午前十時を過ぎたなら ―義父との秘密が始まる―

山田さとし

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第一部 恵の選択

第一章 二世帯住宅(挿絵付) 

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第一章 二世帯住宅 
【啓介と同居 二ヶ月目】 
【20●1年2月15日 AM9:30】

新居の庭で。

※※※※※※※※※※※※※※※

青空に洗濯物がひるがえっている。

大きな白いシーツ、
色とりどりのシャツやハンカチ、タオル。

恵(めぐみ)はそれらを一つ一つ、丁寧に皺を伸ばしては整然と干していく。
まるで競技場にハタメク国旗の如く、彼女の目に爽やかに映るのであった。

恵は小さな幸せを噛み締めている。
結婚して四年。

まだ子供はいないのだが、夫は優しく自分を愛してくれていた。
さすがに新婚当時程の情熱は感じられなかったが。

しかし、元々その手の事には余り興味が無くベタベタした事が嫌いな性格だったので、今の平和な夫婦関係に別段不満は無かった。

むしろ一つの目標に力を合わせ、二人で頑張ってきたのである。
それは自分達の家を買う事であった。

結婚してからもパートをしたりして、家計を徹底的に切り詰めてきた。
買いたい物も買わずにひたすら貯金して、何とか頭金だけでもと節約に努めていたのだ。

ただ、その代償として恵から独身当時には持っていた女としての潤いを奪ってはいたが。
化粧も余りせず服も新しいのは殆ど買った事が無い。

それでも幼い頃から団地住まいが長かった恵には、新築の一戸建に住む事は何よりも優先されるべきものであったのだ。
広い庭を通った玄関からリビング、2階に自分の部屋があるというシナリオをずっと夢に描いていた。

しかし、ようやく地価も下がり念願のマイホームを物色しようと考えていた矢先に、夫である武(たけし)の会社では不況によるリストラで急激に年収が減っていた。

これからも暫らく狭いアパート暮らしが続くのかと、苛立つ恵であったのだが。

深呼吸をして廻りを見渡すと白い歯をこぼした。
緑の芝生が春の日差しを受け眩しく色づいている。
所々に植えられた草花の鮮やかな色が、目に心地良い刺激を与えてくれる。

家屋は2階建で二つの世帯に分れていた。
一方は恵達が住んでいて4LDKの間取になっている。
まだ新築特有の木の良い香りがして、胸をときめかすのであった。

恵はもう一方の屋根の下に見える2階の窓に視線を移すと、ため息をついた。

そしてリビングに戻るため縁側に足をかけようとした時、芝生にタバコの吸殻を見つけると眉をひそめ、それをエプロンのポケットに入れた。
再びさっきの窓の方に苛立つ視線を投げると、大きな音を立てて部屋に入っていった。

エプロンを取り、軽く顔を整えようと洗面所の鏡に向かった。
鏡に写る自分の顔は恵に再びため息と、半ば癖になっているかもしれない眉をひそめる表情を作らせた。

恵は今、29歳・・・年末には30歳になる。

化粧も殆どせず一旦、女としての欲望から遠ざかってしまった恵には余り見たくは無い顔であった。

それでも最近ショートカットにしたせいか、幼い顔立ちと相まって年齢よりも若く見えて、濃い眉やスッキリと通った鼻筋、形の良い唇等を映していた。
身長は低い方でバストは大きくはないが形が良く、ウエストも細い均整の取れたプロポーションである。

