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第十章
耳を澄ますひと
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その日は風が強く、森の音はいつもより多く、複雑だった。
木々が互いに揺れあい、枝葉のざわめきが何層にも重なる。
音のひとつひとつが言葉のようでありながら、意味はどこにも定まらない。
それが蓮には、心地よかった。
彼はまた、録音をしていた。
そしてその音の一部を、USBに落とし、何の説明も添えず、街の小さな図書館の「誰でも使ってください」と書かれた棚に置いた。
何かを伝えたかったわけではない。
ただ、そこに残すことに、意味があるように思えたのだった。
——それから、数日が経った。
図書館には行かなかった。
どうなったかを知りたい気持ちよりも、知らないままのほうが、世界が広く感じられる。
だから蓮は、ただ森にいた。
録音し、歩き、また静かに耳を澄ませる。
そんなある日、森に入る前の通りで、見知らぬ青年がすれ違いざまにふと立ち止まった。
「……あの、すみません」
蓮はゆっくり振り返った。
その声は、どこか探るようで、けれどおだやかだった。
「先日、図書館で、不思議な音のUSBを見つけて……もしかして、あなたが?」
蓮は、答えなかった。
ただ、小さくまばたきをし、視線をほんの少しだけずらした。
青年は、すぐに察したのか、それ以上は何も聞かなかった。
「……あの音、森の呼吸みたいで、ちょっと、救われました」
そう言って、ふと笑う。
それは、蓮が思っていたよりも、ずっと軽やかで、まっすぐな笑みだった。
「じゃあ……ありがとう。ほんの少しだけ、いい日になりました」
青年はそれだけ言い、足早に歩き去った。
蓮はその背中を見送ったまま、立ち尽くしていた。
風が吹いた。
森の入口が揺れる。
胸の奥に、かすかに何かが触れた気がした。
言葉も、色も、触覚もない。
けれど——誰かの“心の形”に、ほんのすこし、自分の音が触れたのかもしれない。
蓮は静かに目を伏せ、歩き出した。
森が待っている。
音は、今日も、世界のどこかで誰かに届いているかもしれない。
届いたかどうかを確かめることよりも、
「届くかもしれない」と思えることの方が、
ずっと、やさしい。
木々が互いに揺れあい、枝葉のざわめきが何層にも重なる。
音のひとつひとつが言葉のようでありながら、意味はどこにも定まらない。
それが蓮には、心地よかった。
彼はまた、録音をしていた。
そしてその音の一部を、USBに落とし、何の説明も添えず、街の小さな図書館の「誰でも使ってください」と書かれた棚に置いた。
何かを伝えたかったわけではない。
ただ、そこに残すことに、意味があるように思えたのだった。
——それから、数日が経った。
図書館には行かなかった。
どうなったかを知りたい気持ちよりも、知らないままのほうが、世界が広く感じられる。
だから蓮は、ただ森にいた。
録音し、歩き、また静かに耳を澄ませる。
そんなある日、森に入る前の通りで、見知らぬ青年がすれ違いざまにふと立ち止まった。
「……あの、すみません」
蓮はゆっくり振り返った。
その声は、どこか探るようで、けれどおだやかだった。
「先日、図書館で、不思議な音のUSBを見つけて……もしかして、あなたが?」
蓮は、答えなかった。
ただ、小さくまばたきをし、視線をほんの少しだけずらした。
青年は、すぐに察したのか、それ以上は何も聞かなかった。
「……あの音、森の呼吸みたいで、ちょっと、救われました」
そう言って、ふと笑う。
それは、蓮が思っていたよりも、ずっと軽やかで、まっすぐな笑みだった。
「じゃあ……ありがとう。ほんの少しだけ、いい日になりました」
青年はそれだけ言い、足早に歩き去った。
蓮はその背中を見送ったまま、立ち尽くしていた。
風が吹いた。
森の入口が揺れる。
胸の奥に、かすかに何かが触れた気がした。
言葉も、色も、触覚もない。
けれど——誰かの“心の形”に、ほんのすこし、自分の音が触れたのかもしれない。
蓮は静かに目を伏せ、歩き出した。
森が待っている。
音は、今日も、世界のどこかで誰かに届いているかもしれない。
届いたかどうかを確かめることよりも、
「届くかもしれない」と思えることの方が、
ずっと、やさしい。
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