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笑わぬ虎は、青瞳を愛する。
episódio.27 懦夫①
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キドンの日常の戻った王妃亡き城内は、殺風景だった。
今日も今日とて猛暑である。
されども、流布されたキドンの呈する規律で、忠節国士隊の千余名が寒気立つ口渇を我慢してまで日課の真剣演習にいそしんでいた。
本日、曙光を待たずして起床したキドンは、卓上に山積する各班書簡の検閲整理に午前中をついやすつもりでいたのだが、そもそも意欲が散漫であったのでいらだたしく感じつつ、気分転換がてら練兵風景をうかがいにベイリーへ赴く。
さもあらば具足を着用すべきところを、あいかわらず発汗して茹だるのがイヤで、裁付袴に小袖の直垂のみという薄着装備で入場した。
そして、ベイリーに一歩を踏み入れた将帥の姿を打見するなり各自干戈をおさめてきぜわしく長揖を捧げる健気な隊員たちには一瞥もくれず、己は拱廊の日陰に隠れて墓石のように黙々と直立するのだった。
そのうち、ぼちぼちと稽古に戻っていっそう奮励する面々の一挙一動を、このごろの兵卒はいつぞやに比べて多少ほど上達したようだ云々と思いながら、青筋の立つ腕を組んでしばらく傍観する。
さるにしても、へしぐちの鬼相ににらまれる程度で手元をすべらせる新米どもの打たれ弱き気質にはさほど変わり映えはしない。
キドンのこめかみから、ひとしずくの脂汗がしたたる。
途中一瞬、紫外線の熱気に少々めまいを覚えてよほど背後の白壁にしなだれたい衝動に駆られるも、今に血反吐を吐きかける諸君の前で随一のもののふがあごを出して弱っていてはとんだお笑いぐさだと思い直し、流汗もぬぐわず気丈を保った。
やがて、日時計が正午を回る一刻前となった。都心のカンパニーレから鐘声が響き聞こえれば、念願の昼飯休憩である。
定刻を心待ちにしつつ、ベイリーでの喧騒は空腹に耐えてなおも続行されていた。
そこへおり悪く、石積みの中門から見慣れた三人組の憲兵がひょっこりと顔をのぞかせたのである。
この三人組は以前、キドンに高圧的態度で絡んだ結果、将帥の力技一本でねじ伏せられ自爆した、城下町公認の治安組織に所属するうすら馬鹿な三銃士である。
当日も、猩々緋のごとき赭面での御登場を見るに、例によって懲りず勤務中に所管を放棄して、朝間から繁華街の酒場に入り浸り、女ともども遊び歩いていたに違いない。
目前の練兵風景を一目する三人は、いかにもひょうきんだと言わんばかりに互い顔を合わせて止まらぬせせら笑いにのどをふるわせていた。
「見ろよ、またやってるぜ。クソ暑い中で、ご苦労さんよぉ」
「ほんと。そのうちのぼせて倒れちまうよ」
「おっと、ありゃあ……」
ほどなくしてふと、ひときわ肥大漢な一人が拱廊の片隅に立つキドンの存在に気づく。
「……将帥さまじゃねぇか、奇遇だぜ。ほいな、ちょいとあいさつしに行きますかと」
切り込み隊長らしきこの殿方は、聞こえよがしに将軍に脱帽する宣言を吐いて、後続の二人に小手まねきをしながらためらいなく歩調を進めた。
うすら馬鹿な三銃士が、差し出がましく中門をくぐり、ヘドロのウエスタンブーツでベイリーの芝生を踏みにじっていく。その厚顔といえば、好天におあつらえ向きな活き餌を嗅ぎ当てたハイエナさながら、おのおの生唾混じりに下唇をしゃぶること世にもはしたない。
三人組は、五指の関節を鳴らしつつ拱廊へ接近すると、微動だにせぬキドンを袋小路をかたどってにじり寄りながら取り囲んだ。左右を二人にふさがれたキドン、背面は城郭ゆえに後退の余地なし、眼前に阻み立った鼻息の荒い猛牛には肩越しの白壁に片手をもたれられてせせこましい重圧をこうむる。
