蘭定家諸事情につき(らんじょうけしょじじょうにつき)

碧井永

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【5日目】

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「どうよ? カンプ見てくれた? カラーコピーだけどさ」
 昨日届いていた封書をあけながら、うやむやに返事をする貴純たかずみ。いくら昨晩バタついていたとはいえ、兄弟ゲンカで仕事を後回しにしてしまったという後ろめたさがある。
「今度の絵本のカバーなんだよ」
「俺が下訳やってるヤツか?」
「そう、それ」
「ずいぶん、早いな」
「今回は、俺の意見を入れてくれるっていうことで、デザイナーとの段取りを早めに組んであってさ。蘭定らんじょうにも見てもらいたくて送ったんだけど」
 そう言われても、困る。
 カンプのコピーをデスクに広げて、なんの感想もないままに口を開いた。
「……いいんじゃないか?」
 携帯の向こうで、少し間が空く。
「ホントに?」
「……ああ」
「そっか、ならいいんだ。俺は翻訳なんてからっきしダメだからさ、著作者の気持ちなんていまいちわかんなくて。カバーと内容にズレができたらイヤだなって思ってさ」
 なるほど、そういうことかと貴純は納得した。下訳というものは確かに訳せばいいだけだが、一応、著作者のプロフィールを読んだり、その物語に込めた想いなどを知るためにインタビュー記事なども読んだりする。製本となれば、そこに使う神経は並大抵のものではないだろうし。こいつも仕事してるんだなと、ヘンなところで感心する貴純なのだった。
「フランス版と、カバーが違ってもいいのか?」
「今回のは、ちょっと特別でさ。フランス版はブルー単色で、日本の子どもにはウケがよくないだろうってことになって。中の絵をうまいこと使ったつもりなんだけど」
「いいんじゃないか」
 今度は、はっきりと貴純が答えたからか、携帯の向こうから嬉しそうな感じが伝わってきた。不思議だな、と思う。顔も見ていないし、なにかをしゃべったわけでもないのに、相手のまとう空気を電波が送り届けてくるのだ。
「それじゃ、続き、頼むな」
「ああ」
 携帯のフリップを閉じながら、貴純はなにかを思い出しかけた。
 学生時代にも、こんなようなことがあった気がするのだ。
 こいつと自分と遼子とおこの三人で話していて……。
 貴純がなにかを謝ったのだが、遼子がそれを無視してどこかへ行ってしまう。
 なんだっただろう?
 遼子と別れたのは、大学四年の秋。
 もう就職先も決まっていて、自由に遊べる時間が増えていた。付き合いはじめて1年目ということもあり、遼子と一緒に記念日づくりをしたものだ。
 いま思えば。遼子以外の女の子とそんな甘い付き合いをしたことなんてない。
 侑二ゆうじは貴純のことを「恋愛至上主義」と言ったが、当の本人にはそんな意識は全くなく。どちらかといえば、ドライな付き合い方をするほうではないかと思っている。
 その証拠に、高校生のときにも何人かと付き合ったが、誰ひとりとして名前は思い出せない。就職してからも二人付き合ったが、雰囲気が浮かぶ程度で名前はさっぱりだった。こんな貴純にしてみれば、遼子が初恋のようなものだ。
 だから憶えている。
 そうとしか、考えようがない。
 貴純にとって恋愛は、プライオリティとして下位のほうに入るのだ。一番に家族、二番に家事、三番に仕事、四番目にやっとのことで自分のことが入る。はっきりいって、恋愛には興味がないといってもいいくらいのもの。
 蘭定家の内情にはふれてほしくない貴純は、第三者に自分の領域に踏み入られることを極端に嫌う。友だちならまだ距離がとれるが、恋人となると、自分のほとんどをさらけ出さねばならない。それだけ一緒にいる時間が増えるからで、そうすれば会話も増えていくわけで、父母のことや兄弟のことを話さなければいけなくなる。適度に話してかわせばいいのかもしれないが、そんな器用なことは貴純にはできなかった。
 それすら面倒だった。
 近いようで、遠いところにいてほしい。
 そっとしておいてほしい。
 ああ、そうか――貴純はフリップを開いて電話帳をスクロールすると、昨日登録したばかりの遼子の携番ケーバンを見つめる。
 遼子は余計なことを訊いてこなかった。
 それで居心地がよかったのだ。
 それなのに……どうして別れてしまったのだろう。
 約束の日までに、思い出すことができるだろうか。




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