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5.美貌のΩ山下
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不承不承ながら山下の誘導に従い非常階段の扉を出たが、怜は早く仕事に戻りたくて仕方なかった。
仕事をしに会社に来ているのに、こんなことに付きあっていられない。
ただでさえ時短者は時間内に効率よく仕事をしないといけないのだ。
それにしても山下は美人であった。
漆黒の髪に長い睫毛とその下のつぶらでいつも潤んだような瞳、卵型のちいさな顔。赤くすこしぽってりした唇は、思わずキスしたくなるような唇だ。
男は範疇外の怜がそう思うくらいだから、大抵のαはたまらないだろう。
それにいつもオシャレで、今、会社はクールビズでスーツ禁であるが、高そうなスリムパンツに、人気のあるブランドのシャツをさりげなく着ていた。きちっと糊がきいているのを見ると、クリーニング屋に出しているのだろう。
夜中にへろへろになりながらアイロンと悪戦苦闘しているのにも関わらず皺の残っている怜のシャツとはそこからして違う。
「あのさ、田中さん。社内で色目使うのやめてくれない?あんた来宮と結婚してるだろ?」
「先程の話を聞いてたなら、僕は…」
「そうやってαの気を引いてまわってるのはわかってるんだよ」
気をひくもなにも僕はそもそもαがわかりません…と思いながら、怜はこのヤンキーの焼入れみたいな会話の不毛さに嘆息しそうになる。
早く仕事に戻って早く終わらせてさっさと帰りたい。早くこの場を離れたくてそわそわするが、山下は総務で、しかも顔が広い。
まさかやらないと思いたいが、手続きを滞らせられたり、微妙な嫌がらせをされても困る。とりあえずちゃんと聞いているふりして対応しておいた方がよいだろう。
怜は元々そんなにモテるほうでなかったのだが、結婚して恋愛という舞台から降りたはずなのに、何故急に恋愛沙汰に巻き込まれるのか頭を抱えたい気分だった。
山下のネチネチした要点を得ない話を聞きながら、これがΩになったことがやはりきっかけだとしたら、若い頃からΩって大変そうだなあ、などとぼんやり考えていた。
「大体、番になってないとか何なの?来宮だけじゃ明き足らず、色んなαを漁りたいとか?」
チクリ、と急に胸が痛くなる。
なんとなく清人と怜の間であの時のことはなんとなく触れてはいけないような感じになっている。
よっていつ番になるとかそういう話は清人と怜の間で出たことがない。
怜はそのうち番になるのだろうとなんとなく思っていたが、出産が終わってしばらくしても清人が切り出さないし、性的に触れ合うこともご無沙汰だったため、実は清人は番になるのが嫌なのかもしれないという可能性に思い至ってしまうと余計言い出せなかった。
「…別に、そういうことは夫夫で決めることだから。山下さんに何か関係ある?」
「はあ?」
黙ってようと思っていたのに、自分でもひっかかっていたことなのでつい言い返してしまった。
山下は目を丸くして怜を見た。
窮鼠猫を噛むだが、この猫は噛まれることは想定外だったのだろう。
美しい顔に浮かぶ表情がキツくなった。
「大体さ、来宮もフェロモンで誘惑してはめたんだろ!来宮は体調崩して会社に来れないんだろ?あんたのせいで駄目になったんじゃないの」
グサッグサッと言葉の刃が突き刺さる。山下はなかなか急所を見つけ、えぐる天才であった。
「元々来宮はあんたなんかには相応しくないんだよ。あいつは選ばれたすごいαで、仕事もできて、出世も約束されていたのに、あんたなんかといるから」
言い返すと倍になって返ってくるので黙ることにしたが、それはそれで山下を苛つかせたようだった。
しかし、なんだかひっかかった。
