新・風の勇者伝説

彼方

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第一部 六章 オーブを求めて

誰も失わないために

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 爆発を視認して急いで駆けつけたエビルは唖然とする。
 石畳は一部ドロドロに溶けており、十数人の男女の溶けた残骸が転がっていた。そこで立っているのは一人のみ。灰色の肌、赤黒い瞳、羊のように捻じれた黒い角という人外。エビルはシャドウと同時に「邪遠……」とその人外の名を呟く。
 そして真っ先に飛び込んできた光景の中――見知った三人が倒れているのを見つけた。

「レミ! それにセイムにサトリまで……! これはお前がやったのか!?」

 邪遠はゆっくりとエビルの方へ振り向き「そうだが」と返す。

「安心しろ、俺は貴様と戦わん。貴様の仲間も死んでない」

 予想外の言葉に「戦わない……?」と邪遠の言葉を繰り返すように呟き、困惑が抜けない表情のまま問いかける。

「戦わないっていうのなら、どうしてこんな……どうしてこんなに酷いことをしたんだ? 僕とだけ戦わないなんて……理解出来ない」

「盗賊は許されないことをした、他の三人は俺の邪魔をしようとした……ただそれだけだ。それと今後、俺の期待を裏切らなければ秘術使いを殺すつもりはない。レミだったか、そいつも合格だ。貴様ら二人には期待しているぞ」

 邪遠は歩き出し、剣を構えたエビルの横を通り過ぎる。
 敵意の欠片もなかったために攻撃する気力も起きなかった。それに加え、誰かが戦うなと願っているような気がして邪遠を見逃してしまう。

 力なく倒れているレミから「うっ……」と呻き声がした。
 左腕に火傷をしていて、殴られたことで青痣が出来ているがまだ生きている。火傷は左手首から肘までの広範囲に及んでおり、早くも水膨れになって痛々しい。
 もう振り返ったところで敵はいない。追いかけるにしてもこのままレミ達を放置することが出来ないので、エビルは三人を背負い、三人の重量にふらつきながらも宿屋へと向かうことにした。その道中、一つの遺体の傍で一度立ち止まる。

「ジョウさん……?」

 もうどこにも力が入っていない。呼吸していない。心臓も動いていない。
 しかしその手は持っている紙を誰かへ渡すように伸びている。邪遠の元に向かった時にはこんな仕草はされていなかった。不思議に思いつつ、ふらつきながらもなんとか白い紙を受け取っておく。その時に気付いたがジョウの口元は笑っているように見えた。
 現状では埋葬も出来ないので一礼しておき、再び宿屋へと足を向かわせる。


 * * *


 夜は明けたがエビルの心は明るくならない。
 ハイエンド城下町にて一夜で起きた事件は彼の心に深い爪痕を残している。
 傷付いた仲間達。ジョウの死亡。ジークの本性。邪遠の思惑。そして本当の自分。色々と考えなければいけないこともありエビルの表情は暗く落ち込んでいた。

 昨夜は非常に大変だった。仲間である三人を背負って宿屋まで運べば、店主である老人は驚いていたがすぐに運ぶ手伝いをしてくれた。ベッドに寝かし、応急処置をしてから布団をかけて眠らせておく。二人に出来ることはそれくらいしかない。

 エビルはベッドに腰を下ろし、隣で眠るセイムを眺めた。
 あちこちに包帯が巻かれている彼を見下ろすと胸が痛む。邪遠は死んでいないと言っていたが、もう死んでしまうのではないかと心配になる。

「あの時は……どうかしていた」

 古い窓から差し込む日光を浴びながらエビルは昨夜を思い出す。
 ジョウを殺したジークの態度で頭がカッとなってしまった。どういう原理かシャドウという存在を自らに取り込もうとして、流れ込んできた負の感情に呑まれたのだ。その結果がシャドウのような……いやそれよりも残忍に振る舞い、傷付ける行為を純粋に楽しんでしまった。今思い出してみればまさに悪魔の所業である。

『くくっ、くっくっく。どうかしていたねぇ』

 唐突に笑い出したのは今回吸収されかけたシャドウ本人だ。

『融合が不完全だったから戻れたが、あれは間違いなく俺達が一人になろうとしていた。邪悪を欲して受け入れたゆえに起きたことだ。なあ分かるか、あれは俺達が一人だった時本来の性格ってことだぜ? 珍しくお前にしちゃ悪魔やってたぜ。普段なら嗤ってやるとこだが俺もあの時は余裕がなかったからな、嗤えなくて悪かったな』

