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第一部 五章 秘めたる邪悪な灯火
不吉な来訪者
しおりを挟む夜遅くの眠くなる時間。
地下牢にいるエビル達はもう眠ろうかと目を閉じる。
――そして誰かの足音を聞いて開眼する。
「眠ろうとしていたようですが起きなさい」
牢屋の前には胸の大きな女性が一人。
プラチナブロンドのさらさらとした長髪。首にかけられた銀の十字架のネックレス。青と白の線が入っている法衣。金色の金輪が三つ先端に付いている錫杖を持っている彼女はサトリだ。
「何の用よ。こっちは寝ようとしてたってのに」
「部屋からサリーがいなくなっていたのでもしやと思い来てみたのですが、どうやらここには来ていなかったようです。……ただ、ここまで足を運んだついでに問い忘れたことを問おうと思いましてね」
「サリーさんが……?」
いなくなったという事実の詳細を聞きたいエビルだったが、どうやらサトリは深く話すつもりはないらしく話を進める。
「レミ・アランバート様……と、ついでにそこの卑猥な物体」
「卑猥な物体!? ちょっ、それまさか俺!?」
「黙りなさい猥褻物。……失礼、あなた方二人を釈放しようと思っているのですがどうされますか? レミ様の意思に任せましょう」
驚愕する猥褻物、いやセイムを置いてレミが口を開く。
「急に釈放ってのはどういうことよ。だいたい、釈放するってエビルは含まれないみたいだけど? そこんとこどうなわけ?」
何を今更、というのがレミの率直な感想である。
無実の罪で牢屋に入れられてからもうすぐ十日が経つ。釈放してくれるのならありがたいことだがもっと早くその話が出てもよかったはずだ。
サリーへの扱いに思うところがあったレミの目は険しい。それを気にせずサトリは淡々と話しを進めていく。
「初日、念のためコミュバードを利用してアランバート王国へ確認を取りました。あなたが紛れもなく現王女ソラ様の妹君で、世界に四人しかいない秘術使いであることを本日確認出来たので釈放を考えました。そこの卑猥な男はついでです、元々牢に入れておきたかったのはシャドウだけですから」
コミュバードとは遠距離の連絡に用いられる害なき魔物。
青い鳥の姿をしている彼らは非常に素早く、ホーシアンの走行速度を遥かに上回る。ゆえに国家間での連絡や郵便屋にて主に利用されている。
俯いて「卑猥……」とショックを受けているセイムを放置してサトリは続けた。
「現在、ソラ様は護衛の兵士と共にクランプ帝国へ向かっておられるそうです。王国側からソラ様へ連絡するとのことなので、当然道中にあるこの神殿へ寄っていかれるでしょう。我々としてもアランバート王国の怒りを買いたくはありませんので、その時何と言おうと釈放という結果になると思われます。無論シャドウは何と言われても出しませんがね」
「クランプ帝国……? そっか、もうそんな時期か……」
何かを察したレミだがエビルは分からず不思議な顔をする。
世情に疎いのは理解していたが、会話についていけないならもう少し勉強しなければいけない。……と、そんな風に思っていた時シャドウが珍しく自分から声を出す。
『サミット、この大陸で行われている各国首脳が集まって話し合う会議。その時期が近いって話だよ。死ぬ前に賢くなって良かったな阿呆』
『うぐっ……あ、ありがとう。……でもそうか、それでソラさんが』
素直に礼を言い辛いが一応頬を引きつらせながらも言っておく。
「……で、アタシとセイムだけ牢から出るか出ないかだっけ? お断りよ、自分達だけ出ようなんて裏切りみたいなもんじゃない。アタシは出来る限りエビルと一緒にいるわ。セイムだって同じでしょ?」
セイムは落ちこんだ様子で「卑猥卑猥」とずっと呟き続けている。
一瞥したレミは固まり、その後何も見なかったことにしてサトリへ視線を戻す。