ずんぐりとした見上げるような背丈の三人であるので、キドンの矮躯はたちまちに暗影の餌食となった。
「ごきげんよう。ちゃんばら日和、精が出ますなぁ。はははっ!」
高飛車なメリケンヅラが、露骨に口元をゆるませて吹き出す。
さこそ言へ、恒例の光景ゆえに、キドンがいつものごとく馬鹿三銃士に拳骨を連発すれば画一平板なたわいない余興として、この不行跡は終幕したことであろう。
ところが、こんにちのキドンは様子が違った。
メリケンヅラの翠眼を見上げるに、キドンの背筋にはおびえるまでに悪寒が走ったのである。
なぜならば、こやつの瞳には、声の出ない上に上背の小さくて愛らしいいたいけ性を感じられるキドンを、私物化しようという魂胆が完全に透けていたからだ。アルコのまなざしにはにおわなかった、卑猥な下心である。
これまでさような好色な目つきで狙われていたと思うと、たとえエイプリルフールでもおぞましい。
したたる脂汗が冷え、あわく鳥肌が立つあまりに、キドンはあたかもヘビににらまれたカエルのように手足のすくむままに骨身が硬直する。
キドンの反撃なきたることしばし続いたので、いつもの威勢はどこへやらと、三銃士もさぞや不思議に思っただろう。
ただ、みだりがましく口角をゆるませる肥大漢は、キドンがようやく屈したのかと錯覚して、その片頬を人差し指で軽くつついた。
されば、キドンはいよいよ胸襟の懦夫がはじけて、肥大漢の猥褻な手先をはらいのける。
そうして、三銃士の包囲をくぐり抜けて、小走りで当場をあとにしつつ、ベイリーからすみやかに逃げていくのだった。
「やれやれ、やっと友達になれそうだったのになぁ……」
キドンの走り去る背姿を見送りながら、肥大漢はみずからのジョークに腹をかかえて笑いながらも、いささか困惑したようにうなじを掻くのであった。
今日も今日とて猛暑である。
されども、流布されたキドンの呈する規律で、忠節国士隊の千余名が寒気立つ口渇を我慢してまで日課の真剣演習にいそしんでいた。
本日、曙光を待たずして起床したキドンは、卓上に山積する各班書簡の検閲整理に午前中をついやすつもりでいたのだが、そもそも意欲が散漫であったのでいらだたしく感じつつ、気分転換がてら練兵風景をうかがいにベイリーへ赴く。
さもあらば具足を着用すべきところを、あいかわらず発汗して茹だるのがイヤで、裁付袴に小袖の直垂のみという薄着装備で入場した。
そして、ベイリーに一歩を踏み入れた将帥の姿を打見するなり各自干戈をおさめてきぜわしく長揖を捧げる健気な隊員たちには一瞥もくれず、己は拱廊の日陰に隠れて墓石のように黙々と直立するのだった。
そのうち、ぼちぼちと稽古に戻っていっそう奮励する面々の一挙一動を、このごろの兵卒はいつぞやに比べて多少ほど上達したようだ云々と思いながら、青筋の立つ腕を組んでしばらく傍観する。
さるにしても、へしぐちの鬼相ににらまれる程度で手元をすべらせる新米どもの打たれ弱き気質にはさほど変わり映えはしない。
キドンのこめかみから、ひとしずくの脂汗がしたたる。
途中一瞬、紫外線の熱気に少々めまいを覚えてよほど背後の白壁にしなだれたい衝動に駆られるも、今に血反吐を吐きかける諸君の前で随一のもののふがあごを出して弱っていてはとんだお笑いぐさだと思い直し、流汗もぬぐわず気丈を保った。
やがて、日時計が正午を回る一刻前となった。都心のカンパニーレから鐘声が響き聞こえれば、念願の昼飯休憩である。
定刻を心待ちにしつつ、ベイリーでの喧騒は空腹に耐えてなおも続行されていた。
