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宣誓の儀を翌日に控えた日の夜だった。
アーリアが何をどう言おうと、宣誓の儀の準備は進められていた。アーリアが宣誓の儀で着るためのドレスを仕立てる仕立屋がアトリエを訪れて、アーリアの採寸をして帰っていった。その翌日には、アーリアが着たことがないような美しいドレスが届いた。胸元の下まではきゅっと窄まっていて、その下はふわりと広がっているような薄青色のドレスだった。宣誓の儀には、このドレスを着て国民の前に出なければならないらしい。ジェイドの隣に立って、側室であることをアピールするのだという。
初めから逃げるつもりがあったわけではないが、もう逃げられないところまで来ている。アーリアは星読みの窓に腰掛けて、明日の宣誓の儀のことを読んでいた。
星に曇りは見られなかった。ということは、特に滞りなく終わるということだ。
アーリアは安心する一方で、セイジとの関係性の悪化が気がかりだった。正式に側室となってしまえば、セイジとほぼ対等の立場になる。魔女という立場は失われ、そこから何段階かステップアップした側室に飛び上がるのだ。これでジェイドの寵愛を受けているともなれば、セイジにとっては政敵ともいえる存在になってしまう。
いったいどうしたらよいのだろうか。セイジとも仲良くやっていく方法というのは存在しないのだろうか。目下、アーリアの悩みはそこに行き着く。
夜も遅くなり、アーリアは窯の火を消して寝る支度を整えた。星読みの窓にカーテンをすれば、この部屋は暗くなる。間接照明だけを点けて、アーリアはベッドに潜り込んだ。
そこへ、控えめなノックの音が響いた。その音だけでは誰かを判別することができずに、アーリアは少しだけ緊張を覚えた。
「はぁい、どうぞー」
アーリアはベッドから出て来訪者を迎え入れる。
来訪者は、ジェイドだった。
「うわ、陛下。どうしたんです、こんな時間に」
「すまぬ、こんな夜更けに」
ジェイドはいつもの寝巻で室内に入ってくる。アーリアはジェイドを迎えてドアを閉めた。
何か緊急の用事だろうか。ジェイドの顔は明るくない。明日の宣誓の儀を前に、何か問題でも起こったのだろうか。星読みの結果では何もないはずだが、とアーリアは訝る。
ジェイドは弱々しい足取りでアーリアのベッドに腰掛けた。彼らしくない雰囲気に、アーリアはますます不安になった。いったい何があったというのだろう。
アーリアはジェイドの隣に座ると、ジェイドの肩に頭を預けて寄り添った。
「どぉしたんです、陛下らしくないですよ。何かありましたか?」
「何もない。何も、ないのだ」
ジェイドは話そうとしなかった。何かあったのは明白だったが、話したくないのだろう。アーリアはそう考えて、ただジェイドに寄り添うだけにした。
アーリアはジェイドの手に指を絡めて繋ぎ、その存在を主張するように握った。
「嬉しいです。今日は陛下に会ってなかったから」
「そうか、そうだったな。すまぬ、執務に追われてお前を後回しにしてしまった」
「そぉですよ。あたしをいちばん最初に置いてくれなくちゃ、寂しくて側室なんて辞めてやるーってなっちゃいますよ」
アーリアが冗談めいた言い方をしたのに、ジェイドは本気にしたようだった。珍しくその黒瞳に不安の色が宿る。
「俺はいつだってお前をいちばんに考えている。だから、側室を辞めるなどとは言わないでくれ」
「や、そんなこと言いませんよ、冗談でしょー? どぉしたんですか、陛下。あたしでよければ伺いますよ」
アーリアはジェイドの手を握り、促す。ジェイドはアーリアの空色の瞳を覗き込んで、ぽつりと言った。
「アーリアがいなくなる夢を見た」
「夢?」
「そうだ、夢だ。手を伸ばしてもお前はどこかに行ってしまう。俺の声など届かぬように、ふっと消えていってしまう。目が覚めて、夢なのだとは判ったが、居ても立ってもいられずここに来たのだ」
アーリアは笑いそうになるのを堪えながら、ジェイドに身体をすり寄せた。
