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第一部 七章 天空神殿
先代勇者VS今代勇者
しおりを挟む特訓十日目。最終日。
草原の上で目が覚めたエビルは誰もいない景色を眺めていた。
心を落ち着けたかったのである。シャドウにリトゥアールを殺すべきだと言われたのが、自分と正反対の思考を持つ彼が嫌いだ。仇は関係なく、相容れないと強く思う。同時に自分が正しいという気持ちも若干揺らいでいる。
「やあ、早起きだね」
声を掛けて来たのはビュートだ。振り向かなくても分かる。
「やっぱり思い詰めちゃったか……リトゥアールのこと」
返事はしなかった。あまり彼を困らせたくなかったから。
隣に並んだ彼は早速本題とばかりに語り出す。
「申し訳ないけど昨日の会話は聞こえていてね。あのままやらせていたら片方が殺しかねないから止めたんだ。気付いてなかっただろうけど二人の敵意に殺意が混じっていたよ」
気付いていた。己の中にある殺意が膨らんで外へ出てしまったのは。
今まで殺したいと思わないように抑えてきた気持ちが漏れてしまった。シャドウもそこは同じなのかもしれない。協力関係でさえなければ二人は斬り合っているだろうから。
「ビュートさんはどう思うんですか? リトゥアールさんのこと。生きたままでいてほしいですよね? 死んでほしいなんて、そんなこと思うわけないですよね?」
「……難しいね。彼女の中には死を望む気持ちがあると思う。もし彼女が本当に本気で死にたいと思うなら俺はそれを手助けしてあげてほしいとも思う。そう思う気持ちの原因は理解しているつもりだからね。彼女の性格上自殺はしないだろうし」
シャドウよりの意見を言われたことに愕然として思わず「そんなっ」と声が零れる。
救済とは本当に殺すことなのか。スレイのように狂ってるとまでは言わないが、エビルには理解し難い意見である。
「……ただ、俺自身は生きてほしいと願っているよ」
困ったようにビュートは笑みを向けてきた。
「救う方法は君達に任せるさ。人の数だけ違う意見がある、真の正解なんて存在しない。もしかしたら全員正解なのかもしれない。君達二人の意見はどっちも間違っていないさ。この先は二人で相談して決めてくれ」
こくりと頷いて「はい」とエビルは返事をする。
正解はない。或いはどちらも正解。その言葉だけで気持ちが軽くなった気がした。今のところ殺す選択肢はないのでシャドウに譲らないが相談はしようと思う。話し合いだけで納得出来る答えが出ればいいがもし出なければ――。
「さて、今日は最後の特訓だ。最終日は俺と摸擬戦してもらうよ」
思考の途中でビュートが告げる。
何となく想定はしていた。シャドウとは昨日までと言われていたし、この世界で他にいるとすれば戦う相手は彼くらいなものだ。
「はい。よろしくお願いします」
緊張はない。憧れも今は奥底へしまう。
一定の距離を取ったビュートが木刀を投げてきたので受け取る。
ふいに、師匠であるソルとの稽古を思い出した。
子供の頃からあの剣術道場で風の勇者の絵本を読んできた。目前にいるなんて今でも夢なのかと思うし現実味がない。おまけに自分は彼の生まれ変わりだというのだから驚きの連続であった。しかし今だけは、今だけは気持ちを切り替える。
ここにいるのは今代の風の勇者と先代の風の勇者。
彼と戦うのは強くなるため。今まで関わってきた者達を魔信教の手から守るために、それ以外の邪悪な存在から守るために先代と同等かそれ以上に強くならなければならない。
まず二人が発動するのは〈暴風剣〉。同時に木刀を高速回転する風で包み込んで緑光を纏わせる。そこから次の手はシンプル、打ち合いだ。
己の今までで学んだ全てを引き出して剣戟を始める。
流れる水のように滑らかな剣で受け流せ。
