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【9日目】
しおりを挟む深夜。
玄関のほうで物音がしたので、仕事の息抜きも兼ねて行ってみると、バイトあがりの侑二が帰ってきたところだった。
「おかえり」
「ただいま。ずみ兄、まだ仕事してたの?」
「まあな、お前もお疲れさん」
うん、とうなずく侑二と二人、ダイニングテーブルに着く。なにか食べるか? と訊くと、また、うん、とうなずいたので、夕食の残りを温めなおすために貴純はキッチンに入った。三男には甘い貴純である。
まあ、今夜の場合、それだけではないのだが。
「いち兄は飲み会だったんでしょ?」
「ゼミの飲み会だってメールがきたな。でも、この時間に帰ってこないんじゃ――」
「あっ、メールきた。……いち兄、友だちのとこに泊まるみたい」
いまごろは部屋に置きっぱなしの貴純の携帯にも同じメールが届いているはずだ。次男は、そういうところはヘンにしっかりしていて、必ず長男と三男へ同時に連絡をよこす。
「明日は、そのまま大学に行くみたい」
貴純は夕方に独りで食べた、ローストラムと煮野菜サラダ、ほうじ茶を混ぜて炊いた茶飯をテーブルに広げていきながら、「そうか」と返事をした。「いただきます」と手を合わせる侑二を向かい側から見つめて、あらためて可愛いなと思った。
母が二人目ということで、幼心にもどこか遠慮があったのかもしれないが、貴純はよく家事の手伝いをした。おかげで、ひととおりのことは独りでやれるようになり、母が妊婦となったときには大活躍したものだ。それに、母には元気な子どもを生んでもらいたかった。これではまるで貴純が父親のような物言いに聞こえるが、当時は心底そう願っていたのである。
本音を言ってしまえば。母とは血縁関係はなくても、生まれてくる子との間には半分ではあるが同じ血が流れていることになる。それが嬉しくてしようがなかった。待ち遠しくてしようがなかった。「あいつの母親ってホンモノじゃないんだぜ」と同級生から囁かれる毎日の中で、ホンモノのきょうだいができることは、貴純にとっては、それはそれはすばらしい出来事だったのだ。そして母は、二人の弟を貴純に与えてくれた。
初めて双子に会わせてもらったとき、うっかり大泣きしそうになったほどである。
あの日見た二人の小さな顔は、いまでもはっきりと憶えている。
「大きくなって……」
目頭を押さえながら貴純が呟くように言うと、侑二が茶飯をぼろぼろこぼしながら「どうしたの?」と訊いてくる。
「お前ら、大きくなったなと思ってな」
「それだけ、ずみ兄は、オジサンの階段をのぼってることになるけどね」
「……なあ、俺、老けたか?」
「んーっ、どうだろ? 僕の周りにいる30代と比べても、若いほうじゃないかなあ」
「あのな、俺は今年30なんだぞ。若く見えて当然だろ」
侑二は、あははっと笑った。
「若いって言ってほしいなら、最初からそう言えばいいのに」
そこで侑二は、兄の顔をじっと見る。
「ねえ、ずみ兄。昨日、なんかあったでしょ?」
「へっ!?」
「だって、老けたかなんて、普通訊かないじゃん。昨夜も帰りが遅かったし」
「……ああ。そういえば、終電でお前と一緒にならなかったな」
「バイトが、ちょっと早く終わったんだ」
「助かったよ、皿とか洗っといてくれて。今朝も食事の用意してやれなくて――――」
「そう、それっ!」
急に叫ばれて、貴純はビクッとした。
「ずみ兄が朝起きてこないなんて、めったにあることじゃないじゃん。せいぜい風邪ひいたときくらいでさ。いち兄も、どうしたんだって言ってたし」
ぼうっとしているようで本当にぼうっとしている三男は、実は色恋ごとにはさといのではないだろうか。侑一の恋愛話は聞いたことがないが(本人が話さないので)、侑二の恋愛経験数は本人の申告するところによればかなりなものだ。
昨日の夜は、帰ってから遼子と電話をしていたので寝るのが遅くなってしまったのだ。彼女も終電だったので、無事に帰ることができたか心配だった。それで電話をしたら、ついつい話が長びいてしまって……彼女は、ちゃんと出勤できただろうか?
