gimmick-天遣騎士団-

秋谷イル

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四章・愚者の悲喜劇

眠れぬ皇女

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 ――それは二年前の出来事。城中を歩き回り、ようやく彼を廊下の先に見つけた時の会話。
「イリアム、教えて。シエナ達はどこ? 知ってるんでしょう? あの子達に何をしたの!?」
 友人達が次々に消えて、とうとう最後の一人までいなくなった。彼なら何か知っているに違いない。だって父の共犯者・・・だから。
 この時にはもう、籠の鳥だったアリスも外の世界で何が起こっているのかを薄々察していた。この先の未来にどんな苦難が待ち受けているのかも。
 彼女は、それに立ち向かう覚悟を決めたのだ。だからとうとう彼を直接問い詰めた。彼女が幼かった頃からこの城にいる錬金術師を。
「……本当に、それを知りたいのか……?」
 疲れ切った顔の彼は問い詰められても顔色一つ変えなかった。元々死人同然の様相だったからかもしれない。
 苦悩はしていたのだと思う。罪の意識に苛まれていたのだろう。だって彼女を友人達の元まで案内すると言って地下施設へ連れ込み、眠らせた後、冷たい寝台に縛り付けてから子供のように泣きじゃくった。
「ごめん……ごめん……でも、もう……こうするしかないんだ」
 手術は彼女の目覚めを待って始められた。その方が術後の生存率が高まると先に殺めた六人のおかげでわかっていたから。麻酔の使用の有無か、それとも意識の覚醒そのものが条件かは不明だったそうだが。
 麻酔も使わずに胸を切り開かれ、アリスは白目を剥いた。猿轡のせいで叫ぶことは出来ない。皇女として大切に育てられて来た彼女のそれまでの人生には無縁で、だからこそ想像もつかなかった異次元の激痛。口から泡を吹いて痙攣してもイリアムは構わずに手と口を動かし続ける。
「大丈夫、大丈夫……死なせやしない。今度こそ、必ず成功させる」
 そして彼女の心臓に何かが押し当てられた。その何かは最初は硬かったのに、やがて水か何かのように沁み込んで同化を始める。自分の体に異物が溶け込むおぞましさは体験した者でなければわかるまい。
 さらにそれは血流に乗って全身へ広がり、根を張った。信じ難いごとに胸を切り開かれた苦痛よりなお激しい痛みが全身の神経を駆け巡る。魔素結晶から流れ込む様々な記憶が訴える苦痛。
 友人達がどうなったのか、ようやく知った。皆も同じことをされ、絶望しながら死んだのだと。
 覚悟はしていた。でも、ここまで酷い未来が待ち受けているとは想像もつかなかった。激痛の中でアリスは呪う。自分をこんな目に遭わせた全ての者を。
 イリアムはうわごとを繰り返す。ごめん、ごめん、ごめん。アリスにとっては何の救いにもならない。
 そして、彼の思念もまた彼女に語りかけてきた。心臓に手の平を押し当てて、同化した魔素結晶に命令を刷り込み、自分の悲願を果たさせようとする。
 殺してくれ、この苦痛と嘆きをもたらした者を。
 君の父親を殺してくれ――



(そう、その命令に逆らうことが出来ず、私はお父様を殺した……)
 テントの中、リリティアは眠り続けている。けれどアリスは眠らない。そもそも眠れるわけがない。
 かつてアイズに言ったことは事実だ。こうしている間にもやはり、人として生きる権利と死ぬ権利、両方を奪われたあの日の記憶にいたぶられ続けている。この身はもはや怪物で、アイズ以外にはけして殺めることが出来ない。なのに彼女には『リリティア』を殺すつもりは無いのだ。
 だから絶対に死ねない。
(彼のせいで……)
 イリアム・ハーベストのことが好きだった。幼いながらもずっと年上の彼に恋心を抱き、だからこそ父のせいで傷付けられ苦悩する姿に同情して救いたいと願っていた。
 けれど彼は彼女を憎んだ。皇帝の娘だから。夢を汚され利用され、その復讐のためにこの胸を切り開き、魔素結晶を埋め込んだ。麻酔すら使用せず、彼がこの身を魔獣《バケモノ》に作り変えた。
 他の六人も同じ。アイリスという復讐の手駒を完成させるための実験台《モルモット》。
 毎日毎日思い出す。この胸の中の魔素結晶が自分達の痛みと絶望を記憶してしまったから。いつまでも忘れることが出来ない。
 リリティアにまでこの苦痛を味わわせていないのは、別にアイズに頼まれたからではない。自分達の中に残った最後の良心、人だった頃の心がそうさせている。
 あるいは意地なのかもしれない。自分達はイリアムとは違う。何も知らない少女にまで罪を背負わせ苦しめたりはしない。
 でも本当はわかっている。そう言い張りたいがために、守っているだけなのだと。
(馬鹿な話よね……)
 罪の無い人達を大勢殺しておいて、今さらなんて下らない。偽善と呼ぶことさえおこがましい。
 ああ、また言い訳が浮かんで来る。
 イリアムのせい。彼に刷り込まれた殺意が悪い。彼のせいでたくさんの人を殺してしまった。そう自分に言い聞かせようとする。
 違う。彼が憎んでいたのは父と、父を止められなかった者達だけ。無辜の民まで殺めたかったわけではない。
 真実はこうだ。あれは自分達で生み出し、大きく膨れ上がらせた殺意の結果。怪物に変えられてしまった瞬間、世界に対して抱いた怒りと憎悪。それがナルガルとクラリオを壊滅させ、人々を残酷な死に追いやった。
 何もかもが忌まわしい。自分達をこんな目に遭わせた世界、その全てを衝動のまま破壊し尽くしてしまいたい。
 唯一の例外はアイズ。自分と同じく他者に利用され、人外に作り変えられた存在。彼女とは共通点が多い。だから好きになった。
 彼女とだけはわかり合える。
 事実、半年前の戦いを通じて理解し合えた。
 だからそう、わかっているのだ。アイズはもうすぐ死ぬ。
 死期が近い理由も対処法もすでに判明している。それでも彼女は絶対に実行しない。
 これ以上、罪を重ねたくないのだそうだ。
(馬鹿……)
 眠れるわけがあろうか。アリスはまた、この地獄の中で孤独に戻る。その時、自分がどんな選択をすることになるのか……考えるだけで怖い。



