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現代編
天王寺 斬花(1)
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「烈花、おめでとう」
──初めて、その名で彼女を呼んだ時、本当は泣きそうだった。心の底から祝福したいのに、羨み、妬み、不安を覚える自分も自覚していたから。
彼女達は虫だ。
術士の卵、候補生達は皆、天王寺 月華の養子となった時点で元の名前を捨て去る。そして虫の名を与えられる。
それは肉体だけでなく、精神的にも追い込むため。虫が嫌なら育ってみせろ。自分を鍛え、磨いて、見事に花開いてみせろ。そういう意味だと最初の日に聞いた。
「ありがとな、カイコ」
「──ッ」
一瞬、本音が顔に出てしまった。カイコ。そう呼ばれることにはとっくに慣れたはずなのに、先に虫の名を卒業した彼女に呼ばれた途端カチンと来た。
でもトンボは、いや烈花は何も悪くない。悪いのは自分。カイコは友人の門出にこれ以上ケチをつけまいと、慌てて踵を返す。
「ご、ごめん……私、行くね」
「あ、おい!」
「おめでとうございます、烈花姉様!」
「おめでとうございます!」
呼び止められそうになったものの、年下の子達が彼女に話しかけていってくれたおかげで、そのまま立ち去ることができた。
自由な時間はほとんど無い。
トイレの個室に入って、ほんの何分かだけ泣いた後、カイコはすぐに体育館へ向かった。彼女達の家は旧時代に小学校として使われていた設備。そして今は新たな術士を育てるための訓練所であり、ここ大阪に定期的に襲来する“蒼黒”という怪異との戦いの最前線。あの怪物や他の怪物共から日本の人々を守るため自分達がいる。
でも、本当に自分は術士になれるのだろうか?
「どうしたカイコ、もう終わりか!」
「ま、まだ……まだあ!」
実戦を想定した武器を使っての稽古。彼女はこれが苦手だ。体力はある。烈火ほどではないにしても筋力だって相当に鍛えた。反射神経も悪くないと言われている。座学ならば同期のトップ。なのにどうしても年上の術士を相手に一本取ることができない。
理由は明白。霊力が弱いからだ。術士を目指すにはギリギリと言われるほど貧弱。術士にとって最も必要な才能に恵まれなかった。それが彼女。
「でりゃあ!」
上段から渾身の打ち込み。けれど木刀は霊力障壁に当たり、容易に止められた。この木刀は特別製。霊力を込め、真剣の刃に当たる部分へ上手く集束させれば、格上の障壁を突破することも難しくない。なのに何度打ち込んでも彼女の攻撃は弾かれるばかり。技術的なことはてきている。単純に力の差がありすぎる。
「どうした、また大振りになってるぞ! 何を焦ってる!」
姉・杏花──戸籍上、年上は皆そう呼ぶ──は、こちらの攻撃を障壁で防ぎつつ容赦無くカウンターも繰り出して来る。鋭く突き、払い、ほんの少しだけ隙を作って、カイコが再び攻勢に転じようとした瞬間を狙い不意打ちの蹴り。
「くっ、ぐっ……ぐうっ!?」
後ろに大きく跳ばされたが、辛うじて防いだ。
「凌ぎ切ったか。技量だけなら十分に術士として通用するというのに……」
いつも厳しい姉が時折くれる誉め言葉。実際、自分でも凄いことをしていると思う。杏花は霊力の強さで言えば現役の術士達の二番手。自分と彼女とでは出力上限値に十倍近い差がある。それは彼女の霊力が込められた木刀を普通に受けた場合、一撃でへし折られてしまうほど大きな差。
けれど、半年ほど前からそういうことは滅多に無くなった。あまりに力の差が大きい相手とばかり稽古させられていたものだから、否応無しに防御技術が向上した結果。カイコの弱い障壁でも展開範囲を必要最小限に絞って強度を高め、けっして正面から受けず受け流すことに専念すれば身を守ることはできる。
だが防御ばかり上手くなっても術士にはなれない。相手が記憶災害なら一〇分という短い維持限界を迎えるまで逃げ延びていれば勝てる。けれど蒼黒相手ではそうもいかない。あれが無尽蔵に生み出して送り込んで来る記憶災害をできるかぎり速やかに叩かなければ、自分達が暮らす地下都市・大阪は一夜で壊滅してしまう。
だから術士には、生存能力以上に殲滅力が求められる。
