王子と悪役令嬢の12時間

星森

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 馬車留めに向かうと、冬の風が頬を撫でた。夕刻前の王宮は静かで、石畳に響く自分の足音だけがやけに大きい。馬車の扉に手をかけた瞬間、慌てた声が背後から飛んできた。

「お待ちください! しばしお部屋で待機なさってください。王子の命です」

 ジュリアンの側近が、息を切らしながら駆け寄ってくる。私は小さくため息をつき、再び部屋へ戻ることにした。



 窓の外が橙に染まり始めた頃、扉が勢いよく開いた。金髪の王子が怒りに満ちた顔で、踏み込んでくる。

「お前が、シャルロッテを襲わせたのか?!」

 私は思わず目を瞬かせた。

「は? いつ? 誰に?」

「それを聞いてるのは、こちらだ」

「話になりません」

「何だと?!」

 彼が怒鳴りかけたその時、低く落ち着いた声が部屋に響いた。

「もし、そういった事件なら、こちらで調べます。越権行為は、お止めください」

 振り向くと、銀髪を後ろで束ねた騎士団長が立っていた。鋭い灰色の瞳が王子を真っ直ぐに見据えている。長身で鍛えられた体躯は鎧越しでも分かり、威圧感よりも静かな威厳を感じさせた。

 ジュリアンは、驚愕と怒りの入り混じった表情で叫ぶ。

「なぜヴァルター団長が、ここにいる?   不倫相手を迎えに来たのか? 王子の婚約者を寝とるなど重罪だぞ」

 団長は眉ひとつ動かさず答えた。

「そのことでミルフィーユ公爵令嬢から被害届を出す旨を相談されたので、詳しく詰所で聞く予定だったのが、急遽こちらに戻ると連絡を受けたため参った次第です」

 その声音は冷静で、しかし王子の暴走を明確に制する力があった。  
 王子の顔色がみるみる青ざめていく。怒りよりも、恐れが勝っているように見えた。

「本気で訴えるつもりか?」

 震える声だった。

「当然の権利です。この国は、絶対王政ではありません」

 私が淡々と告げると、傍らにいた騎士団長が静かに頷いた。その仕草だけで、王子の肩がびくりと揺れる。

「……もし……もしも、シャルロッテが……いや、そんな」

 彼は何かを否定したいのか、それとも認めたくないのか、自分でも分かっていないようだった。

「ミルフィーユ公爵です」

「は?」

「診断の結果、妊娠が判明したのでしょう? 義妹のお腹の子の父親を、知りたいのではないのですか?」

 王子の瞳が大きく見開かれた。

「……冗談だろう?」

 私は小さく笑った。すると、彼は冗談だと思ったようで、胸を撫で下ろす。

「私と殿下は、冗談を言い合う仲ではありません」

 その瞬間、彼の顔から血の気が引いた。よろめいた拍子に花瓶を倒し、床に砕け散る音が響く。メイドが慌てて駆け寄り、破片を片付け始めた。

 王子は頭を抱え、呻くように言った。

「……そんな……」

「義妹は誰の子だと言ってるんです?」

「突然襲われ、暗くてわからなかったと」

「どこで襲われたんです?」

「学園の倉庫だ」

 私は思わず声を荒げた。

「学園?! 王立貴族学園ですよ? 王子の婚約者の義妹を襲うわけないでしょう」

 彼は口を開きかけたが、何も言えず黙り込んだ。

 私は椅子から立ち上がる。

「諸々の手続き等ありますので、これで」

「ま、待て、待ってくれ。ほ、本当にミルフィーユ公爵なのか」

「子供が生まれれば、色素や顔の形でわかるでしょう」

「それまで待つわけにはいかない」

「それは大変ですね。失礼します」

 扉へ向かう私の背に、縋るような声が飛んだ。

「待て。何故そんなに冷たい?」

 私は振り返り、淡々と答える。

「はい? 仰る意味がわかりません。殿下は私にとって、他人より遠い存在なので、親切にする理由がありません」

 王子の表情が崩れ落ちる。唇を震わせながら、必死に言葉を絞り出した。

「っ……確かめる」

 その声音には焦りと、恐怖が混じっていた。

「どうやって?」

 私が静かに問い返すと、彼は胸を張り、妙な自信を取り戻したように言い放った。

「お前の家に潜入する。従者として」

「そうですか。お気をつけて」

 あまりに突拍子もない発言に、私は淡々と返すしかなかった。だが彼はさらに踏み込んでくる。

「お前と一緒に家に入る。荷物持ちとして」

「私は家には帰りません」

「は? 帰らずに、どこへいく」

「修道院です。幸い持参金は、用意できますので」

 彼の顔が強張った。

「……このまま行くと?」

「そうです。先触れは出しましたので、もう行かないと」

 私が淡々と告げると、彼は慌てて手を伸ばした。

「いや、待て! お前が、いなければ計画が上手く行かない。修道院には、こちらで連絡するから一緒に帰ってくれ」

 その言葉に、私は思わず眉をひそめた。

「それは私に『殴られろ』ということですか?」

「どういう意味だ」

「このまま帰れば、ミルフィーユ公爵に殴られるに決まってるではないですか」

 王子は目を見開き、信じられないというように首を振った。

「いや、そんな……しかし、お前の言う通りなら、シャルロッテが嘘つきだと知ってるのに。なぜ殴る?」

「分別のつく人間が、養女に手を出すはずないでしょう」

 彼は言葉を失い、視線を彷徨わせた。

「しかし……。とにかく、お前の言うことが事実かどうか証明する義務が、お前にはある。王子命令だ」

 隣で騎士団長が口を開きかけたが、私は軽く手を上げて制した。

「承りました。その代わり、事実だった時は男爵に臣下降籍すると約束してください」

 王子は苦しげに顔を歪めた。

「それは……俺の一存では決められない」

 私は呆れたため息をついた。

「さようですか」

 その一言に、彼の肩が小さく震えた。  
 私はもう、彼にかける言葉を持っていなかった。



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