初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)

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元妻の父


 辺境伯城。  
 久々に踏み入れたその空間は、変わらぬ重厚さを保っていた。

 弟のペレットが、書斎で腕を組んで待っていた。
 体格は俺より一回り小さいが、その分、素早い剣捌きをする。

「兄さん。1年ぶりに帰ってきたと思ったら、事件に巻き込まれてるわ、子連れだわ……」

「騎士から報告を受けたのか。あれは、スフィアと娘だ」

「は? 誰って?」

「スフィア・ローズハント公爵令嬢だ!」

 その瞬間、ペレットの顔が固まった。  
 言葉を失い、目を見開いたまま動かない。

 周囲に控えていた、昔から仕えていた側近たちも、まるで時間が止まったかのように静まり返った。

 空気が、張り詰める。  

「……冗談だろう?」

 ペレットの声は、かすかに震えていた。  
 だが、俺は静かに首を振り、これまでの経緯を語った。

 スフィアとの再会。  
 避難所での出来事。  
 彼女の夫の死、娘との日々、そして──  
 あの夜、彼女を守ったこと。

 話し終えると、ペレットはしばらく黙っていた。  
 やがて、ふうっと息を吐き、椅子の背にもたれかかる。

「なるほどなあ……納得したよ。  
 領地経営が上向きになったのは、それか」

 ローズハント公爵を敵に回してからというもの、領地は見る間に傾いていった。  
 商人たちは手を引き、王都からの支援も細り、俺たちは隣国にまで取引先を求めて奔走していた。

 だが、この1年で、状況は少しずつ改善していた。 

「ローズハント公爵令嬢を助けて、犯人の男についても連絡したから……。  
 公爵の怒りが、少しはおさまったんだろうな」

「それはあるだろう。……ただ、そのために助けたわけじゃないが」

 ペレットは、ふっと笑った。

「本当に兄さん、まともな人間になったね。  
 いや、正義感は昔からあったけど……早とちりの屑だったよね」

「……」

 否定できなかった。  
 あの夜の自分を思い出すたび、今でも胸が痛む。

 けれど、ペレットの言葉には、責めよりも安堵の色があった。

「わかった。  
 王都まで親子を送って行って、ついでに──舞踏会にも出席してきて」

「……またか」

「兄さん、今度は逃げないでよ。  
 “前辺境伯”の名が、ようやく少しはマシになってきたんだから」

 俺は小さく笑って、頷いた。



 ホテルに戻ると、フロントで呼び止められた。

「お手紙です」

 差し出された封筒は、見覚えのある筆跡だった。  
 封を切ると、スフィアの文字が目に飛び込んできた。

「キアヌ……ロキアへ

 あなたが、11年前に結婚した元夫だと気付きませんでした。  
 ここまで助けてくれて、本当に感謝しています。  
 私は実家に戻りますので、どうか心配しないでください。  
 さようなら。

 スフィア」

 ──さようなら。

 その一言が、胸に深く突き刺さった。

 ……ついに正体がバレてしまった。

「……ペレットに言って、兵を出させろ。スフィア達を王都まで送り届けるんだ」

 護衛のひとりを城へ走らせ、自分は無言でホテルの部屋へ戻った。

 部屋はがらんとしていた。

 テーブルの上に、ひとつだけ残されていた。

 ──うさぎのぬいぐるみ。

 マレッタが、あんなに嬉しそうに抱いていたものだ。  
 それが、ぽつんと置かれていた。

 俺はそれを手に取り、ソファに身を投げ出した。  
 ぬいぐるみを胸に抱え、天井を見上げる。

「……捨てられたのか。捨てたのか」

 問いかけに、答える者はいない。  
 ただ、夏風が窓の隙間から吹き込み、カーテンを揺らした。





 王宮の舞踏会。  
 天井には無数のクリスタルが煌めき、金と白を基調とした大広間は、まるで星の海のようだった。  
 貴族たちは爵位の低い順に入場し、音楽とともに次々とフロアを彩っていく。

 そして──最後に、彼女が現れた。

 スフィア・ローズハント公爵令嬢。  
 父である公爵の腕を取り、ゆっくりと入場する。

 その姿に、会場が静まり返った。

 淡い銀のドレスが、月光のように揺れる。  
 髪は夜空のように艶やかで、宝石の髪飾りが星のように瞬いていた。  
 再会したときは、疲れきって顔色も悪かった彼女が──  
 今は、まるで神話から抜け出したような美しさを放っていた。

 ああ、これが“完璧姫”か。

 社交界に代理で出るようになってからの5年間、俺は酷いバッシングに晒されていた。  
 ようやく落ち着いたと思っていた矢先、彼女の登場で再び火がつくだろう。  
 だが、今は誰も、聞こえるように悪く言う者はいない。視線が刺さるだけだ。

 俺は、さっさと帰ろうと踵を返しかけた──そのとき。

「ロキア・ノミート卿」

 振り返ると、ローズハント公爵が、こちらへ真っ直ぐに歩いてきていた。  

「礼を言いたい。スフィアを助けてくれて、ありがとう」

 その言葉に、会場がざわめいた。  
 音楽が止まり、視線が一斉にこちらへ向けられる。

「……い、いえ。とんでもありません」

 言葉が喉に詰まりながらも、なんとか返す。

 ローズハント公爵の瞳には、確かな感謝の色が宿っていた。  
 その堂々たる姿に、周囲の貴族たちがざわつく。

「ローズハント公爵が、あの前辺境伯に礼を言っている……」  
「まさか、あの件は水に流されたのか……?」

 まるで、舞踏会の中心に引きずり出されたような気分だった。  
 逃げようとしていた自分を、運命が許さなかったのかもしれない。

「あの子は、死んでもおかしくなかった。だが、あなたがいた。  
 だから今、あの子はここに立っていられる」

「……私は、ただ当然のことをしただけです」

「それでも、礼は言う。ロキア・ノミート卿」

 俺は、深く頭を下げた。  
 それは、かつての過ちへの謝罪であり、今の自分のすべてをかけた敬意だった。



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