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第一部 恵の選択
第二章 いらだち(挿絵付)
しおりを挟む【啓介と同居 二ヶ月目】
【20●1年2月15日 AM10:00】
リビングで。
※※※※※※※※※※※※※※※
「夫婦って、何だろう・・・?」
カップの中のコーヒーに映る自分の瞳に語りかけるように呟いた。
恵は少しためらっていたが立ち上がると、インターホンの受話器を取った。
暫らく続いた呼出し音が途切れると、しわがれた声が聞こえてきた。
「はい・・・」
義父の啓介であった。
「お茶が入りましたけど、
そちらへお持ちしましょうか?」
感情を押し殺すように言う恵であった。
「あぁ・・・?
まぁ、えぇ・・そっち、行くわ・・・」
相変わらず無愛想な言い方である。
恵はこの関西弁の話し方が嫌いであった。
いや、全てに虫ずが走った。
今年60歳になる義父は年を余り感じさせず、頭も多少白髪が混じっているものの黒々とタップリあって背筋もシャンとしていた。
若い頃から鍛えていたらしく、朝の日課である剣道の素振りでは筋肉質の上半身を晒して汗をかいている。
夫よりも逞しく見える程で、この点でも恵には耐えがたい嫌悪感が沸きあがってくる。
何か自分に向けてわざと見せているようで、一種のセクハラだと思った。
夫の武とは全く別のタイプで、さすがに顔立ちは似て悪くは無いものの、武のように背も高く無くズングリとした体型であった。
始終、汗をかいていて油っぽいイメージがした。
そう、恵の一番嫌いなタイプである。
ガサツで品が無く、デリカシーの欠片も無い。
恵に対しても普段はこうして無愛想であるのに、酔って機嫌が良くなると飲み屋のホステスにでも相手をしているような見え透いたお世辞を言う。
そんな事で嫁の機嫌を取っているつもりなのであろうが、恵にとっては全くの逆効果でしかなかった。
タバコも夫は吸わないのに始終離さず、スパスパと煙を撒き散らしている。
折角の新築の壁紙が雑巾でふくと黄色い染みを作るほどであった。
恵はこの家が汚れる事をひどく嫌った。
結婚してからも、さして贅沢もせず夫の少ない給料でやりくりしてきたのだ。
「思い入れ」が違うのである。
神経質な位、徹底的に掃除をする恵にとって非常に不愉快な事であった。
しかし夫の言う通り、この家は義父が金を出して買ったのだ。
関西のある地方に住んでいた義父は1年前に妻を亡くしていた。
そのせいか一時は老けて見えたのであるが、一周忌が終わってようやく吹っ切れたのか生気を取り戻したようにハツラツとしている。
人一倍身体が丈夫で、事業も多数成功させていてバイタリティーがあった。
だが超がつく程のケチで、結構な財産がありながら何時も安っぽい服を着ている。
子供も武の上に兄が二人いるのだが、決して援助しようとはしなかった。
多少は期待して武と結婚した恵であったが、直ぐに諦めて貯金する事にしたのである。
だが、どういう風のふきまわしか突然、全ての事業をたたみ上京してきたのだ。
他の兄達に断られたのか、三男である武と一緒に住みたいという。
金も全額出すと言って早速、恵達と二世帯住宅を郊外に捜しにいった。
元々、夫の親との同居がイヤであったからその心配の無い三男の武と結婚した恵であったのだが、想像以上に豪華なモデルルームを見るや承諾してしまったのである。
こんな広い家等、中々買えるものではない。
しかも即金でローンも無いのである。
武もどちらかと言うと、兄弟の中では父に一番可愛がられていたので異存は無かった。
それよりも長い間妻に財布を握られていた分、家賃さえも無くなった今となっては、いくら安月給でも遊ぶ金に事欠かなくなった。
あくの強い義父と正反対な武の大人しい性格は案外、うまく噛み合うのかもしれない。
恵も多少の苦労よりも目の前の幸せに飛びついたのである。
同居が始まって一ヶ月は何とか無事に過ぎていった。