吹きぬく風のように鋭い突きを放て。
燃え上がる炎のように大胆に渾身の一撃を入れろ。
落雷のように素早く動け。
師匠から学んだ基本は体に染みついている。忘れることはない。
「「〈烈風打〉!」」
二本の木刀がぶつかり合い、風圧が一気に全方位へと広がる。
身体能力の差からエビルが吹き飛ばされる。威力も速度も若干ビュートの方が上回っているのをよく理解した。
ビュートが疾風のように駆けてくる。
無駄のない動きは素早い。あっという間に間合いの一歩手前まで接近される間、エビルは〈疾風迅雷〉の構えを取る。新しく覚えた方じゃないのはカウンタースタイルだからだ。進化したあの技は自分から仕掛けなければ繰り出せない。
「カウンターかい? けど今の君が俺の攻撃を喰らえば技を繰り出す前に吹っ飛ぶ。あまりいい判断じゃないね。ここは避けるなり立ち向かうなりした方がよかったと思うよ」
木刀が振るわれる直前、あと一歩の間合いを踏み込む直前。
――突風を正面から浴びたビュートは間合いに入り込めず木刀を空振った。
たかだか一歩を僅かに届かなくしたのはエビルの〈逆風〉。相手に向けて強風を放つことで動きをほんの少し阻害するサポート技だ。達人レベルの戦闘ではそのほんの少しが致命的な隙を作る。
本来ならビュートは〈逆風〉が来ることを事前に知れたはずだ。
風紋と融合しかけている彼も秘術を扱える。熟練した彼なら相手の次の手を感じ取ることなど容易だったはずだ。それが不可能だったのはおそらく、戦っているのが風の秘術使い同士だったから。感情を感じ取るのが精一杯で動きまでは感じられないのだと思われる、実際エビルがそうだ。当然ながら過去に風の秘術使い同士が戦ったことなどない。同じ時代に二人存在している現状は普通ありえないのだから。
深く息を吐いてからエビルは零距離から〈疾風迅雷〉を繰り出す。
ビュートは攻撃の直後で隙が生まれている。防御も回避も至近距離だから間に合わない。必殺の一撃を必中にしてみせたのは知恵と奇跡が両立したからだ。
必殺の突きは直撃した。――彼の体を覆う淡い緑光に。
人体を突いた感触はない。あるのは高速回転している何かの感触。
直撃して後退したビュートは「ふう、危ない危ない」と笑みを浮かべて零す。
からくりは理解している。彼自身が初日に実演してくれた技の一つに、今も木刀を回転しながら覆っている風を体にも纏わせるものがあった。十中八九、彼が使用したのは防御技〈風鎧〉だろう。
普段から使用していると消耗を激しくしてしまうと彼は語っていた。剣の方と違い、必要な瞬間だけに使う方が効率がいいという言葉から今はもう解除されている。攻撃あるのみと判断したエビルは追撃のために駆け出す。
念のために保険をかけておいた。今までの戦いと比べて遥かに風の使用量が多いため、相当消耗も激しいが格上と戦うなら気にしていられない。
一直線にエビルはビュートへと走って――突風で動きが若干鈍る。
「元々俺の技だ。使わないわけないだろう?」
唐突な強風の正体はほぼ確実に〈逆風〉だ。
これではまるで先程の攻防をやり返されているようだ。ビュートがエビルの攻撃の直前に使用しなかったのは時間稼ぎのためだろう。ほんの僅かな時間でも稼げれば迎撃のための体勢が整えられる。
予想外といえば予想外。こういった時のために保険を作っておいて良かったとエビルは思う。二本の木刀がまたしてもぶつかり――ビュートの側頭部へ圧縮しておいた風を激突させた。
これはさすがに彼も予想外だっただろう。驚きで目を見開き、小さな鉄球を当てられたような鈍痛に顔を顰めている。体勢を崩し、そのおかげでエビルは彼の木刀を弾き返せた。こんなにも上手くいったことに自然と笑みが浮かぶ。
きっとビュートは動きを予測出来ない相手との戦闘に慣れていない。
