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第二部 三章 善悪の境界線
七魔将 変体 ダグラス・カマントバイア
しおりを挟むロイズ達が族長宅へと向かうと凄まじい激闘が繰り広げられていた。
バトオナ族と戦っているのは桃色髪の女性。褐色の肌の上に、露出の多い赤いドレスを着ている。敵だと思われる彼女は武器を持っておらず、信じられないことに全ての攻撃に素手で対応している。
四方八方から飛来する骨の槍を躱し、流し、反撃。
恐ろしい身体能力と戦闘センス。一目見てロイズは敵の実力を察した。
そして感じた。敵も生命力を……〈メイオラ闘法〉を扱う。
「ダグラス、様……?」
激しい戦闘を眺めていたリンシャンが呆然と呟いた。
「知っているのかリンシャン、あの者を」
「う、嘘……だってあの人、故郷へ帰りたいって言っていたから、私、道を教えたのに。嘘の感じだってしないし、純粋に帰りたいと思っていそうだったから教えたのに。これじゃあ、これじゃあ、私のせい……?」
「詳しくは聞かないが君のせいではない。あの者は故郷を探していたんだろう? なら、いつかこの場所に辿り着いていた。争いが起きるのは結局避けられない。争いの始まりが遅いか早いかの話だ、君は悪くない」
ダグラスというらしい女性が集落に来たのはともかく、戦闘が始まったのにリンシャンは関係ない。心優しいのはいいことだが彼女は気負いすぎるのが欠点だ。
「リンシャン、今は戦いに集中……何だ? どこか違和感が」
戦闘中のバトオナ族達を見ているとロイズは僅かな違和感を抱く。最初は考えすぎかと思っていたが、五秒程見ていると何が起きているのか理解出来た。
「……押されている?」
数は圧倒的に有利だったはずなのに、バトオナ族が次々倒されている。
あれだけ強い彼女達が劣勢なのだ。地面に倒れ、立ち上がって攻撃してはまた倒されるの繰り返し。中にはもう立てず地に伏している者もいた。ダグラスの実力は明らかにバトオナ族を凌駕している。
予想外の光景を前に立ち尽くしていると戦闘はさらに進む。
半数以上が倒れ伏したためダグラスが一層有利になった。
ダグラスの生命エネルギーを纏う拳が次に向かうのは、ロイズが見覚えのある女性。つい先日話をしたクレイアの母親だ。彼女も当然骨の槍を持って戦闘に参加していたのだが、このままでは重い一撃が彼女に振るわれてしまう。
「マテン様!」
振りかぶったダグラスの右手が細い木に絡め取られる。
知り合いの危機を見たからかリンシャンが動いたのだ。
縄のようにしなやかな木を生やし、相手を拘束する技〈樹縛〉。
秘術で生やされた木なので頑丈さは通常の樹木と比べ物にならない。力尽くでの脱出は難しく、ダグラスは腕を木の縄から抜こうとしているが抜ける気配はない。
拘束された右腕に気を取られているダグラスにバトオナ族達が襲いかかる。
槍を突き出した瞬間――襲いかかった全員が吹き飛んだ。
地面に転がったり家を破壊したりしたバトオナ族達は動かず、戦闘不能に追い込まれたのが分かる。問題は右腕を拘束された状態でどうやって四方八方の人間へ攻撃したかだが、よく見ればダグラスは〈樹縛〉から解放されてしまっている。だがどうやって抜け出したのか見当も付かない。
「あーらあら、聞き覚えのある声がしたと思ったらいたのね」
ダグラスがロイズ達に気付き、歩いて近寄ってくる。
「昨日は集落の方角を教えてくれてありがとう。まあ、アタシは方向音痴みたいで辿り着くのに時間が掛かっちゃったけどね。この場にいるということはアタシと戦う? お嬢ちゃん達」
「故郷へ帰りたいのではなかったのですか。どうしてこんなことを」