まさか、この俺様陛下が夢ごときで不安になるだなんて。しかも、自分がいなくなる夢で。
アーリアは嬉しくなってしまった。それほどまでにジェイドが自分のことを好いていてくれるのだということが伝わって、アーリアは自然と微笑んでいた。
「大丈夫です。あたしはここから離れませんよ」
「本当か? 本当に、お前はどこにも行かないか?」
「どこにも行きません。あたしは、陛下のお傍にいますよ。ずっと」
アーリアはジェイドの服の袖を引いてこちらを向かせると、その唇を奪った。ジェイドは驚いたような表情を見せたが、すぐにいつもの顔に戻った。
「そうか。ならばよい」
「はい。明日は早いんですから、もう眠りましょう。ね?」
「ここで眠ってもよいか。お前を感じながら眠りたい」
「どうぞ。陛下のベッドに比べたら固いと思いますけどね」
「構わぬ。お前がいることが重要だ」
二人でベッドに寝転ぶ。柔らかくキスをして、アーリアとジェイドは並んで眠りに落ちた。アーリアはジェイドの腕を枕にして、早く眠ったジェイドの寝息を聴きながら、幸せを噛みしめていた。
側室になれば、これが平常になるのだろうか。側室になった時、魔女の仕事はどうすればよいのだろうか。
僅かな不安を感じながらも、アーリアは目を閉じて眠りを受け入れた。明日になれば、自分は側室になる。星を信じれば、その先に苦難はないはずだった。
*
夜を越え、宣誓の儀が行われる日となる。
ジェイドは朝早くにアトリエを出ていった。国王としての準備のためだろう。アーリアはその背を見送って、自分も準備しなければならないという思念に駆られる。
そうは言っても、魔女の仕事が最優先である。アーリアが星を読み、最低限の調合を終える頃には、宣誓の儀まであと二時間程度となっていた。これからドレスに着替えて、ジェイドや大臣と儀式の打ち合わせをしなければならない。おそらくは、既にドレスを着ていなければならない時間帯だろうとアーリアは思った。自分は、まだ寝巻だった。
アーリアを包む薄青色のドレスを見る。本当に、自分は側室になるのだという実感が湧いてくる。このドレスがそれを物語っている。
問題は、セイジとの関係性だけだ。セイジがこの宣誓の儀に異を唱えないのなら、アーリアとしても受け入れることができた。だが、星が言うには、この先ずっとセイジとの関係性は悪いままだそうだ。ということは、即ちセイジはこの宣誓の儀を認めていないことになる。
頭の痛い思いをしながら、アーリアはドレスに着替える。しかし、このドレスは一人で着替えるような代物ではなかった。背中をリボンで縛り、胴回りをきゅっと締めるような構造をしていたのだ。
アーリアがどうするか悩んでいたところへ、アトリエのドアがノックされた。給仕かもしれないと思い、アーリアは硬めの声で応じた。
「はぁい、どうぞー」
「失礼いたします、アーリア様」
入ってきたのは壮年の女性の給仕だった。アーリアが部屋から出てこないのを見て、来てくれたのかもしれない。アーリアにとっては救いの神のようだった。
「あらあら、やっぱりお一人では着られないドレスだったんですね。お手伝いいたします」
アーリアの窮状をすぐに察してくれるあたり、なかなか腕の立つ給仕なのかもしれない。彼女はすぐさまアーリアの背に回り、リボンを引いてドレスの胴回りを締める。
「すみませぇん、どぉしても一人じゃできなくって」
「いいんですよ、アーリア様は側室になられる方なのですから、もっと私たちを使ってください。たとえ王妃様がだめだと言ってもね」
「セイジ様がだめだと言っても?」
アーリアがそこに引っかかって訊くと、彼女は、あら、と口元を押さえた。
「内緒にしてくださいます?」
「えぇ、もちろん」
話したそうだったのでアーリアが頷くと、彼女は声を潜めて言った。
「実は今日、アーリア様のお部屋には近寄るなって王妃様からお達しが出ているんです」
「ええ? なんで?」
