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序章・ガナン大陸戦争
帝都決戦(1)
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少女が泣き叫んでいる。やめてと懇願を繰り返す。
相手は聞き入れない。血走った目で彼女を寝台に抑え付け、叫ぶ。
「こうするしかない! もう、こうするしかない!!」
右手に握られた刃は、少女の胸へまっすぐ吸い込まれ──
オルトランドを発ってから三ヶ月と二週間後、アイズはゆっくり瞼を開いた。この世で最も優れた視力が天幕の天井を這う虫を見つけ、しばしそれを観察させる。
外よりは暖かいからな。感想はそれだけしか浮かばない。
「……」
明るい、すっかり日が昇っている。明け方まで監視任務を続けていたため、さほど長く眠っていない。そのせいか奇妙な違和感があった。いつもの天幕の中なのに自分がここにいるのはおかしいような気がする。
そういえば夢を見た。それが原因かもしれない。自分ではない誰かが死を迎える瞬間の光景。何故あんな夢を見たのかは不明。夢を見ること自体初めてなはず。今までは起きるまで闇を漂うだけだった。
(こういうものか……)
人間は夢を見る。知識としては知っていた。だが天士もそうだとは知らなかった。何故夢を見る必要があるのだろう? その理由は教えられていない。
まあいい。わからない以上、考えても時間の無駄。夢に対する疑問も夢の内容も頭から追い払う。
そうして手早く身支度を整えた彼女は外へ出た。すると無数の光がきらめいて美しい顔を照らす。雪だ。木々の梢や地面にうっすら白いそれが覆い被さり、柔らかな木漏れ日を反射している。
昨夜は違った。一晩で景色が一変したらしい。これも初めての体験。
「おはよう」
「おはよう」
いつものように、すぐ近くの焚火の前に腰かけたままのブレイブと挨拶を交わす。寝ている姿を一度も見たことが無い。いったい、いつ休息しているのだろう?
彼は火に当たりながら言った。天士は寒さを感じないはずなのに。
「冷えるな」
「そうなのか?」
「人間はこんな時、こういう会話をするものだ」
「私達は天士だぞ」
「そうだな。だが、こだわる必要は無い。せっかく人間と一緒に行動してるんだ、彼等の様式を学んでいけ。その方が円滑に事を進められる。お前はせっかく美人なのにぶっきらぼうすぎる」
「ぶっきらぼうとは?」
「愛嬌が無いという意味だ。女になったんだし、女らしくしてみたらどうだ?」
「そうすべきなのか?」
「いいや、お前次第だ。好きにしろ」
「……」
好きにしろと言われても、命令に従う以外に何をどうしたらいいのかわからない。眉をひそめたアイズを見てブレイブは立ち上がり、背筋を伸ばしたり腕を回したりして筋肉の凝りを解しながら話題を変えた。いや、戻したと言うべきか。
「とうとう雪だ」
「少し降ったようだな」
「これからどんどん積もるぞ」
「ああ」
気候に関する知識ならある。大陸北部は他の地域より冬の到来が早く、そして去るのは遅い。これからこの地域は長く雪に閉ざされるはずだ。
周囲では連合軍の兵士達が忙しなく動き回っている。アイズとブレイブはそんな彼等の間を通り抜け、崖上から眼下を見渡した。オルトランドでの戦いとは逆の構図。
──目の前の盆地に小さな都。カーネライズ帝国は千年前の大戦後に遷都を行い、この地へ帝都を移した。それがあのナルグルという都市である。高く分厚い壁が周囲を正方形に囲んでおり中心には巨大な城。小国の立場にも、あの小都市にも似つかわしくない威容を誇るあれが狂った皇帝ジニヤの居城。
各地で帝国軍を掃討しながら北上を続けた連合軍は、ついにこの地で再結集し、二日前包囲を完成させた。もはや帝都からは鼠一匹逃げ出せない。
すでに再三の降伏勧告を行っている。だが全て断られた。三度目など使者が殺され無残な姿で戻る結果に。狼型の魔獣が彼の右腕だけを咥えて持って来た。
かくして、三度の交渉決裂と使者への蛮行により昨夜ついに決定が下された。これから連合軍は帝都へ攻め込み、皇帝ジニヤ・カーネライズと錬金術師イリアム・ハーベストを打倒する。
今やらなければならない。連合軍の首脳部はそう主張し、ブレイブも同意した。
「冬が来た。他の地域ならまだ秋だが、この辺りではすぐに高く雪が積もる。人間達では戦を続けることができない」