「仕方ないのよ。アタシは自由に生きるため、邪魔者は消すと決めているから。だから手を出さないでくれると嬉しいわ。アタシ、無意味な殺しってしたくないのよねえ」
「私が、あなたを止めてみせます!」
リンシャンは林の秘術を発動。ダグラスを押し潰そうと、地面から生やした樹木を左右から襲わせる。しかし彼女は跳ぶことで樹木の上に乗り、今度はリンシャン目掛けて跳躍。
余裕の笑みを浮かべて接近してきた彼女の手刀が迫る。
防御にも優れた〈メイオラ闘法〉を扱えるバトオナ族達を軽々と吹き飛ばせる一撃だ。〈メイオラ闘法〉を扱えないリンシャンでは重傷を負ってしまう。仲間の危機を感じ取ったロイズは、振り下ろされた手刀を槍で受け止めた。
「あら、そこそこ力が強いわね」
「ぬううっ、ぐううう! はああああ!」
予想した通り強い手刀だがロイズはダグラスを押し返す。
ほとんど習得したに近い〈メイオラ闘法〉のおかげで身体能力が向上している。もし習得出来ていない、集落へ来る前の状態なら受け止めるので精一杯になっていただろう。
「ふーん〈メイオラ闘法〉を使えるの? 教わったのかしら」
「教える義理はない!」
ロイズは高速の突きを連続で繰り出す。
格段にレベルアップした速度の突きを、ダグラスは穂先に手を当てて軌道をずらす。余裕の笑みを崩さないばかりか動きが優雅で、遊ばれているようにも思えてくる。しかしそれは気のせいのはずだ。本当に余裕なら一度や二度の反撃を行ってもいいのに、受け流すばかりで防戦一方という様子。このまま押せば限界を迎えるのはダグラスの方だ。
突きの軌道をずらし続けているダグラスが横へ移動しようとしたが、彼女は息を呑む。移動出来ないのだ。既にリンシャンの〈樹縛〉が彼女の両足を拘束している。
「……っ! これは、あなたの攻撃だったのね緑のお嬢ちゃん」
「言ったはずです。あなたを止めると」
「逃げ場はない。覚悟!」
槍の鋭い突きがダグラスに迫り、空気を貫く。
ロイズの目に見えるものは何一つ貫けていない。
ダグラスが消えたわけではない、体を縮めたのだ。
まるで幼い子供のように体が変化したのだ。
幼女の肉体に変化したため足も小さくなり〈樹縛〉からも抜け出されている。先程右腕を拘束した〈樹縛〉から抜け出した方法はこれで明らかになった。
幼女化した事実に動揺してしまったロイズにダグラスの蹴りが直撃。
力は一切衰えておらず、凄まじい蹴りを受けたロイズは派手に吹き飛ぶ。
「やれやれ、そこそこ強いから本気出さなきゃいけないじゃない」
骨が軋む音を立てながらダグラスの体が再び変化していく。
先程の女性形態と比べて身長が高くなり、大きくなった筋肉が目立つ。赤いドレスは今にも破れそうなくらいに上部がパツパツ。顔の輪郭は丸みが消えて横幅が小さく、顎が尖っている。
「アタシの魔術は〈肉体変化〉。性別も年齢も自由自在。普段は生殖器以外女性形態だけど、本気の接近戦を行う時は男性形態になることにしているの。ゴツいし嫌いなんだけどねえ、男の体。あ、犯す相手が男なのはぜーんぜん構わないんだけど」
「……だ、ダグラス……さん? 様?」
「さあ、まだ動ける人がいるならアタシと遊びましょう? あなた達の体をぜーんぶ堪能したら殺してあげる。大丈夫よ、すーぐに快楽に溺れさせてあげるから痛くなーい痛くなーい」
「恐ろしい奴……! バトオナ族の者達よ、まだ戦える者がいるなら全員で連携を取るぞ!」
男性なのに女口調のままのダグラスへと、ロイズ含めた総勢八人が突撃。
八人攻撃の隙にリンシャンは祈りを捧げて周囲一帯の怪我人を回復させていく。全体回復は個人への回復より効果が薄いようだが、少しでも戦える者が戦線復帰してくれればいい。もう戦えないのなら瀕死状態から救えればいい。
「鬱陶しいわ! 八人一緒なんて負担が激しいじゃない!」
猛攻を仕掛けていたロイズ達はあっさり吹き飛ばされた。
