天地狭間の虚ろ

碧井永

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第六章(1/3)

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第六章

 第一景

 天の延長上にある街と謳われる、皇都・天延てんえん
 街は勇壮にして、繁栄をきわめる。
 とある詩人は詠う、
「活気溢れる天延の街。爛漫たる華やかさを、街中の人々が享受している」
 てい国を支配した王朝のうちのいくつかが、天延から皇都を遷都したことがあった。しかしそれらの王朝は短命であり、滅びるたびに、十二神将が護ると伝わるこの大地へと戻ってくるのである。
 丹緋たんひは今、美しく、そして泰平の夢にまどろむ天延を見渡せる城壁に登っていた。
 高い城壁の上からは未だ火災の黒煙に滲む皇城と宮城、外郭城〈居民区と商業区〉のすべてを見晴るかすことができる。
 れい王朝では皇帝が至高無上の存在であり、南面して王と称す存在とされている。ために、皇宮は天延の最北端に建てられている。南側は厳格な秩序と人々の階級意識がはっきりと体現されている居住区であり、ここを縦断するのが大街道、横断するのが大陸行路である。
 このどこかに逃亡者がまぎれているはずなのだ。
「ご命令とあらば従います。ですがね、陛下。俺は大将軍です、麾下はいかの命を預かる身。死ぬとわかっていて精鋭の飛空部ひくうぶに出ろとは言えない」
 先程から丹緋の後ろで、武喬ぶきょう緋逸ひいつに盾突いていた。
 それは仕方のないことだった。
 風はかわらず南から北へと吹いている。逃亡者を追うには不向きなその風も徐々に凪いできているのだ。そして、最悪なことに飛空部を支援するかん家の剣楯華けんじゅんかがいない。それでも最高権力者である皇帝は、飛空部を出すと譲らない。防御に優れた高い城壁から鬼風きふうの支援なく滑空機で飛びたてと命じているのだ。まさに自殺行為であった。
「だから、よい、と言っている」
 緋逸は静かに応じた。
 皇宮に常備する滑空機の数は八。
 操者である武官八人はすでに武装を終えているものの、一人として三角形の機体――滑空機を担いでいる者はいない。
「なにが起こるか、見てからでよいと」
 言って、緋逸は目顔で命じた。
 皇帝と大将軍のやりとりは、丹緋の耳には入らなくなっていた。
 かわって過去からの声が聞こえてくる。
 実父と継母、それに異母妹達の声だった。

『気味が悪い』
『化け物』
『怪しい女』
『出ていけッ』

 罵られ、さんざん言葉で痛めつけられて、最後には人扱いされなくなった。
 身の内に沈む、怪しい風の力のせいで。
 秘密は誰にも相談できない。
 秘密を引き摺って生きていかねばならない。
 なぜなら、しゃべってしまえば、待っているのは身の破滅。
 人にあらずと忌み嫌われるくらいなら、寂しいと泣く心の一部をはぎとって、孤独の殻に閉じこもったほうがいい。
(そう思っていたけれど)
 緋逸を助けたい。
 この力のせいで嫌われたとしても。
 窮地に立たされている緋逸を救いたかった。
(お役に立てないのならば、なんのための力だというの?)
 なんのためにこの力を生まれもったというのか? 力に意味がなくてもいい。誰かのためになるのなら、生まれもった理由がわからないままでもかまわない。勇気を振りしぼって、丹緋は深く息を吸う。自分のもてる力を最大限に引きだしたいから。
 今、使わなければ後悔する。緋逸も言っていた――愛されなかったからといって卑屈にならず後悔しないように生きている、と。
 なにも語らない丹緋にうんざりすることなく、緋逸は言葉で励ましてくれたのだ。
(受けたご恩に報いるためにも。力のせいで後宮から追い出されることになったとしても)
 気息を整え、集中するために丹緋は目をつぶる。
(二度と緋逸様に逢えなくなったとしても)
 本望だ!
 強く決意した丹緋の眼裏に、ほのかに輝くものが見えてくる。
 銀色の光は糸の如く細く、眼裏の闇の奥へと続いている。
 どこかで触れたことのある銀の光――そう感じた刹那。
「丹緋、人の子よ。おそれることはない」
 男の声がした。
 その声は耳に届いたのではない。突然、頭の中に響いたのだ。
 頭の中で血に絡められ呼吸するたびに体内で大きく反響する。
 かつて耳にしたときには、ひどくぶっきらぼうだった声音。今はひどく優しく……
「人に忌み嫌われたのなら、私がお前の居場所をつくろう。そのときには、私がお前を迎えにいく。お前は独りではない。だから丹緋、懼れることはなにもない」
 慈愛に満ちた、穏やかな声だった。
 包まれるような温もりが胸奥にじんじん伝わってきて、泣きそうになる。
 閉じている丹緋の目蓋が震える。
 けれど、涙をこぼしている間も時間は進む。
 時は待ってくれない。
 泣いてもなにもかわらない。
 かわる――かえるために。
 泣いている暇はない!
「天延は十二神将が護る大地。今は辰の刻午前8時過ぎ
 十二神将の一、しん神将が支配し守護する時刻。かの神将の名は、孟非卿もうひけい
 この名を知る者に、必ず神将は味方する」
 銀の光が丹緋を包む。
 神将の名を心に刻む。
「さあ呼べ、神将の名を。さすれば道は拓かれる!」
 いっさいの迷いを打ち払う男の声音につられて丹緋は叫んでいた。
「辰神将・孟非卿、どうか」
 普段しゃべらない丹緋の声はこれだけで嗄れてしまう。
「お願いです、わたしに力を貸してくださいっ」
 喉がつぶれるのを覚悟した。
 丹緋は目蓋を上げながら、力を受け取るようにして両のてのひらを前方へと差し延べる。
 空へと投げられた眼差しの先に捉えたのは、獣頭人身――大きな槍を片手に頑丈そうな長靴ちょうかを履き、立派な鎧を纏っているが、頭の部分だけが人ではない。
 頭の形は見たこともない――あれは龍、か。
 異形の姿、けれど丹緋は怖くなかった。どころか護られている気がした。
 神将は澄み渡る空を背景にどっしりと構えていた。
 神々しく力漲るその姿が、丹緋を安堵させる。
 丹緋はもう一度、深呼吸した。
 抜けるような青空。
 人の想いと願いを見透かしている、そんなふうに大空は透きとおっていて。
 対峙すれば自分という存在が浮き彫りになる。

