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三章【限りなき獣】
悲劇を越えて
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「起きたか」
アイムがズウラと共に入室すると、兄妹の家で休ませていたニャーンが目を覚ましていた。実に三日ぶりのことである。
「アイム……ズウラさん……」
「ニャーンさん! よかった……!」
妹のスワレ同様、涙目で駆け寄って行くズウラ。彼等兄妹とニャーンは少し前にこの村へ挨拶に来た際に知り合い、友人になった。兄妹揃って『精霊に祝福されし者』であり、強力な加護を行使して怪塵から村を守り続けている。
ニャーンは未だ状況を掴み切れないようで、ぼんやりしながら訊ねて来た。
「私……どうして……?」
アイムはそんな彼女の横に立ち、額に手を当てて熱を計りつつ答える。
「覚えとらんか。まあ仕方あるまい、いきなり気を失ったからな」
「え?」
「能力こそとんでもないが、肉体的には普通の人間。やはりあのまま動き続けるのは無理があったのだ。とりあえずほれ、水を飲め。まだ少し熱っぽい」
「はい……」
素直にコップを受け取り水分補給するニャーン。汗もかいたようだ、話は短めで済ませスワレに世話を頼むべきだろう。
(峠は越えたな)
アイムもホッと一息つく。
――数日前、宇宙から落下して来た赤い凶星の欠片、大結晶との戦いがあった。その戦いで目の前の少女は心身共に大きな傷を負った。
そして戦闘後しばらくして気を失ったのだ。修道院の仲間全員分の墓を作り終え、次の第七大陸へ向かおうと言って歩き出した直後に。
(ワシの落ち度だな……)
もっと早く気付いてやるべきだった、人間は普通、これほどの傷を負って動き回ることなどできない。無理をしているのは明らかなのに気が回らず、十分に休ませてやれなかった。
それにニャーン自身、自分の状態を正しく把握できていなかったようだ。おそらくは一種の逃避だろう。辛い現実から目を背けて目の前の作業や使命に没頭していた。
それでも、人の気力や体力には限界がある。直近の目標を達成し、次に向かって歩き始めたことで緊張の糸が切れてしまった。
だからここへ連れて来たのだ。故郷を失ったニャーンにとって最も安らかに過ごすことができる場所はテアドラスに違いない。そう思ったから。ここなら地上のどこより安全だし、似た境遇の友もいる。
そのスワレが申し出た。
「ニャーンさん、事情はアイム様から伺いました。どうか、ここでゆっくりとお休みを。いつまでいてくださっても構いません」
対するニャーンは考え込み、やがて小さく頷く。
「はい」
意外な返答に、それを期待していた兄妹とアイムはかえって驚かされる。あんな悲劇と決意の後なのだから怪我を押してでも先を急ごうとすると予想していた。実際にはその逆。
「ちゃんと休みます……プラスタちゃんなら、そうしろって言うと思うから」
「そうじゃな」
納得したアイムは頷く。たしかに、あの少女なら諫めるだろう。そしてニャーンは、その言葉に素直に耳を傾ける。今の彼女にならそれができる。他人を信じることが。
(初めて会った時にゃ、怯えて疑ってばかりだったお主がな……)
ミーネラージス修道院を襲った災禍は大きな悲劇を生んだ。だが、それを乗り越えたニャーンの心に確かな成長をもたらしてくれたようだ。
ニャーンにはスワレが付き添ってくれている。寝汗を拭くと言われ家の外へ出た男性陣は適当な場所に腰かけ、言葉を交わし始めた。この村の者達はあまり椅子を使わない。
「なんか、ニャーンさんの雰囲気変わりましたね。大人っぽくなったというか……」
「あれだけのことがあったからな」
