聴こえない声たち

水守 葉

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第七章

音の記録

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森が雨を含んでいた。
濡れた葉が深い緑の陰を作り、空気には土の匂いが満ちている。
蓮は静かに歩いていた。
手に、小さな録音機をぶら下げて。

それは、祖母の遺品のひとつだった。
昔、鳥の声を録るのが趣味だった祖母は、幾本ものテープを残していた。
蓮はその音を何度も聴いた。
その時だけ、世界に「ぬくもり」のようなものが生まれる気がしたのだ。

少女と別れてから数日、蓮は自分の中にわずかな変化を感じていた。
それは大きなものではない。
しかし確かに、森の音を「残したい」と思うようになっていた。

——少女が聴いてくれたように、
——誰かに伝わる可能性が、どこかにあるのなら。

蓮は録音機のスイッチを入れた。
カチリという小さな音。
その後に続くのは、無音……ではなかった。

風のうねり、葉の触れ合い、虫の羽音、遠くの鳥の鳴き声。
それらが音の糸となって、機械の中に巻き取られていく。

「これは……僕の触れた世界だ」

蓮はつぶやく。
誰かに説明するためではない。
自分のために、言葉を音として留めておくために。

彼は倒木の上に腰をおろし、録音機のマイクを森に向けたまま、目を閉じた。
目を閉じれば、世界はよりくっきりと姿を現す。
光がなくとも、そこにあるものたちは音で息をしていた。

すると、録音機のすぐ近くで、ひとつの音がした。

葉が小さくこすれる音。
そこに、紙のような質感が混ざっていた。

蓮はそっと目を開ける。
足元に、小さな紙の切れ端が落ちていた。

白く、わずかに湿り、折り目がついている。
拾い上げて見ても、文字はない。
けれど、それはどこかで見覚えのある紙だった。

——あのとき、少女が手にしていた、ノートの切れ端。

そこには何も書かれていなかったが、蓮には意味がわかった。
文字ではなく、「気配」が書かれていたのだ。

「君も……残そうとしているのか」

風が吹き、森がざわめいた。
蓮は録音機のスイッチを切った。
そして、録った音をもう一度聴いてみる。

——風の音。
——鳥の声。
——遠くで、誰かの足音のような響き。

それはただの「音」だった。
けれど、蓮にはそれが、世界の呼吸に聞こえた。
そして、自分自身の存在を証明する、たしかな反響のようにも思えた。

彼はその場にそっと紙を置き、もう一度森の中へ歩き出した。
この世界に「触れられないもの」はある。
けれど、「触れようとする心」だけは、誰にも止められない。

それが、彼にとっての前進だった。
音のない手のひらで、音に触れていく旅の、ほんの少しの一歩だった。
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