「我々だけでも戦える。彼等の力は必要無い」
「そうだな。だが彼等を蚊帳の外に置くべきじゃない。彼等もこの一戦に参加した、その事実が大切なんだ。そうでなければ恨みは晴れない。自分の手でやり返したという実感を得られなければ、いつまでも復讐が続くことになる」
「帝国民を全て処刑してしまえば、それでいいのではないか?」
最も効率的な手段。これだけの罪を犯した以上、妥当な刑罰でもある。死刑が執行されれば被害者達の溜飲も多少は下がるだろう。やり場のない怒りが残ったとしても、それをぶつけるべき相手が一人もいなくなっていれば彼等は手を汚さずに済む。
アイズはそうすべきだと思った。なのにブレイブは否定する。
「そこまでする必要は無い。帝国の民も、ほとんどは被害者だ」
「被害者?」
「もっと公正に判断しろ。彼等は普通の人達だぞ。魔獣どころか武装した兵士にさえ手も足も出ない。脅されて命令されれば従う以外になかった。だから彼等は傍観者でも加害者でもなく、被害者なんだよ」
なるほど、年経た天士はそういう考え方をするのか。アイズはまた一つ学習する。
「わかった、団長の判断に従う。では、突入後に一般人と遭遇した場合も危害を加えてはいけないのだな?」
「そうだ、武装している者以外はなるべく殺すな。今まで通り兵士でも降伏した相手には攻撃を禁じる。ただしジニヤとイリアムは発見次第に殺せ。禁忌に触れた以上、生かしておくわけにはいかん」
「了解」
魔獣とは異なる種の生命を交配とは別の手段でかけ合わせ、造り出した合成生物。その技術に触れること自体を神々は禁じている。そのため、イリアムに助手などがいた場合もやはり抹殺対象となる。
「失礼、お話し中のところ失礼いたします」
突入後の方針が決まったところへ連合軍の指導者ザラトス将軍が訪れた。先日の戦いで右腕を失ってしまったというのに、いつも通り武装している。
「ブレイブ殿、アイズ殿、戦支度はお済みですか? まだならお急ぎを。後少しで全軍の配置が完了します」
「我々は天士、いつでもすぐに戦えます。しかし閣下、あなたは……」
「なに、どうせ老いたる身、五体満足だったとて大した働きはできません。しかし兵達を鼓舞するくらいはできましょう。ご存知の通り、我が祖国は奴等に滅ぼされました。私も部下達もこの一戦に参加するため今まで生き延びて来たのです。どうか戦場に立つことをお許しください。邪魔だけはいたしません」
「邪魔などとは思っておりません。言葉足らずで申し訳ない。ザラトス閣下の姿が戦場にあれば、たしかに兵達の士気は上がりましょう。むしろ、こちらからお願いしたい」
「ありがたいお言葉。深く感謝いたします」
するとそこへアイズと並ぶもう一人の副長ノウブルも姿を現す。手には二種類のサンドイッチを載せた皿を携えていた。
「団長、アイズ、食事だ。決戦の前なのだから食べておけ」
「それもそうだな」
「いただこう」
手を伸ばす二人。どちらも焼いたハムと野菜を挟んだもの。甘いジャムも塗られている。戦地ではなかなか贅沢な食事。
手早く食べ切ったブレイブは唇についたジャムを舐めとりつつ訊ねる。
「お前は? 支度は済んだのか?」
「ああ」
頷くノウブル。彫りの深い顔には何の感情も浮かんでいない。その上、この巨漢は常に言葉少なく簡潔に話す。甲冑も他の天士達のものに比べるとシンプルな構造で肌の露出が多い。得意とする武術の妨げにならないよう考えられた設計。兜も額から上を守るだけで、どちらかと言えば鉢金に近い構造。
逆にアイズの鎧は他の誰よりも手が込んでいる。彼女の体型に合わせてデザインされたそれは女性的で優美な曲線を描き艶めかしい。短く切った髪の代わりに兜にも髪を模した飾りが付けられていて被っている間は長髪に見える。戦闘中に視界に入るのが嫌で本人としては取りたいのだがブレイブからは外すなと言われた。連合軍の重鎮達が要望しているらしい。
ザラトスも改めて釘を刺して来る。
「ではアイズ殿、いつものように戦乙女としてブレイブ殿の隣に」
「わかっている」
女神の如く見目麗しい存在が戦場にいると兵達の士気が上がるのだそうだ。だから立ち位置も一番目立つ団長の隣。そこが定位置。
不可解な話だが人間達には重要なようで団長命令でもある。一足遅れてサンドイッチを食べ終えたアイズは今日も兜を被り、彼等が求める戦乙女に。
直後、ブレイブが自分の唇を指す。
