歩美ちゃんは勝ちたい

秋谷イル

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完結編

私の旅

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 暗い夜道。街灯の光が届かない死角となっている場所で妾は腕を振った。まとわりつく気持ちの悪い霊体を振り払ったのだ。
「チッ、日に日に歩美に寄って来る低級霊の数が増えておる」
「それだけ心が弱ってる証」
「わかっとるわ。少し前に若干持ち直したようじゃったが、ここ数日でまた酷く落ち込みよったな」
「校長が約束を守っている。そのせいで、またあの教頭が調子づいた」
「まったく、元凶のあやつから殺してやろうか?」
「だめ。人間を傷つけるのは契約違反」
「だからわかっとるわ」
 もどかしい。現当主の雫との契約さえなければあんな小物、すぐに妾が始末してやると言うに。
「物騒なことを考えないでください。これだからあなた達を野放しにしたくないんです」
「やかましいぞ唱炎しょうえん。わかっておると言っておろう。契約がある以上、人に危害を加えることなどせんわ。それよりさっさと焼き尽くせ。とうに結界は張っておる」
「それこそわかってますよ。では、危ないので離れていてください」
「誰に言うておる」
「もちろんケイトちゃんにです」
 ぬかしてから、すうと深く息を吸い込む唱炎。それから眼鏡を外して口角を両方高々と吊り上げる。

「ヒャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッハハハハ! 燃えろお!」
【アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?】

 ぷっつん女の全身から吐き出された金色の炎が歩美に引き寄せられて集まった低級霊をまとめて焼き払う。おーおー、煙と共に昇天していきよる。
「炎! やっぱり炎はいい! 燃やすのはいいッ!」
「危ないのはお前のその性格じゃ……」
 何千年経っても変わらん。普段は大人しいのに火を扱うと性格が豹変する。そのせいでマッチやライターも絶対持たせてもらえん。あやつの夫の詠風がいつも傍で目を光らせておる。今回は会社で残業中だがな。
「アハ! あはは! アはハハハハはは!!」
 霊が全くいなくなっても唱炎は炎を吐き出し続けた。妾と恵土めが結界を展開しておらなんだら今頃このあたりは焦土と化しとる。人間社会に紛れて暮らしておると自分が惑星一つくらい簡単に破壊できる精霊だということも忘れてしまうようだ。
 直後、急に冷静になった唱炎は眼鏡をかけ直しつつ振り返った。

「すっきりしました。連れて来てくださり、ありがとうございます」
「うむ……」

 本当に危ない奴じゃ。こうやって定期的に“放火欲求”を満たしてやらんといつどこでプッツンするかわからん。妾と同じで契約に縛られているから人間を害する心配は無いと思うが。
「そういえば、お二人は歩美様について行かれるのですか?」
「無論。オーストラリアは久しぶりじゃ、あやつらと共に堪能して来るわい」
「お船でいく。ケイトが船をつくって、スイに動かしてもらう」
「空間転移で行けば早いでしょうに」
「それじゃつまらん。旅の醍醐味は移動にこそありじゃ」
「楽しみだね、スイ」
「おう」
 いよいよ明日か。さて、あの小僧は見事期待に応えてくれるかの?



 ──八月一日、私は家族と共にオーストラリアのブリスベンへ降り立った。
「おおー」
 オリンピックのため拡張工事を行ったという広い空港。そこから一歩出たところで友美と一緒に周囲を見渡す。生まれて初めての海外だし、やっぱり興奮するなあ。
「なんか、匂いからもう日本と全然違うね」
「国ごとに独特の匂いがあるものよ。すぐ慣れるわ」
 娘の疑問に海外慣れしてる美樹ねえが答えた。その横では友樹がこしあんをケージから出してやっている。
「こしあん、離れちゃ駄目だよ?」
「にゃあ」
「そうだね、初めて見る景色」
「にゃーん」
 相変わらず言葉がわかってるみたいに普通に会話するな、あの子達。
 私はスマホで地図を見つつ出口の方を指差す。
「街はあっちみたい」
「ここからじゃまだ見えないね」
「とりあえずホテルに向かうか。迎えに来てくれているはずだが……」
「あっ、大塚さん! こっちです!」
「おっ」
 人波の向こうで手を振る時雨さんの姿が見えた。向こうも父さんを見て気付いたみたい。やっぱり父さんは良い目印になってくれる。荷物を持って近付いて行く私達。
「良かった、すぐに合流できた」
「オリンピックはもう始まってるからね、どこもかしこも人だらけだよ」
 時雨さんは雫さんと共に一足先にこっちに来ていて、ホテルなんかの手配をしてくれた。というか、この旅自体が鏡矢家の計らい。本当は私一人でここまで無限の応援に来るはずだったんだ。私のチケットだけあいつが送ってくれたんだよ。
 でも、どうせなら皆で応援したいじゃん? 雫さんもそう思ったらしく無限の関係者を片っ端から招待した。他の皆も先に到着してるはず。
「沙織ちゃん達はホテルで待ってる。昨日はブライビー島を見て来たって」
「おばちゃん、ブライビーとうってなに?」
「動物園がある島だよ」
「行きたい」
「ホテルに荷物を置いてからな」
「一緒に行こうね柔、正道」
「うんっ」
 時雨さんと手を繋いで歩き出す双子。その後ろへ着いて行くと、予想通りめちゃめちゃ長いリムジンが待っていた。
「雫さんならやると思った」
「あはは……」
 とりあえず私達は、それに乗ってブリスベンの街へ向かったのである。



 案内された部屋に荷物を置いた後、ロビーまで戻るとさおちゃん達の姿があった。
「あ、来た」
「先輩っ、会いたかったです!」
「さおちゃん鼓拍ちゃん、久しぶり」
 ZINEではいつも話してるけど、直に会えるのは本当に久しぶり。しかもオートラリアでなんてね。
 抱き着いて来た鼓拍ちゃんを諸手で迎え、さおちゃんに「他の皆は?」と訊ねる。
「もうすぐ来るはず」
「あっ、歩美ちゃんだ!」
「やあ大塚君!」
「歩美さん、お久しぶりですわね」
 さおちゃんの言う通り、皆すぐにやって来た。生徒会メンバー全員と千里ちゃんといういつもの顔ぶれ。
 でも、みんな私の顔を見るなり揃って眉尻を下げる。心配そうな顔。
「あなた本当に大丈夫ですの?」
「疲れた顔しちゃってさ」
「先輩、高校の時より痩せてますよ……」
 私の体をまさぐって顔を見上げる鼓拍ちゃん。皆に嘘はつけない。そういうつもりでもなかったんだよ。ただ、夏休みに入る直前の出来事だったんで定期報告のタイミングとは合わなかっただけで。
「何かあったんですか?」
「うん、ちょっとね。直接会えたら言おうと思ってたんだけど」

 やっぱりもう、駄目かもしれない。
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