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第二部 三章 善悪の境界線
ギルド襲撃
しおりを挟むエビル達は鍵の掛かっていない門を開けてギルド本部へと足を踏み入れた。
中にあるのは五棟の巨大な建築物と石畳の道、そして樹や薬草などの植物。幸い建物に傷は付いていないが激しい戦闘痕が石畳に残されている。闘争の気配は強く感じられるのでまだ襲撃は続いているはずだ。エビル達は急いで戦闘が行われている方角へと向かう。
「どこに敵がいるのか分かるのですか?」
「風の秘術は気配とか感情を風として感じ取ることが出来るんだ。争いの風が吹く方向へ向かえば、ギルドを襲撃した相手に辿り着けるはずだよ」
「す、凄いですね! 私の力じゃそんなこと出来ないです!」
全感は風の秘術限定の能力。代わりに林の秘術には、大地の植物からエネルギーを摂取して回復する能力がある。本人は全く自覚していないがリンシャンも十分凄い存在なのだ。
感じる戦いの風を辿っていくと三人の男女がいた。
弓を持っている短い金髪の女性。上半身が裸の筋骨隆々な男性。そして二人が対峙しているのが裾の長いメイド服を着用した黒髪黒目の人外女性。
頭には猫耳、頬には三対六本の髭、メイド服の尻部分に空けられた穴から猫らしき尻尾が生えている。異質な外見だが何よりも気になるのは気配の質。あの七魔将の一人であるビン・バビンと似た気配に思わず「……この気配、ビンと似ている」と口に出してしまう。それを聞いたロイズは「悪魔か……!」と呟き目つきが変わる。
驚いたのは黒髪の女性も同じのようでエビルを見た目が丸くなる。
明らかな動揺が生まれた彼女は「あなたは……」と呟いていた。
「何か知らないけどチャンス!」
短い金髪の女性が、動きの止まった相手へと弓を射る。
弓矢が飛ぶ。鋭く殺傷能力の高い矢が三本。
黒髪の少女はそれを躱すことなく――素手で弾いた。
信じられない光景にエビル達は目を見開く。
矢のスピードを見ればエビルでも剣で弾けるだろうが彼女は素手だ。しかも尖った先端部を手刀で弾いていた。普通なら手が抉れてただでは済まない傷を負うのに、彼女の手は白く傷一つない綺麗なままである。人間と同じように見えるだけでロイズの言う通り悪魔なのかもしれない。
「……強い」
大柄で筋肉質な男が弓に続いてすかさず追撃。しかし、黒髪の少女は頭よりも大きな拳を涼しい顔で受け止めた。彼女は大男の拳を払い、鳩尾へと強烈な蹴りを叩き込む。見た目にそぐわない怪力で大男が凄まじいスピードで吹き飛ぶ。
飛来する大男を躱そうとする金髪の女性は左へと走る。
軌道から逸れて弓を再び構えようとしたが、吹き飛ぶ大男に黒髪の少女が追いついて再び蹴り飛ばす。しかも今度もまた金髪の女性の方へとだ。驚愕して躱せない女性を助けるべくエビルは飛び出し、抱きしめて軌道から外れる。
大男の方も見捨てたりはしない。以前ビンに町から外まで蹴り飛ばされた際、試してみた空気膜の生成を行う。柔らかくした空気の層を何重にも作り、彼の速度を限りなくゼロにして停止させた。石畳に倒れた彼はピクリとも動かないが、生命力に余裕を感じるため命に別状はない。
「リンシャン! 念のため男の人の傷を診てくれ!」
緑髪の少女は「は、はい! 分かりました!」と言って彼の方へ走る。
リンシャンの傍に居たロイズはエビルの傍へと駆け寄って来た。
「では私達のやるべきことは一つだな」
「うん、彼女を捕らえる」
「また殺さないように、か……レベルの高い要求だ」
戦闘の前に金髪の女性を石畳へと下ろさなければならない。
乱入したエビル達を見て呆気に取られている彼女を静かに石畳へ下ろす。