 人は誰もが等しく、天と地の狭間では独りなのだ――。

 新しい風を感じる。
 ゆらゆらと、前髪が揺れはじめた。
 丹緋の足許あしもとから、開いた掌から、ふわりと風が湧きあがる。
(すべての力を、ここで出しきってしまうくらいの)
 今までの、感情を制御した風ではだめだ。武装した武官を運ぶ、それほどに威力のある風でなければ。
 煙のごとく白くたなびいて渦巻く小さな旋風は身体からだを包み、徐々に広がって。
 解放した力が風の流れをつくりだした。
 風は東西南北の四方向に分かれ、大街道と大陸行路を沿うように吹きはじめる。
「おおおっ」
 声をあげたのは武喬を含む武官達。
 飛空部は剣楯華が使役する鬼風のもたらす風を知っている。異能力に慣れている。ゆえに、その威力と遜色ない怪異を目の当たりにしても恐れはしない。むしろ歓喜に沸いた。
「これで飛べます、私は出られますッ」
 次々に滑空機を担いだ精鋭の武官が叫ぶ。竹と籐を組んでつくられた機体は成人男子の体重よりも軽いのだ。
 これにこたえたのは、武喬。
「いや、だが……風の力が足りない。ひとつの方向に一機しか飛ばせないだろう。
 どうしますか?」
 武喬は、未だ動かない緋逸を案じたのだった。風を操る丹緋を後ろから凝視したまま、緋逸はなにも言葉を発しない。娘の中に剣楯華と同じ異能をみて、現象に恐怖し、本能的に「斬れ」と命じられる可能性もある。それで武喬は「どうしますか」と問うたのだ。
 蒼呉そうごを捕縛しなければならない、このとき。
 信じられない光景ではあるが。采女さいじょは怪しくとも、与えられた力は必要であった。
 それでも。
 人は誰でも道を誤るときがある。割り切れないときがあるのだ。
 たとえ、どれほど愛していたとしても。
「陛下ッ」
 呼びかけたのは、飛空部の一人。
「早くお命じください。このままでは蒼呉を取り逃がしますッ」
「我らは酔狂で飛空部に籍をおいてきたのではありません。個人で努力を重ね、飛行する技術を磨いてまいりました。少々風が異なるからといって怯みはしません。
 どうか、陛下。新たな風に乗る機会を我らにッ」
 新たな風――武官の一人が叫んだ言葉に、緋逸ははじかれたように我に返った。
 緋逸は現実主義だった。緋逸達に、龍頭人身の神将の姿は見えていない。少女を包む銀の光も。見えているのは風を生みだす丹緋の姿だけ。真実は、目の前にあるもの。見たものを疑うことはしないし、ついでに肝が据わっている。
 たぎるのは、冷静。
 一度目をまたたき、緋逸は飛空部に向きなおった。
「東西の行路と南北の大街道を押さえられればいい。八機中、四機でかまわない。
 行けッ!」
 皇帝の命が下った。
 受けて、大きく頷いた飛空部の精鋭達が出陣していく。
 滑空機を担いだ武官が開けた城壁の上を走りだす。三角の布を張った翼は気流に乗り、城壁から飛びたつ機体を中空へと浮き上がらせた。操者はすぐさま機体の重心付近から吊るされた特殊な紐で身体を固定し、足を後方の枠にひっかけて、翼と身体を平行に保つ。
 操者が体重移動することで旋回などを自由に行うのだ。
 はじめての風にここまで身を任せられるとは。足がすくむほどの高所から大型の凧を担いで飛び降りるようなもの。鍛えられた神策軍しんさくぐんの選り抜きといえども、死と隣り合わせの危険をかえりみない度胸と精神力はずば抜けていた。
 風向きと風力、ともに安定しない中、勇敢な操者達はたくみに機体を操って四方へと滑空していく。




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