「そんなの、宣誓の儀を妨害するために決まっているでしょう。王妃様はアーリア様が側室になられるのに強く反対しておられます。きっと、ご自身が国王様の寵愛を受けられなくなるからでしょう」
給仕は非難するような口調で言った。アーリアとしては、セイジが反対していることは承知の上なので、特に驚くこともない。むしろ、給仕の女性が来てくれたことが驚きだった。
「そぉですか。そんな中、ここに来て大丈夫なんですかぁ?」
「私はアーリア様の側室入りに賛成していますからね。やはり、国王様が愛する人を迎え入れるのがいちばんです」
「国王様が、愛する人、ねぇ」
「あら、あまり自覚がございませんか? 私たち給仕はみーんな知っていますよ、国王様がアーリア様をとても愛していらっしゃること。早朝に国王様の私室からアーリア様がお帰りになるのも、何度も見ていますし」
そう言われてアーリアは恥ずかしくなった。誰にも見られないようにと早朝に部屋を出るようにしていたが、給仕には見られていたのだろう。無駄な努力だったということだ。
壮年の給仕が手伝ってくれたおかげで、アーリアは美しくドレスを着ることができた。アトリエにある鏡で全身を映すと、まるで自分ではないかのように思えた。どこかの姫君だと言われてもおかしくないような見た目だった。
しかし、給仕は首を捻った。
「うぅん、髪が整っていないと美しくありませんね。整えますので、お座りいただけますか」
「髪ですか。はあ」
アーリアは言われるままにダイニングテ―ブルの前の椅子に座る。髪なんて垂らしたままでよいのではないかとアーリアは思ったが、給仕はそうではないらしい。手早くアーリアの髪を編んだり結ったりして、アーリアの髪を綺麗に仕上げていく。あっという間にアーリアの髪が整えられ、ドレスに似合うような美しい髪形になった。
給仕はアーリアの全身を舐め回すように見つめて、うん、と頷いた。
「これで大丈夫でしょう。アーリア様、お美しいですよ」
「ありがとうございます、いろいろやっていただいて」
「いいえ、これが私たちの仕事ですから。ご遠慮なく私たちをお使いください。それでは、国王様に準備ができたとお伝えしてまいりますね」
給仕は慌ただしくアトリエを後にした。せっかく整えてもらった髪やドレスを崩さないように、アーリアは座ったままぼんやりとしていた。星を見ることができたらよいが、星読みの窓に行ってドレスが着崩れてしまうことを恐れた。きっと誰かが呼びに来るだろうし、それまで待っていればよいだろうと思った。
十数分の時を置いて、アトリエのドアがノックされた。アーリアにはこの音だけで誰が来たかわかるようになってしまっていた。
「はぁい、陛下」
「入るぞ」
アーリアの声を受けて、正装に身を包んだジェイドがアトリエに入ってくる。ジェイドはアーリアの着飾った姿を見て微笑んだ。
「やはり美しいな、お前は。青がよく似合っている」
「お世辞はいいですから。もぉ時間ですか?」
「世辞ではないのだがな。まあよい、時間だ。その服だと移動するのも時間がかかるだろう」
「ちょっと動きづらいですねぇ。宣誓の儀って、お城から国民に手を振るだけでいいんですよね? 歩いたりしませんよね?」
「お前がやることは手を振るだけだ。あとは俺が話す程度だ。お前が話すこともないし、そう緊張するようなことでもない。行くぞ」
ジェイドは緊張する必要がないと言うが、アーリアは緊張していた。魔女は国民の前に出るということがないからだ。大勢の国民の前で手を振れと言われても、そう易々とできることではない。
アーリアはジェイドに連れられるまま城の中をゆっくりと移動する。ヒールの高い靴がドレスに合わせられているせいで歩きにくい。ジェイドは何も言わず、アーリアが歩く速度に合わせて歩いてくれた。
そうして、王族が国民に姿を見せるための展望台に到着する。展望台のドアの両脇には兵士が控えている。今はドアが閉じられているが、ここを開ければ国民の姿が見えるはずだった。アーリアは、ドアの向こうから国民の熱気を感じ取っていた。この向こうには、既に多くの国民が集まっているのだろう。