「全滅、したんですよね……」
想像し胸を痛めるズウラ。第六大陸で何があったかはすでに聞いている。もしも自分達の故郷が同じ目に遭ったなら、その時に感じる苦痛は今この瞬間のものより遥かに大きいだろう。全滅こそしなかったものの幼い頃に両親と多くの隣人を喪った身だから共感できる。
(立ち直るまでしばらくかかったな……)
一年近く塞ぎ込んでいた気がする。スワレはもっと長く苦しんだ。なのにニャーンはもう事実を受け入れて前を向いている。改めて凄い人だと尊敬の念を抱いた。
すると、そんな彼を見てアイムが「おい」と忠告してくる。
「なんです?」
「あやつに惚れとるならそんな目で見るな。一方的に憧れとるようじゃ恋なぞ実らんぞ」
途端、ズウラの顔は真っ赤になったり青くなったり忙しく変色を繰り返した。ニャーンへの恋心は妹にしか知られていないと思っていたのに。
「どっ、どどどっ、どうして!?」
「そこまであからさまに態度に出してわからんわけがあるか。お主ら、ひょっとしてワシを朴念仁だとでも思っとるのか? あるいはケモノ扱いしとるじゃろ」
「滅相も無い。アイム様は我々の大恩人です」
そこはきっぱり否定させてもらう。目の前の英雄を蔑んだことなど一度も無い。
「だったらわかろう、敬うってのは愛情からは程遠い感情じゃ。そっちに引っ張られてちゃ、何もせんまま諦めることになっちまうぞ」
「うっ……」
再び図星を突かれて言葉に詰まる。たしかに前回アイムとニャーンの旅立ちを見送った時、そのものずばりな態度を取ってしまった。結局あの後、気持ちを打ち明けるべきだったのではないかと何度も思い返しては後悔の念に苛まれたのだ。
それに妹のスワレも昔はアイムに恋心を抱いていた。なのに成長するにつれて彼への敬意の方が強くなっていき、今や完全に諦めてしまっている。
なるほど、相手を尊び、下から見上げるようになってしまっては恋は叶わない。アイムの言葉は正しい。そう痛感させられた。
「駄目ですねオレは……」
「卑下するのもやめい。言っとくがワシゃ、自信の無い男にあやつを任せるつもりは無いからな」
「そんな父親みたいな」
「わかっとる。らしかないし、父親代わりになれるとも思わん。だが修道院の連中に任された以上、保護者としての責任は果たすわい」
「なるほど……」
ニャーンは生まれ故郷と血の繋がった家族も喪っているというし、そういう事情を知っていればアイムが保護欲や責任感を抱く気持ちもわかる。
(って、駄目だ駄目だ)
目を閉じて頭を振るズウラ。共感して自分まで父性に目覚めるところだった。それはそれで恋の成就を遠のかせてしまう。
「なんだ急に?」
「いえ、気にしないでください。それにしても意外でした、アイム様が恋愛について助言を下さるなんて」
ケダモノ扱いするわけではないが、朴念仁だとは思っていた。つまり、そういう感情には興味を持っていないものだと。
アイムはフンと鼻を鳴らした後、言い返してくる。
「ワシゃ、この星に一種一体しかおらん星獣じゃからな。お主らのように子孫を残したいという欲は無いし、人間同士の交わりにも大した関心は抱いておらん。とはいえ千年も見守って来たのだぞ、感情の機微くらいわかるわい」
じゃあなんでスワレの気持ちには気付いてやれないのかと思ったが、しかしズウラはその一言を飲み込んだ。畏れ多いし、もしかしたら気付いていてあえて気付かないふりをしているのかもしれない。そう思ったから。
(アイム様は、本当は誰より人の心を知っているのかもしれない)
そして人の身の儚さも。スワレが彼と結ばれたとて、いつかは妹だけが年老い、アイムは若い姿のまま残酷な別れの時を迎えることとなる。それでは双方にとってあまりに悲しい。
(ひょっとしたら過去にも同じことがあったんじゃないか?)