「で、どうなの?」
侑二には「カノジョができたら話す」約束をしていたので、隠すつもりはなかったのだが。「仕事で飲みに行く」と言ってしまった手前、どう切り出したらいいのかわからなくなっているのである。わざわざ仕事の手を止めて部屋から出てきたのに……。
考えあぐねて貴純は、元カノであることは黙っていることにした。ただ一言、
「……カノジョと飲んでたんだよ」
そう告げると、侑二の垂れた目許が下がる。
「やっぱりっ! 最初からそう言えばいいのに」
「……いや、黙ってたわけじゃないぞ。飲みに行って、たまたまそういうことになっただけで」
「そうなんだあ」
垂れた目許がさらに下がる。
「嬉しいよ、ずみ兄に恋人できて」
にこにこと笑う侑二に、なにも返せずにいると。
「ねえねえ、どんなヒト?」
まさか、「お前らの大学の図書館にいるよ」とは言えず。「あー」とか「うー」とかうなる貴純だ。
「ずみ兄のカノジョって幸せだよね」
「なんだ急に?」
「だってさあ、料理もできるし、家事は完璧でしょ。お嫁さんをもらうようなものじゃん」
「俺は、できることならやってもらいたい」
「え、そうなの?」
「そりゃ、そうだろ。少しは憧れるだろ、エプロン姿でお出迎え……と、か。……あー、と」
話がマニアックなほうに逸れていきそうだったので、兄のメンツを保つためにも急いで口を閉じる。だが、侑二はなにやら、うんうんうなずいて、笑った。
「そうだよねえ、いいよね、エプロン。僕もお出迎えしてほしいよ。けどさあ、たまには僕が料理してあげてってのにも憧れるんだよね。休みの日なんかはさ、僕がつくるからって任せてもらったりして。喜ぶだろうなあ」
うっとり顔の三男に、やや呆れ顔の長男。
「……お前、誰に向かって話してるんだよ?」
「カノジョにきまってんじゃん」
「俺に向かって言われても、な」
男二人。夜中になにを話してるんだか……。
「ううっ。ずみ兄と話してたら、カノジョに逢いたくなっちゃった」
「バイトで一緒じゃなかったのか?」
「今日は休みだったんだ。一日逢えないのって、大きいよ」
「なにが?」
「心に広がる淋しさの割合。いまなにしてるんだろう、いま誰と一緒にいるんだろうって、気になるんだよね。今日はなにがあったのか、とかさ」
答えない貴純に、侑二はわずかに首をかしげた。
「あれ? ずみ兄は、そういうタイプじゃないの?」
「俺はフランス人とのハーフだけど恋愛至上主義じゃないからな」
こんなこともすらりと言えるのようになったは、遼子のおかげだろう。
そういえば、と貴純は思った。
就活のことでもめて、遼子を見送った日。
学食で、出版社のヤツと遼子が、どんな話をしたのか気になっていた。もしかしたら、遼子はヤツのほうがいいんじゃないだろうか。見た目によって区別されて、就職も希望どおりにならない自分よりもヤツを選ぶんじゃないだろうかと、不安になったのだ。それも別れた理由のひとつだった。
なんとなくではあるが、侑二の言いたいことがわかった。
「お前のことだから。一日に何度もメールしたり、テレビ電話とかしたりしてるんだろ?」
侑二は、でれでれと笑う。
「そうなんだよねえ」
「なら、充分だろ?」
「うーん、でもなあ。どうしても離れる時間ができちゃうわけでさ」
そこまで言う侑二に、今度は貴純が首をかしげた。いままで侑二が、こんなに恋人にいれこんだことがあっただろうか、と。
「そんなに好きなのか?」
「うーん、そう言われるとなあ……」
「なんだよ?」
「独占したいだけなのかもね。僕はあんまり好きじゃなくても、カノジョにはすごく好きでいてほしいってカンジ」
おいおい。
貴純は心の中だけでツッコミを入れる。可愛い顔をしてこの末っ子は、確実に父親の遺伝子を受け継いでいるのだ。甘やかしすぎたかと、貴純が溜め息をこぼしそうになったとき。
「カノジョが僕を好きでいてくれる間は、僕もがんばるんだよ。今日もね、オリジナルのカクテルを考えて……あっ、そうだよっ!」
「今度はなんだっ!?」
「明日、ずみ兄はヒマ? 仕事、忙しい?」
首を横に振ると、いたずらを思いついた子どものような顔をした。
「カノジョ、連れてきなよ。僕のバイト先に」
突然言われても、困る。
「店長いなくて、フロアマネージャーだけなんだ。カクテルごちそうしてあげるからさ」
「……俺の都合だけじゃ、なんとも答えられない、な」
「じゃ、カノジョがOKなら来てくれる?」
「……訊いてみないと……なんとも……」
「ちゃんと訊いてね、待ってるから。僕のカノジョも紹介したいし」
侑二のカノジョには何人か会ったことがあるから、いまさらな気もしないではないが。どうするか迷いに迷って、「明日の昼に行くかどうかの連絡を入れるよ」と答えてしまった気弱な貴純。
侑二は、にこにこと笑っているだけ。
この無邪気さが案外厄介なのかもしれないな、と思った貴純なのだった。
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