どくん、どくん、とアーリアの心臓が跳ねる。そっとジェイドに寄り添うと、ジェイドはアーリアの肩を抱いた。それだけで少し緊張が和らぐ。
「行くぞ。準備はいいな」
「は、はぁい。頑張りまぁす」
アーリアが震える声で答えると、ジェイドはふっと笑った。
「開けろ」
「はっ。総員、準備せよ!」
号令とともに、兵士たちが敬礼する。展望台のドアがゆっくりと開けられ、秋の爽やかな空気が入ってくる。
アーリアは初めて見る光景だった。見下ろした先には多くの国民が手旗を持って立っている。ドアが開くと歓声が巻き起こり、自分とジェイドを歓迎しているように思えた。あまりの人の多さと熱気に、見ているほうがくらくらとしてくる。逃げたくなってしまったアーリアを引き留めたのは、肩に回されているジェイドの手だった。ジェイドはぐっとアーリアを引き寄せて、そのまま歩き出す。
ジェイドが空いている手を上げると、わああ、と国民から大きな歓声が上がった。ジェイドは少し向きを変えながら、様々な方向に顔を向ける。アーリアにはその余裕はなくて、身を固くして正面だけを見ていた。
「アーリア、安心しろ。物が飛んでくるわけでもない」
「大丈夫ですかね、卵とか飛んでこないですよね」
「ははっ、来るわけないだろう。俺の側室だぞ」
アーリアにはその理論は全く理解できなかった。国民が側室をどれだけ受け入れているのか、アーリアは知らないのだ。この歓声が自分に向いているのだということも、アーリアは飲み込めていない。
「アーリア様!」
「アーリア様、こっち向いてー!」
「国王陛下、万歳!」
下から国民の声がまともに聞こえるくらいには、アーリアも落ち着いてきた。どうやら自分のことを呼んでいる人もいるようだ。
「アーリア、手を振ってやれ」
「は、はぁい」
ジェイドに言われるまま、アーリアは胸の前で軽く手を振った。すると、国民からますます大きな歓声が上がった。それに驚いたアーリアは、ジェイドに身を寄せてしまう。ジェイドはまた愉しそうに笑った。
「今ここに宣言する。魔女アーリアを、我が側室とする!」
ジェイドが高らかに宣言した。国民からの歓声が暴風のようにアーリアを襲った。
歓声は、二人が展望台から去っても止まなかった。
アーリアが何をどう言おうと、宣誓の儀の準備は進められていた。アーリアが宣誓の儀で着るためのドレスを仕立てる仕立屋がアトリエを訪れて、アーリアの採寸をして帰っていった。その翌日には、アーリアが着たことがないような美しいドレスが届いた。胸元の下まではきゅっと窄まっていて、その下はふわりと広がっているような薄青色のドレスだった。宣誓の儀には、このドレスを着て国民の前に出なければならないらしい。ジェイドの隣に立って、側室であることをアピールするのだという。
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いったいどうしたらよいのだろうか。セイジとも仲良くやっていく方法というのは存在しないのだろうか。目下、アーリアの悩みはそこに行き着く。
夜も遅くなり、アーリアは窯の火を消して寝る支度を整えた。星読みの窓にカーテンをすれば、この部屋は暗くなる。間接照明だけを点けて、アーリアはベッドに潜り込んだ。
そこへ、控えめなノックの音が響いた。その音だけでは誰かを判別することができずに、アーリアは少しだけ緊張を覚えた。
「はぁい、どうぞー」
アーリアはベッドから出て来訪者を迎え入れる。
来訪者は、ジェイドだった。
「うわ、陛下。どうしたんです、こんな時間に」
「すまぬ、こんな夜更けに」
ジェイドはいつもの寝巻で室内に入ってくる。アーリアはジェイドを迎えてドアを閉めた。
何か緊急の用事だろうか。ジェイドの顔は明るくない。明日の宣誓の儀を前に、何か問題でも起こったのだろうか。星読みの結果では何もないはずだが、とアーリアは訝る。
