初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)

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元婚約者を撃退


 王の謁見室。  
 俺は場違いな気分で立ち尽くしていた。

 公爵が淡々と報告する。

「娘は結婚しました。妊娠の可能性もあります」

 王の額に、明らかに青筋が浮かんだ。  
 だが、さすがに王族。表情を崩さず、ぎりぎりの声で言った。

「……おめでとう。これからのローズハント家に益々の発展を」

 その場の空気が、妙に冷たくて、俺はただ背筋を伸ばすしかなかった。

 そのままの流れで、公爵が次の爆弾を投下する。

「ついでに、私の持っている伯爵位を譲渡したい。ロキアに」

 「は?」と声が出そうになったが、もう誰も止まらない。

 手続きはすでに整っていた。  
 俺はその場で、ロキア・トルスト伯爵になった。

 1日で2回も名字が変わった。  
 こんなこと、あるか?

 俺がぽかんとしている間、スフィアはずっとアルカイックスマイルを浮かべていた。  
 まるで最初からすべて計算していたかのように、完璧に、優雅に、すべてをこなしていく。

 ……あれ? この人、俺なんかと結婚していい人じゃないんじゃ?

 そんな不安が喉元まで出かかったが、公爵とスフィアの“有無を言わせないオーラ”に押されて、俺は黙るしかなかった。


 帰宅すると、すでに疲労困憊だった。  
 ソファに沈み込んで、ようやく一息つこうとしたそのとき──

 執事が、山のような封筒を抱えて通り過ぎていった。

「結婚報告の手紙5000通分、ただいま発送いたします」

 俺はその場から、そっと立ち上がった。

 逃げたい。  
 今すぐ、どこか遠くの山奥にでも。

 でも、背後からスフィアの声が聞こえた。

「ロキア、逃げても無駄よ?」

 ……はい。  
 俺は今日、完全に人生の主導権を失ったらしい。




 俺達の婚姻記念のパーティーが開かれた。  
 社交シーズンはとうに終わっているというのに、招待状を受け取った貴族たちはこぞって集まり、その数は3千人を超えた。

 3千人のパーティーが開ける公爵邸の広さに、改めて圧倒される。  
 庭園は灯りで飾られ、音楽隊が奏でるワルツが夜空に溶けていく。

 スフィアは、まるで舞台の主役のように、美しく完璧だった。  
 天使を思わせるレースのドレスは、女性らしく可憐な彼女にピッタリだった。
 そして、招待客すべての名前を把握し、相手に応じた挨拶や話題を選び、笑顔を絶やさずに応対していた。

 俺はというと──

 ただ、隣で突っ立っているだけだった。  
 お飾り人形。  
 いや、もはや背景の柱のほうが存在感があるかもしれない。

 そんなとき、見慣れた顔が人混みをかき分けてやってきた。

「兄さん、どういうことなんだ? 説明してくれ」

 現辺境伯のペレットだった。  
 困惑と怒りと呆れが混ざった顔で、俺を睨んでいる。

「ええと……突然押し倒されて、してしまったから、責任とって入籍して、今に至る」

「なんだ、それ?!」

「すまん、俺にはどうにもならない。領地の仕事は、代わりを見つけてくれ」

「っ……」

 ペレットは言葉を失った。  
 俺は肩をすくめて、静かに言った。

「ペレット、世の中にはどうにもならないことがある。……わかったな?」

 しばらく沈黙があった後、ペレットはふっと笑った。

「公爵が許してくれたなら、それだけでありがたいよ。
 ともかく、兄さん、よくやった」

 その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。

 と──

「聞いてたのか?」

 背後から気配を感じて振り返ると、スフィアが立っていた。  
 相変わらず、完璧な微笑みを浮かべている。

「誤解しないでくれ。俺は、公爵に許してもらうために君を助けたんじゃない。  
 いや……最初は、少しそういう気持ちもあった。  
 でも今は、君とマレッタを……心から愛してる」

 スフィアは一瞬だけ目を瞬いた。  
 そして、静かに口を開いた。

「……仮に父の力が目当てでも、公爵の娘として生まれた以上、それとは切り離せないから。  
 気にならないわ」

 その言葉に、俺はようやく、胸の奥がほどけていくのを感じた。

 ──ああ、よかった。

 この人と、ちゃんと向き合っていける。  
 そう思えた瞬間だった。


 そこへ、王が姿を現した。  
 深紅の礼服に身を包み、金の装飾が燦然と輝く。  
 その背後には、従者たちが控え、王の一挙手一投足に緊張が走っていた。

「招待、ありがとう」

 ガイジは、グラスを掲げながらスフィアに微笑みかけた。

 スフィアは優雅に一礼し、完璧な笑みで応じる。

「お越しいただき光栄です、陛下」

 王は彼女を見つめたまま、言葉を続けた。

「改めて、君の素晴らしさを痛感したよ。招待客すべてを完璧に把握しているな」

「私程度の人は、他にもおります」

「いや、君は突き抜けている。  
 そこで──あと3年したら、公妾として後宮に入ってほしい」

 その瞬間、俺の中で何かが切れた。

「陛下!」

 声が思ったよりも大きく響いた。  
 会場の視線が一斉にこちらに集まる。

「我々の、めでたい門出に……そのような戯れ言は、看過できません!」

 ガイジは眉をひそめ、しかし余裕の笑みを崩さずに言った。

「確かに、そうだな。  
 だが、トルスト伯爵は、彼女が要らないから捨てたのだろう? 11年前、辺境伯の爵位と共に。  
 今さら、どういう風の吹きまわしだ?」

「……ぐっ」

 そこを突かれると、言葉が詰まる。  
 あの時、俺が彼女を誤解したのは事実だ。

 だが──

「陛下」

 スフィアが1歩前に出た。  
 その声は静かで、しかし鋼のように強かった。

「私が、彼を抱いたのです。  
 元より、彼には選択肢などありません。  
 1度でも手を離すということは、すなわち──すべての権利を放棄するということです」

 会場が、静まり返る。

 スフィアは続けた。  
 翡翠の瞳は、王をまっすぐに射抜いていた。

「それは婚約者時代の陛下が、ロイミー元妃を、お抱きになった時も同様です。  
 陛下に強要できる者などいないのですから、あれは陛下の“ご意思”しかなかったのですよ」

 つまり、選ぶ権利は私にしかない、とスフィアは言っている。

 ガイジの顔が、わずかに引きつった。  
 拳を握りしめ、唇を噛む。

 やがて、低く唸るように言った。

「……少し酔ったようだ。  
 本日は、これで失礼する」

 王が背を向け、従者たちを従えて去っていく。  
 その背中を見送りながら、俺はスフィアの横顔を見つめた。

 …………守られてしまった。  

 あの王の前で、あんなにも鮮やかに毅然と、俺を庇ってみせたスフィア。  
 俺はただ、言葉を失って立ち尽くすしかなかった。

 ──やはり、俺はヒロインなのだ。  
 情けない。

 そんな自嘲を噛みしめていたところに、ふわりと小さな影が飛び込んできた。

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