「ジャム」
「……」
兜の下で舐め取った。
相手は聞き入れない。血走った目で彼女を寝台に抑え付け、叫ぶ。
「こうするしかない! もう、こうするしかない!!」
右手に握られた刃は、少女の胸へまっすぐ吸い込まれ──
オルトランドを発ってから三ヶ月と二週間後、アイズはゆっくり瞼を開いた。この世で最も優れた視力が天幕の天井を這う虫を見つけ、しばしそれを観察させる。
外よりは暖かいからな。感想はそれだけしか浮かばない。
「……」
明るい、すっかり日が昇っている。明け方まで監視任務を続けていたため、さほど長く眠っていない。そのせいか奇妙な違和感があった。いつもの天幕の中なのに自分がここにいるのはおかしいような気がする。
そういえば夢を見た。それが原因かもしれない。自分ではない誰かが死を迎える瞬間の光景。何故あんな夢を見たのかは不明。夢を見ること自体初めてなはず。今までは起きるまで闇を漂うだけだった。
(こういうものか……)
人間は夢を見る。知識としては知っていた。だが天士もそうだとは知らなかった。何故夢を見る必要があるのだろう? その理由は教えられていない。
まあいい。わからない以上、考えても時間の無駄。夢に対する疑問も夢の内容も頭から追い払う。
そうして手早く身支度を整えた彼女は外へ出た。すると無数の光がきらめいて美しい顔を照らす。雪だ。木々の梢や地面にうっすら白いそれが覆い被さり、柔らかな木漏れ日を反射している。
昨夜は違った。一晩で景色が一変したらしい。これも初めての体験。
「おはよう」
「おはよう」
いつものように、すぐ近くの焚火の前に腰かけたままのブレイブと挨拶を交わす。寝ている姿を一度も見たことが無い。いったい、いつ休息しているのだろう?
彼は火に当たりながら言った。天士は寒さを感じないはずなのに。
「冷えるな」
「そうなのか?」
「人間はこんな時、こういう会話をするものだ」
「私達は天士だぞ」
「そうだな。だが、こだわる必要は無い。せっかく人間と一緒に行動してるんだ、彼等の様式を学んでいけ。その方が円滑に事を進められる。お前はせっかく美人なのにぶっきらぼうすぎる」
「ぶっきらぼうとは?」
「愛嬌が無いという意味だ。女になったんだし、女らしくしてみたらどうだ?」
「そうすべきなのか?」
「いいや、お前次第だ。好きにしろ」
「……」
好きにしろと言われても、命令に従う以外に何をどうしたらいいのかわからない。眉をひそめたアイズを見てブレイブは立ち上がり、背筋を伸ばしたり腕を回したりして筋肉の凝りを解しながら話題を変えた。いや、戻したと言うべきか。
「とうとう雪だ」
「少し降ったようだな」
「これからどんどん積もるぞ」
「ああ」
気候に関する知識ならある。大陸北部は他の地域より冬の到来が早く、そして去るのは遅い。これからこの地域は長く雪に閉ざされるはずだ。
周囲では連合軍の兵士達が忙しなく動き回っている。アイズとブレイブはそんな彼等の間を通り抜け、崖上から眼下を見渡した。オルトランドでの戦いとは逆の構図。
──目の前の盆地に小さな都。カーネライズ帝国は千年前の大戦後に遷都を行い、この地へ帝都を移した。それがあのナルグルという都市である。高く分厚い壁が周囲を正方形に囲んでおり中心には巨大な城。小国の立場にも、あの小都市にも似つかわしくない威容を誇るあれが狂った皇帝ジニヤの居城。
各地で帝国軍を掃討しながら北上を続けた連合軍は、ついにこの地で再結集し、二日前包囲を完成させた。もはや帝都からは鼠一匹逃げ出せない。
すでに再三の降伏勧告を行っている。だが全て断られた。三度目など使者が殺され無残な姿で戻る結果に。狼型の魔獣が彼の右腕だけを咥えて持って来た。
かくして、三度の交渉決裂と使者への蛮行により昨夜ついに決定が下された。これから連合軍は帝都へ攻め込み、皇帝ジニヤ・カーネライズと錬金術師イリアム・ハーベストを打倒する。
今やらなければならない。連合軍の首脳部はそう主張し、ブレイブも同意した。
「冬が来た。他の地域ならまだ秋だが、この辺りではすぐに高く雪が積もる。人間達では戦を続けることができない」
「我々だけでも戦える。彼等の力は必要無い」
「そうだな。だが彼等を蚊帳の外に置くべきじゃない。彼等もこの一戦に参加した、その事実が大切なんだ。そうでなければ恨みは晴れない。自分の手でやり返したという実感を得られなければ、いつまでも復讐が続くことになる」
