新・風の勇者伝説

彼方

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第一部 五章 秘めたる邪悪な灯火

邪悪と黒炎

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 これでレミを守る者は誰もいなくなった。
 サトリも、セイムも、神官達も、つい先程倒れたエビルも誰も立てない。完全に戦闘不能になって倒れ伏す彼ら彼女らを目にした邪遠じゃえんはどうするか。

 邪遠は「悪いな……」と呟き、気絶しているレミの元へと歩いて行く。
 たとえエビルがその想いの強さで一撃入れたとしても絶望的状況は変わらない。邪遠の殺そうとする意思は多少揺らいだものの、まだ足りない。

「赤髪、アランバートの王族か……。堕ちるところまで堕ちたな」

 彼はレミに死を与えようとするが攻撃に移らない。
 しばらく無言のままレミを見下ろしていた彼はゆっくりと振り返り、神殿の階段を睨んで声を発する。

「隠れているのは分かっている。出てこい」

 それから十秒ほどが経過した頃。階段の真下で影となっている場所から誰かが邪遠と反対側へ這って出て行くと、立ち上がったその者が階段を盾にするかのように様子を窺う。だがやがて、睥睨へいげいしてくる邪遠に恐怖しながらもその者は観念して姿を現した。

 巻いているターバンから髪の毛が数本はみ出ており、黒いベストとダボッとしている白いズボンを着用している褐色肌の男性――イフサである。

 彼は口では魔信教と戦えないなどと言っていたが、エビル達を見捨てて逃亡する行為を最低と感じていた。商人で戦闘力などあまりない彼が今の今まで身を潜ませ続けていたことは誰にも責められないだろう。飛び出したところで瞬殺されるのがオチ。自分には何も出来ることがないと理解しているからこそ、ずっと表に出ることがなかったのだ。
 しかし今は出て来ざるをえなかった。もし出て来なければ殺すと邪遠の目が言っている。

「逃げ遅れた商人か……。おい、倒れている奴等に伝えておけ。大切な何かを守りたければもっと力を手に入れろと」

 殺される心配はない。伝言係としてイフサは生かされる。
 レミはこのままだと殺されるだろうがイフサ自身は死なない。そう、伝言を伝えておく役目を全うすれば生き残れる。
 それでいいのか、と自身に問うた彼は歯を食いしばった。恐怖と自分への怒りで震える全身は危険信号を受け取っている。両目を悔しそうに閉じてから、ちっぽけな勇気を振り絞って口と同時に開けた。

「……お前さん、なんで魔信教なんかに入ってるんだ。今の自分がしていることが、本当に正しいとでも思っているのか!? お前さんの正義はどこ行ったんだ!?」

「正義、か。……さあな、俺も知りたいくらいだ」

「このバッカヤロオオオオオ!」

 叫ぶと共に邪遠へ向かってイフサが走り出す。
 彼にとってエビル達は恩人だ。レッドスコルピオンの解毒薬を作成するのにレッドスコルピオンの尻尾に含まれる毒成分が必要だと分かった時、どうしようもない絶望を味わった。イフサの戦闘力はそこらの村人よりは強い程度。どう足掻いたって解毒薬など作れない。また妹のように犠牲者が増え続けるだけだと、そう思っていた。

 結果としてエビル達のおかげで解毒薬は完成している。
 あの時、毒に苦しむレミが妹と重なったイフサは寝る間も惜しんで製薬に勤しんでいた。絶対に死なせてなるものかと、今度は助けてみせると、亡くなった妹の仇である毒を殺すことに必死だった。それでようやく助けられたレミが今死のうとしている。

 別に「死」という現象が牙を剥くのは構わない。
 人間として生まれたからには必ず寿命がある。どこまで生きられるかは予め決まっている。だがそれを無視して「死」を早めようとする病気や殺人者などをイフサは許せない。

「バカめ」

 怒りを抱きながら殴りかかるイフサの拳は躱され、邪遠の重い拳が腹部にめり込む。一応手加減されたその攻撃は一撃で意識を刈り取る。
 地面に倒れたイフサへ追撃を仕掛けることはない。元より殺すつもりがなかったので、邪遠は殺すつもりであるレミへと向き直った。

「つまらない邪魔が入ったがもう邪魔者はいないだろう。……遺体を残しておくと逆に憐れかもしれん。その肉体は完全に火葬させてもらおう」

 邪遠が右手を高く上げると黒い炎が右手を覆う。
 黒炎の火力は絶大。人間一人塵にする程度容易なこと。そんな危険な炎が「死ね」とレミへ放たれようとした時――背後から迫った黒い剣が邪遠の背中を深く切り裂いた。

