人竜選史

秋谷イル

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現代編

天王寺 斬花(3)

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 カイコは繰糸術式の訓練をやめた。どうしても試したいことがあると頼み込み、通常の訓練まで免除してもらってひたすら何かの研究に没頭し始めた。

 そして、およそ五〇日後──月華が決めた期限を目前にして、ようやく彼女の努力は実を結ぶ。

 彼女は自ら月華を呼び、グラウンドまで同行してもらって研究成果を披露すると告げた。その背後では鉱物との相性が良い姉に霊術で作ってもらった大岩が二つ、横並びになっている。
 その場には他の姉妹達も集まって来ていた。皆、ずっと気になっていたのだ。あれほど熱心に訓練に励んでいたカイコが、それを休んでまで見出した“希望”とはなんなのかと。
 全員がその場に集まって来たことを確かめ、カイコは軽く深呼吸する。その目の下には昨日まで濃いクマができていたのだが、万全を期するため昨晩は久しぶりにしっかりと睡眠を取った。
 この体調ならいける。そう、自分を信じてやることが大切なのだ。
 彼女は今、己を誇りながら宣言する。

「今から、あの岩を斬ります」
「よろしい、やってみなさい」

 月華が頷いてみせると、カイコは岩の方へ向き直る。多少気負ってはいるようだが、それでも自信に満ちた良い背中だ。
 次の瞬間──

「フッ!」

 気合一閃、岩から十数m離れた位置に立ったまま訓練用の木刀を横薙ぎに振り抜くカイコ。
 岩はたしかに切断された。二つ並んだ、その片方だけが。真っ二つになったそれの上半分が自重によってずり落ち、切断面を上にして地面に転がる。まるで鏡のように滑らかな切り口。
 場の全員が術士とその候補生。けれど、彼女が何をしたのか即座に理解できた者はほとんどいない。
「今のって……繰糸術式じゃ……ないよね?」
 カイコが特別に繰糸術式を教わり、その訓練を積んでいたことは周知の事実。そして今、木刀を媒介にして行使した術はそれに良く似ていた。帯状の霊力場が剣先から伸びて岩を切り裂いたのだ。
 だが似ているだけ。明らかに異なる術。

 一目で正体を看破したのは二人。
 月華と桜花。

「……まさか、そう来るとはね」
「やったわねカイコ」
「どういうことですか? 今のはいったい……?」
 問いかける杏花。二人はカイコに代わって種明かしを行う。本人にさせないのは、自分達の推察が合っているかの答え合わせもしたいから。
「霊力障壁と繰糸を一つにした……そういうことね?」
「はい」
「障壁は指定した対象を透過できる。一方、母様の使う糸にその特性は無い。だから両方を組み合わせてみた」
「そうです」
 まさしく二人の言う通り。それがこの、カイコ自身が“刃状障壁”と名付けた術の仕組みである。

 ──霊力障壁は、己と他とは違う、そんな認識の壁を実体化させる術だと教わった。ゆえに術者の認識次第で遮断する対象と透過する対象を任意に切り替えられる。光を透過させなければ向こう側が見えないし、空気を透過させずに自分をすっぽり覆っていれば、やがて窒息してしまう。
 使いこなせれば非常に強力な防御手段。反面、霊力障壁には欠点もある。カイコにとって特に問題となるのは燃費の悪さだ。この術は何も考えずに扱うと霊力の消費が激しい。消費を抑えるためには強度を下げるか展開範囲を狭めるしかない。だが、そのどちらも盾としての性能を著しく損なう行為であることは言うまでもない。
 一方、霊力糸を操る訓練を始めてすぐに気が付いたことは、こちらの術が障壁と似た特性を有していながら燃費の面で格段に効率が良かったことだ。カイコの霊力で霊力障壁を展開した場合、どれだけ頑張っても二〇mという距離を届かせることはできない。けれど霊力糸なら一本だけに絞ればそれが可能になる。
 その二つの事実と、自分が霊力障壁の操作にだけは熟達しているという三つ目の事実に妹のおかげで気が付いた時、閃いた。両方の術を組み合わせ無駄を省けば、自分でも強力な攻撃手段が得られることに。