ジェイドは弱々しい足取りでアーリアのベッドに腰掛けた。彼らしくない雰囲気に、アーリアはますます不安になった。いったい何があったというのだろう。
アーリアはジェイドの隣に座ると、ジェイドの肩に頭を預けて寄り添った。
「どぉしたんです、陛下らしくないですよ。何かありましたか?」
「何もない。何も、ないのだ」
ジェイドは話そうとしなかった。何かあったのは明白だったが、話したくないのだろう。アーリアはそう考えて、ただジェイドに寄り添うだけにした。
アーリアはジェイドの手に指を絡めて繋ぎ、その存在を主張するように握った。
「嬉しいです。今日は陛下に会ってなかったから」
「そうか、そうだったな。すまぬ、執務に追われてお前を後回しにしてしまった」
「そぉですよ。あたしをいちばん最初に置いてくれなくちゃ、寂しくて側室なんて辞めてやるーってなっちゃいますよ」
アーリアが冗談めいた言い方をしたのに、ジェイドは本気にしたようだった。珍しくその黒瞳に不安の色が宿る。
「俺はいつだってお前をいちばんに考えている。だから、側室を辞めるなどとは言わないでくれ」
「や、そんなこと言いませんよ、冗談でしょー? どぉしたんですか、陛下。あたしでよければ伺いますよ」
アーリアはジェイドの手を握り、促す。ジェイドはアーリアの空色の瞳を覗き込んで、ぽつりと言った。
「アーリアがいなくなる夢を見た」
「夢?」
「そうだ、夢だ。手を伸ばしてもお前はどこかに行ってしまう。俺の声など届かぬように、ふっと消えていってしまう。目が覚めて、夢なのだとは判ったが、居ても立ってもいられずここに来たのだ」
アーリアは笑いそうになるのを堪えながら、ジェイドに身体をすり寄せた。
まさか、この俺様陛下が夢ごときで不安になるだなんて。しかも、自分がいなくなる夢で。
アーリアは嬉しくなってしまった。それほどまでにジェイドが自分のことを好いていてくれるのだということが伝わって、アーリアは自然と微笑んでいた。
「大丈夫です。あたしはここから離れませんよ」
「本当か? 本当に、お前はどこにも行かないか?」
「どこにも行きません。あたしは、陛下のお傍にいますよ。ずっと」
アーリアはジェイドの服の袖を引いてこちらを向かせると、その唇を奪った。ジェイドは驚いたような表情を見せたが、すぐにいつもの顔に戻った。
「そうか。ならばよい」
「はい。明日は早いんですから、もう眠りましょう。ね?」
「ここで眠ってもよいか。お前を感じながら眠りたい」
「どうぞ。陛下のベッドに比べたら固いと思いますけどね」
「構わぬ。お前がいることが重要だ」
二人でベッドに寝転ぶ。柔らかくキスをして、アーリアとジェイドは並んで眠りに落ちた。アーリアはジェイドの腕を枕にして、早く眠ったジェイドの寝息を聴きながら、幸せを噛みしめていた。
側室になれば、これが平常になるのだろうか。側室になった時、魔女の仕事はどうすればよいのだろうか。
僅かな不安を感じながらも、アーリアは目を閉じて眠りを受け入れた。明日になれば、自分は側室になる。星を信じれば、その先に苦難はないはずだった。
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夜を越え、宣誓の儀が行われる日となる。
ジェイドは朝早くにアトリエを出ていった。国王としての準備のためだろう。アーリアはその背を見送って、自分も準備しなければならないという思念に駆られる。
そうは言っても、魔女の仕事が最優先である。アーリアが星を読み、最低限の調合を終える頃には、宣誓の儀まであと二時間程度となっていた。これからドレスに着替えて、ジェイドや大臣と儀式の打ち合わせをしなければならない。おそらくは、既にドレスを着ていなければならない時間帯だろうとアーリアは思った。自分は、まだ寝巻だった。
アーリアを包む薄青色のドレスを見る。本当に、自分は側室になるのだという実感が湧いてくる。このドレスがそれを物語っている。