「そうですか、仕方ありませんね。後で変な暴動を起こされても困りますしそちらの意思を尊重します。……では私は多忙な身ですのでこれにて」
サトリが歩き去っていく。
妹を捜しに行っただろうことは容易に想像出来るので、やはり妹を想う気持ちはあるのだと改めてエビルは感じる。
彼女が去っていった後、レミが再びセイムに目を向ける。
「アンタ、いつまで落ち込んでんのよ」
正直なところ、レミにとってセイムが卑猥なことなど今更としか思えなかった。しかし本人にとっては違ったらしく予想外なショックを受けているらしい。
「まあいいわ、こっから出る目処は立ったし」
「ソラさんを当てにするってことだね」
「そう。姉様ならエビルのことも擁護してくれるだろうし、あの堅物大神官も説得出来るはず……。もし出られたらあいつぶん殴ってもいいわよね」
「……また捕まるよ」
それからレミとセイムの二人は少しして寝息を立てていた。
エビルも眠ろうと目を閉じたのだが、誰かが近付いて来るのを感じて目を開ける。まさか夜に二度も同じ行動を繰り返すなど思いもしなかったが。
寝てしまっている二人が起きないため、エビル一人が警戒して立ち上がる。
食事運搬係はサリーから別の人間に交代されてしまったことで、もう地下牢に近付く物好きな人間などほぼいないのだ。新しい運搬係の人間は初めて出会った時のサリーのように怯えているので、話をするような機会などありはしない。
サトリが戻って来た可能性もなくはないが、彼女の場合は用事をいっぺんに済ませるだろう。何か伝え忘れるなどということは滅多にない……となれば今接近しているのは誰なのか。
「……みなさん……みなさん」
「サリーさん?」
しかし来たのは来るはずのない人物であった。
今は食事の時間じゃないし、そもそも係は代わってしまったのになぜ地下にいるのか。そうエビルが思っているとサリーが頭を下げ出す。
「姉さんがご迷惑をおかけしました」
「い、いやサリーさんが謝ることじゃないですよ」
「それでもです」
サリーはエビルが止めるように言ってもそのままの姿勢で居続ける。
どうにかしなければずっと頭を下げたままなのではと考え、エビルは昼にサトリから聞かされた過去について質問してみることにした。
「それより、あの大神官……お姉さんが言っていたんですけど……神官を恨んでいるって本当ですか」
「……正直なところ、恨みはあります。でもだからこそもうそんなことがないように私が、私達が変えていこうと思いました」
(昼に来た大神官はなぜ大神官になったのかを答えなかった。なぜここから逃げていかないのか、もしかすれば彼女と同じで内側から変えるため……)
逃げるより、改革を目指す。それがサリーの考え。
ならばサトリはいったい何を思って大神官になったのか。昼間答えなかったレミの質問の回答、それが今サリーが語った内容なのではと思考する。
「ごめんなさい。今日はこっそり来てしまったので長居は出来ないんですけど、それでもみなさんが悪く言われたのは私の責任なので謝りに来たかったんです」
「優しいですね、本当に」
「ありがとうございます。エビルさん、私は必ずあなた達を出してみせます。話していて分かりました、あなた達は魔信教じゃないって。それならばここにいる必要性も皆無でしょう?」
そう言うと薄く笑みを浮かべてサリーは去ってしまった。
エビルは何も出来ない、この牢屋にいる以上手助けすら出来ない。抗議でもするつもりなのかもしれないが、あの堅物と言われるサトリ相手では不可能と言わざるを得ない。結局エビルは無事を祈ることしか出来なかった。
* * *
エビル達が地下牢生活を余儀なくされてから二十五日。
今日は太陽が曇に隠れてあまり出ておらず不穏な空気が流れている。
プリエール神殿入口付近で商売している商人達は各々が精を出して仕事していた。そんな中、武器防具や道具類が並ぶ絨毯に、浮かない顔でイフサは座っている。
