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離婚への布石
カイザーの客室に入ると、空気が張り詰めていた。
セイラン陛下は礼儀正しく一礼した。
「わざわざ来ていただいて、かたじけない。
仕事もありますので、そろそろおいとまします」
カイザーの声は、いつも通りの冷たさを帯びていた。
けれど、どこか焦りのようなものも滲んでいた。
セイランは一歩前に出て、まっすぐに言った。
「それなのですが──ヴァイオレット妃殿下を、我が妃に迎えたいのです」
その言葉に、部屋の空気が一瞬で凍りついた。
カイザーの目が細まり、私を一瞥する。
「……それを、俺が了承すると?」
「代わりに、姉を嫁がせます」
セイランは落ち着いた声で続けた。
「そして、我が国側の関税を下げます。他にも、そちらで取れない海産物などを優先的に輸出しましょう。
国境沿いで賊が出れば、我が軍が率先して討伐にあたります」
カイザーは黙り込み目を閉じたまま、ゆっくりと呼吸を整える。
──数えている。
彼が本気で怒りを抑えたいときにする癖だ。
1、2、3……20。
「……持ち帰って、考えさせてほしい」
「ありがとうございます」
セイランが深く頭を下げた。
「では、帰るぞ」
カイザーが私に向き直る。
けれど、私は動かなかった。
「ここに、このまま残ります」
「は?」
カイザーの声が低くなる。
「バカな……お前はルヴァン国の妃だぞ。
帰って、親兄弟に説明するのが筋だろう」
その言葉に、私は一瞬だけ逡巡した。
確かに、まだ正式な離縁も、義兄の当主交代も済んでいない。
このまま残れば、情勢が揺れる可能性もある。
マルティダの立場にも、影響が出るかもしれない。
「……わかりました」
私は静かに頷いた。
「ヴァイオレット妃殿下!」
セイランの声が、思わず上ずる。
私は彼の方を向き、微笑んだ。
「結婚の許しをもらって、帰ってきます。
少し、待っていてください」
セイランは拳を握りしめ、何かを堪えるように頷いた。
「……まだ俺と結婚している状態で、置いていくわけにはいきません。
ご理解ください」
カイザーが、冷たく言い放つ。
セイランは、唇を噛み、静かに頷いた。
──自分の足で、すべてを終わらせに行く。
そして、戻ってくる。
私の意志で、私の未来を選ぶために。
馬車の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。
外の風景は流れていくのに、時間だけが止まったようだった。
「……不倫してたのか」
カイザーの声が、唐突に空気を裂いた。
「冗談じゃない。私の方が、4つも上よ」
私は眉ひとつ動かさずに返す。
「もう成人したろ」
「はあ……うるさいなあ」
私はため息をついた。
「不倫してようが、してまいが──あなたに言われる筋合いはない」
「バカめ。妃の不義密通は重罪だぞ」
「白い結婚なのに、不義も密通もないわ。
不義密通が重罪なのは、王家の血統を乗っ取る可能性があるから。
でも、白い結婚なら、そんなこと関係ない」
「俺は、お前と白い結婚などとは言ってない」
「私が拒否すれば、それまでです」
「妻に拒否権はない」
その瞬間、カイザーが座席を移動し、私の隣に迫った。
壁に手をつき、私を囲い込むようにして、顔を近づけてくる。
「……別に、今してもいいんだぞ」
一瞬だけ怒りと恐怖が胸をかすめたが、それを押し殺し静かに言った。
「──プレゼントがあるの」
「っ、は。お前のコットンなんか、要らない」
「違うわ」
彼の顔が、わずかに強張る。
私は、馬車の内壁をコンコンと軽く叩いた。
御者が合図を受け取り、馬車がゆっくりと止まる。
扉が開き、冷たい風が頬を撫でた。
私はメイドと共に外へ出て、すぐにベールを被った“彼女”と視線を交わす。
"彼女"は無言で頷き、私の代わりに馬車へと乗り込んだ。
カイザーの顔が、わずかに困惑に歪むのが見えた。
けれど、私は何も言わず扉を閉めた。
そして、侍女たちの乗る別の馬車へと乗り込む。
馬車が再び動き出すと、私は窓の外を見つめながら、深く息を吐いた。
──これでいい。
これで、自由になれる。
母国の王宮に到着すると、護衛がすぐに駆け寄り、私を丁寧にエスコートしてくれた。
私は静かに馬車を降り、石畳を踏みしめながら、正門へと向かう。
そのとき、隣の馬車からカイザーが降りてきた。
彼は当然のように“彼女”の手を取り、エスコートする。
詰め寄ってくるかと思えば──そのまま、何事もなかったかのように王宮へ入っていった。
私は唇を噛み、笑いそうになるのを必死で堪えた。
──うまくいった。
あの馬車に入れ替りで乗せたのは、ジャネットにそっくりの少女。
髪型も、歩き方も、声のトーンまでも訓練された、完璧な“影”。
似た女性を探して、報酬と引き換えに契約したのだ。
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