善行をつんで地獄にいきます

碧井永

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第2話 座敷童子を急募します(1/6)

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 ヒイロは、現在、下僕扱いされている。
 下僕扱いするほうはアルバイト先の上司でもある。その彼が颯爽と現れた。
 来客は通常、玄関からやって来るもの。しかし、常識というものを捨てたのか、もとからもち合わせていないのか、彼――キレイはユニットバスからの登場なので、片手には高価そうな革靴をぶら下げていた。自分勝手に差し出された革靴を両の掌で受け取りながらキレイの立ち姿をしげしげと眺め、ヒイロは気が遠くなりかける。
 つっこみどころが満載すぎた。
 なにを着ても並以上に着こなすであろうキレイは、これまた高価そうな黒いスーツ姿。胸元はトレードマークの紫絹のネクタイに共布のチーフで飾っている。
 キレイという青年は、目と目が合っただけで呼吸が止まってしまいそうなほどの美貌であった。赤みの強い黒髪に、碧みがかった灰色の双眸。この国の人間にしては特徴的な容貌をしている。年齢は三十半ばくらいに見えたものの、目に若く映るときには子供特有の残酷な鋭さがあり、歳相応に映るときには老成しているような威圧感があって、正直ヒイロは、彼の実年齢をつかみかねていた。
 なぜかキレイはいつも、頭に金色の仔虎を乗せている。彼は仔虎を「トラ」と呼んでいる。居心地がいいのかトラは、大抵、鼻ちょうちんがたやすく想像できるほど寝こけていた。過日ヒイロは、トラが大きくなって俊敏に動くところを目撃したが、以降、巨大化したトラを目にする機会はなく、平生とかわらず前肢をキレイの額に垂らし、後肢は肩にひっかけて眠っている。
(て、もう、どこから訊けばいいのか。しんどいわっ)
 ヒイロは胸奥でつっこんだ。
 与えられた情報の脳内処理が追いつかず、たくさんのことを深層無意識のうちに後回しにしているのだ。それも仕方のないことといえよう。
 遡ること3ヵ月ほど前、ヒイロは走無常そうむじょうになった。
 走無常は、身体からだ本体はこの世にいながら地獄の手先を務める人のことだという。地獄の役人であるキレイと出逢ったことで、目に見えぬ境界線を踏み越えて半分死んでいる状態となった。善行をつむという目的で地獄のアルバイトをさせられることになったのはいいが、無料奉仕であるから生活費を工面するので手一杯なのだ。【忘我の境に入る】と言えば聞こえはいいかもしれないけれど、端的に言えば、一人暮らしの生計を立てることに心を奪われ我を忘れる毎日であった。
 キレイが額髪を指で払う。
 頭に乗せているトラが彼の額に前肢を垂らしているので、髪が邪魔になるのだろう。髪を払うのは彼の癖のようになっている。
「今日は裁判がないから一緒に出かけてやる」
 3週間ぶりに顔を合わせたキレイの第一声がそれだった。
「お互いの温度ってものがあるでしょーよ。この場合の温度は、気温でも体温でもなく気持ちの温度だけど。また会って早々に出だしからかみ合ってないよう、な……」
(……ん? 裁判?)
 語を切って、続きは声にださないまま、ヒイロは細い顎を傾けた。
(趣味でこの世の裁判を傍聴してたりするのかな?)
 そんなふうにヒイロは考えたのだが、一風かわった趣味についてドヤ顔で言い負かされるところが容易く想像できてしまうから、疲れるので訊かないでおく。
 キレイとは長い付き合いではないものの、今更ながら3週間も顔を見なかったのかと、少しばかり驚くヒイロだった。日によって1時間も部屋にいなかったことはあるが、それでも知り合ってからはほぼ毎日会っていた。ヒイロのワンルームに来なかった3週間という時間、彼がどこでなにをしていたのか、ひっかかるような気がしないでもない。
 その間、ヒイロはといえば。
 もちろん地獄のアルバイトをしていた。バイト業務には、冥夢録めいむろくの作成が含まれる。この冥夢録をせっせと書いていたのだ。
 地獄はあの世のお役所なので、日々行われた業務内容の記録と保管は重要だという。役所で働く役人が、必要な情報を必要な時に引き出すためだ。よって、役人〈走無常〉がこの世で活動した場合、記録を残さねばならない。その記録書類を冥夢録といった。
 冥夢録は必ず手書きで、実際に起こったこの世でいうところの不思議の出来事をありのままに記録する。主観を入れてはならない。ヒイロは会社員時代、広報部勤務であったこともあって、文章を書き、読むことが得意だった。手帳には、奮発して買った万年筆で日記もつけていた。だから苦にはならないものの、意外に難しかったのは、不可思議現象について客観的に記すという点だった。
 これまで遭遇した2件の事例は、ヒイロの知己を巡るものであったために、どうしても自分の感情が混ざってしまうのだ。つい日記を書いているような気分になって、書き直しすることかぞえきれず、キレイが来ないことも然程気にならないまま、日は過ぎていったのだった。
「おい」
 いまだユニバスの前で立ったままのキレイが、苛立ち混じりの声をあげた。
「は?」
 反射的に返事をするヒイロにしても、革靴を持たされたままだ。
「聞いて驚け見て笑え。出かけると言ったのに、聞こえなかったのか?」
「……は?」
「は?」
 そして繰り返される男女の「は?」
 確かに聞いてびっくりした。キレイから「出かける」と誘われたのは初めてだ。
 どうしたものか。ヒイロは惑いを表明するために、首を右に左に倒してみる。