「帝国民を全て処刑してしまえば、それでいいのではないか?」
最も効率的な手段。これだけの罪を犯した以上、妥当な刑罰でもある。死刑が執行されれば被害者達の溜飲も多少は下がるだろう。やり場のない怒りが残ったとしても、それをぶつけるべき相手が一人もいなくなっていれば彼等は手を汚さずに済む。
アイズはそうすべきだと思った。なのにブレイブは否定する。
「そこまでする必要は無い。帝国の民も、ほとんどは被害者だ」
「被害者?」
「もっと公正に判断しろ。彼等は普通の人達だぞ。魔獣どころか武装した兵士にさえ手も足も出ない。脅されて命令されれば従う以外になかった。だから彼等は傍観者でも加害者でもなく、被害者なんだよ」
なるほど、年経た天士はそういう考え方をするのか。アイズはまた一つ学習する。
「わかった、団長の判断に従う。では、突入後に一般人と遭遇した場合も危害を加えてはいけないのだな?」
「そうだ、武装している者以外はなるべく殺すな。今まで通り兵士でも降伏した相手には攻撃を禁じる。ただしジニヤとイリアムは発見次第に殺せ。禁忌に触れた以上、生かしておくわけにはいかん」
「了解」
魔獣とは異なる種の生命を交配とは別の手段でかけ合わせ、造り出した合成生物。その技術に触れること自体を神々は禁じている。そのため、イリアムに助手などがいた場合もやはり抹殺対象となる。
「失礼、お話し中のところ失礼いたします」
突入後の方針が決まったところへ連合軍の指導者ザラトス将軍が訪れた。先日の戦いで右腕を失ってしまったというのに、いつも通り武装している。
「ブレイブ殿、アイズ殿、戦支度はお済みですか? まだならお急ぎを。後少しで全軍の配置が完了します」
「我々は天士、いつでもすぐに戦えます。しかし閣下、あなたは……」
「なに、どうせ老いたる身、五体満足だったとて大した働きはできません。しかし兵達を鼓舞するくらいはできましょう。ご存知の通り、我が祖国は奴等に滅ぼされました。私も部下達もこの一戦に参加するため今まで生き延びて来たのです。どうか戦場に立つことをお許しください。邪魔だけはいたしません」
「邪魔などとは思っておりません。言葉足らずで申し訳ない。ザラトス閣下の姿が戦場にあれば、たしかに兵達の士気は上がりましょう。むしろ、こちらからお願いしたい」
「ありがたいお言葉。深く感謝いたします」
するとそこへアイズと並ぶもう一人の副長ノウブルも姿を現す。手には二種類のサンドイッチを載せた皿を携えていた。
「団長、アイズ、食事だ。決戦の前なのだから食べておけ」
「それもそうだな」
「いただこう」
手を伸ばす二人。どちらも焼いたハムと野菜を挟んだもの。甘いジャムも塗られている。戦地ではなかなか贅沢な食事。
手早く食べ切ったブレイブは唇についたジャムを舐めとりつつ訊ねる。
「お前は? 支度は済んだのか?」
「ああ」
頷くノウブル。彫りの深い顔には何の感情も浮かんでいない。その上、この巨漢は常に言葉少なく簡潔に話す。甲冑も他の天士達のものに比べるとシンプルな構造で肌の露出が多い。得意とする武術の妨げにならないよう考えられた設計。兜も額から上を守るだけで、どちらかと言えば鉢金に近い構造。
逆にアイズの鎧は他の誰よりも手が込んでいる。彼女の体型に合わせてデザインされたそれは女性的で優美な曲線を描き艶めかしい。短く切った髪の代わりに兜にも髪を模した飾りが付けられていて被っている間は長髪に見える。戦闘中に視界に入るのが嫌で本人としては取りたいのだがブレイブからは外すなと言われた。連合軍の重鎮達が要望しているらしい。
ザラトスも改めて釘を刺して来る。
「ではアイズ殿、いつものように戦乙女としてブレイブ殿の隣に」
「わかっている」
女神の如く見目麗しい存在が戦場にいると兵達の士気が上がるのだそうだ。だから立ち位置も一番目立つ団長の隣。そこが定位置。
不可解な話だが人間達には重要なようで団長命令でもある。一足遅れてサンドイッチを食べ終えたアイズは今日も兜を被り、彼等が求める戦乙女に。
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「ジャム」
「……」
兜の下で舐め取った。
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