(なんだろ…)
「おい、聞いてるのかよ、しょぼいΩのくせに」
「…だから山下なら相応しかったってこと?」
山下のヒステリックな声に静かだが厳しい声が割って入った。
牧野であった。
「牧野課長」
「山下、田中も就業時間中だろう。席を長く外していないで戻りなさい」
鋭い眼光で注意されさすがに怯んだのか、山下は一瞬怯えたような顔をしたが、すぐに表情を戻すと憎々しげに怜を睨んだ。
「お前さえいなければ」
(そうなのかもしれない。清人のストレスの原因は僕のせいなのかもしれない…。ストレッサーが近いから立ち直れないのかもしれない…)
八つ当たりとわかっていたが、そんな気もちは心のどこかにあったので、山下の捨て台詞は痛かった。
「田中のせいじゃない。気にするな」
「はい」
「早く戻って。…っと」
非常階段の入り口に寄りかかっていた牧野は、怜が近づくとバッと距離をとった。
「来宮のマーキングすごいな。ごめん、僕もしばらくちかづけなそう」
「それって、そういうもんなんですか?僕匂いがわからなくて」
「…昨日、田中から滝川の匂いがしたけど、α同士だと対抗心あるから何か呼び水になればと思って黙ってたけど、なんか効きすぎたかな?」
「…課長、セクハラじゃないですか」
昨日のあれは滝川のせいだが、責任の一端はどうやら課長にもあるらしい。
結果として、なにがしの動きがあったことは喜ぶべきなのかそうでないなのはわからないが。
それにしても…と、怜は密かに赤面した。
しかし、この匂いというやつで色々なことがαやΩ同士には筒抜けになってしまうものらしい。
昨日したこともバレバレなのだろうか。
だとするとかなり恥ずかしいと思いながら、怜は自分のデスクに戻った。
パソコンの画面は立夏の写真にしてある。
(あー、早く立夏にあいたいな~。ほっぺプニプニしてチュッチュしたい)
キャッキャいう声を思い出しながら、それを眺めてメールソフトを立ち上げる。
不愉快な山下のことは忘れるようにして、怜は心を夕方の楽しみに飛ばした。
仕事をしに会社に来ているのに、こんなことに付きあっていられない。
ただでさえ時短者は時間内に効率よく仕事をしないといけないのだ。
それにしても山下は美人であった。
漆黒の髪に長い睫毛とその下のつぶらでいつも潤んだような瞳、卵型のちいさな顔。赤くすこしぽってりした唇は、思わずキスしたくなるような唇だ。
男は範疇外の怜がそう思うくらいだから、大抵のαはたまらないだろう。
それにいつもオシャレで、今、会社はクールビズでスーツ禁であるが、高そうなスリムパンツに、人気のあるブランドのシャツをさりげなく着ていた。きちっと糊がきいているのを見ると、クリーニング屋に出しているのだろう。
夜中にへろへろになりながらアイロンと悪戦苦闘しているのにも関わらず皺の残っている怜のシャツとはそこからして違う。
「あのさ、田中さん。社内で色目使うのやめてくれない?あんた来宮と結婚してるだろ?」
「先程の話を聞いてたなら、僕は…」
「そうやってαの気を引いてまわってるのはわかってるんだよ」
気をひくもなにも僕はそもそもαがわかりません…と思いながら、怜はこのヤンキーの焼入れみたいな会話の不毛さに嘆息しそうになる。
早く仕事に戻って早く終わらせてさっさと帰りたい。早くこの場を離れたくてそわそわするが、山下は総務で、しかも顔が広い。
まさかやらないと思いたいが、手続きを滞らせられたり、微妙な嫌がらせをされても困る。とりあえずちゃんと聞いているふりして対応しておいた方がよいだろう。
怜は元々そんなにモテるほうでなかったのだが、結婚して恋愛という舞台から降りたはずなのに、何故急に恋愛沙汰に巻き込まれるのか頭を抱えたい気分だった。
