天地狭間の虚ろ

碧井永

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第五章(2/3)

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 第二景

 丹緋たんひを前に乗せ、皇城の南側へと緋逸ひいつは馬で駆けつける。
 すでに到着していた神策軍しんさくぐんが鎮火にあたっていたものの、かなりの建物が焼けていた。各省の建物が密集しているため、火の移っていない建物の壁までが炎に赤く染められて燃えているようだ。真っ赤な視界に焼け崩れる音が重なれば恐怖をあおった。黒煙があがって息苦しい。煤が風に舞い、そこかしこで熱風が路地に吹きこみ渦を巻いていた。
 大袖で丹緋を庇いながら、馬を乗り捨てた緋逸は中央の路地に踏み入っていく。
 しばらくすると煙の中に大声で指示をとばす武喬ぶきょうを見つけた。
「武喬、喰い止められそうかっ?」
 問えば大将軍は口唇くちびるの片端を上げた。
「お任せを。よくご覧ください、陛下。燃えているのは宗廟付近ですよ、犠牲になる官はほとんどいません」
「なに?」
「といっても、君主の祖先――宗廟も大切ですがね。この際、我らの身がわりになってもらいましょう」
「なにを言って……」
 武喬は余裕のみえる笑みを浮かべるだけ。
 緋逸はあらためて周囲を確認してみた。
 よくよく眺めてみれば火の勢いはあるが、燃えている建物から逃げ惑う官はいない。動いているのは消火のために水を運んだり、火の回りを止めるために木造建築を壊したりする神策軍だけ。気を落ち着けて皇城内のつくりを思い出してみれば、南端の辺りは人の出入りがほとんどない建物ばかりなのだ。
 奎樹けいじゅ彪之ひょうしのつめている政事堂や尚書省、史館しかんといった重要な建物は、ここからもっと北側の宮城に近いところに建っている。
「水仙の花が持ち込まれたとき、数の多さに奎樹が妙な反応をしましたのでね。俺もそれなりに注意していたんですよ。なるべく官吏かんりが近づかないところに置いておいたんで」
 さすがは奎樹。出過ぎないが、頭は回る男であった。
 よし、と緋逸が唸れば、それを合図に武喬が状況報告を開始する。
蒼呉そうごが持ちこんだ素焼きの箱――土が敷かれた更に下の部分は空洞になっていて、どうやら油が仕込んであったようです。これを蒼呉は遠距離から火矢で射て、次々に破壊。炎上し建物に燃え移っていきました」
 やはりそうか。
 緋逸は頷いた。
 しかし、蒼呉も誤算だったろう。南端に花を放置されたままでは、狙った側近が殺せるかどうか。今朝仕かけるのは乾坤一擲の賭けのようなものだったはず。吹きつける風の勢いでどこまで火が回るかは、事を起こしてみなければわからない――
(運を天に任せた結果、天は私と蒼呉のどちらに味方するのか)
「や、でもお前、随分と早く駆けつけたみたいだな。神策軍もかなり揃っているし」
「あー、それはですね」
 周囲に指示をとばすのは怠らずに武喬が応じる。
「実は早朝に紫苑しおん殿からの伝令がきまして」
「紫苑から?」
 紫苑は、緋逸の五つ下の異母弟である。母は妃妾で、父帝のもとでは夫人の位を与えられていた。
「紫苑殿は、南方に咲く水仙を愛でるためにこの辺りをふらふら――っと失礼、散歩されていたようなんですが。『大弓を担いで歩いている蒼呉を見た』と。だから念のために知らせると、神策軍の軍営に伝令を寄越されましてね」
 体躯のしっかりした緋逸や蒼呉とは異なり、紫苑の身体からだは線が細く、顔には表情がない。日がな一日園林ていえんをふらついては詩作にふけるだけ。兄弟でこうも違うものかというほど力と欲には無縁だから、代がわりの成った宮城内で無位無官のまま暮らしているのだった。
「蒼呉に味方する者はなくとも、蒼呉自身は武術の心得がありますし。なにより弓が得意ですからな、何事かあるかもしれんと神策軍を動かしました」
 これといった特徴もなく、なにも考えていないように見える紫苑が?
(異母弟に救われたというのか)
 意外なところで働きをみせた紫苑に、緋逸は瞠目どうもくした。
「……で、蒼呉はどうした?」
「筋書きより早く到着した神策軍に慌てたんでしょうな。取り囲んだ武官を振り切り、大弓を担いだまま逃亡中です。すでに皇宮から出ているもよう。麾下はいかに追わせています」
 大弓を? ――緋逸は片眉を跳ね上げた。
 天延てんえん入りした時点ですでに、蒼呉から弓や剣といった武器は取り上げていたのだ。にもかかわらずあれは大弓を所持していた。