「あ、あなた達はいったい……」
「通りすがりの旅人です。怪我はないですか? あるなら後方にいる彼女に診てもらってください。敵は僕が食い止めますからご心配なく」
「治療? 必要ないわ、私はまだ戦える」
そう言って立ち上がる女性にロイズが「止めておけ」と告げる。
「君の矢は奴に効かなかった。足手纏いになるのは明白だ……大人しく休め」
厳しい意見だが正論である。戦いは数的有利があればいいというものではない、質が最も重要なのだ。
正論を告げたロイズの顔は悔しさで歪んでいた。女性への厳しさが原因ではなく、もっと根本的な何かが彼女の心を苦しめている。
分かっているのだろう、今相対している猫っぽい女性に自分が敵わないことを。
後ろへ下がるべきは自分もだということを理解しているのだろう。……だからエビルは敢えて彼女に後ろへ下がれと言わなかった。告げたとしても心を傷付けるだけに終わると思ったのだ。
「くっ、何も言い返せないわね……。死ぬんじゃないわよあなた達」
金髪の女性はリンシャンがいる方へと走っていく。
これで戦いの準備は整った。猫っぽい女性へと集中する。
「シャドウ様ではありませんね。もしや、噂に聞く片割れなのでしょうか。確か名前は変えずにエビルでしたか。まさか風の秘術使いだったとは思いもしませんでしたが」
名前が出るということは関わりのある者と見て間違いない。
メイド服なんておかしな服装だが七魔将の可能性が跳ね上がる。
一応「七魔将か?」と問いかけると素直に「はい」と答えてくれた。
「私はミーニャマ、七魔将の一員です」
「どうしてギルドを襲った?」
「襲う、というより襲われたが正しいと思います。私に敵意がないことくらいあなたなら感じられるのではありませんか? まあ、私は完全に敵認定されてしまったようなので、今更分かっても無意味でしょうが」
確かにミーニャマからの敵意はないし、この状況を面倒だと思っているようにしか感じない。言葉を信じるなら彼女は被害者かもしれないが、同時に人間を傷付けた加害者なのも事実である。
苛立ちを募らせて顔を顰めたロイズが口を開く。
「七魔将は秘術使いを狙っているとビンが言っていた。貴様はエビルが風の秘術使いだと知ったようだが、この場合戦闘は避けられないのではないか?」
「あなたが襲って来るのなら仕方なく対処させてもらいますが」
「平和を乱す貴様らが被害者面をするな!」
サイデモン・キルシュタインと重ねているだろうロイズが走り出す。
勢いと殺意が乗った槍の一撃が放たれ、ミーニャマが片手で受け止めた。
先程の矢を弾いたのと同じだ。鋭い鉄製武器の攻撃を素手で受けるなど普通ありえない。ロイズも「バカな……私の槍を、手の平で?」と戦慄している。考えられるものとしては実力差がありすぎるか、体が金属のように硬いかのどちらかだ。
「槍を受けたのは初めてですが筋のいい一撃だったと思います。それでは」
ミーニャマが槍を左手で払い、ロイズに近付いてから右手を振るう。
手の形は握り拳ではなく五指を真っ直ぐにした貫手。
槍の一撃を遥かに超える速度で放たれた突きは死の一手。それが当たったらどうなるか考えるまでもない。エビルは手にしていた木剣に風を纏わせた〈暴風剣〉で受け止める。
「今の一撃、殺意がなくても殺すつもりでしたね」
「いいえ。まさかあの程度も躱せないとは思わなかったもので」
エビルが強引に力で押し返すとミーニャマは後方へ跳ぶ。
「あなたが退いてくれれば戦わずに済んだのに……」
「それはお互い様でしょう」
木剣の〈暴風剣〉を解除し、腰の鞘に戻す。
代わりの武器は当然金属製の剣。構えた後で〈暴風剣〉を使用する。
互いが互いの初動に注意して様子を窺い、やがて同時に駆け出して衝突した。