 実は数日前に、仕事上の付き合いのあった編集者からメールがきていた。久々に会って情報交換しないかという。都心に出るには電車代がかかるので、生活費を切り詰めているヒイロには予測不能のイタイ出費だ。断ろうと思っていた。すでに会社を辞めている身で、相手を喜ばせるような情報も手持ちにない、会ってどうするという思いが強かった。もとからヒイロは、無理して誰かと接点をもつ生き方はしてこなかった。人に寄り添うことを不必要としているところがあったのだ。
 ところが。
 時間が経つうちに、まあ誘いにのってもいいか、という気分になっていった。
 大学の同期である昂子こうこに感化されたのだろうか。先日ばったり出会ったときも、ファッション誌に載るような恰好で出歩いていた、華やかな昂子。自分には彼女ほどの派手さはないけれど、肌も爪も整えておしゃれして出かけるのも悪くないかなと、気持ちが移ってしまったのだ。
(わたしだってまだ花咲く歳頃、ぴちぴち青春真っ盛り――のはずだし)
 というわけで。
 ヘアメイクが終了し、通勤でも着られるニットワンピースにお着がえし、まさに出かける寸前、キレイがやって来てしまった……。
(なんて間の悪いっ)
 外出している間、部屋で待たせておくという手もアリだ。が、あいにく成城石井のカカオ70パーセントチョコを切らしていた。足どめは難しい。やはりナシか。んん、これはまずい。さあ、どうする! ――なんてことをヒイロがぐるぐる巡らせているうちに、
「おまえ、出かけるんだろう。時間はいいのか」
 キレイが器用に片眉を跳ね上げた。
「え、ええっと、……バレてたの? なんでわかっちゃったかな……」
 今日の約束を隠していたわけでもないのに、後ろめたいものが胸中に湧いてくる。相手はいちおうバイトの上司。報告・連絡・相談は欠かせない。失敗したかなと、ヒイロはごにょごにょ言いよどむ。
 対するキレイはひんやりとした無表情のまま、ヒイロを見下ろしていた。
「なにか、ヒイロの雰囲気がいつもと違うなと」
 キレイの指が、ヒイロの頬をすっと撫でていく。
 あっと声をあげる間もないくらい一瞬の出来事だった。枝から離れた花の花片が、落ちる途中で肌を撫でたような感触。触れられた温もりはするりとほどけて消えてしまい、判断のつかない状況下でヒイロは目をしばたたく。
 キレイの冷たい表情と優しい指先の動きが頭の中でうまく結びつかなかった。
(なんなのよ)
「スーパーのタイムセールに行くだけで、そこまで身形を整えてどうする? そんなに時間が余っていたとでも? 俺が来ない間、おまえはどれだけ暇をもて余していたんだ」
「は?」
「働け」
「は……い、やいやいや、久々に顔を合わせたキレイの性格が全然ブレてなくて幸いですけどっ。上に立つ者、下の者を迷わせないためにも、考え方のブレは禁物らしいですからねっ。いや、そこはどーでもよくて、わたし、ちゃんと働いてましたっ。無料奉仕なのにっ。今日はその、自分へのご褒美というか、タイミング悪く久々に外出するだけで」
「もうすぐ日が暮れる。こんな時間から?」
「フツー会社勤めしてたら平日の昼間は働いてるのよ。夜じゃなきゃ会えないでしょ」
「人に会うのか」
 なるほど、失念していた、という顔をした後で、説明不足のおまえが悪い俺は悪くないというふうに、キレイはふんっと鼻を鳴らした。
 なんだその態度は、とヒイロは内心だけで叱っておいた。だいたいバイトの拘束時間が不規則で長いのがいけない。勤労意欲が削がれるというものだ。
「ほら、来い」
「は……い、って、え、一緒に行く気?」
「そうだ、さっさとしろ」
 言い捨てて、ワンルームの狭い廊下を玄関へ向けてずんずんと歩いていってしまう。
 キレイはすらりとして背が高い。スーツを纏っていてもはっきりわかるほど、それなりに筋肉もついている。だから背中も広かった。頭に光り輝く金色の毛玉さえへばりついていなければくすりと笑う要素もなく、後ろ姿からして押し出しのよい美丈夫だろう。
その背を追いかけながらヒイロは「あれっ?」と片目をすがめた。
(一緒に? 出会い頭に『一緒に出かけてやる』って言ってなかった……?)
 ぱっと見で、きっちりメイクをしていることに気づいたのだろうか。それで一人で外出させたくなかったとか。スーツ着用の俺とも釣り合うし、ここは二人で遊びにいかないともったいない、と思ったとか? えー、これってデート?
などという桃色思考に突入しかけたヒイロであるが……。
(あー、……ないな。ないし。ないよ。キレイにかぎって束縛心なんてあるわけない)
 彼に惚れられたなんて自惚れもいいところ。誰に会うのか気になった、などという思春期真っ只中の男の子のような発想を、完成された大人の彼がするはずがないのだ。
 なにせ自分は下僕の身。
 どうせ、カカオ70パーセントのチョコレートは持っただろうな、と玄関手前で振り返って確認されるに決まっている。面倒くさい人だなーと、ヒイロが心中でぼやいた直後。
 予想どおりにキレイが振り向いた。
 その瞬間にトラのしっぽが勢いよく揺れて、ヒイロのおでこを叩く。
「ぶふっ」
「カカオ70パーセントのチョコレートは持っただろうな」
 はい、きた。
 予想どおりすぎる展開にヒイロはよろめく。
「……ごめん。切らしてる」
「ぬ」と意味のわからない呻き声を発した後で、充分な間をとってキレイは続ける。
「だから働けと言っているんだ」
「…………」
 どうやらヒイロの職務には、上司用のチョコの常備も含まれているらしかった。




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