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そして、過労
しおりを挟む机の上には、未処理の書類が山のように積まれていた。
インク壺は空になり、ペン先はすり減り、目の奥がずきずきと痛む。
それでも手を止めるわけにはいかない。
次々と辞表が届き、政務は麻痺寸前。
王太子である俺が動かなければ、王宮は止まる。
──そのとき。
「きゃははっ、もっと深く掘って!」
「ビアンカ、そこは危ない。崩れるぞ」
窓の外から、楽しげな声が聞こえてきた。
思わず立ち上がり、カーテンをかき分けて庭を覗く。
そこには、黒髪を風に揺らしながらスコップを振るうビアンカの姿があった。
ドレスの裾をたくし上げ、白い脚を土に汚しながら、ウィリアムと一緒に落とし穴を掘っている。
「ねえ、あいつ骨折して死ねばいいのに」
「生活費貰えなくなるから、それは困るな。せめて捻挫くらいにしておこう」
2人は顔を見合わせて笑っていた。
俺は窓を閉め、拳を机に叩きつけた。
「くそっ……俺が、こんな目に遭ってるのに……!」
そのとき、扉がノックされ、伝令が入ってきた。
「陛下から伝言です。
『愛人を夫婦の食堂に入れたそうだな。部屋を馬小屋に移せ。
それから、お前の愛人に仕事をさせろ。出来なければ首をはねる』とのことです」
「ば、バカな! ビアンカだって愛人を入れたではないか!」
「彼は正式な護衛騎士なので入れます」
「ぐうううう……わかった。
エイミーに仕事をさせろ。牢屋から出せ」
衛兵が申し訳なさそうに頭を下げた。
「それが……ビアンカ妃殿下に不敬を働いたため、規定に則りムチ打ちしました。
なので2~3日は動けないかと」
「…………」
沈黙が落ちた。
そして、俺は──笑い出した。
「そうか、そうか……そうだ。
どうして気付かなかったんだ。簡単なことだ」
笑いが止まらない。
喉の奥からこみ上げるように、狂ったように笑い続けた。
「フローレンス公爵夫人を呼べ。
至急だ。公妾にする」
側近たちがざわめく。
フローレンス──ビアンカと同じ4公の1人。
完璧なシンメトリーの顔立ちと、常に意味深な微笑を浮かべる女。
ビアンカに匹敵する力を持つ、あの女を。
「断られたら、どうします?」
「力のある順に呼べばいいだろう。
ああ、なんて簡単なんだ。
これで……これで、あの忌々しいビアンカを追い出せる……!」
俺は笑いながら、机の上の書類を払い落とした。
──勝つのは、俺だ。
夜の執務室は、静寂という名の重圧に満ちていた。
蝋燭の灯りが揺れ、書類の影が机の上に長く伸びる。
俺はペンを握ったまま、何度目かのため息をついた。
──今夜も徹夜だ……。
目の下には隈ができ、指先はインクで黒ずんでいる。
そのとき、扉がノックされた。
「公妾の件です」
使用人の声に、俺は顔を上げた。
久々に希望の光が差し込んだ気がした。
「おお! 誰が来ると?」
だが、返ってきた言葉は──
「全員、拒否されました」
「……何だと?」
「後宮に召し上げるには、正室の承認が必要です。
ビアンカ妃殿下が許可しないだろうから、行くだけ無駄だと」
頭が真っ白になった。
「っ、忘れてた……くそっ、どうすればいいんだ……!」
机に突っ伏し、髪をかきむしる。
ビアンカの影が、どこまでも重くのしかかってくる。
──1週間後。
伝令が、また地獄の知らせを持ってきた。
「陛下からです。
『お前は国を潰すつもりか、クソ息子。さっさとビアンカに土下座しろ』だそうです」
俺は椅子にもたれかかり、げっそりとした顔で天井を見上げた。
頬はこけ、目の下の隈は深く、もはや人前に出せる顔ではない。
「そうか……ビアンカは、本当は俺を好きだったのか……」
側近が冷静に言い放つ。
「殿下、それは幻聴です」
そのとき、庭からビアンカの声が聞こえた。
「ウィリアム、そこはもっと深く掘って。
落ちたら2度と出られないくらいに」
「了解。ザコット殿下サイズで設計しておくよ」
俺は立ち上がり、ふらふらと窓辺へ向かった。
「……ああ、もう……終わりだ……」
窓枠に手をかけ、身を乗り出した瞬間──
「殿下! おやめください!」
側近たちが駆け寄り、俺の体を引き戻した。
次の瞬間、俺は寝台に押し倒され、手足を拘束されていた。
「離せ……俺は……王子だぞ……!」
「はいはい、殿下は王子です。
だからこそ、これ以上飛び降りられては困るんです」
蝋燭の灯りが揺れ、天井がぐるぐると回る。
……ビアンカ……俺は……どこで間違えたんだ……。
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