「がっ!? な、何者だ!?」

 右手の黒炎を一旦消して、振り返ってみれば一人の男が立っていた。

「お前がよく言ってたっけなあ。敵を倒す最後まで油断するなって」

 体全てが漆黒の男――シャドウは笑みを浮かべながら告げる。
 予想外の登場人物に驚愕した邪遠は「シャドウ……!」と名を呟く。

「じゃあ敵を倒した後は油断するってことか? そりゃあ良くねえよなあ、だって今こうして直撃を受けたんだから。獅子は兎を狩るのにも全力を出すって言うらしいが、兎の反撃に合って死ぬとは考えてないらしい」

「……シャドウ、いたのか。既にエビルを見つけていた……それで、なぜ俺を斬った? 俺は味方陣営のはずなんだが」

 師匠という立場でも、今では魔信教という意味でも味方といっていい存在。そんな自分を斬ったことに対して邪遠は咎めるような視線を向ける。
 シャドウはといえば謝罪しそうな雰囲気など欠片もなく当然といった様子だ。

「味方ねえ、俺はそんなもんに心当たりないぜ」

「……なら、仮にそうだとしても、今まで恐れていた相手の前によく出て来れたものだな。悲しいぞ、俺が一番貴様のことを目にかけてやっていたというのに」

 シャドウは「なんっつうかな」と言って、後方に倒れているエビルへ視線を向けず親指で指す。

「あいつ、バカみてえだろ? 勝てない相手と分かってて立ち向かって、何度倒されても立ち上がって、見ててアホだって思ったね。……まあただ、怖がって何も出来ない俺が情けないクソ野郎に思えてきてムカついたぜ。……それにお前は前から気に入らなかった」

 手を下げたシャドウは鋭い眼光で睨む。

「さっきのあいつの戦いで確信したぜ。お前は俺達を見下して優越感に浸ってやがる。その感情がちょくちょく流れてきて鬱陶しいったらありゃしねえ。理由は想像つくから苛つくし、俺に戦いを教えたのも弱い俺を心の中で嘲笑いたかっただけだろ。ムカつくから、殺す理由はそんだけで十分だよなあ! なあセイエン!」

 最後に呼んだ名前を耳にした瞬間、邪遠の顔が怒りに染まった。
 彼は「黙れ!」と叫びながら右拳を振るって、咄嗟に黒剣こくけんの腹で防御したシャドウを十メートルほど後退させる。

「その名で呼ぶな。それはもう捨てた名だ」

「罪から目を背けるつもりか裏切り者お。正義から悪魔に転落したクソ野郎がお前だろうがよ。現状を知ったお仲間はさぞ悲しんだんだろうなあ」

「いい加減にしろ……!」

 わざと挑発しているのはシャドウの作戦だ。
 深手を負っていても邪遠の実力はシャドウを上回る。だが怒りを爆発させたのなら攻撃は単調になる可能性が高い。頭に血を昇らせて戦闘に集中出来なくなれば成功といったところか。
 思惑通り一直線に殴りかかってきた邪遠の拳を軽く躱し、右方に跳んで距離を取ってから全力の攻撃に移る。

「〈影の茨〉」

 シャドウの影から先端が鋭く尖った黒い棘が十本以上伸びた。
 勢いよく伸びていくそれらを邪遠は真上に跳躍して避けた、かに思えたが〈影の茨〉から〈影の茨〉が出て邪遠へと迫っていく。
 ただ避けているだけでは攻略不可能な終わりなき棘の嵐。時には棘を足場にしたりして器用に紙一重で避けていくが、深手を負っている今の状態では無理があったのか何度か掠り始める。

「俺は貴様らを見捨てられなかっただけだ! 本来発揮出来るはずの力を使えなくなった貴様らは弱い。鍛えてやったのは感謝されてもいいはずだ!」

「見捨てられなかったあ? お前はただ自分の方が強いって思いたかっただけだろうが。あの頼れてお強い男より、一度も勝てなかった男より……その生まれ変わりである俺達よりも強いと思いたかっただけだろうが! 醜悪な嫉妬から解放されるために俺を利用しやがったんだよお前はあ!」

「だ、黙れ貴様! この失敗作が、師への恩を忘れやがって!」

 回避を繰り返したことで徐々に逃げ場がなくなっていく中、邪遠は右手を振り上げ、黒炎を纏わせてから振り下ろす。
 黒炎が棘の一本に直撃すると、瞬く間に火の手が広がって全ての棘が燃え尽きる。当然、棘の出所であるシャドウの影にまで届くのだが、影に届く前に黒剣で〈影の茨〉を切り離すことで阻止していた。もしも阻止していなければ影を伝ってシャドウも燃えていただろう。