 翌朝、目を覚ましたリリティアは驚いた。
「みんな、ずっと起きてたの?」
「天士だからな」
 立ち上がって振り返るアイズ。いつもなら一緒に眠ってくれるのに、昨夜は結局来なかった。唇を尖らせ、正直に不満を顔に出す。
「お話してたの?」
「ああ、久しぶりに会ったからな。色々と話したいことがあった」
「そうなんだ」
 それなら仕方ないと自分を納得させ、毛布を丁寧に畳んだ。二枚とも綺麗に折り畳み、カバンに詰め込む。アイズはそのカバンを拾うとウルジンの背中に括り付けた。
 リリティアもすっかり友達になった黒馬の顔を撫で、訊ねる。
「寒くなかった?」
 火を熾さないで一夜を過ごすと言われたので、実は少し心配だった。
「お前と一緒に寝ていたし大丈夫だろう。馬は人より体温が高いしな」
 その言葉を肯定するように一声嘶き、首を上下させるウルジン。この馬は頭が良く、実際に人語を理解している節がある。
 たしかにウルジンとくっついていると温かい。今度は素直に納得して改めてアイズに問いかける。彼女のことも心配だ。
「アイズは? 平気?」
 しばらく前から、どこか調子が悪そうに見える。本人はいつも平気だと言うのだけれど。
「大丈夫だ、私は天士だぞ」
 やはりそう言って笑った。しかしリリティアは疑ったまま。アイズは本当は辛いのに顔に出さないだけなんじゃないか? どうもそんな気がする。
 しかし、別の可能来もあると気付いた。
「わたし、また記憶が飛んだ?」
「何故だ?」
「昨日も飛んじゃったし、もしかしたら寝ていたって思ってるだけで本当は色々忘れちゃってるのかもと思って。あれから何日も経ってるとか」
「そんなことはない。記憶の喪失だって最近はほとんど無かっただろう。昨日のはノウブル達と急に再会したせいで驚いただけだ。お前は一晩そこで眠っていた、保証する」
 保証されても全て忘れてしまっていたら本当かどうかわからない。騙されている気がする。
 でも、アイズの言うことだから信じた。彼女を信じたい気持ちは、変わらず強い。
 それから首を傾げる。よく考えると変。
「驚いても記憶が飛ぶの?」
「そういうこともあるかもしれん。私は医者じゃないし、断定はできないが」
「ふうん……あっ、そうだ」
 医者という言葉を聞いて、また一つ思いついた。
「アイズって、今はメイディさんの力も使えるんだよね? 私の頭を治せるんじゃない?」
「いや、お前の記憶喪失は頭の問題でなく心の問題だ。メイディの加護を借りても治せない。時間をかけて心を癒していくしかない。前にも教えたぞ」
「そうだっけ? その記憶も飛んじゃったのかも……」
「単なる物忘れだろう。ともかく、無駄話はここまで。そろそろ出発するから準備を」
「うん」
 と言っても服は昨日から同じのを着たままだし、朝食はアイズがどこからか獲って来てくれた果物を食べるだけ。食卓はウルジンの背中の上で良し。顔を洗っても砂漠ではどうせすぐ砂まみれになる。
 となると、すべきことは水分の排出のみ。リリティアはアイズ以外の天士達をチラリと見た。もの言いたげな視線に気付き、若干の間を置いてから察する彼等。
「ああ、用を足すのか」
「人間だもんな」
 彼等天士はあまりトイレに行かない。物を食べる以上、もちろん排泄は必要なのだが、そもそも食事量が極端に少ないのだ。そのおかげか数日に一回程度で事足りる。
 リリティアはクラリオで長いこと他の天士達と過ごしていたし、アイズとも半年間ずっと一緒だ。だからそういうものだと知っていた。
 彼等がそっぽを向いてくれた隙に近くに穴を掘って手早く用を足す。アイズはさりげなく壁になって隠してくれた。
「ふう……」
 こういうことをしていると故郷で山を駆け回っていた日々を思い出す。あの頃も催したらそのへんで済ませていたものだった。
(……あれ?)
 何か大事なことを思い出しかけた気がする。なんだったろう? 壁があって、どうしてもその記憶にだけ手が届かない感じ。時々ぶり返す違和感。
(えっと……)
 久しぶりに疑問に思ったが、即席トイレに砂をかけて埋めていたら違和感も埋もれて消えてしまった。何を考えていたのかすら完全に忘れた状態でアイズのところまで戻る。
「いいよ、出発しよう!」
「ああ、行こう」
(やれやれ)
 ――時々こういうことがあるから困る。彼女が悲しむとアイズも落ち込んでしまうと言うのに。
 リリティアには幸福を享受してもらいたい。だから不都合な記憶は全て忘れさせる。
 アイズがいなくなったら彼女のことも忘れさせなければ。
 自分達さえ覚えていればそれでいい。眠れぬ皇女は、すでにそう結論付けている。
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