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運動場
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留置場では、運動不足防止のため一日一回容疑者を外に出す。
無論、壬生も出されるし、春吉も出される。
春吉は、塀にもたれて座る壬生に近寄った。
「朗。」
「話すことは何も無い。」
壬生は立ち上がって逃げようとするが、動く先、動く先に必ず誰かがいて、壬生を行かせまいという気配を示している。
「朗、あきらめろ。こんなところで俺に勝てると思うな。」
士道会会長、その肩書は、常習的な犯罪者にとって重い。
彼らにとってヤクザを敵に回すことは、今後に控える刑務所での生活に大きく影響する。
故に、ヤクザに逆らおうとしない。
逃げられないと判断した壬生は、構えを取る。
さすがに看守たちが集まってくる。容疑者たちの喧嘩を止めるのも彼らの仕事である。
だが、春吉は看守たちを手で制した。
「孫と話すだけです。聞かれても構わない話ですんで、どうぞ聞いて下さいな。」
そう言って春吉は、壬生の前に腰を下ろした。
「朗、大久保季実子が死んだ。新聞のおくやみ欄に掲載されていたから間違い無い。」
朝一で弁護士が接見して知らせてくれた。アクリル板越しに紙面も確認したから間違いない。
壬生の表情が驚きのそれに変わった。
「剛ならともかく、あの女の死がニュースになるのか?」
「おくやみ欄だ。訃報じゃねえ。ひょっとして、今時の若いのは、新聞読まねえから知らねえのか。」
「金が無いんでね。」
指摘通り、壬生は新聞を読まない。金が無いので取れないのだ。
「おくやみ欄ってのは、人の死を知らせる新聞のコーナーだ。遺族の依頼で掲載されるから、まず間違い無い。」
「そうか、あの女、死んだのか。」
「会ったことは?」
「一度だけ。大久保の名をよく捨てたと言われた。」
「それだけか?」
「殴ろうと思ったけど駄目だった。止めにかかる人が多くてね、無理だった。」
「そうか。」
春吉は、立ち上がりファイティングポーズをとる。
「スパーするぞ。」
「ボクシングの経験は無いし、喧嘩は禁止だ。」
「喧嘩じゃねえ、スパーリングよ。」
春吉は、左ジャブを繰り出す。
壬生は、一歩下がってかわした。
「宮川の野郎が来る。おそらくお前は保釈される。」
「宮川?あぁそうか。あんたはそう呼ぶのか。」
壬生はネットで調べた情報を頭の中で整理して答えた。
「大久保の女帝なんて言われたあの女が死んだ以上、宮川の野郎がトップだ。あいつならお前のために動く。」
「動くのか?」
「あいつを支持する者は、内外に結構いる。だからこそ、今でも議員やっている。対抗勢力の中核である季実子が死んだ以上、あいつを止める奴はいない。」
「俺は一度もあいつに会ったことは無い。」
壬生は事実を告げた。
「季実子がいたからな。だが、東京では目が届かないから、それなりにお前を見ていた。」
「そうなのか?」
「あいつが直接見てたわけじゃねえからな。施設に警察が来てたりしてたろ。」
確かに記憶がある。近所の交番の警官がパトロールと称して頻繁に来ていたが、ひょっとして……。
壬生はそう思ったが、口に出したのは別のことだった。
「結構、あの家のこと知ってるようだが?」
「あれだけ金のある家だ。相続やらなんやらで揉めることがあれば、シノギになるんでな。色々と、な。」
「ヤクザらしいな。人の欲望に付け込んで、金をむしるつもりか。」
壬生は、嫌悪感とともに右の正拳を繰り出した。
春吉は、外にはじいた。
空いたスペースに素早く躍り込む。
若き日に得意としたインファイト、まずはボディに右アッパー、意識がボディに向いた瞬間を狙ってあごに右アッパー。
もっとも孫を殴ることはできない。軽く当てただけだ。
「……あいつにゃ結構決まった手だ、覚えとけ。」
春吉は、呼吸を整えながら言った。
70を越えた身にボクシングは厳しい。春吉は痛感した。
「なるほど、でも俺は空手家だから。」
壬生が再度踏み込んで右の正拳突き。
おもしれえ、罠があるんだろうが、踏み破って爺ちゃんのかっこいい所みせてやる。
そう思い、先ほど同様パリーで正拳をはじいて踏み込んだ。
その瞬間、左ひざに激痛が走った。
「いでえぇっ!」
外聞もなく左膝の上を抑えて春吉は倒れる。
「朗、蹴りは……。」
「ボクシングに付き合う気はない。」
壬生が、きれいに右のローキックを膝上に決めたのだ。
さすがに看守が集まってくる。
「看守の先生方、すまねえが孫と遊んでいるだけなんだ。見逃してくれ。」
春吉は、痛みをこらえて立ち上がり、看守たちに頭を下げる。
「遊んでんのか。」
「俺には男の子ができなかったからな。人から子や孫と取っ組み合うなんて話を聞いてうらやましく思ってたのよ。
今日、それがかなって楽しいぜ。」
「2年前たっぷり遊んでやったろ。」
「まだ、足りねえぜ。」
その時、がやがやと人の声が聞こえてきた。それもかなりの人数の。
運動場にいた全員が、声のする入り口の方を向いた。
先頭に立っているのは恰幅の言い制服姿の中年達、その後ろには野口ら刑事までいる。