僅か数発の拳で、蹴りで、ロイズ達はもう立てなくなる。
「さ、もう終わりね終わり」
先程までより身体能力が明らかに上昇している。ただ筋肉が成長したせいか、女性形態の方が俊敏だった。速度が落ちたといっても、ロイズやバトオナ族達を呆気なく倒せる筋力は脅威的。もっともダグラスは男性形態でいるのが相当嫌なようで、もう女性形態に戻ってくれた。
現在立っているのはダグラスとリンシャンのみ。
女性形態に戻ったといってもリンシャン一人では絶望的な状況。
「ロイズ様……皆様……」
「残るはあなた一人。リンシャン、あなた秘術使いよね? 訳あってアタシは秘術使いを捕らえるよう言われているんだけど、アタシは興味ないから見逃してあげるわ。集落への方角も教えてくれたしね」
「……ありがとうございます。でも、皆様を放って逃げるわけにはいきません」
「相手が悪魔だとしても、厚意は素直に受け取っておくものよ」
真顔のダグラスがリンシャンに近付いて行く。
ロイズは立ち上がろうとするが全身を蝕む痛みで立てない。
女性形態だとしてもダグラスの力は強い。鎧などの防具がなければリンシャン程度の肉体だと即死もありえる。恐怖の拳が振り上げられて、彼女の胸部へと吸い込まれていく。
「……私は」
せっかく〈メイオラ闘法〉を覚えたのにロイズはまたも敗北を身に刻む。
確かに強くなったはずなのに、未だ仲間一人守ることすら出来ない。
余裕を持てたはずの心が黒く塗り潰されていく。負の感情が増大していく。
結局、物語の勇者のようにはいかないのだ。
こうなった今、ロイズはただ本物の勇者を待ち望む。
脳裏に浮かぶのは悪魔のくせに人間の味方をする白髪の少年。
魔王すら打倒したと言われている――今代の風の勇者。
* * *
風の秘術使い、エビルはクレイアと共にバトオナ族の集落へと走っていた。
少し前、集落から流れる風が変化した。穏やかだった風が急に死を纏い始めたのである。何か起きているのを悟ったエビルは集落の危機をクレイアに知らせて、聞くなり家を飛び出した彼女を追いかけて今に至る。
彼女は〈メイオラ闘法〉を極めているらしく、両足に生命エネルギーを集中させることで通常の倍以上の走行速度を出している。互いに音速を超えた速度で走っているので集落にはすぐ到着した。
門を抜けて、物騒な風が吹く場所まで駆ける。
族長の家の近くに辿り着いたエビル達は広がる光景に愕然とした。
ロイズや集落の者達が地に伏しており、中には死者も転がっている。倒れた人々の中心に立っているのは赤いドレスを着た褐色肌の女性。バトオナ族のような雰囲気を持っている彼女は、おそらくこの惨状を作り出した犯人。生命エネルギーを服のように纏っているのを感じるので〈メイオラ闘法〉の使い手であり、明らかに只者ではない。何より悪魔の気配を感じる。
「悪魔の気配、七魔将か?」
「ええそう……よ!? あ、あなた、まさかエビル!?」
エビルを見るなり女性は目を見開いて驚愕した。
七魔将だと言うなら驚くのも納得出来る。シャドウと面識があれば双子と見間違う容姿をしているので、邪遠にもビンにもかなり驚かれたものだ。そろそろ驚かれるのも慣れた。
「これ、あいつ、やった?」
クレイアの問いにエビルは頷く。
「ええそのようです。そして、目的は僕達秘術使いの身柄」
「他の連中はね。アタシは秘術使いなんかに興味ないの。このアタシ、ダグラス・カマントバイアの目的は不老不死。この世界を永久に楽しんで生きることよ。あなた達と敵対する理由なんてないってわけ」
ダグラスが言っていることが本当なら戦う必要はない。
……この惨状を見なければ、本当に戦わずに別れただろう。
倒れている者達の中にはマテンもおり、クレイアは彼女を見つけると「ママ!」と悲痛な声を出して駆け寄る。子供が親のために涙を流す状況を見て、犯人に怒りを抱かないわけがない。