だからスワレの気持ちに応えず、自分の背中は押してくれているのだ。人間同士なら何も問題は無いからと。
もちろんこれは推察でしかなく、アイムの真意はわからない。だとしても彼に対する認識はある程度変わった。
より強く尊敬する。彼が生きた千年の時の長さと経験の重み、その一端を垣間見ることができたから。ニャーンが惨劇を越えて強くなったように、この大英雄もまた数々の悲劇を乗り越えて来た経験者なのだ。
アイムがズウラと共に入室すると、兄妹の家で休ませていたニャーンが目を覚ましていた。実に三日ぶりのことである。
「アイム……ズウラさん……」
「ニャーンさん! よかった……!」
妹のスワレ同様、涙目で駆け寄って行くズウラ。彼等兄妹とニャーンは少し前にこの村へ挨拶に来た際に知り合い、友人になった。兄妹揃って『精霊に祝福されし者』であり、強力な加護を行使して怪塵から村を守り続けている。
ニャーンは未だ状況を掴み切れないようで、ぼんやりしながら訊ねて来た。
「私……どうして……?」
アイムはそんな彼女の横に立ち、額に手を当てて熱を計りつつ答える。
「覚えとらんか。まあ仕方あるまい、いきなり気を失ったからな」
「え?」
「能力こそとんでもないが、肉体的には普通の人間。やはりあのまま動き続けるのは無理があったのだ。とりあえずほれ、水を飲め。まだ少し熱っぽい」
「はい……」
素直にコップを受け取り水分補給するニャーン。汗もかいたようだ、話は短めで済ませスワレに世話を頼むべきだろう。
(峠は越えたな)
アイムもホッと一息つく。
――数日前、宇宙から落下して来た赤い凶星の欠片、大結晶との戦いがあった。その戦いで目の前の少女は心身共に大きな傷を負った。
そして戦闘後しばらくして気を失ったのだ。修道院の仲間全員分の墓を作り終え、次の第七大陸へ向かおうと言って歩き出した直後に。
(ワシの落ち度だな……)
もっと早く気付いてやるべきだった、人間は普通、これほどの傷を負って動き回ることなどできない。無理をしているのは明らかなのに気が回らず、十分に休ませてやれなかった。
それにニャーン自身、自分の状態を正しく把握できていなかったようだ。おそらくは一種の逃避だろう。辛い現実から目を背けて目の前の作業や使命に没頭していた。
それでも、人の気力や体力には限界がある。直近の目標を達成し、次に向かって歩き始めたことで緊張の糸が切れてしまった。
だからここへ連れて来たのだ。故郷を失ったニャーンにとって最も安らかに過ごすことができる場所はテアドラスに違いない。そう思ったから。ここなら地上のどこより安全だし、似た境遇の友もいる。
そのスワレが申し出た。
「ニャーンさん、事情はアイム様から伺いました。どうか、ここでゆっくりとお休みを。いつまでいてくださっても構いません」
対するニャーンは考え込み、やがて小さく頷く。
「はい」
意外な返答に、それを期待していた兄妹とアイムはかえって驚かされる。あんな悲劇と決意の後なのだから怪我を押してでも先を急ごうとすると予想していた。実際にはその逆。
「ちゃんと休みます……プラスタちゃんなら、そうしろって言うと思うから」
「そうじゃな」
納得したアイムは頷く。たしかに、あの少女なら諫めるだろう。そしてニャーンは、その言葉に素直に耳を傾ける。今の彼女にならそれができる。他人を信じることが。
(初めて会った時にゃ、怯えて疑ってばかりだったお主がな……)
ミーネラージス修道院を襲った災禍は大きな悲劇を生んだ。だが、それを乗り越えたニャーンの心に確かな成長をもたらしてくれたようだ。
ニャーンにはスワレが付き添ってくれている。寝汗を拭くと言われ家の外へ出た男性陣は適当な場所に腰かけ、言葉を交わし始めた。この村の者達はあまり椅子を使わない。
「なんか、ニャーンさんの雰囲気変わりましたね。大人っぽくなったというか……」
「あれだけのことがあったからな」
「全滅、したんですよね……」
想像し胸を痛めるズウラ。第六大陸で何があったかはすでに聞いている。もしも自分達の故郷が同じ目に遭ったなら、その時に感じる苦痛は今この瞬間のものより遥かに大きいだろう。全滅こそしなかったものの幼い頃に両親と多くの隣人を喪った身だから共感できる。