「どうやら、動いたようだぜ。署長が来やがった。」
春吉は、そう言いながら壬生の後ろに回った。
無論、壬生も出されるし、春吉も出される。
春吉は、塀にもたれて座る壬生に近寄った。
「朗。」
「話すことは何も無い。」
壬生は立ち上がって逃げようとするが、動く先、動く先に必ず誰かがいて、壬生を行かせまいという気配を示している。
「朗、あきらめろ。こんなところで俺に勝てると思うな。」
士道会会長、その肩書は、常習的な犯罪者にとって重い。
彼らにとってヤクザを敵に回すことは、今後に控える刑務所での生活に大きく影響する。
故に、ヤクザに逆らおうとしない。
逃げられないと判断した壬生は、構えを取る。
さすがに看守たちが集まってくる。容疑者たちの喧嘩を止めるのも彼らの仕事である。
だが、春吉は看守たちを手で制した。
「孫と話すだけです。聞かれても構わない話ですんで、どうぞ聞いて下さいな。」
そう言って春吉は、壬生の前に腰を下ろした。
「朗、大久保季実子が死んだ。新聞のおくやみ欄に掲載されていたから間違い無い。」
朝一で弁護士が接見して知らせてくれた。アクリル板越しに紙面も確認したから間違いない。
壬生の表情が驚きのそれに変わった。
「剛ならともかく、あの女の死がニュースになるのか?」
「おくやみ欄だ。訃報じゃねえ。ひょっとして、今時の若いのは、新聞読まねえから知らねえのか。」
「金が無いんでね。」
指摘通り、壬生は新聞を読まない。金が無いので取れないのだ。
「おくやみ欄ってのは、人の死を知らせる新聞のコーナーだ。遺族の依頼で掲載されるから、まず間違い無い。」
「そうか、あの女、死んだのか。」
「会ったことは?」
「一度だけ。大久保の名をよく捨てたと言われた。」
「それだけか?」
「殴ろうと思ったけど駄目だった。止めにかかる人が多くてね、無理だった。」
「そうか。」
春吉は、立ち上がりファイティングポーズをとる。
「スパーするぞ。」
「ボクシングの経験は無いし、喧嘩は禁止だ。」
「喧嘩じゃねえ、スパーリングよ。」
春吉は、左ジャブを繰り出す。
壬生は、一歩下がってかわした。
「宮川の野郎が来る。おそらくお前は保釈される。」
「宮川?あぁそうか。あんたはそう呼ぶのか。」
壬生はネットで調べた情報を頭の中で整理して答えた。
「大久保の女帝なんて言われたあの女が死んだ以上、宮川の野郎がトップだ。あいつならお前のために動く。」
「動くのか?」
「あいつを支持する者は、内外に結構いる。だからこそ、今でも議員やっている。対抗勢力の中核である季実子が死んだ以上、あいつを止める奴はいない。」
「俺は一度もあいつに会ったことは無い。」
壬生は事実を告げた。
「季実子がいたからな。だが、東京では目が届かないから、それなりにお前を見ていた。」
「そうなのか?」
「あいつが直接見てたわけじゃねえからな。施設に警察が来てたりしてたろ。」
確かに記憶がある。近所の交番の警官がパトロールと称して頻繁に来ていたが、ひょっとして……。
壬生はそう思ったが、口に出したのは別のことだった。
「結構、あの家のこと知ってるようだが?」
「あれだけ金のある家だ。相続やらなんやらで揉めることがあれば、シノギになるんでな。色々と、な。」
「ヤクザらしいな。人の欲望に付け込んで、金をむしるつもりか。」
壬生は、嫌悪感とともに右の正拳を繰り出した。
春吉は、外にはじいた。
空いたスペースに素早く躍り込む。
若き日に得意としたインファイト、まずはボディに右アッパー、意識がボディに向いた瞬間を狙ってあごに右アッパー。
もっとも孫を殴ることはできない。軽く当てただけだ。
「……あいつにゃ結構決まった手だ、覚えとけ。」
春吉は、呼吸を整えながら言った。
70を越えた身にボクシングは厳しい。春吉は痛感した。
「なるほど、でも俺は空手家だから。」
壬生が再度踏み込んで右の正拳突き。
おもしれえ、罠があるんだろうが、踏み破って爺ちゃんのかっこいい所みせてやる。
そう思い、先ほど同様パリーで正拳をはじいて踏み込んだ。
その瞬間、左ひざに激痛が走った。
「いでえぇっ!」
外聞もなく左膝の上を抑えて春吉は倒れる。
「朗、蹴りは……。」
「ボクシングに付き合う気はない。」
壬生が、きれいに右のローキックを膝上に決めたのだ。
さすがに看守が集まってくる。
「看守の先生方、すまねえが孫と遊んでいるだけなんだ。見逃してくれ。」
春吉は、痛みをこらえて立ち上がり、看守たちに頭を下げる。
「遊んでんのか。」
「俺には男の子ができなかったからな。人から子や孫と取っ組み合うなんて話を聞いてうらやましく思ってたのよ。
今日、それがかなって楽しいぜ。」
「2年前たっぷり遊んでやったろ。」
「まだ、足りねえぜ。」
その時、がやがやと人の声が聞こえてきた。それもかなりの人数の。
運動場にいた全員が、声のする入り口の方を向いた。
先頭に立っているのは恰幅の言い制服姿の中年達、その後ろには野口ら刑事までいる。
「どうやら、動いたようだぜ。署長が来やがった。」
春吉は、そう言いながら壬生の後ろに回った。
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