「仲間や集落の人達をやられて見過ごすわけにはいかないよ」
「……そう。あの子も同じようなことを言ったわね」
「あの子?」
「あの子よ、そこに倒れているでしょ」
ダグラスが指さす方向を見てみると、血塗れのリンシャンが倒れていた。
一瞬死亡しているかと思ったが彼女は生きている。明らかに致死量の血液が流れているように見えるが、彼女から死の風は感じられない。エビルはホッとするが彼女が重傷なことは変わらない。
「彼女に何をした」
犯人であるダグラスをエビルは鋭く睨む。
仲間二人を傷付けられたことで煮えるような怒りが湧く。
「アタシは忠告したのよ? 戦わないなら見逃してあげるってさ。一度きりのつもりだったけど何度もね。それでも歯向かって来たから蹴ったの。寝ていればいいものを、秘術で自分を回復させるものだから何度も蹴るはめになったじゃない」
「あなたはたぶん悪じゃない。でも、運命は僕達を戦わせたいらしい」
真の悪ならリンシャン達を生かさない。戦うなという忠告もしない。
悪魔だし七魔将だがダグラスには大きな良心がある。目的も永遠に生きたいだけで阻止する理由もないのだが、エビル達は戦わなければならない。互いに進む道が最悪の形で交わってしまったから。
「いいわ、秘術使いには興味ないけどあなたの体には興味があるもの。シャドウちゃんとは未だヤれていないし、反抗する彼を力尽くで押さえて無理矢理ってのも悪くないんだけどね」
「体って……何の話だ?」
「――セックス」
躊躇うことなく告げられた言葉にエビルは「え、せ、せ?」と戸惑う。
先程の怒りは残っているが困惑の強さが上回った。言葉の意味を理解すると彼女がさっき恐ろしいことを言っているのも分かる。
「じょ、女性がそんな堂々と! 恥ずかしくないのか!?」
「嘘……シャドウちゃんとは真逆の純情坊やね。いいわね、嫌がるあなたにアタシのをぶち込んだらきっと良い声で喘いでくれる! ふっふふふ、興奮してきたじゃなあああい!」
「え、いや、何で僕が喘ぐの!? あと興奮するな!」
「アタシはねえ、性行為を行う時はいっつも男性器を使うのよん。魔術で肉体を弄れるからアタシには男性器が生えているの。知っていた? 入れられたら男も女も――」
「それ以上言うなあああ! もう分かった、分かったから! あなたはどうやら何が何でも倒さなければいけない敵のようだ!」
敵を前にしてエビルの心は酷く掻き乱された。
これから戦うという時に、怒り以外で激しく冷静さを欠くのは初めてである。ダグラスの言動がハッタリならまだしも、彼女から吹く風からは嘘一つない純粋さを感じ取れる。今の動揺はそれを感じられたのも原因の一つだろう。
心の動揺を収められないまま接近して剣を振るう。
さすがに木剣で斬りかかる程の判断ミスはしない。
モクトリア聖国でリンシャンが生み出した大樹を加工した木剣なら、金属のように頑丈なので魔剣とでも打ち合える。しかしほぼ打撃武器の木剣と普通の斬撃武器では相手の戦い方が違ってくる。切れ味の劣る木剣だと攻撃を耐えようと思えば耐えられてしまう。
「あーら、意外と激しく動くのね」
エビルの剣は華麗かつアクロバティックな動きで躱された。
今の攻撃は感情任せの大振りな攻撃。自分らしくもない素人臭い攻撃。
まずは冷静に、普段通り戦わなければ勝ち目はない。
エビルは反省して心を落ち着ける。呼吸を整えて剣を再び構える。
「ふふふ、初心ねえ。アタシ好みに調教したくなっちゃう――」
ダグラスが話している途中でクレイアが殴りかかった。
彼女の両手は大きな土塊で覆われている。硬質な土塊は金属製のグローブを纏ったのと同じであり、質量も合わさって通常の殴打より非常に威力が高い。