問題は、セイジとの関係性だけだ。セイジがこの宣誓の儀に異を唱えないのなら、アーリアとしても受け入れることができた。だが、星が言うには、この先ずっとセイジとの関係性は悪いままだそうだ。ということは、即ちセイジはこの宣誓の儀を認めていないことになる。
頭の痛い思いをしながら、アーリアはドレスに着替える。しかし、このドレスは一人で着替えるような代物ではなかった。背中をリボンで縛り、胴回りをきゅっと締めるような構造をしていたのだ。
アーリアがどうするか悩んでいたところへ、アトリエのドアがノックされた。給仕かもしれないと思い、アーリアは硬めの声で応じた。
「はぁい、どうぞー」
「失礼いたします、アーリア様」
入ってきたのは壮年の女性の給仕だった。アーリアが部屋から出てこないのを見て、来てくれたのかもしれない。アーリアにとっては救いの神のようだった。
「あらあら、やっぱりお一人では着られないドレスだったんですね。お手伝いいたします」
アーリアの窮状をすぐに察してくれるあたり、なかなか腕の立つ給仕なのかもしれない。彼女はすぐさまアーリアの背に回り、リボンを引いてドレスの胴回りを締める。
「すみませぇん、どぉしても一人じゃできなくって」
「いいんですよ、アーリア様は側室になられる方なのですから、もっと私たちを使ってください。たとえ王妃様がだめだと言ってもね」
「セイジ様がだめだと言っても?」
アーリアがそこに引っかかって訊くと、彼女は、あら、と口元を押さえた。
「内緒にしてくださいます?」
「えぇ、もちろん」
話したそうだったのでアーリアが頷くと、彼女は声を潜めて言った。
「実は今日、アーリア様のお部屋には近寄るなって王妃様からお達しが出ているんです」
「ええ? なんで?」
「そんなの、宣誓の儀を妨害するために決まっているでしょう。王妃様はアーリア様が側室になられるのに強く反対しておられます。きっと、ご自身が国王様の寵愛を受けられなくなるからでしょう」
給仕は非難するような口調で言った。アーリアとしては、セイジが反対していることは承知の上なので、特に驚くこともない。むしろ、給仕の女性が来てくれたことが驚きだった。
「そぉですか。そんな中、ここに来て大丈夫なんですかぁ?」
「私はアーリア様の側室入りに賛成していますからね。やはり、国王様が愛する人を迎え入れるのがいちばんです」
「国王様が、愛する人、ねぇ」
「あら、あまり自覚がございませんか? 私たち給仕はみーんな知っていますよ、国王様がアーリア様をとても愛していらっしゃること。早朝に国王様の私室からアーリア様がお帰りになるのも、何度も見ていますし」
そう言われてアーリアは恥ずかしくなった。誰にも見られないようにと早朝に部屋を出るようにしていたが、給仕には見られていたのだろう。無駄な努力だったということだ。
壮年の給仕が手伝ってくれたおかげで、アーリアは美しくドレスを着ることができた。アトリエにある鏡で全身を映すと、まるで自分ではないかのように思えた。どこかの姫君だと言われてもおかしくないような見た目だった。
しかし、給仕は首を捻った。
「うぅん、髪が整っていないと美しくありませんね。整えますので、お座りいただけますか」
「髪ですか。はあ」
アーリアは言われるままにダイニングテ―ブルの前の椅子に座る。髪なんて垂らしたままでよいのではないかとアーリアは思ったが、給仕はそうではないらしい。手早くアーリアの髪を編んだり結ったりして、アーリアの髪を綺麗に仕上げていく。あっという間にアーリアの髪が整えられ、ドレスに似合うような美しい髪形になった。
給仕はアーリアの全身を舐め回すように見つめて、うん、と頷いた。
「これで大丈夫でしょう。アーリア様、お美しいですよ」
「ありがとうございます、いろいろやっていただいて」
「いいえ、これが私たちの仕事ですから。ご遠慮なく私たちをお使いください。それでは、国王様に準備ができたとお伝えしてまいりますね」
