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14. わたしの醜い欲望
しおりを挟む放課後。わたしは瀧本くんとの待ち合わせのため、図書館に向かっていた。
どうして毎日一緒に帰るようになったのだろう。本当に、いつの間にかそれが自然な流れになっていた。お互いに用事がなければ、図書館で待ち合わせて、わたしの家まで一緒に帰る。わたし自身も、この帰り道を楽しみにしてしまっている。
図書館に向かう人気のない廊下を通る。そこに、わたしが見たことのある女子生徒がいた。
前にわたしに文句を言ってきた子だ。瀧本くんに近づくなと怒ってきた、あの子。壁に寄りかかって誰かを待っているようだ。
前を通ろうか。いや、迂回しよう。また会ったら面倒なことになりかねない。
わたしが踵を返そうとしたら、彼女がこちらを見た。目が合ってしまった。彼女はゆっくりと壁から身を離し、こちらに近づいてくる。
そうか。用事があったのは、わたしなんだ。わたしがここを通るのを待っていたんだ。
わたしが逃げる間もなく、彼女はわたしの前まで来て睨みつける。あの日の恐怖が蘇ってくる。あの時と同じ目だ。憎悪すら感じる目。
「私、一葉くんに近づくなって言ったよね」
わたしは一歩後ずさった。彼女は刃物でも出してきそうな勢いだった。今ここで急に包丁を取り出してきても違和感はない。それくらい、彼女の怒気は凄まじかった。
「何なのよ、あんた。一葉くんを誑かして、その気にさせて。一葉くんはもうあんたしか見てない。私たちのことなんて全然見てくれない」
それはわたしのせいではない。それは、瀧本くんに言ってほしい。そんな反論ができるわけもなく、わたしは怯えながら彼女を見ることしかできない。
どうしよう。こんなところで会うなんて思っていなかった。せめて呼び出してくれていれば、わたしも用件を察して誰かに助けを求めることができたのに。いや、それも見越して、彼女は待ち伏せという作戦を選んだのかもしれない。横槍が入らないように。
「あんたさえいなければ。あんたさえいなければ!」
わたしは逃げようと思った。けれど、彼女の背後から来る人影に気づいて、足を止めた。
わたしがずっと彼女の後ろを見ていたから、彼女も振り返る。そこに立っていた人影に、彼女は驚きを隠せなかった。
来てくれたんだ。わたしを守るために。
「やっと出てきたな、クソ女。俺の詩織に何の用だ?」
瀧本くんはそのまま威圧的に歩いてきて、彼女の横を通り過ぎてわたしの横に来た。その瞳はいつもの優しい瀧本くんではなく、不良そのものだった。かなり怒っているというのが目を見なくてもわかる。
「か、一葉くん、どうしてここに」
「お前が詩織に文句言った女だってのはもう知ってんだよ。そいつが詩織の通る道にいたら、何かあるかもしれねえと思うだろ? 向こうで待ってたんだよ、お前が仕掛けるのを」
「そんな……ど、どうして、私のことを?」
「女子の動きに詳しい奴がいてな。そいつに調べてもらった。あとは現場を押さえちまえば、お前だって言い逃れはできねえだろ?」
瀧本くんがわたしを庇うように前に立つ。頼もしい背中がわたしの視界を遮ってくれる。
「二度と詩織に近づくんじゃねえ。次同じようなことをしたらぶっ潰す。楽しく学校に来れると思うなよ」
それは明確な脅迫だった。瀧本くんは恐怖を煽るような低い声で彼女に告げて、わたしの手を引いてその場を立ち去る。すれ違いざまに彼女の顔を見たら、絶望が色濃く刻まれていた。好意を寄せる男子からこんなことを言われたら、もう立ち直れないだろう。わたしは同情さえ感じてしまった。
そのまま瀧本くんはわたしを連れて歩いていく。人目が増えそうなタイミングでぱっと手を離し、わたしに向き直った。
「悪いな、詩織。これがいちばん早いと思ったんだ。しらばっくれられても面倒だしな」
「ううん、ありがと。来てくれて助かった」
「まあ、これであの女から何か言ってくることはねえだろ。また寄ってきたら言えよ」
「うん。もし、そんなことがあったらね」
十中八九、そんなことはないだろう。瀧本くんの脅しは本気だった。あれが伝わらないような人はいないはずだ。瀧本くんが何をするつもりなのかはわからないけれど、きっとわたしは知らないほうが良いのだろう。とても陰険なことをしそうだ。
わたしたちはそのまま校門を出て、わたしの家のほうに向かう。今日は同じ学校の生徒の数が少ないようだ。時間帯の問題なのだろうか。
わたしは瀧本くんの顔を盗み見る。何ということはない、普段通りの表情だ。
息を吐く。よし。勇気を出そう。大丈夫、断られることなんてない。
わたしは震えながら瀧本くんの手を取った。逞しい大きな手に恐る恐る指を絡める。瀧本くんは驚いた様子もなく、わたしの手を握り返してきた。
「なんだよ。甘えたい日か?」
「た、助けてくれたから。そのお礼」
「お礼ならキスがいいなあ」
「こっ、ここじゃ、無理。こんな学校の近くでできるわけないじゃん」
瀧本くんはにやりと笑って、わたしに身を寄せてきた。肩が触れ合うくらいの距離になる。
「家の前なら詩織からキスしてもいいんだ?」
「えっ? だ、だめ、だめだよ、そんなことしないからね」
わたしは自分の発言に気づき、真っ赤になって訂正した。わたしの気持ちだけならキスしてしまいたいけれど、そんなことは許されない。だって、わたしは彼女ではないから。まだこの想いを秘めたままだから。
