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ついに契約してしまう
しおりを挟むまぶたの裏がじんわりと明るくなり、意識が浮上する。
「……ファッ」
思わず声が漏れた。
喉が乾いて、頭が重い。
「起きましたか。1日寝てましたよ」
メイドがカーテンを開けながら、淡々と告げた。
白い医療室の天井が目に染みる。
「ここは……そうか、倒れたのか。
仕事は……どうなった?」
「ウィリアム様がやっておられます」
「……あいつが……」
胸の奥がざわついた。
あの男が、俺の席に座っている。
俺の机で、俺の政務をこなしている。
「このままでは、ウィリアム様が後継だと宮中で噂になっています」
「なんでだよ……ただの妻の愛人じゃないか……」
俺は天井を睨みながら、呟いた。
「……ビアンカ……ビアンカを呼んでくれ」
「恐らく『用事があるなら、そっちが来い』と言われるかと」
メイドが肩をすくめる。
それは、そうか。
「……確かに……わかった。車椅子を頼む」
ビアンカの部屋は、相変わらず静謐だった。
黒と銀を基調にした室内は、どこか冷たく、それでいて整然としていた。
彼女は窓辺に立ち、振り返ると優雅に一礼した。
隣には、当然のようにウィリアムが張り付いている。
「平癒されましたこと、お喜び申し上げます」
「手短に話す。
このままでは、従弟が後継に指名されるかもしれない。
そうすれば君は王妃になれない」
「構いませんわ」
「は? 王妃になれないんだぞ?」
「望んで殿下と婚約したわけではありませんし、王妃になりたいと思ったこともありません」
「嘘だ! お前のように強欲な女が何を?」
彼女は、首をかしげた。
「強欲というのは、どこを見て思われましたの?」
「見たというか……皆が言うからだ」
「皆とは?」
「……周りだ」
「つまり、モルドレッド男爵令嬢(エイミー)ということですね?」
言葉に詰まった俺を見て、彼女は扇を開いた。
「かの方に、ムチ打ちを」
従者が静かに部屋を出ていく。
俺は動かなかった。
止める気力も、意味もなかった。
「止めませんの?」
「……無駄だからな。
それに……役に立たないと、思い知った」
その瞬間、ビアンカの顔が強張った。
──こいつ、愛人を守らないのかよ。
暗に、そう言っている。
しかし、エイミーへの愛情は冷めて来たのだ。
愛玩ペットは所詮、愛でる以外の用途がないと気付いた。
「王妃になりたくない、政務もしたくないということなら、公妾を認めてくれ」
俺は椅子の肘掛けに手を置き、なるべく冷静に言ったつもりだった。
だが、ビアンカは微動だにせず、まるで氷の彫像のように言葉を返してきた。
「なりたくないのではなく、どちらでもいいのです。
政務もしたくないのではなく、殿下がお飾りと仰ったからやめたのです」
「はあ、またその話か。しつこいな」
思わず声が荒くなる。
だが、彼女は眉ひとつ動かさず、淡々と続けた。
「いい方法がありますわ。離婚するのです。
そして、力になってくれる相手と再婚するのです」
「父上が認めないだろう」
「これ以上ない相手を見つけても駄目だというなら、早めに引退していただけばいいのでは?」
「なっ……父上を殺せと?」
「そこまで言っていません。
殿下が次代の王に相応しいと重臣たちが認めれば、世代交代が起きるはずです」
「今でさえ限界なのに、そんなこと出来るはずないだろ!」
俺の声が震えた。
怒りか、恐怖か、自分でもわからなかった。
灰色の瞳が、まっすぐに俺を射抜く。
「あれはできない、これはできない。それは嫌、これは嫌。でも愛人は作る。王子の立場も失いたくない」
彼女は扇を閉じ、静かに言い放った。
「──全く意味が分かりませんわ」
その言葉は、刃より鋭く、俺の胸を貫いた。
反論しようと口を開いたが、声が出なかった。
何も言えなかった。
ビアンカは静かに机の上に紙束を置いた。
白い指先が触れた瞬間、まるでそれが王命の書状であるかのような威圧感が走る。
「こちらの婚姻契約と離婚届にサインしてくださるなら、我が一門の人間を戻しましょう」
俺は紙を見下ろし、眉をひそめた。
「……離婚届など持ってて、どうするのだ?
父上が認めないと言っているだろう」
「離婚したら、この国にいる理由はありませんので。
許されても、許されなくてもいいのですよ」
その言葉に、俺は深くため息をついた。
視線を落とし、契約書の内容を読み進める。
「……愛人の生活費が多すぎる」
「まあまあまあまあ!
私の愛するウィリアムが一流の服を着るのは、当然ではありませんか。
ケチらないで、そのくらい出してくださいな」
「しかし……」
「廃嫡されたら、渋ることも出来なくなりますわよ?」
その一言で、俺の手が止まった。
ペン先が震える。
だが、もう選択肢はなかった。
「……わかった。くそっ」
俺は渋々、サインをした。
すると、目の前の2人が声を揃えて言った。
「「ありがとうございます、ATM様」」
「……何だ、ATMとは」
「頼りになる旦那様の敬称です」
「……ふむ。そうか」
俺は目を伏せた。
もはや何も言う気力が湧かない。
「さあ、早速一門を城に戻しましょう」
ビアンカがウィリアムに微笑みかける。
彼は優雅に頷き、彼女の手を取った。
俺は椅子にもたれ、天井を見上げた。
「……助かった~……」
一応、これで王太子の座は死守できた。
ビアンカとの結婚は、戦争みたいだ。
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