「別に嗤わなくていい。むしろ嗤わなくて良かったよ」

 元々、エビルとシャドウは一人の悪魔だった。
 最高傑作の悪魔とされていたが一つの欠陥があり、それこそが負の感情の少なさ。それを改善するために邪悪な感情を与えられたが拒絶。結果は体と心が二つに分かれて現在に至る。
 原理は不明……いや不明といってもシャドウの発言からおおよそ予想出来る。エビルが負の感情を、本物の怒りと憎しみを望んだからだろう。

 分離が起きた時、エビルには負の感情がほとんど残らなかった。
 怒り、恐れ、悲しみ、憎しみ、シャドウから言わせれば今までの感情は演技だという。当人としてはそんなつもりはなかったのだがもはや自分でも分からない。感情の有無など誰にも分からない。

「あれが本来の僕達……なんだよね」

『そうだな。本来はああなるはずだった、だがお前は俺を拒絶した。今となっちゃまた真の姿に戻るなんざ御免だからいいけどよ。またあんなことが起きねえとも限らねえ』

「負の感情を僕が望めば、またああなるかもってことか」

 あの時の自分にはエビルも嫌気が差している。
 圧倒的な戦闘力を宿したとはいえ、相手をじわじわと死に近付けていく戦闘方法は気分が悪くなる。腕や耳を斬り落として笑った記憶が頭にこびりつく。もしあのままだったら大切な仲間達にも魔の手を伸ばしていたかもしれない。

『確かにそうだが今回で非常に面白くない結果が出た。理屈は分からねえが一回混ざりかけたからか、お前にはもう負の感情が宿ってるんだよ。俺の一部をくれてやったような形でな』

「じゃあ……僕はこれでみんなと同じなんだ。自分じゃよく分からないな。……そういえば、感情じゃないけど記憶が流れてきたっけ。そっちはもう残っていないけれど」

『ああ、あれか。どこまで憶えてる? 全部忘却しろ』

 融合しかけると同時になだれ込んできた記憶……といっても全てを見たわけではない。寧ろエビルは彼の記憶をほぼ把握していない。流れてきたのは確かだが、あの時は他人の記憶を探るよりも怒りで頭がいっぱいだったからだ。

「無茶言うなよ。唯一憶えているのは……七魔将しちましょうって言葉。これは……何だ? お前と邪遠の仲間だってことは理解出来たけど」

 ジークが質問したおかげというべきかその単語だけは憶えている。

『今は言う必要がねえ、魔信教を壊滅させられたら教えてやるよ』

「なら、無理して聞く必要はないか」

 いつの日か悪の組織である魔信教を倒すまで思考から追い出す。何かに気を取られていては敵に後れを取りかねない。そう、魔信教以外を気にしていては命取り。なのに脳にこびりついて離れない記憶があった。
 暫く沈黙が続き、エビルの表情が段々暗くなっていく。

『分かるぜ、俺にはお前の気持ちが手に取るように分かる。ジョウって野郎をぶっ殺したあの男、ジークが憎いんだろ? お前は昨夜に本気で憎める心を手に入れた。どうだ本物の憎しみは。今でも俺のことを考えて殺そうとしないつもりか?』

 シャドウはエビルの故郷を滅ぼした張本人。当然憎い。
 以前よりエビルは彼にも事情があるはずと信じて疑わず、殺すために動いてこなかった。しかしそれも仮初めの憎悪が理由であり、本物といえる憎しみを抱いた現在は――。

「憎い……。今すぐにでも、斬りたいくらいに」

『痛いか?』

「痛い……! 胸が灼けるように熱い……!」

『辛いか?』

「辛い……! どうして、こんなに……!」

 今までが演技だと指摘された理由をエビルは何となく理解した。
 本当の憎しみは容易く断ち切れない。ジョウがあそこまで復讐に拘った理由も今なら分かる。同時に師匠からの言葉もあるため今さら復讐を始める気はないが……気を抜けば復讐心に支配されそうだった。

『それが負の感情おれなのさ。存分に苦痛を堪能しておけ、苦しんだ分だけ心は強くなる。気に入らねえがお前はこれからもっと強くなれる。それこそ今の俺と並ぶか、それ以上に……』

「なら、もっと強くなってやるさ……! もう僕の前で誰かを殺させはしない」

 暗い表情は変わらないが瞳に覚悟が宿る。
 もう誰も失いたくないという一心でエビルは強くなろうとする。
 ジークよりも、シャドウよりも、邪遠よりも、誰よりも強くなれば失うことはない。最強の勇者を目指すと意気込んでエビルは拳を強く握った。
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