「そりゃ残念。じゃあ俺からキスしてもいい?」
「だめ。あのね、キスってそう簡単にするものじゃないと思うの」
「そうかよ。わかったわかった」
「絶対わかってないでしょ。次キスしようとしたら断るからね」
「ほんとか? 詩織には無理だろ」
瀧本くんが笑い飛ばすから、わたしは瀧本くんを睨みつける。それくらいの抵抗しかできない自分が情けない。わたしだって、瀧本くんのキスを断れるとは思っていない。
瀧本くんがわたしの目を見てくる。その瞳に吸い寄せられそうになる。
違う。これは、作戦だ。こうやってわたしの目を覗き込んだらキスできると思ってるんだ。
「あっ、あの、さ」
わたしは不自然に声を張り上げて瀧本くんを妨害した。瀧本くんはわたしの目を見つめたまま、やわらかく微笑んだ。
「なんだよ」
声を上げるのに必死で、何も話題を考えていなかった。わたしは視線を彷徨わせて、ああ、とか、うう、とか言いながら、話題を探す。
「なんだよ詩織。挙動不審だぞ」
「た、瀧本くんは、いつも図書館で何してるの?」
わたしが絞り出した話題はこれだった。瀧本くんは笑いを嚙み殺している。これしか浮かんでこなかったんだから仕方ないじゃないか。
「こう見えて勉強してんだよ」
「えっ、そうなの? 図書館で? なんで?」
「まあ俺も将来を考えてんだよ。馬鹿のままじゃまともな大学に行けねえだろ」
「前からそうなの? こっそり勉強するタイプなんだ」
「違えよ。詩織に釣り合うためには頭良くねえとだめだろうが」
瀧本くんはわたしから目を逸らし、マフラーの中に顔の半分を埋める。それが照れ隠しなのは明白だった。顔を見られたくなかったのだろう。
「わ、わたしのため?」
「そうだよ。一緒の大学は無理でも、その先考えたら少しでもいい大学行くほうがいいだろ」
その先。それが意味するところを想像してしまって、わたしは顔が赤くなっていく。
瀧本くんはそこまで考えているんだ。ただ付き合いたい、じゃなくて、長く関係を保つためにはどうしたら良いかまで考えて行動しているんだ。瀧本くんはそこまでわたしのことを本気で考えてくれているんだ。それはとてつもなく嬉しいことだ。
「そういうわけだから。俺は詩織が俺に惚れるのを待ってる」
瀧本くんは強引に話を逸らした。自分の努力のことが話題になるのは恥ずかしいのだろう。その行動が面白くて、わたしはつい微笑んでしまった。
「そっか。じゃあ、もう少し待っててね」
「いくらでも待ってやるよ。時々手は出すけど」
「出さないでよ。静かに待っててくれない?」
「待つだけじゃ詩織は振り向いてくれねえだろ。ぐいぐい攻めていかねえとな」
「あまり攻められると引いちゃうかもしれないよ?」
「大丈夫だって。詩織だって俺のペースに慣れてきただろ?」
「まあ、ねえ」
頷いてしまう。これだけ一緒にいるのだから当たり前だろう。瀧本くんが何かしてきそうな時はなんとなくわかることもある。わからないこともまだあるけれど。
「というわけで、詩織」
「なに?」
瀧本くんはわたしと目を合わせる。嫌な予感。
「キスしたい」
「は、話聞いてた? そう簡単にするものじゃないんだってば」
「簡単にしてねえよ。俺は詩織だからキスするんだ」
「そう言えばわたしが断らないと思ってるんでしょ。その手には乗らないから」
「本音なんだけどなあ。詩織にしかこんなことしてねえぞ」
瀧本くんは歩みを止めてわたしを抱き寄せる。ここで抵抗できないあたり、結果はもう見えている。本当に断りたいなら、こんなに接近される前に断れば良いのだ。背中に手を回されて、至近距離からじっと見つめられて、わたしに断れるはずがない。
けれど、今日の瀧本くんは意地悪だった。来ると思ったら来ない。わたしが上目遣いで窺うと、瀧本くんは愉しそうに笑っていた。
「キスしてもいいか?」
「なんで、聞くの?」
「いいよって言ってほしくて」
「聞かれたらだめって言うに決まってるでしょ」
「だめって言われたらやめる。だめなんだもんな?」
わたしの頭の中はぐるぐると回っていた。理性と欲望が激しく戦っている。キスしてしまいたい。でも、そんなの許されない。どうして瀧本くんはわたしに決定権を委ねたのだろう。わたしが断れないことを知っていて、わざとこんなことをしてきたのだ。酷い男だ。
わたしは瀧本くんの瞳を縋るように見つめる。しかし、瀧本くんは容赦なかった。
「そんなに見てもだめ。どっちだよ。キスしてもいいのか?」
その言葉が追い打ちとなる。わたしの頭の中で戦いが決着する。
堰を切ったように溢れだしたのは、わたしの欲望だ。醜い、醜い、欲望。
「これは、お礼だから」
「お礼?」
「助けてくれたお礼だから。今日は、今日だけ、特別だよ」
「へえ。つまり?」
「いいよ、瀧本くんがしたいなら」
瀧本くんが微笑む。わたしは顔を上げて、瀧本くんにせがむ。落ちてくる唇を受け止める。
ああ、もう。
わたしはもう、おかしくなってしまったのだ。こんなにも幸せな気分になるなんて。
わたしは瀧本くんの甘いキスを受けながら、うっとりと目を閉じた。いつまでもこの幸福感が続けば良いと思った。
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