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突然、日本へ
しおりを挟む「王子宮も落ち着いたし、そろそろ自分ち帰るわ」
人の総入れ替えのため、女主人としての仕事が増えてしまい、王子宮暮らしに戻って2ヶ月経った。
私がそう言うと、ロベルトは椅子から跳ね上がった。もう怪我は、殆ど良くなっている。
「はあああ?! 俺を置いていくのか?」
私はコテンと首を傾けた。
「近くにいない方が、互いに幸せじゃない」
「っ……! お、俺のオブアートは誰が見るんだ?」
「食べる人」
「お、お前は見たくないのか」
「気にならないこともないけど、どうしてもってほどじゃない」
ロベルトの翡翠色の瞳が揺れた。
“見てほしい”という気持ちが透けて見える。
でも私は、あえて軽く流した。
するとロベルトは突然、胸を張って言い放った。
「お、お、俺は怪我が治ったから夜会に行くぞ」
私は思わず吹き出しそうになった。
──ああ、この人、本当にわかりやすい。
私が離れると言った途端、
“他の女に囲まれてやる”
とでも言いたげな、子どもみたいな意地。
でも、そんな脅しで私が動くと思っているあたりが、やっぱり甘い。
「行ってらっしゃい」
「お前も行くんだろう!」
翡翠色の瞳が焦りで揺れている。
「え、もう社交シーズン終わるじゃない。ドレス仕立てて終わる頃には皆、領地じゃないの?」
「夜会など自分で開けばいい。そこでオブアートの御披露目をする」
「匿名で?」
「違う。俺名義で。俺が世間に認められたら見直すか?」
私はため息をついた。
「見直して欲しいなら、まず私が許すまで誠心誠意謝りなさいよ」
「王族が間違いを認めてはならない」
「おやすみ、バイバイ」
ロベルトは言葉を失い、口をぱくぱくさせていた。
夜会の会場は煌びやかなシャンデリアが輝き、貴族たちの笑い声が響いていた。
私は淡い色の簡素なドレスを着て、ロベルトの隣に立った。
「信じられん。ドレス全部、売り払ったなんて」
「あなた怪我しててパーティー出れないし、要らないと思ったんだもん。早く売らないと、型も古くなるし」
ロベルトは額を押さえた。
「はあ……まあいい。多めに作っておけば年末も着られる」
「そうね、今のうちに出ておきましょう。来年の社交シーズンは、国内をグルグル回るから」
ロベルトが、ぎょっとした。
「俺は忙しいんだぞ。お前が政務しないせいで」
「そういう契約だもん。あなたは籠って働けばいい」
「書類仕事は、どこでもできる」
「まさか、ついて来ないよね?」
「一緒に行かないと、不仲だと思われるだろう」
私は肩をすくめた。
「結婚式に参列した人たちは、私たちの間に修復不可能な亀裂を見たのよ。今更どうしろっていうの」
「……あそこから持ち直した俺を、世間は評価するだろう」
私は呆れて深くため息をついた。
この人は本当に、自分の評価のことしか考えていないのか。
そうしてるうちに、貴族たちが次々と挨拶に来た。
話題はどれもこれも──
「妃殿下のバーベキューが大評判でして」
「孤児院の子供たちが“ミア様のお弁当”と喜んでおりました」
「王都の食文化が変わったと噂です」
ロベルトは横で、ずっと不満げな顔をしていた。
自分より私の方が人気があるのが気に入らないのだろう。
私は笑顔で応対しながら、内心でため息をついた。
夜会が終わり、私は自室に戻った。本来の妻の部屋だ。交換をやめた。
ロベルトもついてきて、勝手に椅子に座る。
「みんな“常識を打ち破った”って言いながら、私を非常識って言いたいのよ」
「そんなことくらい、わかってる」
「だったら機嫌、直しなさいよね。子供じゃないんだから」
「はあ……君は、これからどうするつもりだ?」
私は淡々と答えた。
「友好条約がなくても戦争にならないように尽力して、終わったら離婚して母国に帰る」
ロベルトの表情が固まった。
「……何? 離婚するつもりだったのか」
「逆に離婚したくない理由がない」
ロベルトは言葉を失い、翡翠色の瞳が揺れた。
その顔は、まるで世界が崩れた子供のようだった。
──でも、私の心は揺れなかった。
この結婚は政治の道具でしかない。
私の人生は、私が決める。
ロベルトが突然距離を詰め、私はソファに押し倒された。
逃げ場を塞ぐような動きだ。
「白い結婚の約束でしょ」
私は努めて冷静に言った。
「1回、抱かれれば、お前は俺から離れられなくなるはずだ」
ロベルトは自信満々に言い放つ。
私は思わず吹き出した。
でも、反論しようと口を開いたのに──声が出ない。
……え? なんで?