給仕は慌ただしくアトリエを後にした。せっかく整えてもらった髪やドレスを崩さないように、アーリアは座ったままぼんやりとしていた。星を見ることができたらよいが、星読みの窓に行ってドレスが着崩れてしまうことを恐れた。きっと誰かが呼びに来るだろうし、それまで待っていればよいだろうと思った。
十数分の時を置いて、アトリエのドアがノックされた。アーリアにはこの音だけで誰が来たかわかるようになってしまっていた。
「はぁい、陛下」
「入るぞ」
アーリアの声を受けて、正装に身を包んだジェイドがアトリエに入ってくる。ジェイドはアーリアの着飾った姿を見て微笑んだ。
「やはり美しいな、お前は。青がよく似合っている」
「お世辞はいいですから。もぉ時間ですか?」
「世辞ではないのだがな。まあよい、時間だ。その服だと移動するのも時間がかかるだろう」
「ちょっと動きづらいですねぇ。宣誓の儀って、お城から国民に手を振るだけでいいんですよね? 歩いたりしませんよね?」
「お前がやることは手を振るだけだ。あとは俺が話す程度だ。お前が話すこともないし、そう緊張するようなことでもない。行くぞ」
ジェイドは緊張する必要がないと言うが、アーリアは緊張していた。魔女は国民の前に出るということがないからだ。大勢の国民の前で手を振れと言われても、そう易々とできることではない。
アーリアはジェイドに連れられるまま城の中をゆっくりと移動する。ヒールの高い靴がドレスに合わせられているせいで歩きにくい。ジェイドは何も言わず、アーリアが歩く速度に合わせて歩いてくれた。
そうして、王族が国民に姿を見せるための展望台に到着する。展望台のドアの両脇には兵士が控えている。今はドアが閉じられているが、ここを開ければ国民の姿が見えるはずだった。アーリアは、ドアの向こうから国民の熱気を感じ取っていた。この向こうには、既に多くの国民が集まっているのだろう。
どくん、どくん、とアーリアの心臓が跳ねる。そっとジェイドに寄り添うと、ジェイドはアーリアの肩を抱いた。それだけで少し緊張が和らぐ。
「行くぞ。準備はいいな」
「は、はぁい。頑張りまぁす」
アーリアが震える声で答えると、ジェイドはふっと笑った。
「開けろ」
「はっ。総員、準備せよ!」
号令とともに、兵士たちが敬礼する。展望台のドアがゆっくりと開けられ、秋の爽やかな空気が入ってくる。
アーリアは初めて見る光景だった。見下ろした先には多くの国民が手旗を持って立っている。ドアが開くと歓声が巻き起こり、自分とジェイドを歓迎しているように思えた。あまりの人の多さと熱気に、見ているほうがくらくらとしてくる。逃げたくなってしまったアーリアを引き留めたのは、肩に回されているジェイドの手だった。ジェイドはぐっとアーリアを引き寄せて、そのまま歩き出す。
ジェイドが空いている手を上げると、わああ、と国民から大きな歓声が上がった。ジェイドは少し向きを変えながら、様々な方向に顔を向ける。アーリアにはその余裕はなくて、身を固くして正面だけを見ていた。
「アーリア、安心しろ。物が飛んでくるわけでもない」
「大丈夫ですかね、卵とか飛んでこないですよね」
「ははっ、来るわけないだろう。俺の側室だぞ」
アーリアにはその理論は全く理解できなかった。国民が側室をどれだけ受け入れているのか、アーリアは知らないのだ。この歓声が自分に向いているのだということも、アーリアは飲み込めていない。
「アーリア様!」
「アーリア様、こっち向いてー!」
「国王陛下、万歳!」
下から国民の声がまともに聞こえるくらいには、アーリアも落ち着いてきた。どうやら自分のことを呼んでいる人もいるようだ。
「アーリア、手を振ってやれ」
「は、はぁい」
ジェイドに言われるまま、アーリアは胸の前で軽く手を振った。すると、国民からますます大きな歓声が上がった。それに驚いたアーリアは、ジェイドに身を寄せてしまう。ジェイドはまた愉しそうに笑った。
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