「いいや感謝はしてるぜ? 俺が強くなれたのはお前のおかげでもある。ありがとなあ、お前らを殺すための手伝いをしてくれて助かったぜ!」

 空中から着地した後、怒りのままに邪遠がシャドウへと直進する。

「死んで元仲間に詫びてきな。〈影操術えいそうじゅつえん〉」

 両手を合わせた瞬間、シャドウの影が大きな円状に広がった。
 一見何の意味もないような技だが使い手がシャドウだからこそ意味がある。彼の固有能力〈影操作〉を最大限活かすなら影は大きな方がいい。他人や物体の影に干渉出来るといっても精々侵入するのが限度。基本的に自分の影を利用して戦う彼にとって戦況を変えるほどの一手になる。

 邪遠が目を軽く見開いた時にはもう遅い。
 円状の影のあちこちから黒剣が顔を出して、真上に向かって放出された。

「〈黒剣乱破こくけんらんは〉!」

 シャドウが所有している魔剣――黒剣は所有者の意思のままに体力を消費して分身する能力を持っている。普段は影の中に仕舞っているそれを大量に分身させて、分身を真上に放出し続けるのが〈黒剣乱破〉という大技。なお分身は所有者から離れると消滅する特性を持っているので空中で消えている。

(一度影の中に入ったらアウト。逃げようとしても上に放出され続ける剣の檻で出られやしねえ。仮に出ようとしたところでその前に串刺しになる。いかに邪遠といってもどうしようもねえ。勝った……!)

 逃げ場のない円状の檻内から無事で出ることは不可能に近い。今頃邪遠も体中を串刺しにされて死んでいる頃だろうとシャドウは愉しそうに口元を歪めた。
 今まで一度も勝てなかった相手にようやく勝てたのだ。嬉しくないわけがない。ましてや相手は自分を散々心の中で見下してきた男なのだから、ざまあみろと罵りたくなるくらいの高揚感を味わう。

「……危なかった」

 後ろからそんな声が聞こえてシャドウの脳が一瞬思考停止する。
 振り返った先にはまだ生存している邪遠がいた。体に数本の黒剣が刺さった傷口があり、黒に近い緑の血液が多く流れ出ている。荒い呼吸で酸素を補給して、瀕死の状態とはいえ確かに生きていた。

(どういうことだ……! 確かに奴は〈黒剣乱破〉をまともに喰らったはず、その証拠に剣の刺さった傷がある。少なくとも幻覚じゃなかった。……ならまさか、超スピードで脱出したとでもいうつもりか? 傷が深い状態でそれほどの速さが出せるってのか?)

「驚いているようだなシャドウ、そういえば貴様の修行で見せたことはなかったか。今の技から脱出した俺の技――黒炎を用いた加速の力を」

 邪遠が右腕を後方に伸ばし、右手の先にどす黒い炎を生成。その溜め込んだ黒炎を爆発的に後方へと放出するのと同時に駆ける。
 凄まじい速度は辛うじてシャドウの目に移り、速さに驚いているうちに目前へ迫って来ていた。先程集中が切れたせいで〈黒剣乱破〉は止まっているため一気に懐へ入られた。

「何度も言ったはずだ。敵を倒す最後まで油断するなと」

 手に持っていた黒剣を振るったが、それより先に邪遠の圧倒的速度を持った拳がシャドウの顔面に届く。
 鼻骨は折れ、頭蓋骨にはヒビが入ったシャドウは殴り飛ばされた。エビルの傍へ転がった彼は気合で立ち上がろうとするが足が震えて立てない。なんとか保っていた意識もやがて消えていき、力が抜けて地面へ倒れ伏す。

「貴様を独断で殺すわけにはいかない。今は俺に歯向かったことを後悔し、反省しておけ」

 気絶したシャドウにそう言い放った後に「さて」と呟き、標的にしたレミへと邪遠が向き直る。距離が離れていようと黒炎を飛ばして火葬することなど容易いことだ。――万全の状態なら、と注釈が付くが。
 今の邪遠は剣が貫通したかのような傷が複数あり、黒に近い緑の血液がどんどん溢れている。視界も揺れているし呼吸も荒い。

 右手をターゲットに向けたはいいものの、黒炎を右手の先に溜めた段階で転びそうになってしまった。なんとか右足を前に出して体を支えたから倒れなかったものの限界は近いと悟る。

(回復が先決か……。仕方ない、またいくらでも機会はあるだろう)

 邪遠は右腕を下ろし、神殿とは反対方向へ歩き出す。
 全員の力を合わせてもぎ取った撤退という結果。こうしてプリエール神殿を訪れた強敵の魔の手からエビル達は生き延びられた。
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