腕と剣の刃がぶつかって火花を散らす。
間近で見て火花を目にした時、彼女の体が硬質化していると理解した。そうでもなければ刃と素肌の衝突で火花など散らない。彼女の魔術がそういう効果なのかもしれない。
エビル達の攻防は数秒の内に数十以上行われる。
一応全力で斬りかかっているが多少の傷を付けるだけで精一杯だ。彼女の体は予想以上に硬く、斬れる気がしない。もし木剣のまま戦っていたら折られていた可能性が高い。武器を金属製の剣に変えたのは別の理由なのだが、刃のない武器で戦わない判断をして良かったと思う。
「……レベルが違う」
ロイズの小さな声をエビルの耳が拾う。
実力差を示すようで申し訳ないが彼女は現状足手纏いになる。七魔将を相手取るのに力不足というわけではない。彼女はレベルアップしているし、今なら魔術なしのビン・バビンといい勝負が出来るはずだ。しかし今回相対したミーニャマはビンよりも強い。
数え切れない打ち合いの後にエビルは〈疾風迅雷〉を放つ。
全身の筋肉を活用した高速の突き技だ。今のエビルの〈疾風迅雷〉を躱せるものなどあまりいないが、ミーニャマは上空へ跳んで易々と回避した。……とはいえ上空に逃げたのは愚策。空中では身動きが取りづらいし、重力に逆らえずに落ちる運命。落下してきたところに全力の一撃を叩き込むのは容易だ。
「――〈猫達の専用通路〉」
ミーニャマが空中で何かを踏んで走った。
感じられるが踏んだのは空気の塊。風の秘術と似たような力を行使した彼女にエビルは驚きを隠せない。秘術が一人一種類なように、魔術も一種類しか使えないと思い込んでいたが勘違いだった。彼女は現在二種類の能力を平然と扱っている。魔剣の能力かとも疑ったが、七魔将でありながら魔剣らしきものを持っていない。
ある程度まで離れた彼女が身を翻し、エビル目掛けて突っ込んできた。
振るわれる手刀を剣で防いだが力では負けている。技を受け流しに変更して半回転し、上手い具合に力の加わる場所をずらして受け流す。彼女は顔面から石畳に激突するところだったがさすが七魔将の一員。一秒に満たない時間で体勢を整えて華麗に着地してみせる。
「――〈怠け者の理想〉」
驚くべきことにミーニャマの姿が一瞬で掻き消えた。
風の秘術によって背後への出現を感知出来たため、素早く振り向いて手刀を防ぐ。
「まさか転移能力を用いての攻撃を阻止されるとは思いませんでした。悪魔王様に最高傑作と呼ばれていただけありますね。秘術と合わさった剣術は超一流と言っていいでしょう」
「……褒めてくれてありがとう。ただ君、これで何種類目の魔術だったかな? 僕からすれば君の方が凄い気がするよ。風の秘術がなかったら殺されていたところだ」
久し振りに一対一で厳しい戦いになる相手と出会った。転移能力なんて秘術がなくては攻略不可能だとすら思う。それに加えて肉体の硬質化と空中歩行。ここまで多彩な能力を披露されると他に何種類あっても驚かない。
「もう少しあなたを試したいですが……時間切れですね」
「どういう意味……いや、何だ? 物凄い速さで何かが来ている?」
風の秘術で微かに感じた何者かの気配が徐々に大きくなり、近付いて来る。ギルドの三十メートル程ある外壁を超えた高さから、圧倒的なスピードで二人の間にやって来た。
現れたのは黒髪の女性だ。裾が短いメイド服姿の彼女はエビルとミーニャマを交互に見る。
「……どうなっているんだ。ミーニャマが……二人?」
彼女にも猫耳と尻尾が生えている。顔の造形も彼女の方が優しい目をしている程度であり、エビルとシャドウのように酷似している。しかも近くに居るだけでこの場の誰よりも強いと感じ取れてしまう。
