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性病検査
しおりを挟む客間に入ると、エルンストがすぐに私の腕を取った。
指先がそっと袖をめくり、露わになった肌を見つめる。
「……手形がついてる。包帯を巻こう」
「痛くないわ。大袈裟よ」
私は軽く笑ってみせたが、彼は納得していない顔だった。
「しかし──」
「それより、バーガイン侯爵夫人はどうなったかしら?」
話題を変えると、騎士がすぐに応じた。
「薬が切れて、放心状態です。自宅に送りますか?」
「そうね。必要な書類を確認して、不備がなければ返しましょう」
運ばれてきた書類を、エルンストと並んで確認する。
その中身に、彼の眉がぴくりと動いた。
「……マルグリートと婚約してから、今までに抱えた愛人が15?!
一晩限りの遊びが300以上?!
それ以外に娼館通い?! なんてやつだ……」
「婚前に素行調査した時期は控えていたんですって。
つまり、うちがいつ調査員を派遣したか、把握してるのよ」
エルンストは深くため息をつき、書類を閉じた。
そして、私をそっと抱き寄せ、額に優しく口づけた。
「……あの、私、検査しないと……」
性病である。
これだけ元夫が不貞したなら、何かしら感染しているかもしれない。
「え? ああ……症状はないんだろう?」
「潜伏期間があるでしょ」
私の声に、メイドがすぐに侍医を呼びに走った。
私は、ふと視線を落とした。
「……気付かなかった。自分の鈍感さに、落ち込みそうよ」
ぽつりと、言葉がこぼれる。
「彼は……朝、私より早く起きて、手ずから花を摘んで、眠っている私の枕元に置いていたの。
私はそれを、愛されてるからだと思ってた。
でも、考えてみれば──たったそれだけで、自分の思い通りに動いてくれる駒なんだから、楽な作業よね」
笑おうとしたけれど、声が震えた。
「予算はたくさん与えてくれたけど、夜会の衣装はいつも私に丸投げだったわ。
どうして、気付かなかったんだろう?」
──エルンストのように、デザインまで考えてくれる人がいるなんて、知らなかった。
「彼から、他の女の香水の匂いがしたことはないんだろう?」
エルンストの問いに、私は小さく頷いた。
「夜会で誰かとダンスしたとき以外は……」
「公爵は、君に徹底して隠してたんだ。気付かないのも、当然だよ」
私は、静かに頷いた。
その瞬間、エルンストの手が私の頭に触れ、優しく撫でた。
「大丈夫だ。僕はここにいるから」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
涙は出なかった。
けれど、心が少しだけほどけた気がした。
侍医が静かに診察を終え、手を拭きながら言った。
「今のところ、異常は観られません。ただ、念のため──3ヶ月ほど様子を見てください」
ディートリヒに掴まれた腕を診て貰うついでに、性病検査もした。
私は頷き、さらりと口にした。
「それまで、お預けね」
その瞬間、エルンストが盛大に咳き込んだ。
「なっ……そ、そ、それは……! け、結婚式が終わるまでは、手は出さないよ!」
私は首をかしげて、無邪気に問い返す。
「でも、舞踏会で“キスしてもいいか”って言ったじゃない。
てっきり、早くしたいのかと思ったわ」
エルンストの顔が、みるみるうちに真っ赤になる。
「そ、そりゃ……したいけど! 順番があるだろう!」
その真面目すぎる反応に、私は思わず吹き出した。
「ふふっ……可愛い方ね、エルンスト様」
彼はさらに赤面し、視線を逸らした。
その日の午後、ロザネ・バーガイン侯爵夫人は、騎士たちに付き添われて屋敷を後にした。
放心したままの彼女は何も言わず、ただ静かに馬車へと乗り込んでいった。
私はその背を見送りながら、心の奥に残るわだかまりを、そっと水に流すように目を閉じた。
本来なら、今日からエルンストの屋敷へ引っ越す予定だった。
けれど、さすがに心も身体も疲れ果てていた。
「後日にしましょう。今日は、少し休みたいの」
そう彼に断って、私は自室に戻った。
湯殿に身を沈めると、全身から力が抜けていく。
湯気が立ちのぼり、肌を優しく包み込む。
「……あ~、疲れた……」
思わず声が漏れた。
そのまま、まぶたが重くなり──気づけば、夢の中へ。
心配はいらない。
見守るメイドが、湯の温度を保ち、私が沈まぬように支えてくれる。
──静かな夜。
ようやく訪れた、ほんのひとときの安らぎ。
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