 いったいどこから調達したというのだ?
 その疑問は武喬ももっていたらしい。
 ふたつの視線が交わり、それは蒼呉を捕縛してからと暗黙のうちに頷いていた。
「南北の大街道、西砂せいさ行路や東海行路に逃げ込まれたら厄介だ。交通・交易の道には人が溢れているからな、紛れてしまえば捕縛が難しくなる」
 緋逸は命じる。
「蒼呉追跡のために飛空部ひくうぶを出す。全機だ。
 かん家に伝令を。
 剣楯華けんじゅんかを呼んで、風の役鬼やくき鬼風きふうを貸してもらえ。この風では単体で滑空機を飛ばせないだろうからな」
 武喬から返事はない。
 いぶかしむ、緋逸。
「急げ、どうした?」
「それが……」
 気さくな性格のこの大将軍が言い淀むのは珍しい。表情も珍しく曇っている。
「この風向きですから……大事に備えて飛空部を待機させようと、紫苑殿からの伝令を受けてすぐに、環家に伝令をやったんですがね」
 機転をきかせた武喬は先に剣楯華を呼んでいたのだ。
 軍務をそつなくこなす大将軍は、こういったところは抜け目ない。よくやったと緋逸は目線で相槌を打ちながら、
「環家はなんと?」
「剣楯華は朝廷の呼びだしに応じた閻羅王えんらおうの一件以来、邸には戻っていないとのこと」
「な――ッ!?」
 緋逸の口から悲鳴にも似た声が洩れた。
 あれからふた月近く経過しているのに。
「では、どこへ行ったのだ?」
 剣楯華が不在となれば、当然、風の支援は受けられない。
 蒼呉を上空から探索できないまま、逃してしまう可能性のほうが大きくなった。あとは、馬で追っている神策軍に任せるしかないが……。
「あれは馬術も巧みだ。ここで捕縛できなければ、あれの背後にいる者達の追跡もできなくなってしまう」
 大弓の出所の問題もあるが。
 内乱であっさり敗北した蒼呉が、素焼きの箱の下に油を仕込むなどという発想ができるものだろうか。確かに蒼呉は遊びにかけては他者より抜きんでているところがある。酒令しゅれいという飲酒に盤上遊戯、騎乗球技の試合に狩猟、どれも自分流に取り決めて楽しんでいた。よくもそんなくだらない遊び方が思いつくものだと、いっそ感心するくらいだったのだ。
 だからといって、策略にも長けるものか?
(粗野な蒼呉が? ……否、あり得ない!)
 何者かが、蒼呉に策を授けたとしか思えない。
 野にあってなお、政治を操ろうとする誰かが。
 蒼呉を裏から動かした人物がいるはずだ。
「なんとしても蒼呉を捕まえたい。なぜ剣楯華はいない? くッ、どうしたらいいッ」
 憤る緋逸に、根回しはすべてやったという顔で武喬が肩を落とした。
 武喬も、ここにはいない奎樹も、先手は打っていたのだ。皇帝と国を護るために力を尽くした。その行いを褒めるべきであり、責められはしない。そもそも護三家ごさんけは、れい家を護るために存続している。黎皇家大事の時に護三家が朝廷の呼びだしに応じないなどと、側近の誰が考えようか。
 剣楯華が行方知れずとは――黎王朝開闢以来の、異例の事態なのだ。
 緋逸がこれといった手を打てず惑う間も神策軍は働いて火はしずまっていく。
 騒動の最中、ずっと緋逸の大袖に囲われていた丹緋が煙を吸ったのか咳きこんだ。
「もう少しの辛抱だ、我慢できるか?」
「違います緋逸様、わたし」
 緋逸の腕にすがるようにして丹緋が訴える。その滑らかな頬は煤で黒く汚れていた。
 どうやら煙を吸いこんだのは、なにかを言いたくていきなり口を開いたかららしい。
「わたしを城壁の上へお連れくださいっ」
「な……にを、言って……る」
「滑空機のあるところへ。一緒に星を眺めた、あの夜の場所まで連れていってください」
 懐から出ようとする丹緋をなだめても、できなかった。
 それほどに丹緋は強い意志を胸に秘めていた。
(ああ、これこそが)
 彼女に心惹かれた特別ななにか。
(なにかが今)
「緋逸様のお役に立ちたいのです。受けたご恩をここで返します、信じてください」
 出逢ったばかりの丹緋は、虚無的な表情ばかりを見せていた。それは同時に丹緋のもろさを見たようでもあったのだ。弱いほうに気持ちが転ぶととことん弱くなっていく危うさを内包しているようで。
 だが、今はどうだろう。
 人のもつ喜怒哀楽が随分と顔色に表れている。
 感情がきらきらと光り身体の芯から溢れでていて朝の陽もくすませる――
 緋逸は感じる。
「わたしが剣楯華様のかわりを務めます。ですから、どうか。早くっ」




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