「なあ、イフサさん……あんたあの魔信教の一員と旅してたんだろ? 大丈夫なのか? あんたも魔信教になってたりしねえよな?」
巻いているターバンから髪の毛が数本はみ出ており、黒いベストとダボッとしている白いズボンを着用している褐色肌の彼へ隣の商人が問いかけた。
不安そうな商人から声を掛けられたイフサは怒りを抑えて口を開く。
「伝染病じゃあるまいし、そんなわけねえだろうが」
本当ならばイフサは「エビル達が魔信教なわけがあるか!」とサトリへ抗議したかった。しかし抗議する前にエビルから向けられた何もするなと訴える目を見て、二十五日も心を抑えつけている。ただ抑えているといっても頭の中は助ける方法を延々と模索し続けているのだが。
地下牢にはもちろん牢屋ごとの鍵があり、それがプリエール神殿内の大神官の部屋にあるということをイフサは突き止めていた。どうにかしてそれを手に入れたいと考えるが、ただの商人であるイフサでは忍び込んでも見つかって牢屋行きにされるのがオチだろう。
「魔信教か……なあお隣の、奴らはいったい……お隣の?」
話しかけても返事がないのでイフサが振り向くと、隣に座っている商人は顔を青ざめさせてどこかを凝視していた。
明らかな異常にイフサは「どうした?」と問うが返答はない。
「あ、あれ……あれは……」
「あれだと? いったい何のこと……っ!?」
商人が向いている方向には黒ローブを着用した男が立っていた。
フードを深く被っているので顔は見えないが、覆われていない部分は僅かに灰色の肌が見える。側頭部に羊の角ような形の黒い角が生えている。
人間ではないと気付けばイフサの頭には危険を知らせる警報が鳴り響く。
「魔信教だ……あれは」
「なんだと!? おいどういうことだ!?」
「以前、とある村で見たことがある。無差別に殺すことはしていなかったものの、自らを魔信教と名乗ったあの男を襲った奴等はみんな返り討ち。炎だ、黒い炎……奴が、邪遠が……魔信教が来るううううう!?」
取り乱した男が叫び、それを聞いた他の商人達が騒めき出す。
そんな中、黒ローブについているフードを捲って彼は素顔を晒した。
黒い髪。赤黒い瞳。灰色の肌。まるで悪魔のような迫力すらあるその顔を見た商人達は一斉に叫ぶ。
「うわあああああ! 人間じゃないぞあいつ!」
「早く神殿内に逃げ込め! 神官達が助けてくれる!」
「相手は一人なんだから早く滅してよ!」
一斉に神殿内へと逃走していく商人達を見て彼――邪遠は眉を顰める。
しかし彼は何もしない。ただ「どこの人間も変わらないな」と呟いただけで、積極的に誰かを殺そうとはしていない。
商人達が魔信教だと勝手に思い込んで、勝手に危険と判断して逃げているだけなのだ。実際の彼の正体など深く考えず一人の商人仲間の言葉だけを信じて。
「おいおい、あの男は何にもしてないだろうに。……だが、この混乱はありがたい。どさくさに紛れて神殿の奥へ入るチャンスだ……! 待ってろよ……!」
イフサはエビル達を救出するため全速力で神殿へと走っていく。
階段を駆け上がって入口を抜けたと同時、大神官であるサトリとすれ違う。
彼女は多くの神官達を連れて、敵と思われる邪遠を険しい目で見据える。
「恐れている者、戦えない者は逃げなさい! ここは私が引き受けます!」
「大神官か……。止めておけ、俺と戦うなど自殺行為に等しい」
「ふっ、とんだ臆病者のようですね。ここに来たのは仲間の救出ですか? それとも殺戮ですか? どちらにせよここで仕留めさせてもらいましょう」
邪遠はため息を吐き「……愚かしい」と呟く。
大神官という立場でいられるサトリはそれなりに強い。あのシャドウがそこそこ強かったと評するくらいの戦闘力がある。並大抵の魔物や賊ならば彼女の前にひれ伏すことになるだろう。
しかし、この日の相手は――。
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