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しおりを挟む馬車留めに向かうと、冬の風が頬を撫でた。夕刻前の王宮は静かで、石畳に響く自分の足音だけがやけに大きい。馬車の扉に手をかけた瞬間、慌てた声が背後から飛んできた。
「お待ちください! しばしお部屋で待機なさってください。王子の命です」
ジュリアンの側近が、息を切らしながら駆け寄ってくる。私は小さくため息をつき、再び部屋へ戻ることにした。
窓の外が橙に染まり始めた頃、扉が勢いよく開いた。金髪の王子が怒りに満ちた顔で、踏み込んでくる。
「お前が、シャルロッテを襲わせたのか?!」
私は思わず目を瞬かせた。
「は? いつ? 誰に?」
「それを聞いてるのは、こちらだ」
「話になりません」
「何だと?!」
彼が怒鳴りかけたその時、低く落ち着いた声が部屋に響いた。
「もし、そういった事件なら、こちらで調べます。越権行為は、お止めください」
振り向くと、銀髪を後ろで束ねた騎士団長が立っていた。鋭い灰色の瞳が王子を真っ直ぐに見据えている。長身で鍛えられた体躯は鎧越しでも分かり、威圧感よりも静かな威厳を感じさせた。
ジュリアンは、驚愕と怒りの入り混じった表情で叫ぶ。
「なぜヴァルター団長が、ここにいる? 不倫相手を迎えに来たのか? 王子の婚約者を寝とるなど重罪だぞ」
団長は眉ひとつ動かさず答えた。
「そのことでミルフィーユ公爵令嬢から被害届を出す旨を相談されたので、詳しく詰所で聞く予定だったのが、急遽こちらに戻ると連絡を受けたため参った次第です」
その声音は冷静で、しかし王子の暴走を明確に制する力があった。
王子の顔色がみるみる青ざめていく。怒りよりも、恐れが勝っているように見えた。
「本気で訴えるつもりか?」
震える声だった。
「当然の権利です。この国は、絶対王政ではありません」
私が淡々と告げると、傍らにいた騎士団長が静かに頷いた。その仕草だけで、王子の肩がびくりと揺れる。
「……もし……もしも、シャルロッテが……いや、そんな」
彼は何かを否定したいのか、それとも認めたくないのか、自分でも分かっていないようだった。
「ミルフィーユ公爵です」
「は?」
「診断の結果、妊娠が判明したのでしょう? 義妹のお腹の子の父親を、知りたいのではないのですか?」
王子の瞳が大きく見開かれた。
「……冗談だろう?」
私は小さく笑った。すると、彼は冗談だと思ったようで、胸を撫で下ろす。
「私と殿下は、冗談を言い合う仲ではありません」
その瞬間、彼の顔から血の気が引いた。よろめいた拍子に花瓶を倒し、床に砕け散る音が響く。メイドが慌てて駆け寄り、破片を片付け始めた。
王子は頭を抱え、呻くように言った。
「……そんな……」
「義妹は誰の子だと言ってるんです?」
「突然襲われ、暗くてわからなかったと」
「どこで襲われたんです?」
「学園の倉庫だ」
私は思わず声を荒げた。
「学園?! 王立貴族学園ですよ? 王子の婚約者の義妹を襲うわけないでしょう」
彼は口を開きかけたが、何も言えず黙り込んだ。
私は椅子から立ち上がる。
「諸々の手続き等ありますので、これで」
「ま、待て、待ってくれ。ほ、本当にミルフィーユ公爵なのか」
「子供が生まれれば、色素や顔の形でわかるでしょう」
「それまで待つわけにはいかない」
「それは大変ですね。失礼します」
扉へ向かう私の背に、縋るような声が飛んだ。
「待て。何故そんなに冷たい?」
私は振り返り、淡々と答える。
「はい? 仰る意味がわかりません。殿下は私にとって、他人より遠い存在なので、親切にする理由がありません」
王子の表情が崩れ落ちる。唇を震わせながら、必死に言葉を絞り出した。
「っ……確かめる」
その声音には焦りと、恐怖が混じっていた。
「どうやって?」
私が静かに問い返すと、彼は胸を張り、妙な自信を取り戻したように言い放った。
「お前の家に潜入する。従者として」
「そうですか。お気をつけて」
あまりに突拍子もない発言に、私は淡々と返すしかなかった。だが彼はさらに踏み込んでくる。
「お前と一緒に家に入る。荷物持ちとして」
「私は家には帰りません」
「は? 帰らずに、どこへいく」
「修道院です。幸い持参金は、用意できますので」
彼の顔が強張った。
「……このまま行くと?」
「そうです。先触れは出しましたので、もう行かないと」
私が淡々と告げると、彼は慌てて手を伸ばした。
「いや、待て! お前が、いなければ計画が上手く行かない。修道院には、こちらで連絡するから一緒に帰ってくれ」
その言葉に、私は思わず眉をひそめた。
「それは私に『殴られろ』ということですか?」
「どういう意味だ」
「このまま帰れば、ミルフィーユ公爵に殴られるに決まってるではないですか」
王子は目を見開き、信じられないというように首を振った。
「いや、そんな……しかし、お前の言う通りなら、シャルロッテが嘘つきだと知ってるのに。なぜ殴る?」
「分別のつく人間が、養女に手を出すはずないでしょう」
彼は言葉を失い、視線を彷徨わせた。
「しかし……。とにかく、お前の言うことが事実かどうか証明する義務が、お前にはある。王子命令だ」
隣で騎士団長が口を開きかけたが、私は軽く手を上げて制した。
「承りました。その代わり、事実だった時は男爵に臣下降籍すると約束してください」
王子は苦しげに顔を歪めた。
「それは……俺の一存では決められない」
私は呆れたため息をついた。
「さようですか」
その一言に、彼の肩が小さく震えた。
私はもう、彼にかける言葉を持っていなかった。
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