か弱い力を集めて

久保 倫

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 私がカリスト君達を雇うと宣言して二週間後の夜、バジリオ君とお母さんを商会の事務所にお招きしました。
 夜にしたのは、お父さんに知られないためです。 
 知られたら、また筆の取引に口を挟んでくるに決まってます。
 筆作りに何の貢献もしない人と口をききたくはありません。
 
 それ以上に、今からの契約を絶対に知られる訳にはいきません。
 知ろうものなら、何が起こるか。

「これが契約書です。読み上げますので、ご納得頂けたら、名前を記入して下さい。」

 私は、早口で読み上げました。
 早口なのは、賭場に行っているバジリオ君のお父さんが帰ってくる前に契約を済ませるため。
 普段出かけない時間に外出して眠そうなアリアンナちゃんのためにも、早く済ませたいところです。

 フロラ・バルデスはロザリンド・メイアから金貨5枚を借用する。
 利息は年利1割とする。
 返済は元金への返済を優先する。
 毎月末日に銅貨500枚ずつ返済する。

「毎月銅貨500枚ですか。」

 フロラさんの顔が曇ります。
 そうだよね、フロラさんにとっては大金だもん。
 元金の金貨5枚など想像を絶する大金です。

「ですので、こちらにもご署名頂けますか?」

 もう一枚の契約書を鞄から出します。
 それは、フロラさんが私専属の筆職人となる契約書。
 もし、私以外の方に筆を売却した場合、罰則として金貨10枚払う項目つき。
 ただし、私も、フロラさんが指定した太さの筆を持ち込む限り、購入する義務を負います。
 これを来年から2年継続するのです。

「あなたほど高く買う方は現れないでしょうから、それは構いませんが。」
 そう、筆一本銀貨1枚払うことも明記しています。
 それが何百本であっても。
 そんなに持ち込むことはないでしょうが。
「何か気になることがございますか?」
「そんな高い筆が売れるのでしょうか?」
「大丈夫です。実はすでに30本、注文が入ってます。」
「えっ?」

 えぇ、イルダ様をモデルにしたりした努力と、今の宮廷闘争が合わさった結果です。
 化粧品とその道具への注文は、一式金貨百枚という値段に関わらず、30件受注し、まだ注文を検討する方がいる状況です。

「ということは、銀貨30枚ってこと?」
 バジリオ君も目を丸くします。
「筆と引き換えだけどね。」
「作ります!何本でも作りますとも!」

 フロラさん、引ったくる勢いで契約書を取ります。

「母ちゃん、名前書けるの?」
「あ……。」
「ほら、これに見本書いてあげて。」
 白紙を机に出します。
「母ちゃん、名前こう書いて。」
 バジリオ君が白紙にフロラ・バルデスと書きますます。
「これを書き写せばいいんだね。」

 そう言ってフロラさんは、必死の形相で名前を書いていきます。

「これでいいのでしょうか?」
「はい、大丈夫です。」

 書類を見て、必要な箇所に署名されていることを確認しました。

「どうぞ、お納め下さい。」
 一度袋から出して金貨が5枚あることを確認してもらいます。
 フロラさんは、袋に金貨を戻し、袋を押し頂きました。
「これでバジリオに冒険者ギルドの訓練を受けさせてやれます。」
「母ちゃん、本当にいいのかい?こんな目のくらむような大金を借りさせて。」
「いいんだよ。お前が立派に冒険者になってくれるなら、母ちゃんは頑張れるよ。幸い、頑張り方は見えている。あんたも真面目に訓練を受けるんだよ。」
「うん、おいら頑張るよ。」

 冒険者になるには、冒険者の弟子になる他に、ギルドで行われている訓練を受講する方法があります。

 ただ、無償ではありません。
 受ける訓練によって額は変わりますが、バジリオ君が受けようと思う訓練を全て受けるには、金貨5枚かかります。
 
 最初、私はバジリオ君に直接出資する形で、冒険者ギルドの訓練を受けさせようと考えていました。
 ですが、お父様に反対されたのです。


「ダメだ、ロザリンド。その少年に直接貸してはならない。」
「何故です?」
「その少年、バジリオ君が逃亡すれば?逃亡せずとも冒険の危険に怯え、冒険者を廃業したら、どうする?」
 
 大事な妹や母親をおいて逃亡するとは考えられませんが、冒険の危険に怯える可能性はあるかもしれません。
 メイア商会の護衛の中にも、かつては冒険者だった方もいます。魔獣などとの戦いの恐怖に負け、人間相手の護衛に転職したのです。

 一応一度は冒険しているはずですが、師匠についていくのと単独ソロは違うでしょうし。

「もう一つ、彼がそれをお前からの憐れみと捉えるかもしれない。それは彼のプライドを傷つけるし、恐怖に負けた時、お前の憐れみを乞うだけの人間に成り下がるだろう。」
「そういうものなのですか?」
「残念ながらね。私も他人に出資をしたことがあるし、今もしている。目論見がうまくいかなくなることはあるので、回収できないことは仕方ない。しかし、追加の出資を断って逆恨みされ、命を狙われた経験は堪えたな。」
「そんなことが。」
「お前が産まれる前の話だ。その時、出資相手を憐れんで、一度だけ追加の出資に応じたのが悪かった。二度目の追加出資の要求を断った時言われた『金持ちの癖に哀れな俺に出資してくれないのか!』という言葉は、今でも忘れない。」

 お父様は、遠い目をしながら語ります。

「一度憐れみを受ければ、二度三度受けることを人は、ためらわなくなるものだ。それだけでなく、憐れみをかけないことを逆恨みさえする。お前からの憐れみを、受けて当然のものとしか思わなくなるからだ。お前はそれを望むかい?」

 それは、嫌です。
 あんな快活なバジリオ君が、そうなるなんて。

 そこでフロラさんに訓練の受講費用を貸し、それを筆の製作で返済させる形にすることにしました。
 フロラさんの筆は売れるので、間違いなく貸したお金は回収できます。バジリオ君母子のプライドを傷つける事態は避けられます。
 もし、バジリオ君が冒険の恐怖に万が一負けても、イタチなどの筆の素材となる動物を捕らえることはできますのでバジリオ君も、お母さんの借金返済に協力できます。お母さんに負い目を感じなくてもいいでしょう。

「返済は、今後バジリオ君に持たせるなどしてお支払いください。」
「はい、あの人に見つかれば必ず博打の資金にしてしまいますから。」
「へへ、オイラも冒険者になるんだぜ。父ちゃんくらい出し抜いてみせらぁ。」
「そうなんなきゃダメだからね。」

 バジリオ君の受ける訓練の一つに潜入術があります。
 一応、師匠から基本は教え込まれたそうですが、やはり、今後ソロになる以上磨きぬかねばなりません。
 お父さんくらい出し抜いてもらわねば。

「ところでさ、カリスト君はどうしてる?」

 気になっていることをこの際聞いてみます。
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