「そういえばあなたもいたわね、お嬢ちゃん」
高威力の一撃をダグラスは片手で難なく受け止めた。
恐るべき怪力だ。驚くべきはダグラスが〈メイオラ闘法〉を使っていること。
なぜ使えるのかはこの際考えなくていい。今必要な情報は、悪魔としての力を持つ彼女が〈メイオラ闘法〉まで扱えるということ。同じ七魔将のビンに引けを取らない身体能力は脅威的である。
「お前、許さない……!」
「可愛い子。でも向かってくるならお仕置きしなきゃね」
激しい怒りを抱くクレイアが再び殴るが、ダグラスも先程と同じように受け止めた。しかし先程と違う点が一つ。同じ殴打なのに受けたダグラスの足が僅かに後方へと下がっている。違和感を覚えたのは彼女も同じようで咄嗟に足下を見て目を丸くする。
もう一度、特別な動きは何もない普通の殴打が放たれた。
三度目の殴打を彼女も殴打で相殺しようとしたが、相殺出来ずに一メートル以上後方へ下げられた。
三発の殴打を見たエビルと体感した彼女が思うことは一つ。
「気のせいじゃない……!」
拳を振るう度、明らかに攻撃の威力が上昇している。
クレイアが最初から手加減していたわけではなく、全力の攻撃を一発ごとに上回っているのだ。想像通り四度五度と殴る度に最高威力が更新されていく。五度目の殴打ともなればダグラスは、近くにあった族長宅の残骸へと吹き飛ばされた。
「いったいわね! 何、何なの、どういう理屈よ!」
クレイアが「うるさい」と言いながらダグラスをまた殴り飛ばす。
攻撃の威力が上昇する現象にエビルは見当が付いた。
別にクレイアの身体能力が上がっているわけではない。
威力上昇の鍵となるのは彼女の両手を覆う大きな土塊。
時間経過と共に、土塊自体のエネルギー量が増していく。今も踏みしめている大地からエネルギーを分けてもらっているのだ。エネルギーは量がそのまま力となり、攻撃の威力が上がるのだ。加えて〈メイオラ闘法〉も使っている彼女の攻撃は重く強い。
「おそらく山の秘術使いでしょうけど、もう何でもいいわ。殺すから」
殺意が急激に高まったダグラスの容姿が変化していく。
骨が軋む音を立てて女性の体が男性のものへと変わった。筋肉質になり、筋肉の膨張に赤いドレスは耐えられず脇下が破れる。まるで別人のようになったダグラスはクレイアの殴打を殴打で相殺した。
「男になった!? 魔術か!?」
「……止められた」
「生命エネルギーを土の塊に集中させているわね。でも、その技術を扱える者なら知っているはずよ。生命エネルギーを一カ所に集中すれば、それ以外の部位は脆くなるってね!」
ダグラスの蹴りがクレイアの脇腹にめり込む。
まともに攻撃を受けたクレイアが吹き飛ぶのを、エビルが抱きかかえるようにして受け止める。土塊の重量もプラスした彼女が弾丸のような速度で飛来してきたため、さすがに一歩も動かず受け止めることは出来ず数メートル後退する。
抱えていた彼女を下ろすと「感謝」と礼を言われた。
「僕も戦いますよ。一人じゃ危ない」
「雑魚、引っ込め」
「……じゃ、邪魔にはならないようにしますから」
自分が弱いと偽っていたのを思い出し、辛辣な言葉にも何とか耐える。
クレイアはエビルが弱いから心配してくれているのだ。真実を隠したのは自分なので仕方なく受け入れる。
「おかしいわねえ、今の蹴りを食らえば内蔵ぶちまけて死ぬはずなのに」
「私、頑丈。ルイスト、牙、爪、通さない」
秘術使いの体が秘術に慣れてくると身体に影響を及ぼす。
風は感知能力、林は思考能力、火は温度変化、山は肉体強度。
詳細は以前死神の里にて聞いたことだが今でも覚えている。山の秘術使いは秘術を使えば使うほど肉体が強靱になっていく。ルイストの攻撃すら通さないのは強靱になりすぎな気もするが、彼女の言葉に嘘はない。