(立ち直るまでしばらくかかったな……)
一年近く塞ぎ込んでいた気がする。スワレはもっと長く苦しんだ。なのにニャーンはもう事実を受け入れて前を向いている。改めて凄い人だと尊敬の念を抱いた。
すると、そんな彼を見てアイムが「おい」と忠告してくる。
「なんです?」
「あやつに惚れとるならそんな目で見るな。一方的に憧れとるようじゃ恋なぞ実らんぞ」
途端、ズウラの顔は真っ赤になったり青くなったり忙しく変色を繰り返した。ニャーンへの恋心は妹にしか知られていないと思っていたのに。
「どっ、どどどっ、どうして!?」
「そこまであからさまに態度に出してわからんわけがあるか。お主ら、ひょっとしてワシを朴念仁だとでも思っとるのか? あるいはケモノ扱いしとるじゃろ」
「滅相も無い。アイム様は我々の大恩人です」
そこはきっぱり否定させてもらう。目の前の英雄を蔑んだことなど一度も無い。
「だったらわかろう、敬うってのは愛情からは程遠い感情じゃ。そっちに引っ張られてちゃ、何もせんまま諦めることになっちまうぞ」
「うっ……」
再び図星を突かれて言葉に詰まる。たしかに前回アイムとニャーンの旅立ちを見送った時、そのものずばりな態度を取ってしまった。結局あの後、気持ちを打ち明けるべきだったのではないかと何度も思い返しては後悔の念に苛まれたのだ。
それに妹のスワレも昔はアイムに恋心を抱いていた。なのに成長するにつれて彼への敬意の方が強くなっていき、今や完全に諦めてしまっている。
なるほど、相手を尊び、下から見上げるようになってしまっては恋は叶わない。アイムの言葉は正しい。そう痛感させられた。
「駄目ですねオレは……」
「卑下するのもやめい。言っとくがワシゃ、自信の無い男にあやつを任せるつもりは無いからな」
「そんな父親みたいな」
「わかっとる。らしかないし、父親代わりになれるとも思わん。だが修道院の連中に任された以上、保護者としての責任は果たすわい」
「なるほど……」
ニャーンは生まれ故郷と血の繋がった家族も喪っているというし、そういう事情を知っていればアイムが保護欲や責任感を抱く気持ちもわかる。
(って、駄目だ駄目だ)
目を閉じて頭を振るズウラ。共感して自分まで父性に目覚めるところだった。それはそれで恋の成就を遠のかせてしまう。
「なんだ急に?」
「いえ、気にしないでください。それにしても意外でした、アイム様が恋愛について助言を下さるなんて」
ケダモノ扱いするわけではないが、朴念仁だとは思っていた。つまり、そういう感情には興味を持っていないものだと。
アイムはフンと鼻を鳴らした後、言い返してくる。
「ワシゃ、この星に一種一体しかおらん星獣じゃからな。お主らのように子孫を残したいという欲は無いし、人間同士の交わりにも大した関心は抱いておらん。とはいえ千年も見守って来たのだぞ、感情の機微くらいわかるわい」
じゃあなんでスワレの気持ちには気付いてやれないのかと思ったが、しかしズウラはその一言を飲み込んだ。畏れ多いし、もしかしたら気付いていてあえて気付かないふりをしているのかもしれない。そう思ったから。
(アイム様は、本当は誰より人の心を知っているのかもしれない)
そして人の身の儚さも。スワレが彼と結ばれたとて、いつかは妹だけが年老い、アイムは若い姿のまま残酷な別れの時を迎えることとなる。それでは双方にとってあまりに悲しい。
(ひょっとしたら過去にも同じことがあったんじゃないか?)
だからスワレの気持ちに応えず、自分の背中は押してくれているのだ。人間同士なら何も問題は無いからと。
もちろんこれは推察でしかなく、アイムの真意はわからない。だとしても彼に対する認識はある程度変わった。
より強く尊敬する。彼が生きた千年の時の長さと経験の重み、その一端を垣間見ることができたから。ニャーンが惨劇を越えて強くなったように、この大英雄もまた数々の悲劇を乗り越えて来た経験者なのだ。
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