そこへおり悪く、石積みの中門から見慣れた三人組の憲兵がひょっこりと顔をのぞかせたのである。
この三人組は以前、キドンに高圧的態度で絡んだ結果、将帥の力技一本でねじ伏せられ自爆した、城下町公認の治安組織に所属するうすら馬鹿な三銃士である。
当日も、猩々緋のごとき赭面での御登場を見るに、例によって懲りず勤務中に所管を放棄して、朝間から繁華街の酒場に入り浸り、女ともども遊び歩いていたに違いない。
目前の練兵風景を一目する三人は、いかにもひょうきんだと言わんばかりに互い顔を合わせて止まらぬせせら笑いにのどをふるわせていた。
「見ろよ、またやってるぜ。クソ暑い中で、ご苦労さんよぉ」
「ほんと。そのうちのぼせて倒れちまうよ」
「おっと、ありゃあ……」
ほどなくしてふと、ひときわ肥大漢な一人が拱廊の片隅に立つキドンの存在に気づく。
「……将帥さまじゃねぇか、奇遇だぜ。ほいな、ちょいとあいさつしに行きますかと」
切り込み隊長らしきこの殿方は、聞こえよがしに将軍に脱帽する宣言を吐いて、後続の二人に小手まねきをしながらためらいなく歩調を進めた。
うすら馬鹿な三銃士が、差し出がましく中門をくぐり、ヘドロのウエスタンブーツでベイリーの芝生を踏みにじっていく。その厚顔といえば、好天におあつらえ向きな活き餌を嗅ぎ当てたハイエナさながら、おのおの生唾混じりに下唇をしゃぶること世にもはしたない。
三人組は、五指の関節を鳴らしつつ拱廊へ接近すると、微動だにせぬキドンを袋小路をかたどってにじり寄りながら取り囲んだ。左右を二人にふさがれたキドン、背面は城郭ゆえに後退の余地なし、眼前に阻み立った鼻息の荒い猛牛には肩越しの白壁に片手をもたれられてせせこましい重圧をこうむる。
ずんぐりとした見上げるような背丈の三人であるので、キドンの矮躯はたちまちに暗影の餌食となった。
「ごきげんよう。ちゃんばら日和、精が出ますなぁ。はははっ!」
高飛車なメリケンヅラが、露骨に口元をゆるませて吹き出す。
さこそ言へ、恒例の光景ゆえに、キドンがいつものごとく馬鹿三銃士に拳骨を連発すれば画一平板なたわいない余興として、この不行跡は終幕したことであろう。
ところが、こんにちのキドンは様子が違った。
メリケンヅラの翠眼を見上げるに、キドンの背筋にはおびえるまでに悪寒が走ったのである。
なぜならば、こやつの瞳には、声の出ない上に上背の小さくて愛らしいいたいけ性を感じられるキドンを、私物化しようという魂胆が完全に透けていたからだ。アルコのまなざしにはにおわなかった、卑猥な下心である。
これまでさような好色な目つきで狙われていたと思うと、たとえエイプリルフールでもおぞましい。
したたる脂汗が冷え、あわく鳥肌が立つあまりに、キドンはあたかもヘビににらまれたカエルのように手足のすくむままに骨身が硬直する。
キドンの反撃なきたることしばし続いたので、いつもの威勢はどこへやらと、三銃士もさぞや不思議に思っただろう。
ただ、みだりがましく口角をゆるませる肥大漢は、キドンがようやく屈したのかと錯覚して、その片頬を人差し指で軽くつついた。
されば、キドンはいよいよ胸襟の懦夫がはじけて、肥大漢の猥褻な手先をはらいのける。
そうして、三銃士の包囲をくぐり抜けて、小走りで当場をあとにしつつ、ベイリーからすみやかに逃げていくのだった。
「やれやれ、やっと友達になれそうだったのになぁ……」
キドンの走り去る背姿を見送りながら、肥大漢はみずからのジョークに腹をかかえて笑いながらも、いささか困惑したようにうなじを掻くのであった。
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