「霊力糸に、任意の対象を透過できる障壁の性質を持たせればいい。透過と遮断の連続的な切り替えでどんな物質でも切断できるから強度は最低限でいい。代わりに射程を伸ばし、障壁の脆い私でも比較的安全な距離から攻撃できるようにする。そして、この術なら──」
「相手の防御を無視できる。それが最大の利点ね」
「はい」
 再び月華の回答を肯定するカイコ。そう、それこそがこの術の最大の利点にして要点。任意の対象を透過させることで、あらゆる障害物をすり抜けて目標だけを攻撃できる。
 ほとんどの“竜”は人間を遥かに上回る巨体を有し、分厚い筋肉や外骨格によって体内の唯一の弱点──“竜の心臓”と呼ばれる高密度魔素結晶体を守っている。だから他の術士達には、それを突破できるだけの強い霊力が求められる。
 でも、この術があればもう必要無い。敵の鎧がどれだけ分厚かろうと、この術を用いれば守りを無視して直接“心臓”を破壊できる。
 岩を二つ並べたのはそのためだ。術士達には見えていた。カイコの放った刃状障壁がたしかに二つとも切り裂いた光景が。けれど、真っ二つになったのは片方だけ。あれこそ彼女の新術が任意の対象だけを選択して切断できる証。
「……桜花、あれを持って来なさい。無垢の方よ」
「はい」
 月華の命令に従い、すぐさま大理石のプレートを持って来る桜花。その石板の材質や形状に集まった者達は皆、見覚えがあった。
「あれって……」
「術士の名前を刻む……」

 そう、歴代の術士は全て“花”の一字に別の一字を組み合わせた名前で呼ばれている。それらの名は全てあのような石板に刻まれ、元小学校だったこの建物の玄関ホールに飾られている。大阪の地を守って来た代々の術士達を称えるために。彼女達の後継を目指す子供達の心を奮い立たせるために。
 しかし桜花が持って来たのはまだ何も刻まれていない石板。術士の名は継承者が死亡するか同系統の術を使うより優秀な若者が現れた際に受け継がれるもので、百と数十年間一つも増えていない。
 それが、今──

「カイコ。私は、もし貴女が期待に応えてくれたなら“蓮花”の名を与えるつもりだった」
「えっ?」
「かつて私が尊敬していた方々の中に“睡蓮”という名の剣士がいたのよ。最強の術士に与える“梅花”と同じで、私にとっては特に思い入れのある名前。けれど貴女にこの名は相応しくない」

 実力不足だからではない。その逆だ。
 カイコもわかっているのだろう、困惑しつつも、自分が試練に打ち勝ったことは疑ってさえいない。確信している。

(ええ、その通り。貴女はよくやった。やってくれたわ)
 上機嫌で、桜花の持って来たプレートに霊力糸で文字を刻んでいく月華。やがて完成したそれを高々と掲げてみせる。全員によく見えるように。
「カイコ、今日から貴女は“斬花きりか”と名乗りなさい。その新術を開発した功績は新たな座を作るに相応しい偉大なものだわ」
「あ、新しい名前!?」
 ようやく何が起きたか理解した理解したカイコ──否、斬花は目を見開いて仰天する。流石にそこまでの栄誉を頂けるとは思っていなかった。
「や、やったなカイコ!」
「違います! もう、斬花姉様です!」
 烈花やスズムシが抱き着いて来て祝福してくれる。他の皆も口々に喜び、自分の努力と功績を讃えてくれた。
 しばらくして、ようやく術士になれたという実感が湧いて来た斬花の目に涙が浮かぶ。鼻の奥がツンとして、堪えていたものが一気に溢れ出す。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「おう、泣け泣け! 今日は泣いて喜べ!!」
 大声を上げて泣き出した少女に温かい視線を送る他の子供達。皆の母親である月華も微笑み、同時に敬服した。

(予想を超えられてしまったわ……やはり、人間は面白い)

 彼女はかつて繰糸術式を教えてくれた師に、霊力糸で物体を切断する技を見せてもらったことがあった。
 けれどそれは、長く伸ばした糸の表面を走らせることにより摩擦力を生じさせ切断する技術。いわば剣術の延長。斬花の霊力で同じことができるかは賭けで、半分は彼女を諦めさせるための試練でもあった。
 それがまさか、あんな新術を生みだす結果に繋がるとは。あれは繰糸術式とは別物。攻撃性能で言えば遥かに上位の次元に達した素晴らしい技。
「思わぬ拾い物になったわね、あの子」
「ええ……彼女はこれから、頼もしい戦力になるでしょう」
 月華の呟きに同意する桜花。あの新術の唯一の欠点は霊力障壁と霊力糸、それぞれを単独で扱うよりさらに習熟が難しいところだ。当面、斬花以外では使いこなせないだろう。

「私はこの日を、ずっと忘れない」

 月華は確信を抱く。この先さらに数百年生きることになったとしても──新たな誇りを抱いたこの瞬間を忘れ去ることは絶対に無いと。
 偉大な魔女の眼差しの先では、今もまだ偉業を成した少女が喜びの涙を流し、多くの姉妹達と抱き合っていた。
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