山下のネチネチした要点を得ない話を聞きながら、これがΩになったことがやはりきっかけだとしたら、若い頃からΩって大変そうだなあ、などとぼんやり考えていた。
「大体、番になってないとか何なの?来宮だけじゃ明き足らず、色んなαを漁りたいとか?」
チクリ、と急に胸が痛くなる。
なんとなく清人と怜の間であの時のことはなんとなく触れてはいけないような感じになっている。
よっていつ番になるとかそういう話は清人と怜の間で出たことがない。
怜はそのうち番になるのだろうとなんとなく思っていたが、出産が終わってしばらくしても清人が切り出さないし、性的に触れ合うこともご無沙汰だったため、実は清人は番になるのが嫌なのかもしれないという可能性に思い至ってしまうと余計言い出せなかった。
「…別に、そういうことは夫夫で決めることだから。山下さんに何か関係ある?」
「はあ?」
黙ってようと思っていたのに、自分でもひっかかっていたことなのでつい言い返してしまった。
山下は目を丸くして怜を見た。
窮鼠猫を噛むだが、この猫は噛まれることは想定外だったのだろう。
美しい顔に浮かぶ表情がキツくなった。
「大体さ、来宮もフェロモンで誘惑してはめたんだろ!来宮は体調崩して会社に来れないんだろ?あんたのせいで駄目になったんじゃないの」
グサッグサッと言葉の刃が突き刺さる。山下はなかなか急所を見つけ、えぐる天才であった。
「元々来宮はあんたなんかには相応しくないんだよ。あいつは選ばれたすごいαで、仕事もできて、出世も約束されていたのに、あんたなんかといるから」
言い返すと倍になって返ってくるので黙ることにしたが、それはそれで山下を苛つかせたようだった。
しかし、なんだかひっかかった。
(なんだろ…)
「おい、聞いてるのかよ、しょぼいΩのくせに」
「…だから山下なら相応しかったってこと?」
山下のヒステリックな声に静かだが厳しい声が割って入った。
牧野であった。
「牧野課長」
「山下、田中も就業時間中だろう。席を長く外していないで戻りなさい」
鋭い眼光で注意されさすがに怯んだのか、山下は一瞬怯えたような顔をしたが、すぐに表情を戻すと憎々しげに怜を睨んだ。
「お前さえいなければ」
(そうなのかもしれない。清人のストレスの原因は僕のせいなのかもしれない…。ストレッサーが近いから立ち直れないのかもしれない…)
八つ当たりとわかっていたが、そんな気もちは心のどこかにあったので、山下の捨て台詞は痛かった。
「田中のせいじゃない。気にするな」
「はい」
「早く戻って。…っと」
非常階段の入り口に寄りかかっていた牧野は、怜が近づくとバッと距離をとった。
「来宮のマーキングすごいな。ごめん、僕もしばらくちかづけなそう」
「それって、そういうもんなんですか?僕匂いがわからなくて」
「…昨日、田中から滝川の匂いがしたけど、α同士だと対抗心あるから何か呼び水になればと思って黙ってたけど、なんか効きすぎたかな?」
「…課長、セクハラじゃないですか」
昨日のあれは滝川のせいだが、責任の一端はどうやら課長にもあるらしい。
結果として、なにがしの動きがあったことは喜ぶべきなのかそうでないなのはわからないが。
それにしても…と、怜は密かに赤面した。
しかし、この匂いというやつで色々なことがαやΩ同士には筒抜けになってしまうものらしい。
昨日したこともバレバレなのだろうか。
だとするとかなり恥ずかしいと思いながら、怜は自分のデスクに戻った。
パソコンの画面は立夏の写真にしてある。
(あー、早く立夏にあいたいな~。ほっぺプニプニしてチュッチュしたい)
キャッキャいう声を思い出しながら、それを眺めてメールソフトを立ち上げる。
不愉快な山下のことは忘れるようにして、怜は心を夕方の楽しみに飛ばした。
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