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二章 新しい自分
7-2 歪み
しおりを挟む契約を交わした俺たちは、再び廊下を歩いていく。
客室の横を通るので、話す声は二人とも抑えめにしている。
「どう? お仕事はもう慣れた?」
「そうですね……サポートしてもらいながらですけど、大抵のことは出来るようになったと思います」
「さすが早いね」
蜜希さんが目を伏せながら言う。
脳裏を『アルファだから』という言葉が過ったが、以前よりは不快にならなかった。
言った相手が蜜希さんだからだろうか。
「母さんも『有能なバイトが入って来た!』って毎日大喜びだよ」
「そう言ってくれると嬉しいですね」
「わあ。慣れている人の反応だなぁ」
「そんなことないですよ」
咄嗟に謙遜したが、蜜希さんのいうことはあながち間違っていない。
(アルファで生きてたら、絶対に言われる言葉だろうし)
むしろ言われたことのないアルファなんているのだろうか。そっちの方が難しい気がする。
「仕事を覚えるのが早くて助かるって、佐藤さんも言ってたよ」
「あの人が褒めるなんて、よっぽどなんだろうね」と蜜希さんが笑う。
(そうなのか)
俺は少しだけ嬉しくなった。
役に立てている。それを第三者から聞くことの、なんと喜ばしいことか。
(よかった。ちゃんと恩返しは出来てるみたいだ)
ふと、正面からお客様が歩いて来る。
浴衣を着た、十代くらいの女性だ。
俺たちは端に寄り、頭を下げた。
お辞儀を返され、前を通って行く。同時に、ふわりと鼻孔を擽る――独特な匂い。
(! これは)
オメガの、フェロモンだ。
俺はぐっと眉間に力を込める。
噛み締めた歯が、ぎりっと音を立てた。
(オメガが、いたのか)
いつの間に。
いつだ? いつ入って来た?
(俺が対応していない時間に来たのは――――)
「暁月くん。顔」
「! す、すみません」
俺は自分の口元を抑える。
蜜希さんは「いーよ。もう行っちゃったし」と女性の去った方を見ていた。
俺は張りつめた緊張を静かに解いた。
「もしかして、さっきの人、オメガだった?」
「えっ」
「そんな感じの反応だったから」
そんな感じって、どんな感じだ。
俺は首を流れる冷や汗を感じながら、頷く。
拳を握りしめる。
腹の奥からなにかを強引に引き出されているような感じだった。
「そっか」と言った蜜希さんは、再び歩き出す。
その背中に、俺は「えっ」と声を漏らした。
「なあに?」
「あ、いえ……」
「聞かないのかって?」
俺は一瞬動きを止め、ぎこちなく頷いた。
蜜希さんは息を吐くと、「聞いてもいいの?」と聞き返してくる。
俺は押し黙った。
……正直、聞いては欲しくない。
でも、胸を燻るこの気持ちの悪さを誰かに吐き出したい気持ちもあった。
(たかがオメガの人とすれ違っただけで、情けない)
俺は舌を打ちそうになる。
ぬるま湯に浸かり過ぎた結果、ちょっとの引き金も許せなくなっている自分がガキみたいで嫌になる。
俯き、苛立ちに拳を強く握る。
爪が手のひらに食い込む。痛みが走る。
「……行こうか」
「っ、蜜希さんっ」
「大丈夫。ちゃんと話、聞いてあげるから」
蜜希さんの手が、俺の硬く握られた手を取る。
「あーあ。皮剥けちゃってるじゃん」と痛そうな顔をしながら言う。
蜜希さんはさりげなく手を引っ張ると、もう一度「行こう」と声をかけた。
俺は小さく頷き、蜜希さんの手を握り返した。
手のひらから伝わる温かい体温に、身体が僅かに軽くなった気がした。
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