風の秘術使い以外にとっては当たり前なのに、予測出来てしまう便利能力があればそれに頼ってしまう。普通の戦い方が出来なくなってしまう。エビルとシャドウ二人相手に圧倒出来たのは戦闘経験と純粋な身体能力があったからである。実力の近い今のエビル相手では苦戦してしまうのだ。
「〈全方位への風撃〉」
エビルが勝利を確信した瞬間、ビュートがそう呟く。
彼を避けるように風が降りてきて、真下へ叩きつけられた大量の強風は三百六十度に広がっていく。正しく全体攻撃。途轍もない風量で草原の草ごと地面が抉れ、亀裂が入り、大小の地面の塊が吹き飛ぶ。エビルは何とか耐えようと踏ん張り、木刀を真下に突き立てるが凄まじい風量で足が地面から離れてしまう。
浮き上がったエビルは飛んでいく。
痛いくらいに白髪を激しく靡かせながら風に乗って空を飛ぶ。
(これは無理だ、もう戻れない……! このままじゃ地面に叩きつけられて……気絶か。少なくとも戦いは続行出来ないな。ここまでなのか……)
よくやれた方だと思う。あの憧れている風の勇者に善戦出来たのだ。精神世界へ飛ばされた当初と比べれば十分すぎる程に強くなれたはずだ。これ以上を望むなど欲張りにも思える。
(でも、諦めるのか? そうだ、風の勇者はどんな時でも諦めない。諦めないんだ……! 僕だって、僕だって途中で諦めて負けを受け入れてやるものか! 最後の最後まで、全力を、振り絞るんだあああ!)
今エビルが飛ばされている原因は風。空気の流れ。
風の秘術は風を操れる。たとえ相手が操作したものでもそれは変わらないんじゃないだろうか。この身を吹き飛ばしている大風量すらも操作し返せるのではないだろうか。考えているだけではダメだ。エビルは一か八かの賭けとして莫大な風に干渉した。
叫びながら無我夢中で風を操る。
今吹いている向きを真逆にする。ビュートから離す風は逆に接近させる風となる。
凄まじい風量が今度は味方だ。かなりの追い風を受けながらエビルは普通の突きの構えをとった。風向きが真逆になった事態にビュートは驚いているようだがもう遅い。さすがの彼も勝ったと思っていたのか、相手がエビルだからこれで終わったと思ったのかは分からない。だが確かなことは彼が油断してしまったということ。
叫びながら木刀を突き出す。
エビルの木刀の先端と、彼の木刀の正面がぶつかり合う。莫大な風の援護を受けた刺突は止まることなく正面から受けた木刀を打ち砕く。
それだけでよしとしたエビルは彼の横を通り過ぎて十数メートルかけて何とか着地出来た。一応体勢を直してみたがもう決着はついたようなものだ。彼は「やれやれ」と笑みを浮かべて肩を竦めた。そして折れた木刀を草原へ捨てた。
「うん、俺の負けだね。想像以上だよ君は」
「僕の勝ちで、いいんですね」
「君は強くなったよ。これで気兼ねなく後を託せるってもんさ」
実感は湧かないがエビルは伝説に謳われる風の勇者へ勝利した。
彼の言葉通り、以前より遥かに強くなれた。ここまで成長出来たのは彼とシャドウのおかげと言える。二人との摸擬戦は得る物が多い貴重なものだったのは間違いない。
「さっきも言ったけど、リトゥアールの件は君達に任せる。俺の魂はたぶんこのまま風紋と融合してしまうからもう会うことはないだろう。俺はいつでも君の中で活躍を願っているよ。勇者として生きるのに辛いこともあると思うけど、君なら、君達なら乗り越えられると信じている。――頑張れよ、今代」
「色々とありがとうございました。リトゥアールさんについては必ずシャドウと答えを出します。どうか安らかに過ごしてください、先代」
二人は頷き合うと互いに背を向ける。
次の瞬間、どちらの姿も掻き消えたことは互いに気付かなかった。
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