王子と悪役令嬢の12時間

星森

文字の大きさ
3 / 4

しおりを挟む



 自宅の居間に足を踏み入れた瞬間、空気が張り詰めた。暖炉の火がぱちりと弾ける音だけが響く中、父がゆっくりと立ち上がる。次の瞬間、頬に鋭い痛みが走った。

「お前というやつは! ミルフィーユ公爵家の面汚しめ! 殿下に公衆の面前で婚約破棄されるなど!」

 怒号が耳を打つ。私は痛む頬を押さえながら、ただ黙って立っていた。

 その横で、従者に粉したジュリアンが一歩前に出た。

「殿下に『公衆の面前で婚約破棄するよう』唆したのはシャルロッテ様ですから、レティシア様の非ではないでしょう」

 父の顔が怒りで歪む。

「なんだと? 従者の分際で意見するか!」

「お止めください。その方は王宮所属の使用人です。彼を殴るのは、王家に歯向かうことです」

 私が制すると、ミルフィーユ公爵は舌打ちし、乱暴に手を振った。

「ふんっ。とっとと荷物を置いて帰れ!」

 メイドが従者(王子)を案内し、私はその後を静かについていった。




 案内された部屋に入ると、王子は目を見開いた。

「ここが公爵令嬢の部屋?」

 狭い。家具も最低限。飾り気は一切ない。  
 メイドが薬箱を抱えて駆け寄り、私の頬を見て眉をひそめた。

「すぐ手当てします」

 王子は私の顔を見つめ、低く問いかけた。

「大丈夫か?」

「あなたが、それを言うのですか?」

 皮肉でも怒りでもなく、ただ事実を述べただけだった。  
 彼は苦しげに視線を落とす。

「……しかし、ミルフィーユ公爵が、あんなだと知ってたら……」

「知ってたら? だから『殴られる』と言ったではないですか。信じてなかったのですね」

 彼は言葉を詰まらせ、部屋を見回した。

「……こんなに何もない部屋に薬箱があるということは、日常的に暴力をふるわれているのだろう」

「顔を腫らした状態で、何度も王宮に妃教育で上がってますけど」

 彼は驚いたように目を見開いた。

「俺は会ってないから、気付かなくて当然だろう」

 その言葉に、私は小さく息を吐いた。  

「気付かなくて当然。そうですか。
 では、この先も一生そのまま無関心でいてください。婚約破棄した後にしゃしゃり出られたら迷惑です」

 彼は悔しげに眉を寄せた。

「婚約者だった時に、言えば良かっただろう」

「あなたは業務連絡以外話したことない仕事の関係者に、家の内情を相談するのですか?」

 彼は一瞬言葉を失い、それでも反論しようとする。

「婚約者は単なる関係者じゃない」

「いいえ、婚約者とは単なる役職名です。政略結婚という名の仕事の関係者です」

 その瞬間、王子の表情が痛いほど歪んだ。  
 だが、そこへ控えめなノックが入り、メイドが顔を出した。

「お嬢様、申し訳ありません。時間が……」

「ええ、ご苦労様。気をつけてね」

「はい、失礼します」

 メイドが頭を下げて部屋を出ていく。  
 王子はその背中を見送りながら、ぽつりと呟いた。

「……通いだったのか」

「そうです。
 では食事を持ってきますので、どこかそれまで隠れていてください。従者がどうしたか聞かれれば、裏口から帰ったと言いますので」

 王子は驚いたように私を見る。

「お前が持ってくるのか? 他にも使用人がいるだろう」

「私の世話をするのは、今のクロエだけです。
 もっと言えば、彼女は私が雇ってるのでこの家のメイドではありません」

 王子は完全に言葉を失った。  
 その顔は、これまで見たどんな表情よりも愕然としていた。

 彼はようやく絞り出すように息を吐いたが、声は出なかった。  
 私はそんな彼を横目に、淡々と立ち上がる。



 トレイに簡素な夕食を乗せ、私は部屋へ戻った。扉を閉めると、従者の姿をしたジュリアンがこちらを振り返る。私は淡々とトレイを机に置いた。

「私はパンを半分いただきます。残りは、どうぞ。
 足りないかもしれませんが、イレギュラーなのでご辛抱ください」

 王子は皿の上を見つめ、言葉を失ったように固まった。  
 パン1つ、薄いスープ、そして小さなチーズ。

「これが……夕食? 俺が婚約破棄したから?」

 私は慣れた手つきでパンを半分に割り、口に運んだ。

「いつもこうですが? 殿下も私が『痩せすぎだ』と仰ってたではないですか」

「それは……体質だと思って」

「体質? 何を言ってるのです? 婚約した当時はまだ母が存命で、私は標準体型だったではないですか。病気で痩せたなら定期検診で引っ掛かってます。
 私が痩せ始めたのは、継母が来てからです。それとも殿下は、私の母が亡くなったことも覚えてないのですか。葬儀に参列してくださったのに」

