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元妻の父
辺境伯城。
久々に踏み入れたその空間は、変わらぬ重厚さを保っていた。
弟のペレットが、書斎で腕を組んで待っていた。
体格は俺より一回り小さいが、その分、素早い剣捌きをする。
「兄さん。1年ぶりに帰ってきたと思ったら、事件に巻き込まれてるわ、子連れだわ……」
「騎士から報告を受けたのか。あれは、スフィアと娘だ」
「は? 誰って?」
「スフィア・ローズハント公爵令嬢だ!」
その瞬間、ペレットの顔が固まった。
言葉を失い、目を見開いたまま動かない。
周囲に控えていた、昔から仕えていた側近たちも、まるで時間が止まったかのように静まり返った。
空気が、張り詰める。
「……冗談だろう?」
ペレットの声は、かすかに震えていた。
だが、俺は静かに首を振り、これまでの経緯を語った。
スフィアとの再会。
避難所での出来事。
彼女の夫の死、娘との日々、そして──
あの夜、彼女を守ったこと。
話し終えると、ペレットはしばらく黙っていた。
やがて、ふうっと息を吐き、椅子の背にもたれかかる。
「なるほどなあ……納得したよ。
領地経営が上向きになったのは、それか」
ローズハント公爵を敵に回してからというもの、領地は見る間に傾いていった。
商人たちは手を引き、王都からの支援も細り、俺たちは隣国にまで取引先を求めて奔走していた。
だが、この1年で、状況は少しずつ改善していた。
「ローズハント公爵令嬢を助けて、犯人の男についても連絡したから……。
公爵の怒りが、少しはおさまったんだろうな」
「それはあるだろう。……ただ、そのために助けたわけじゃないが」
ペレットは、ふっと笑った。
「本当に兄さん、まともな人間になったね。
いや、正義感は昔からあったけど……早とちりの屑だったよね」
「……」
否定できなかった。
あの夜の自分を思い出すたび、今でも胸が痛む。
けれど、ペレットの言葉には、責めよりも安堵の色があった。
「わかった。
王都まで親子を送って行って、ついでに──舞踏会にも出席してきて」
「……またか」
「兄さん、今度は逃げないでよ。
“前辺境伯”の名が、ようやく少しはマシになってきたんだから」
俺は小さく笑って、頷いた。
ホテルに戻ると、フロントで呼び止められた。
「お手紙です」
差し出された封筒は、見覚えのある筆跡だった。
封を切ると、スフィアの文字が目に飛び込んできた。
「キアヌ……ロキアへ
あなたが、11年前に結婚した元夫だと気付きませんでした。
ここまで助けてくれて、本当に感謝しています。
私は実家に戻りますので、どうか心配しないでください。
さようなら。
スフィア」
──さようなら。
その一言が、胸に深く突き刺さった。
……ついに正体がバレてしまった。
「……ペレットに言って、兵を出させろ。スフィア達を王都まで送り届けるんだ」
護衛のひとりを城へ走らせ、自分は無言でホテルの部屋へ戻った。
部屋はがらんとしていた。
テーブルの上に、ひとつだけ残されていた。
──うさぎのぬいぐるみ。
マレッタが、あんなに嬉しそうに抱いていたものだ。
それが、ぽつんと置かれていた。
俺はそれを手に取り、ソファに身を投げ出した。
ぬいぐるみを胸に抱え、天井を見上げる。
「……捨てられたのか。捨てたのか」
問いかけに、答える者はいない。
ただ、夏風が窓の隙間から吹き込み、カーテンを揺らした。
王宮の舞踏会。
天井には無数のクリスタルが煌めき、金と白を基調とした大広間は、まるで星の海のようだった。
貴族たちは爵位の低い順に入場し、音楽とともに次々とフロアを彩っていく。
そして──最後に、彼女が現れた。
スフィア・ローズハント公爵令嬢。
父である公爵の腕を取り、ゆっくりと入場する。
その姿に、会場が静まり返った。
淡い銀のドレスが、月光のように揺れる。
髪は夜空のように艶やかで、宝石の髪飾りが星のように瞬いていた。
再会したときは、疲れきって顔色も悪かった彼女が──
今は、まるで神話から抜け出したような美しさを放っていた。
ああ、これが“完璧姫”か。
社交界に代理で出るようになってからの5年間、俺は酷いバッシングに晒されていた。
ようやく落ち着いたと思っていた矢先、彼女の登場で再び火がつくだろう。
だが、今は誰も、聞こえるように悪く言う者はいない。視線が刺さるだけだ。
俺は、さっさと帰ろうと踵を返しかけた──そのとき。
「ロキア・ノミート卿」
振り返ると、ローズハント公爵が、こちらへ真っ直ぐに歩いてきていた。
「礼を言いたい。スフィアを助けてくれて、ありがとう」
その言葉に、会場がざわめいた。
音楽が止まり、視線が一斉にこちらへ向けられる。
「……い、いえ。とんでもありません」
言葉が喉に詰まりながらも、なんとか返す。
ローズハント公爵の瞳には、確かな感謝の色が宿っていた。
その堂々たる姿に、周囲の貴族たちがざわつく。
「ローズハント公爵が、あの前辺境伯に礼を言っている……」
「まさか、あの件は水に流されたのか……?」
まるで、舞踏会の中心に引きずり出されたような気分だった。
逃げようとしていた自分を、運命が許さなかったのかもしれない。
「あの子は、死んでもおかしくなかった。だが、あなたがいた。
だから今、あの子はここに立っていられる」
「……私は、ただ当然のことをしただけです」
「それでも、礼は言う。ロキア・ノミート卿」
俺は、深く頭を下げた。
それは、かつての過ちへの謝罪であり、今の自分のすべてをかけた敬意だった。
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