「それは頑丈ってレベルを超えているでしょうに。厄介ね、秘術使い!」
クレイアとダグラスが互いに駆けて殴り合う。
互いに殴打を殴打で相殺し合う高度な近接戦。
眺めるだけというわけにもいかないので、エビルは曲線を描くように走ってダグラスの背後に回る。こうして走るだけでも二対一の数的不利側は警戒しなければいけない。敵全員の動きを把握して適切に対応しなければ一直線に敗北へ突き進む。
背後に回って剣を振りかぶったエビルに気付いたダグラスは、意識を一方に割きすぎたせいでクレイアの殴打を一発受けた。呻き声を漏らすダグラスにエビルが剣を振るったが、紙一重で躱されて距離も取られた。
「これで決着」
静かに呟いたクレイアが地面に、両手を覆う大きな土塊を密着させる。
「ええ、そろそろ終わらせましょう」
彼女に同意したエビルが腰を深く落とし、剣を水平にして構える。
「あなた達レベル相手に二対一は厳しいけど、負けるつもりはないわよ」
ダグラスは拳を構えて何一つ攻撃の予兆を見逃さないように目を凝らす。
これから何が起きるのか、エビルは大雑把にだが既に感じ取っている。クレイアが手を覆う土塊を地面に付けた時、大地のエネルギーが不自然な動きをし始めた。これから起こるのは、いくら目を凝らしても見えるはずがない攻撃――地中からの攻撃。
山の秘術によって操作された大地は敵に牙を剥く。
ダグラスの前後から、獣の牙のように鋭い土塊が何本も襲いかかった。
まるで地面に潜む怪物が飛び出し、大口を開けて獲物に食らいつくような攻撃。予想外の攻撃をダグラスは慌てて回避しようとしたものの、左腕は大地の牙に噛み千切られた。
いかに悪魔の肉体とはいえ、いかに〈メイオラ闘法〉で強化されているとはいえ、クレイアが分け与えた生命エネルギーで破壊力を増した大地には強度が及ばない。
「ぐううっ! アタシの腕、腕ええええ!」
腕が千切れて冷静さを欠くダグラスにエビルは急接近する。
「〈真・疾風迅雷〉」
力強い踏み込みと同時に爆風で加速して、渾身の一突きを繰り出す大技。
ダグラスが大地の牙を回避する方向なら風の秘術で感じ取っていた。予想外の連続攻撃を回避しようにも体は追いつかない。心臓目掛けて放つエビルの突き技は確実に命中して、決着する。
しかしその時――ダグラスの肉体が縮んだ。
性別を変えたのと同じ肉体変化の魔術。
今度変化したのは性別ではなく、年齢。
男児になって縮んだせいでエビルの剣はダグラスの頭上を通過する。
回避も迎撃も不可能だとエビルは思っていた。実際、ダグラスの心は一瞬で死ぬ絶望に支配されていたし最後は諦めていた。……なのに、生への執着が強いのか無意識に、いわゆる条件反射のように魔術を発動したのである。
ダグラスの心を支配していた絶望が希望に変わり、反撃を仕掛けてきた。
小さくなった体からエビルの腹へと拳が突き出される。意思ある攻撃なので予兆を感じ取れたし、咄嗟に作った風の壁や空気の膜で威力を軽減させた。軽減といっても元の威力が高いため、クレイアのもとまで吹き飛んで受け止められた。
「平気?」
「げぼっ、がふっ、な、何とか。大人の男性姿の時より弱いし、辛うじて風の防御が間に合った。かなり痛いけど骨に異常なし。まだまだ戦えますよ」
立ち上がって剣を構えるエビルはダグラスを見つめる。
左肩を押さえながら歯を食いしばり、元の女性形態へと戻っていく。完全に戻ると充血した目で睨みつけてきた。腕を失ったことで激しい怒りの風がダグラスから吹いている。
「上級悪魔ってのは再生能力があるの。でもね、腕千切れたら肉体も精神も痛いのよ……! 少し戦法を変えましょうか。本気その二、アタシの魔剣であなた達の腕も切断してあげるわ……!」
ダグラスは自らの腹部に右手を突き刺し、剣の柄を取り出した。