 王子は息を呑み、視線を落とした。

「参列したのは覚えてる……しかし……いや、そうか。これ全部食べるといい。俺は1日くらい何ともない」

「そんなこと言われても食べにくいので、私には必要ありません。
 では、湯を汲んできます」

 私は部屋を出て、キッチンで沸かした湯をバケツに汲んだ。重さに腕が少し震えたが、慣れた動作だ。戻ってくると、王子は所在なげに立っていた。

「これで身体を拭いてください。終わりましたら、私も使いますので」

 王子は湯気の立つバケツを見つめ、信じられないというように眉を寄せた。

「湯浴みは? これだけ?」

「この部屋の、どこにバスタブがあるのです? 夏は井戸の脇で水浴びもできますが、この時期はこうやって身体を拭くしかありません」

 王子は言葉を失い、ただ沈黙した。  
 その沈黙が、どんな怒号よりも重く響いた。

 廊下の向こうから、軽い足音が近づいてきた。私は反射的に顔を上げる。

「クロゼットに隠れて」

 小声で告げると、王子は驚きながらも従い、狭いクロゼットの中へ身を滑り込ませた。扉が閉まる直前、彼の不安げな視線が一瞬だけ私を捉えた。

 次の瞬間、部屋の扉が勢いよく開く。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病弱令嬢…?いいえ私は…

月樹《つき》
恋愛
 アイゼンハルト公爵家の長女クララは生まれた時からずっと病弱で、一日の大半をベッドの上で過ごして来た。対するクララの婚約者で第三皇子のペーターはとても元気な少年で…寝たきりのクララの元を訪ねることもなく、学園生活を満喫していた。そんなクララも15歳となり、何とかペーターと同じ学園に通えることになったのだが…そこで明るく元気な男爵令嬢ハイジと仲睦まじくするペーター皇子の姿を見て…ショックのあまり倒れてしまった…。 (ペーターにハイジって…某アルプスの少女やんか〜い!!) 謎の言葉を頭に思い浮かべながら…。 このお話は他サイトにも投稿しております。

嘘つき

金峯蓮華
恋愛
辺境伯令嬢のマリアリリーは先見の異能を持っている。幼い頃、見えたことをうっかり喋ってしまったばかりに、貴族学校で5年もの間「嘘つき」と言われイジメを受けることになった。そんなマリアリリーのざまぁなお話。 独自の世界観の緩いお話しです。

〖完結〗終着駅のパッセージ

苺迷音
恋愛
分厚い眼鏡と、ひっつめた髪を毛糸帽で覆う女性・カレン。 彼女はとある想いを胸に北へ向かう蒸気機関車に乗っていた。 王都から離れてゆく車窓を眺めながら、カレンは夫と婚姻してから三年という長い時間を振り返る。 その間、夫が帰宅したのは数えるほどだった。 ※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。

婿入り条件はちゃんと確認してください。

もふっとしたクリームパン
恋愛
<あらすじ>ある高位貴族の婚約関係に問題が起きた。両家の話し合いの場で、貴族令嬢は選択を迫ることになり、貴族令息は愛と未来を天秤に懸けられ悩む。答えは出ないまま、時間だけが過ぎていく……そんな話です。*令嬢視点で始まります。*すっきりざまぁではないです。ざまぁになるかは相手の選択次第なのでそこまで話はいきません。その手前で終わります。*突発的に思いついたのを書いたので設定はふんわりです。*カクヨム様にも投稿しています。*本編二話+登場人物紹介+おまけ、で完結。

恋の終わりに

オオトリ
恋愛
「我々の婚約は、破棄された」 私達が生まれる前から決まっていた婚約者である、王太子殿下から告げられた言葉。 その時、私は 私に、できたことはーーー ※小説家になろうさんでも投稿。 ※一時間ごとに公開し、全3話で完結です。 タイトル及び、タグにご注意!不安のある方はお気をつけてください。

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)

蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。 聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。 愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。 いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。 ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。 それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。 心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

とある断罪劇の一夜

雪菊
恋愛
公爵令嬢エカテリーナは卒業パーティーで婚約者の第二王子から婚約破棄宣言された。 しかしこれは予定通り。 学園入学時に前世の記憶を取り戻した彼女はこの世界がゲームの世界であり自分が悪役令嬢であることに気づいたのだ。 だから対策もばっちり。準備万端で断罪を迎え撃つ。 現実のものとは一切関係のない架空のお話です。 初投稿作品です。短編予定です。 誤字脱字矛盾などありましたらこっそり教えてください。

この離婚は契約違反です【一話完結】

鏑木 うりこ
恋愛
突然離婚を言い渡されたディーネは静かに消えるのでした。

処理中です...