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「ブラウニング伯ブラッド、騎馬民族を束ねる族長を、敵中深く進攻して討ち取り、帰路においても数度に渡り勝利を重ねたその働き、此度の戦役における武功第一と認める!」

 国王デズモンドの声が、凱旋祝賀会の会場に響きわたる。

「陛下のお言葉痛み入ります。我が武功を大なるものと御嘉賞頂き光栄の極みにございます。」

 そう答えてブラッドは、片膝をついて頭を下げる。
 ここまでは、凱旋式での作法のままだった。

「陛下、その我が武功全てをかけてお願いしたき儀がございます!」

 ブラッドの予定外の言葉に会場がざわつく。

「陛下の勅諚によりますオルコット公令嬢アシュリーとの婚約破棄、並びに聖女シンシア・クルザートとの婚姻をお認め賜りますよう伏してお願い申し上げます!」

 えっ!

 アシュリーは、絶句してブラッドを見つめるしかできなかった。
 そんなアシュリーの耳に周囲のひそひそ話が入ってくる。

「三無のブラッドと聖女のシンシアが結婚するのか。」
「華麗ですわ。」
「最強の一つがいが生まれるか。」

 確かに戦士として、一軍の将として、疑う余地なく王国最強のブラッドと、最高の聖女と称される美貌のシンシアのカップルは、華麗極まりないものだろう。

「アシュリーさんも、気の毒ね。」
「あら、心にも無いお言葉。」
「あの地味なアシュリーさんでは、シンシアさんの敵には、なれないわね。」
「平民に婚約者を奪われるなんて、ふふ。」
「アシュリーさん、地味ですものねぇ、クスクス。」

 そんな毒を含んだささやきも耳に入って来る。

 国王デズモンド・ドリューウェッドは、虚をつかれた表情となっている。
 予定外のブラッドの言葉に、どう反応したものか、迷っているのだ。

 先王の4男として生まれ、知性に秀でた長男と行動力のある5男の間に埋没してしまった程度の男である。
 凡庸で覇気の無い王子、それがデズモンドの評価だった。

 だが、病弱な次男が病死し、3男が生まれながらの盲目を理由に王位継承権を返上。

 長男と5男が、王位を争う中、味方する貴族もなく、じっとしていただけだったが、両者が共倒れしたため、王位が転がり込んできた。

 それがデズモンドが即位に至るまでの王室史である

 デズモンドは、うろたえながら、周囲を見回し、信頼する宰相アーネスト・イアハートの目配せで、ハッとなり、気を取り直してブラッドに向かい合う。

「……よかろう、大功あったお主の願いだ。聞き届けても構わぬが、シンシア・クルサート、汝の意向は?」
「ブラッド程の英傑に妻と望まれて、否の返答がありましょうや。謹んでお受けいたします。」
「シンシア!」
「ブラッド!」

 式典の末席に位置していたシンシアが、長く美しい金色の髪をなびかせながらブラッドに駆け寄る。
 その様は、シンシアの華やかな美貌と相まって、一枚の絵画の様であった。
 シンシアは、勢いのままブラッドに抱き着く。
 ブラッドは、シンシアを難なく抱き止め、持ち上げ抱擁する。

 抱擁する二人を、アシュリーは、驚きの目で見るだけだった。

 国王の勅諚による政略婚約である。
 ブラッドを真剣に愛していたか、と聞かれるとノーだ。

 それでも、よき妻になろうと思っていたが……。

 衝撃を受けたまま、二人が抱擁するのを、どこか遠い世界の出来事のように見ていた。

「アシュリー、大丈夫かね。」
「……えぇ。」
 父の言葉のおかげで、アシュリーは、冷静さを取り戻した。

「お前、ブラッド卿とシンシアとのことを察していたか?」
「いいえ。」
「そうか。何を考えているのだ、ブラッド卿は。大将軍だった父が、国王の勅諚まで求めて決めた婚約を破棄するなど。」
「お父様、落ち着いて下さい。」

 滅多に怒りの感情を露にすることのない父の怒りが、アシュリーを更に冷静にさせる。

 考えてみれば無理のないことなのかもしれない。
 何しろ軍営という、アシュリーが立ち入ることのない領域に若い男女がいて、互いの力量に敬意を払い合う仲なのだ。
 これで恋愛に発展しない方が奇跡だろう。

 むしろ、ブラッドは誠実なのかもしれない。

 やる気になれば、いくらでも浮気できたはずだから。

「して、アシュリー、汝の意向は如何に?」
「ブラウニング伯がその絶大なる武功全てをかけての願いでございます。陛下が許可を与えますなら、このアシュリー従うしかありませぬ。」 
「アシュリー、いいのか、お前。」

 ベネディクトが小声で話しかけてくる。

「仕方ないわ。ブラッドがその武功全てをかける、と言う程の恋愛ですもの。これで許さなかったら、我が家は悪役よ、お父様。」
「……そうかもしれないがね。」

「オルコット公、卿の意向は如何であるか?」
 親子が小声で話し合う中、デズモンドがベネディクトに質問してきた。
「娘が応じます以上、親として反対することはありませぬ。」
「オルコット公も婚約破棄に同意する以上、余としても反対はせぬ。アシュリーとの婚約破棄とシンシアとの婚姻を認めよう。」
「陛下、ありがたき幸せ。以後もこのブラッド、ただいまの恩を忘れず、陛下に忠勤を励みます。」
「うむ、楽しみにさせてもらう。して、此度の戦役に対する褒賞であるが……。」
「いえ、陛下。このブラッド、たった今陛下より褒賞を賜りました。」
「何?」
「陛下は、アシュリーとの婚約破棄とシンシアとの婚姻をお認め下さったではありませぬか。」
「そ、そうだが……。」
「我が武功、全てをかけての願いを陛下に聞き届けて頂きました。突然の臣の我がままをお聞き届け頂き、感謝の言葉もございませぬ。」
「ま……。」


 まさか、本気なのか?


 うろたえるデズモンドの思いをその場にいる者全員が共有したであろう。

 ブラッドは、敵の族長を討ち取ると言う大功を、婚約破棄のためだけに使うと言うのか。

「陛下、重ねて申し上げます。このブラッド、此度の戦役で戦死した父に変わり、ブラウニング伯爵家当主として、今後も陛下のため忠勤を励みます。」

 今一度、片膝をつき、深々と頭を下げてから、ブラッドは立ち上がり、シンシアを伴ってデズモンドの前を辞した。
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