信じ難いことにその剣の柄は本当に肉体の中に収納していたらしい。取り出す時に深緑の血液が多少噴出したがすぐおさまる。左肩からの出血も止まっているので、肉体変化の魔術の応用だろう。
気になるのは――取り出したものが剣の柄だけだということ。
肝心の剣身が目視出来ない。刃がないなら何も斬れないはずである。
魔剣と言われて思い出したがシャドウから七魔将の持つ魔剣について情報を貰っている。ダグラスの魔剣名は糸鋼剣。糸のように細いが能力によって絶対折れないとシャドウは語っていた。つまり、目視出来ないほど細い剣身が存在しているのだ。
「あいつ、気持ち悪い」
「気を付けてください。あの剣、刃が見えない」
エビルが忠告はしたがクレイアはあまり警戒していない。
余程自分の力に自信があるのを感じる。
鬼の形相になっているダグラスが接近してきて、糸鋼剣を振るってきたのでエビルは躱す。剣で受け止めようかと思ったが直前で最大級の危機を感じた。
クレイアが土塊を纏っている拳で殴りかかると、ダグラスは回避と同時に糸鋼剣を振るう。土塊が切断されて大きさが半分以下になった。手は露出していないので怪我はしていない。
注目するべきは糸鋼剣の切れ味。
仮にさっきエビルが剣で対処していたら、剣ごと体を斬られていただろう。
「あーら失敗。手の位置の計算ミスね」
さすがのクレイアも額に汗を滲ませて「危険」と呟き距離を取る。
目視出来ないほど細い刃に途轍もない切れ味。ダグラスの体裁きと合わせると糸鋼剣はあまりにも脅威だ。片腕になっても戦闘力はほとんど落ちていない。
「逃がさないわよ。あなたの腕は絶対に斬り落とす!」
ダグラスは怒りの矛先をクレイアに向けている。
距離を取った彼女に急接近したダグラスが糸鋼剣を振るう。
連続攻撃を何とか回避し続ける彼女だが次第に傷を負い始める。
エビルが接近すると〈メイオラ闘法〉を活用して生命エネルギーの塊を撃ち出してきた。直撃は避け、最短距離で駆け、剣を振るうと糸鋼剣で切断されそうになるので攻撃を中断して回避した。
二対一でもギリギリ互角といった勝負。
糸鋼剣を振ることで近付けさせず、距離を保たれるせいで攻撃が届かない。
中々決着を付けられずに長引く戦闘に動きがあった。
山の秘術でクレイアが地面からの攻撃を仕掛けたのだ。
地面から巨大な土の棘が飛び出てダグラスを打ち上げる。
腹部を貫いたかのように見えたが咄嗟に糸鋼剣を口に加え、右手で棘を掴んで無傷に抑えてみせた。上空から華麗に着地したダグラスは武器を右手に戻して反撃に移る。咄嗟にクレイアが土の壁を作り出すが糸鋼剣は貫通。クレイアの腹部に刺さった糸鋼剣が円を描き、腹部が円状にくり抜かれた。
「うぐっ!?」
「クレイアさん! くそっ!」
土の壁が崩壊した瞬間、エビルは最高速でダグラスへと斬りかかる。爆風と合わせた音速超えの剣はさすがに躱しきれないようで、連撃を浴びせて数カ所に深い切り傷を与える。
距離を取ったダグラスは薄く笑みを浮かべると――座り込む。
今しがた与えた切り傷から深緑の血液が噴き出す。その場所だけでなく、止めていたはずの左肩からも出血していた。明らかに致死量の出血。傷は秘術の力を纏う武器によるものなので再生力も弱まり、やがて大量失血で死にゆくだろう。
「くふ、ふははっ、まさか……アタシが負けるとはね」
「……負けを認めるのか?」
「疲れきったせいで魔術による止血も出来ない。体中が悲鳴を上げているし、まともに動けなさそうだもの。このまま戦い続けても敗北確定。二対一はさすがに無理があったみたい。そもそもアタシ、戦いが好きなわけじゃないしさあ。死ぬまで戦い続けるなんてゴメンだわ、やめやめ」
先程までの闘志が消えて、代わりに諦感の風を感じた。
もう本当に戦うつもりはなさそうなのでエビルは剣を鞘に戻す。