「さて、初めましてだねミーニャマ。困るよー、話があるならアポイントくらい取ってくれないとさあ。それにギルドメンバーも傷付けちゃって……怒っちゃうぞ?」
「申し訳ありませんねミヤマ。あなたと戦うつもりはないので退散します」
そう告げたミーニャマは一瞬で姿を掻き消す。
戦闘中に使用した転移能力だ。風を頼りに索敵するが周囲に気配はない。
結局残ったのはエビル達と謎の女性のみ。
恐ろしい力を隠している彼女が敵か味方か不明な現状、厳戒態勢は解けない。
「あーあ、逃がしたか。……さて、次は君達だにゃん」
「……にゃん?」
聞き間違いかもしれないが妙な語尾が聞こえた。
振り向いた女性は奇妙なポーズを取って大声で叫ぶ。
「どうもお! 色々混乱しているところで挨拶しておくけど、私がギルドマスターを務めているミヤマだにゃん! エビル・アグレム、君が来るのを実は待っていたんだにゃん!」
「……え? あ、はい。はい?」
聞き捨てならない言葉が聞こえた。
ギルドマスターと彼女は言ったがそれはつまり、全国の魔物を駆除する組織のトップだということ。奇妙なポーズを取り続けている不思議な彼女こそが、立派な志を持つ団体のリーダーだということ。到底信じられない発言にエビルは呆けてしまう。
「君に会いたいって子も待たせていることだし、怪我人なら私が運んでおくから最奥の建物に入って待っててにゃん。受付近くで大人しく待っていてくれると助かるにゃん」
ミヤマは「しゅわっち!」と叫ぶと忽然と姿を消した。
後方が騒がしくなったので振り向くと、先程戦っていた二人の姿もない。
「あ、あれえ!? 治療し終わった二人がいなくなってしまいました!」
慌てふためくリンシャンを落ち着かせるためにエビルは口を開く。
「運ぶって言っていたし……どこかに、運んだんじゃないかな」
「一言くらい声を掛けてくださってもいいのに……」
「とりあえず言われた通り、最奥の建物へ向かおう」
ギルド本部は全てで五つの建造物があり、その内一つは外観から判断するに見張り台である。今回の襲撃は転移能力を持つミーニャマの仕業なので役立ちはしなかっただろう。
まだどこも見て回っていないのでどんな施設か不明ななか、エビル達は最奥の一番横長な建物へと歩く。
「……あれがギルドマスター。話以上におかしな人だな」
道中でロイズがそう呟く。
「ロイズは知っていたの?」
「一応、話は聞いていた。私に槍を教えてくれた師、ナディン・クリオウネは、元々ギルドのSランクに所属していたんだ。非常に変わり者だと師は言っていたからある程度予想していたんだが……私の予想を見事に上回ったよ」
ギルドマスターがメイド服を着ており、さらに語尾に謎の言葉。
確かに変わり者だ。正直今も信じきれないでいるが、先程の会話で嘘の風は吹かなかった。自分がギルドマスターだと思い込んでいない限り真実なのは明らかである。
「Sランクというのはいったい何なのですか?」
ロイズの言葉に疑問を持ったリンシャンが問う。
「ギルドにはランクと呼ばれる格付けがある。下から順にD、C、B、A、Sで分けられているんだ。上のランクに所属出来るのは実力や功績が認められた証さ」
「わあ! つまりロイズ様のお師匠様はとても凄い人なのですね!」
「ああ。私は、師を尊敬しているよ。……今も昔も変わらずにな」
バラティア王国の滅亡を聞かされたエビルは知っている。
ロイズの師、ナディンは既にこの世にいない。七魔将の一人、サイデモン・キルシュタインに殺されたと彼女の口から語られている。後ろを歩く彼女の心に暗い影が広がったのをエビルは感じた。
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