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Night.1
しおりを挟むあ、月が綺麗だ──────
特急電車の止まらない、家から徒歩十五分のちっぽけな最寄り駅のホームで、羽鳥東は黒目がちな涙っぽい瞳を見開いた。
空が吃驚するほど黒く、黒く塗りつぶされていて、八割は満ちている白い月が煌々と存在を示している。
「凄げえなあ」
思わず独り言を零した乾いた唇から、息が白く大気中に溶けていく。
東はぼんやりと空を見上げたまま、目を閉じた。かじかんだ両手には、はち切れんばかりに缶チューハイを詰め込まれたビニール袋がずしりと垂れ下がっている。
月は、太陽の光を反射して輝いて見えている、という話を聞いたことがある。高卒の東には詳しいことは分からないが、それでもこんな静かで美しい光り方は太陽には出来ない。やはり月は凄いのだ、と思った。
東は瞼を上げ、黒い双眸に月を映すと、またひとつ白い息を漏らした。
「……帰ろう」
口元が寂しげに微笑んでいる。
これまで、羽鳥東の25年の歩みは順風満帆とは言えないものであった。
今でこそ薄幸そうな顔付きをしてはいるが、幼い頃は楽観的で、これと言って難はなかった。
しかし、中学校に上がると、周囲の騒ぎたい盛りの少年達の勢いに圧迫感を覚えるようになり、気がつけば孤立していた。
時折、ひとりぽつんと席について窓の外を見ている東を気にかけて声をかけてくる者もいたが、彼はそれを曖昧な笑顔で避けることしか出来なかった。
高校は、「羽鳥ならもっと上が狙える」と説得して来る担任を振り切り定時制高校を選び、黙々と通い続けた。高校を卒業したら学生をやめよう、とっとと社会に出よう、と思っていたのだ。
学生と社会人は、まったく違う生き物らしい。学生は勉学だけでなく友愛を育むことも求められるが、社会人には必要とされない。むしろ、いつまでも学生気分を引きずるな、と叱られる。そんな話を聞いて以来、東は早く社会人になりたい、と渇望したものだった。
淡々と通い、淡々と学び、家と学校の小一時間程の距離を往復し続ける。
無事に卒業し、その頃には既に、運良く新卒採用で書店の正社員内定を得ていた。
しかし、入社して半年。
秋の気配が漂う頃。ようやく仕事にも職場にも慣れたと言うのに、大都会渋谷への異動を命じられたのだ。
また人間関係は一から作り直し。
電車に揺られて二時間ほどかけて渋谷駅へたどり着き、まっすぐ進むこともままならないスクランブル交差点でもみくちゃにされ、仕事を終え疲弊し切りながらまた来た道のりを二時間ほどかけて帰宅する。中学校での人の群れですら苦心させられた東には、日々が苦痛でしかない。
ある日、突然身体にガタが来た。
原因不明の高熱が続き、心因性と診断されてひと月休暇をもらい────復帰することは無かった。
それが、19歳の夏。
それからは派遣や日雇いのアルバイトをして2年食いつなぎ、実家を出ると共にファミレスへ長期バイトとして転職した。朝10時に家を出て開店準備をし、閉店の23時に仕事を終えて掃除と戸締りをして24時に退勤。労働時間こそ12時間と長いが、家から職場まで空いた各駅停車で計30分ほどで通え、体調を崩す前よりはずっと楽だ。
そんな、彼が。
人が見ればぞっとするような量の酒を買い込んで、いつものように日付を超えた帰路についている。
男性にしては幾分小振りな口元が、微かに綻んでいた。
今日は、恐ろしく調子がいい。いい客ばかりだったし、自分も後輩も何をやらかすでもなく、身体も心も軽くおまけに月も綺麗だ。
────だから。
(死のう。)
と、思った。
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