本人が思っている以上に美しく可憐に見える。

しかし、恵は自分の身体には昔からひどくコンプレックスを持っていて夫である武の口下手のせいもあるのだが、男から女心をくすぐるような事を言われた事等、殆ど無かった。

恵は女としての人生には、もう余り興味を持っていなかった。
TVや雑誌等に良くある不倫どころか夫との「営み」すら、このところご無沙汰なのである。

何度も言うようではあるが、狭い団地暮らしが長かった恵にとってエッチな雑誌やテレビ等を見る環境では無く、セックスに対して世間が騒ぐ程の興味は持てないのだ。

いや、むしろ嫌いであった。

オナニー・・・自慰行為等した事も無く、夫とのセックスでも正常位が基本であった。

照明も豆電球が主体でそれさえも消すことが多い。
自分の体を見せるのを極力、避けていた。
まして局部を晒して交わる姿なんて論外である。

新婚当時、夫の武が借りてきたAVビデオを無理やり見せられたが大げさなよがり声が白々しく感じられた。

そんなに気持ちのいい筈が無いと思う。

本格的なエクスタシー等感じた事は一度だって無かったからでもあるが何か世間が、いや男達が無理やり作っている幻想のような気がするのである。

興奮した夫からどうしてもと頼まれ、一応経験のつもりで「口」でしてあげたのだが、そのまま放出したものを飲まされて、余りの苦しさに洗面所に駆けこんで吐いた事がトラウマになっている。

その時から、夫も自分もセックスに対しては非常に淡白になった。
下品な冗談すら言わない事が二人の間での暗黙の了解で、恐妻家である夫の恵に対する償いでもあった。
だからと言って夫を愛してはいたし、セックスにしても優しく抱かれている事自体は嫌いではない。

夫は背も高く、甘いマスクの好男子だ。

理系出身という事もあり、お世辞とかおだてる才能は無く、恵も結婚する前からも自分の容姿で夫から誉められた記憶が余り無い。

そんな事は日本の男性一般に言える事で、さして気にはしていないし多少の物足りなさを感じてはいるものの、夫婦愛そのものまでは否定する気は無かった。

しかし、夫の仕事も忙しく帰宅も遅くなりがちで「営み」の回数は確実に減っている。

恵はいつの間にか枯れた神経質な女になっていた。
鏡の中で、いずれ年老いていく自分を想像するのは良い気分がしない。

それでも広いリビングのソファーに座って熱いコーヒーを口に含むと、一度に機嫌が直った。

そんな事は恵にとって小さな事である。
夢にまで見た一戸建を手に入れたのだ。

庭も部屋の大きさも普通の建売住宅等、比べ物にならない程豪華であった。

中の家具までが全て新しい。
ワイドテレビが納まっている、大ぶりの収納に付いているガラス扉越しに時計を見た。
夫と二人で選んだお気に入りの物である。

午前十時を少し過ぎていた。
恵は壁に掛かっているインターホンに目をやった。

カップを持つ恵の頭の中に、今朝の夫との会話が浮かんできた。

※※※※※※※※※※※※※※※

『ねぇ・・・何とかならないの?』

恵は何時もと同じように慌しくネクタイを結ぶ夫の武に、これも日課になっているセリフと例の眉をひそめる表情を向けた。

美しい眼差しが一瞬、崩れる様は何とも言えない不思議な色香を伴っていて嫌いでは無いのだが、こう毎日続けられると、さすがにウンザリしていた。

『解かった、解かった。
又、オヤジの事だろ?
いいじゃないか・・・タバコの一本や二本。

この家はオヤジの金で買ったんだから。
恵も少しは我慢しろよ・・・』

そうなのだ。
これほど広い家を夫の給料で買える訳は無い。

武の父、啓介が全額を現金で払ったのだ。

こう言われると恵には返す言葉も無く、仕方なく別の話題に変えようと無理に笑顔を作るのだが、それを無視して夫は面倒くさそうに言葉を残して出ていった。

『まぁ、その内にオヤジに言ってやるよ。
あと、今夜も接待で遅くなるから夕飯は要らない。
・・・じゃあ、行ってくる』

玄関に取り残された恵の心はひどく寒々と感じた。
恵は自分の身体を抱くように身震いした。

いつからだろうか。
「お出かけのキス」も無く、仕事に出ていくようになったのは。

新婚当時は時を惜しむように恵の唇を味わってくれた夫であるのに。
自分が悪いのであろうか。

いや、どちらのせいとかの問題では無い。
こうして日々が、グラデーションをかけて色褪せていくのであろう。

恵はふと、そう思うのだった。
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