「──時間か。今日はここまで」
「ありがとうございます」
やっと戦闘訓練は終わり、汗を流すため風呂場へ向かう。ずたぼろに打ちのめされた年少の候補生達は傷の手当てを受けるため先に治療室へ運ばれた。それが終わったら服毒による霊力向上訓練だろう。しばらくは死者が出ていない。今日も全員無事に生き残ってくれたらと祈る。自分には祈ることしかしてやれない。
学校だった時代には無く、後から増設された大浴場。たっぷりの湯が張られた浴槽に浸かり、ふうと息を吐いた。入浴を終えたら食堂へ。今日もまた候補生になる前からは考えられないようなご馳走。ここへ来て最も嬉しかったのは、この食事にありつけることだった。
でも、最近は何を食べても美味しく感じない。こんな贅沢が許されているのは術士が国防の要だから。なのにカイコは一四の誕生日を目前に控えた今もまだ候補生のまま。烈花も昇格が遅かったけれど、彼女の場合は問題行動が多すぎたからで、実力は以前から申し分無いと言われていた。霊力も自分とは段違い。
その烈花は昨日までと違う席に座っている。カイコら候補生とは別のテーブルに。そして気が付く。こちら側ではもう自分が最年長になってしまったのだと。
食後、母に呼ばれた。実母ではない。天王寺 月華。四〇〇年以上を生きているという魔女。自分達術士隊の束ね役。戸籍上は全員の養母でもある女性。
その見た目は一〇歳かそこらだが、見た目の若さを忘れさせるほど老成された雰囲気と人間離れした気配を纏っている。実際この方の霊力は人間とは思えないほどに強い。二〇〇年以上前から蒼黒の脅威に晒されている大阪がいまだ無事でいられるのは、絶えず展開され続けている彼女の結界のおかげ。霊力障壁で地下都市全体を包み込むだけでも常軌を逸しているのに、それを二〇〇年以上維持するなんて、どれほど霊力があれば可能なのか、途方も無さ過ぎて想像さえできない。
そんな月華は、私室の畳の上に正座し、同じ姿勢で座ったカイコと見つめ合いながら切り出す。
「期限を切る」
「え……?」
「そんな髪になるまで耐えても貴女の霊力は弱いままだった。今の実力では到底戦場に出すわけにはいかない」
「ま、待ってください!」
そんな、それだけは嫌だ。ここには家族の仇を討ちたくて来たのだから。蒼黒に殺されてしまった皆の仇を、この手で討ちたくて──
だが、月華は無情に告げる。
「最初に言ったはずよ、貴女の霊力は弱すぎると」
ここ大阪では、一定以上の霊力を持つと判断された子は必ず術士候補生にならなければいけない。
でもカイコは、ならなくていいと言われた。なりたかったのに、必要最低限の基準値にさえ達していないと判定された。
「それでも貴女はここへ来た。秘薬を使った訓練。服毒による出力向上──そこに一縷の望みを賭けて」
たしかにほんの少し、わずかにだけれど出力は上がった。
でも、それでも術士として戦うにはギリギリのレベル。月華は改めて少女に現実を突きつける。
「復讐を望む気持ちはわかる。けれど、私は子を無駄死にさせるつもりは無い。ほんの少しでも可能性があれば賭けてあげるけれど、今の貴女はその可能性さえ失いつつある」
彼女曰く出力上限の向上が望めるのは一二歳まで。それを過ぎて霊力が強化された例は皆無。
だからカイコも──元々黒かった髪が全て真っ白になるまで服毒を繰り返した自分も、もうあの訓練を受けることは許されていない。命がけのあれで霊力を鍛えられる時期を過ぎてしまったから。
けれど、彼女は母の言葉の真意に気が付き、逆に希望を見出す。
「……まだ、なれるのですか?」
失いつつあると、母はたしかにそう言った。すでに失われたのではなく、これから失うのだと。
なら、今の自分には希望が残っている。道は断たれていない。
月華はカイコの顔を見つめ、諦めるつもりが無いことを確かめると、嘆息して目を瞑った。
「本来この術は誰にも教えないつもりだった。制御が極めて難しく、習得できたとしても悪用されれば厄介極まりない。でもカイコ、貴女の器用さと誠実な性格を信じて特別に伝授します」
「それは……まさか……」
月華にしか使えない術と言えば、誰もが真っ先に思い浮かべるのはあれ。予想通り、養母は目を開きつつその術を使う。