焦る私を見て、ロベルトは勝手に解釈した。
「言い返してこないのは、俺を受け入れるということだな」
ち、違──
声にならない。
その瞬間、視界が真っ白に染まった。
──白い世界……。
「お疲れ様」
振り返ると、そこに“ミア”がいた。
原作で読んだままの姿──金髪、アメジストの瞳、儚げな雰囲気。
「え……あなたは」
「原作のミアよ」
「……今まで、どこにいたの?」
「日本のあなたの体に入ってたわ」
「嘘でしょ?!」
ミアは微笑んだ。
どこか寂しげで、でも満足したような顔。
「では、もう交代だから。色々ありがとう」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って──!」
白い光が強くなり、私は思わず目を閉じた。
まぶたを開けると、見慣れた天井があった。
自分の布団、自分の部屋、日本の空気。
「……戻ったんだ……」
胸の奥がじんわりと熱くなる。
夢のような異世界の日々が、ゆっくりと現実から離れていく。
翌朝。
私はスーツに袖を通し、いつものように会社へ向かった。
だが──エントランスに入った瞬間、空気がざわついた。
社員たちが私を見て、ひそひそと囁き合っている。
……え? なんで、こんなに見られてるの?
私は気にしないふりをして、セキュリティゲートに社員証をかざした。
──ピッ。
赤いランプ。
ゲートは開かない。
え? え? なんで?
もう1度かざす。
また赤。
「何してるんですか!」
鋭い声が飛んだ。
振り返ると、黒縁メガネに無造作ヘアの青年──木沢が立っていた。
身長は高め、スーツは皺だらけ、だが目だけは鋭い。
「木沢くん。久しぶり……じゃなくて、社員証が反応しないの」
「反応って……あなたはもうクビになったでしょう」
「え」
頭が真っ白になった。
会社近くの喫茶店。
木沢はコーヒーを前に、信じられないという顔で私を見ていた。
「部長が抱えてたプロジェクト全部、自分でダメにしたんですよ」
「…………」
私は絶句した。
そんな覚えは一切ない。
というか──私は異世界にいた。
「記憶が……? でも確かに変でしたね。今までの部長とは、まるで別人で。何があったんです?」
本当のこと言ったらどう思われる?
精神病棟? 強制入院?
いや、さすがにそこまでは……。
でも、嘘をつく気力もなかった。
「……あの……」
私は深呼吸し、覚悟を決めた。
「今まであったことを全部話すね」
異世界での生活。
ミアとしての4か月。
ロベルト、料理、オブアート、政治、そして“原作ミア”との交代。
木沢は途中からコーヒーに手をつけるのも忘れ、ただ黙って聞いていた。
私は話し終え、息を吐いた。
「……以上が、全部」
私が異世界での出来事をすべて話し終えると、木沢は──絶句した。
口を開けたまま固まり、しばらくしてから、ようやく声を絞り出す。
「……考えられない。けど、そう言われればわかるかも。だって部長、スマホの使い方すらわからなくて、1から教えたんです」
「あー……そこから……よく出社できたね」
「連絡取れなかったから家に直接、行きましたよ。死んでたら困ると思って」
「…………」
私は頭を抱えた。
異世界でミアとして生きていた間、現実の私は“完全に別人”として動いていたのだ。
そりゃクビにもなる。
「これから、どうするんです? 同業は無理ですよ。もう評判、最悪なんで」
木沢の言葉は容赦がない。
でも事実だ。
解雇されるレベルの失態を“自分がやったことになっている”のだから。
関係ない業界に行くしかない……。
この年齢でキャリア捨てるの、キッツイ……。
私はコーヒーを見つめながら呟いた。
「しばらく田舎で飲食店やろうかしら」
「預金あるんですか? 賠償金かなり払ったでしょう」
「ば……」
私は慌ててスマホを取り出し、ネットバンキングを開いた。
──残高:24万円。
……え?
え? 7000万あったよね?
なんで?
「嘘でしょ……」
声が震えた。
喫茶店のざわめきが遠くなる。
木沢が眉をひそめる。
私はスマホを握りしめたまま、言葉を失った。
4か月。
その間に、日本の私は──
人生も、仕事も、貯金も、全部失っていた。
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