だが田舎の典型的な亭主関白である義父と、都会の核家族でどちらかと言うと母が主導権を持つ家庭で育った恵とでは水と油であった。
些細な事が一々、感に触った。
食事中に音を立てて食べ、下品な声で笑う。
始終タバコの煙を撒き散らし、庭には必ず何処かに吸殻が落ちている。
何よりも嫌だったのは、恵が最も嫌いな話題であるイヤらしい話をしょっちゅうするのだ。
恵に解からぬように小声で息子に話しているつもりなのであろうが、モロに聞こえてくる。
『おい武、昨日・・・な。
浅草の風呂屋に行って来てなぁ・・・』
下卑た笑い方なので何の話か直ぐに解かる。
『いやぁ、やっぱ本場のプロはすごいわ。
腰がガックンガックンて・・・』
夫も一緒になって笑っている。
そんな時、恵はわざと大きな音を立てて食器を片付けたりするのであった。
※※※※※※※※※※※※
『絶対にイヤよ・・・』
枕に顔を埋もれさせて恵が言った。
もう、耐えられなかった。
毎日のように聞かされる、義父の馬鹿げた会話にウンザリしていたのだ。
昨夜も久しぶりに武の手が伸びてきたのであるが、その手を振り払うように背中を向けると恵は、とうとう切れてしまったのである。
恵が苛立つのには他にも理由があった。
同居するまでは、それでも週に一度位あった夫との「営み」が殆ど無くなってしまった。
それは今度の事で夫の小遣いに余裕が出来、夜遊びするようになったからだ。
接待とか言ってはいたが不況が長引いている現在、そんな頻繁にある訳が無い。
実際、それまでは数える程しか無かったのだ。
きっと義父に余計な遊びをふき込まれたに違いない。
恵は結婚前、夫の実家に初めて挨拶に行った時の事を思い出していた。
※※※※※※※※※※※※
当然の事ながら、しおらしく振舞っていたつもりであったのだが、何かと関白振りをひけらかす態度に徐々に苛立っていた。
今は亡くなっていない義母を手伝って台所に立っていた恵であったのに、それがさも当たり前のようで感謝もしないのだ。
しかも酔いながら、大きな声で武に言った言葉は一生、恵の記憶に残るものであった。
『何や、武・・・。
お前、中々・・・
ええ子、連れてきたやないか。
そやけど・・・性格はきつそうやなぁ?
チョッと痩せすぎやし・・・。
胸も、小さそうやないかぁ?』
恵の一番気にしている事を言われて、思わず洗っていた食器を落としそうになった。
義母がハラハラしながら見ていた。
今と同じで聞こえまいと思っていたのであろうが。
いや、もしかしたらわざと言ったのかもしれない。
女を女とも思わない印象が義父には感じられた。
それからは、なるべく夫の実家には行かないようにしていた。
義母が亡くなってからは人生の抜け殻のようになっていたと夫から聞いていたのだが、今の義父を見ていると到底そうは思えない。
同居する事で自分までも義母のように手なづける気かと、余計な勘ぐりをするのであった。
本当に同居はイヤだったのだ。
だが、マイホームの誘惑には勝てなかった。
だから、恵はそれ以外では決して義父に金を出させなかった。
家具も自分達の貯金で買った。
たまに食事や買物に誘われるのであるが、全て断っている。
『すみません・・婦人会があるんです』
言葉は出来るだけ丁寧にしている。
決して自分から弱みを見せたくは無かった。
頭の奥底にこびり付いている義父のセリフが、恵の心を頑なにしていた。
(胸も、小さそうやないかぁ?)
※※※※※※※※※※※※
『本当に・・・イヤ!』
余りに頑固な妻に対して、それ以上は強制せずに眠りにつく武であった。
夫の寝息が聞こえてくると、涙で濡れた顔を上げて恵は呟いた。
『いや、なん・・・だから』
でも、その声に気付かない夫に寂しさを覚える恵であった。
もう、夫にとって自分は無理にまで奪う程の対象では無いのであろうか。
どうして、もっと愛していると言ってくれないのか。
矛盾した想いが頭の中を駆け巡る。
重い気持を引きずりながら眠りにつくのであった。
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