背中から大量の糸が放出された。数百、あるいは数千本の霊力の糸。
「繰糸術式……これをモノにしてみなさい。期限は半年。それで駄目なら術士になることは諦めさせる」
──初めて、その名で彼女を呼んだ時、本当は泣きそうだった。心の底から祝福したいのに、羨み、妬み、不安を覚える自分も自覚していたから。
彼女達は虫だ。
術士の卵、候補生達は皆、天王寺 月華の養子となった時点で元の名前を捨て去る。そして虫の名を与えられる。
それは肉体だけでなく、精神的にも追い込むため。虫が嫌なら育ってみせろ。自分を鍛え、磨いて、見事に花開いてみせろ。そういう意味だと最初の日に聞いた。
「ありがとな、カイコ」
「──ッ」
一瞬、本音が顔に出てしまった。カイコ。そう呼ばれることにはとっくに慣れたはずなのに、先に虫の名を卒業した彼女に呼ばれた途端カチンと来た。
でもトンボは、いや烈花は何も悪くない。悪いのは自分。カイコは友人の門出にこれ以上ケチをつけまいと、慌てて踵を返す。
「ご、ごめん……私、行くね」
「あ、おい!」
「おめでとうございます、烈花姉様!」
「おめでとうございます!」
呼び止められそうになったものの、年下の子達が彼女に話しかけていってくれたおかげで、そのまま立ち去ることができた。
自由な時間はほとんど無い。
トイレの個室に入って、ほんの何分かだけ泣いた後、カイコはすぐに体育館へ向かった。彼女達の家は旧時代に小学校として使われていた設備。そして今は新たな術士を育てるための訓練所であり、ここ大阪に定期的に襲来する“蒼黒”という怪異との戦いの最前線。あの怪物や他の怪物共から日本の人々を守るため自分達がいる。
でも、本当に自分は術士になれるのだろうか?
「どうしたカイコ、もう終わりか!」
「ま、まだ……まだあ!」
実戦を想定した武器を使っての稽古。彼女はこれが苦手だ。体力はある。烈火ほどではないにしても筋力だって相当に鍛えた。反射神経も悪くないと言われている。座学ならば同期のトップ。なのにどうしても年上の術士を相手に一本取ることができない。
理由は明白。霊力が弱いからだ。術士を目指すにはギリギリと言われるほど貧弱。術士にとって最も必要な才能に恵まれなかった。それが彼女。
「でりゃあ!」
上段から渾身の打ち込み。けれど木刀は霊力障壁に当たり、容易に止められた。この木刀は特別製。霊力を込め、真剣の刃に当たる部分へ上手く集束させれば、格上の障壁を突破することも難しくない。なのに何度打ち込んでも彼女の攻撃は弾かれるばかり。技術的なことはてきている。単純に力の差がありすぎる。
「どうした、また大振りになってるぞ! 何を焦ってる!」
姉・杏花──戸籍上、年上は皆そう呼ぶ──は、こちらの攻撃を障壁で防ぎつつ容赦無くカウンターも繰り出して来る。鋭く突き、払い、ほんの少しだけ隙を作って、カイコが再び攻勢に転じようとした瞬間を狙い不意打ちの蹴り。
「くっ、ぐっ……ぐうっ!?」
後ろに大きく跳ばされたが、辛うじて防いだ。
「凌ぎ切ったか。技量だけなら十分に術士として通用するというのに……」
いつも厳しい姉が時折くれる誉め言葉。実際、自分でも凄いことをしていると思う。杏花は霊力の強さで言えば現役の術士達の二番手。自分と彼女とでは出力上限値に十倍近い差がある。それは彼女の霊力が込められた木刀を普通に受けた場合、一撃でへし折られてしまうほど大きな差。
けれど、半年ほど前からそういうことは滅多に無くなった。あまりに力の差が大きい相手とばかり稽古させられていたものだから、否応無しに防御技術が向上した結果。カイコの弱い障壁でも展開範囲を必要最小限に絞って強度を高め、けっして正面から受けず受け流すことに専念すれば身を守ることはできる。
だが防御ばかり上手くなっても術士にはなれない。相手が記憶災害なら一〇分という短い維持限界を迎えるまで逃げ延びていれば勝てる。けれど蒼黒相手ではそうもいかない。あれが無尽蔵に生み出して送り込んで来る記憶災害をできるかぎり速やかに叩かなければ、自分達が暮らす地下都市・大阪は一夜で壊滅してしまう。
だから術士には、生存能力以上に殲滅力が求められる。
「──時間か。今日はここまで」
「ありがとうございます」
