!セト、大好き!」


耳としっぽがピコピコと忙しなく動いている。いつまでこうやって撫でるのを許してくれるのか分からないので、俺は思いっきりわしゃわしゃと撫でた。そのセレストブルーがぼさぼさになっても、ロルフは嬉しそうに笑うだけ。


「ボクの初めての友達も、セトだけだよ」

「…そっか。じゃあお揃いだ!」

「お揃い!」


ロルフが群れにいた時、どんな扱いを受けていたのかは分からない。でも多分、良い扱いではなかったんだろうなってことは理解できる。家族も友達もいないなんて、いくら獣化出来ないからって酷すぎる。

今まで酷い生活を受けてきた分、うんと素敵な日々を送って貰わなくちゃ。その為にはやっぱり、認識阻害魔法が出来るようにならないとな…。

確固たる決意を胸に、俺は気を引き締めたのだった。
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