「ほんっと世の中上手くいかないものだわ。目的を持つと、それを邪魔する誰かが現れる。アタシにはその邪魔を打ち破ってでも夢を叶える力がなかったってわけか。人間止めてもなーんにも変わらないみたい」
死に際の言葉を聞く義理はないが何となくエビルは耳を傾けている。
聞いているのはクレイアも一緒であり、腹部を押さえながら隣に歩いて来た。
「お嬢ちゃん、故郷のみんなを傷付けて悪かったわね。もう消えるこの命、どうせならお嬢ちゃんが奪ってみる? 大好きなママを傷付けた悪魔を、お嬢ちゃんの手で殺せる好機よ?」
「……ママ、生きてる。お前、殺す必要、ない」
「だそうよエビル、あなたはどう?」
「死人は出ている。あなたは許せない。……だけどあなたは致命傷だし、今すぐトドメを刺す必要はない。今のあなたに殺意があるならともかく敵意や戦意すら感じられない。そんな相手に剣を向けても無意味だ」
嘘のない本心だが、これはリンシャンとロイズが死んでいないから言えること。二人の内どちらか、もしくは両方が死亡していたら、悩んだ末にエビルは手負いのダグラスを放置せず殺害するだろう。もちろんバトオナ族に死者が出たのは残念だし、仇討ちがしたい者がいたら止める気はない。
全ては自業自得。互いの想いが衝突した結果。
「……敵だったのに優しいのね。好きになっちゃいそう」
「それは勘弁してください」
「あら即答。愛している子でもいるのかしら」
答える義理はないのでエビルは黙秘する。
黙り込んだまま静かな時が流れると急にダグラスが倒れ込む。
「どうやら……もう時間ないみたいね。エビル、優しいあなたに一つ、お願いがあるの。聞くか聞かないかはあなたに任せるわ」
迷いはしたが戦意すらない相手だ。不意打ちの心配はないし、話を聞くだけなら何も起こらない。静かに頷いたエビルは倒れ伏すダグラスの傍に歩み寄り、座り込む。
遺言というべきか、敵だった者の言葉は他人に向けられたものだった。
誰への遺言かしっかりと聞き届け、記憶にしっかりと残す。
「……じゃあ、ね。伝えてくれる……と、嬉しいわ」
「伝えますよ。誰かを想って遺した言葉なら、絶対に」
秘術使いを狙い、世界を脅かそうとしている悪魔王の配下である七魔将。
凶悪な存在であるはずだとエビルは思っていたし、実際ビンは悪魔らしい悪だ。殺した方が世のためになるような存在だ。それなのに同じ立場であるダグラスの死を前に哀れみを覚えている。
脅威は去った。集落はまた普段通りの日々を過ごすはずである。
どこかモヤモヤとする決着後、エビルとクレイアは怪我人の手当てをしようと傷薬を求めて走り回った。
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独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
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俺もそちら側の人間だった。
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注意事項
50過ぎのオッサンが子供ほどに歳の離れた女の子に惚れたり、悶々としたりするシーンが出てきます。
あらかじめご了承の上読み進めてください。
注意事項2 作者はメンタル豆腐なので、耐えられないと思った感想の場合はブロック、削除等をして見ないという行動を起こします。お気を悪くする方もおるかと思います。予め謝罪しておきます。
注意事項3 お話と表紙はなんの関係もありません。
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