やっと戦闘訓練は終わり、汗を流すため風呂場へ向かう。ずたぼろに打ちのめされた年少の候補生達は傷の手当てを受けるため先に治療室へ運ばれた。それが終わったら服毒による霊力向上訓練だろう。しばらくは死者が出ていない。今日も全員無事に生き残ってくれたらと祈る。自分には祈ることしかしてやれない。
学校だった時代には無く、後から増設された大浴場。たっぷりの湯が張られた浴槽に浸かり、ふうと息を吐いた。入浴を終えたら食堂へ。今日もまた候補生になる前からは考えられないようなご馳走。ここへ来て最も嬉しかったのは、この食事にありつけることだった。
でも、最近は何を食べても美味しく感じない。こんな贅沢が許されているのは術士が国防の要だから。なのにカイコは一四の誕生日を目前に控えた今もまだ候補生のまま。烈花も昇格が遅かったけれど、彼女の場合は問題行動が多すぎたからで、実力は以前から申し分無いと言われていた。霊力も自分とは段違い。
その烈花は昨日までと違う席に座っている。カイコら候補生とは別のテーブルに。そして気が付く。こちら側ではもう自分が最年長になってしまったのだと。
食後、母に呼ばれた。実母ではない。天王寺 月華。四〇〇年以上を生きているという魔女。自分達術士隊の束ね役。戸籍上は全員の養母でもある女性。
その見た目は一〇歳かそこらだが、見た目の若さを忘れさせるほど老成された雰囲気と人間離れした気配を纏っている。実際この方の霊力は人間とは思えないほどに強い。二〇〇年以上前から蒼黒の脅威に晒されている大阪がいまだ無事でいられるのは、絶えず展開され続けている彼女の結界のおかげ。霊力障壁で地下都市全体を包み込むだけでも常軌を逸しているのに、それを二〇〇年以上維持するなんて、どれほど霊力があれば可能なのか、途方も無さ過ぎて想像さえできない。
そんな月華は、私室の畳の上に正座し、同じ姿勢で座ったカイコと見つめ合いながら切り出す。
「期限を切る」
「え……?」
「そんな髪になるまで耐えても貴女の霊力は弱いままだった。今の実力では到底戦場に出すわけにはいかない」
「ま、待ってください!」
そんな、それだけは嫌だ。ここには家族の仇を討ちたくて来たのだから。蒼黒に殺されてしまった皆の仇を、この手で討ちたくて──
だが、月華は無情に告げる。
「最初に言ったはずよ、貴女の霊力は弱すぎると」
ここ大阪では、一定以上の霊力を持つと判断された子は必ず術士候補生にならなければいけない。
でもカイコは、ならなくていいと言われた。なりたかったのに、必要最低限の基準値にさえ達していないと判定された。
「それでも貴女はここへ来た。秘薬を使った訓練。服毒による出力向上──そこに一縷の望みを賭けて」
たしかにほんの少し、わずかにだけれど出力は上がった。
でも、それでも術士として戦うにはギリギリのレベル。月華は改めて少女に現実を突きつける。
「復讐を望む気持ちはわかる。けれど、私は子を無駄死にさせるつもりは無い。ほんの少しでも可能性があれば賭けてあげるけれど、今の貴女はその可能性さえ失いつつある」
彼女曰く出力上限の向上が望めるのは一二歳まで。それを過ぎて霊力が強化された例は皆無。
だからカイコも──元々黒かった髪が全て真っ白になるまで服毒を繰り返した自分も、もうあの訓練を受けることは許されていない。命がけのあれで霊力を鍛えられる時期を過ぎてしまったから。
けれど、彼女は母の言葉の真意に気が付き、逆に希望を見出す。
「……まだ、なれるのですか?」
失いつつあると、母はたしかにそう言った。すでに失われたのではなく、これから失うのだと。
なら、今の自分には希望が残っている。道は断たれていない。
月華はカイコの顔を見つめ、諦めるつもりが無いことを確かめると、嘆息して目を瞑った。
「本来この術は誰にも教えないつもりだった。制御が極めて難しく、習得できたとしても悪用されれば厄介極まりない。でもカイコ、貴女の器用さと誠実な性格を信じて特別に伝授します」
「それは……まさか……」
月華にしか使えない術と言えば、誰もが真っ先に思い浮かべるのはあれ。予想通り、養母は目を開きつつその術を使う。
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