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代役
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何をやっているのだろう、僕は――
米軍による接収前、急ぎ本邸から運び込ませたイギリス製ベッドに浅く腰を下ろしたまま、敦は心中でそう呟いた。
確かに、壊してほしいと願っていた。あの瞬間までは。
こんな死に損ないの自分など、滅茶苦茶に、跡形もなく壊してほしいと。死ぬべき時に死ねず、見苦しくも生き延びてしまった自分など、さっさと殺してもらいたいと。
その下手人として、あの田沢健吾という男はうってつけの存在だった。
復員局で調べてもらったところ、事実、彼には大戦中激戦地として知られた南方島嶼部への従軍経験がある。いや、あえて調べずとも、彼の言葉は、そして四肢のあちこちに刻まれた痛ましい古傷は、彼が戦場で地獄を見てきたことを無言のうちに告げている。
その彼なら、あるいは、こんな見苦しく死にそびれた自分を存分に破壊してくれるだろう――あの夜、彼がそうしたように――と、敦は期待した。
期待は叶えられた……はずだった。
だが、最後の最後で敦は図らずも思い知らされた。自分には〝死〟を受け入れるに足る覚悟が全く出来ていなかったことを。それが証拠に敦は、あの終わりなき苦痛から、見苦しくも敵前逃亡を図ってしまった。固めていたはずの覚悟は呆気なく否定され、結局は生物本来の本能に縋りついてしまった。
――俺たちはな、誰にも助けを求められずに、空腹のまま、ただ弱って死んだんだ。
――そもそもが、そうやって許しを乞いさえすりゃ苦しみから逃れられるってぇ料簡自体が甘ぇんだよ。
何もかも、あの男の言うとおりだ。
自分が求めていたのは、所詮、ままごとの死でしかなかったのだ。生命の安全が保障された、安全圏においてのみ求めることの許される、甘美な、しかし、偽りの死。
敦にとって、それは、この上なく辛辣な現実だった。しかも田沢は、そんな敦の浅はかさを見抜いた上でさらに残酷な要求を強いたのである。
食事を。飯を食えと。
敦としては、到底受け入れられる命令ではなかった。食べ物は生命のともしびであり象徴だ。そんなものを、死を希む人間が取ることなど許されない……
が、結局、敦は折れてしまった。受け入れてはならないはずの〝いのち〟を取り入れてしまった。しかも、その味わいはどこまでも優しく、あたたかく、敦を癒した。――無理もない。それは新藤たちが、この食糧難の折に身を挺して仕入れてきてくれた貴重な食べ物だったのだから。
新藤は、いくら敦が拒んでも食事を用意することを止めなかった。敦が自殺を働き、おおいに彼らに失望を与えた――敦はそう思った――後も、それは変わらず続いている。
そのこと自体は、とても、感謝している。
それ以上に済まなく思う。こんな、ぶざまな死に損ないのために――
立ち上がり、部屋のすみの机に歩み寄る。抽斗から、もう何度眺めたか知れない政府発行の便箋を取り出す。
「……創一郎」
中の通知を開き、目を通す。何度眺めても決して変わることのない文面を、改めて、敦はその目に焼きつけた。
「僕は……どうすれば、君のもとに……」
米軍による接収前、急ぎ本邸から運び込ませたイギリス製ベッドに浅く腰を下ろしたまま、敦は心中でそう呟いた。
確かに、壊してほしいと願っていた。あの瞬間までは。
こんな死に損ないの自分など、滅茶苦茶に、跡形もなく壊してほしいと。死ぬべき時に死ねず、見苦しくも生き延びてしまった自分など、さっさと殺してもらいたいと。
その下手人として、あの田沢健吾という男はうってつけの存在だった。
復員局で調べてもらったところ、事実、彼には大戦中激戦地として知られた南方島嶼部への従軍経験がある。いや、あえて調べずとも、彼の言葉は、そして四肢のあちこちに刻まれた痛ましい古傷は、彼が戦場で地獄を見てきたことを無言のうちに告げている。
その彼なら、あるいは、こんな見苦しく死にそびれた自分を存分に破壊してくれるだろう――あの夜、彼がそうしたように――と、敦は期待した。
期待は叶えられた……はずだった。
だが、最後の最後で敦は図らずも思い知らされた。自分には〝死〟を受け入れるに足る覚悟が全く出来ていなかったことを。それが証拠に敦は、あの終わりなき苦痛から、見苦しくも敵前逃亡を図ってしまった。固めていたはずの覚悟は呆気なく否定され、結局は生物本来の本能に縋りついてしまった。
――俺たちはな、誰にも助けを求められずに、空腹のまま、ただ弱って死んだんだ。
――そもそもが、そうやって許しを乞いさえすりゃ苦しみから逃れられるってぇ料簡自体が甘ぇんだよ。
何もかも、あの男の言うとおりだ。
自分が求めていたのは、所詮、ままごとの死でしかなかったのだ。生命の安全が保障された、安全圏においてのみ求めることの許される、甘美な、しかし、偽りの死。
敦にとって、それは、この上なく辛辣な現実だった。しかも田沢は、そんな敦の浅はかさを見抜いた上でさらに残酷な要求を強いたのである。
食事を。飯を食えと。
敦としては、到底受け入れられる命令ではなかった。食べ物は生命のともしびであり象徴だ。そんなものを、死を希む人間が取ることなど許されない……
が、結局、敦は折れてしまった。受け入れてはならないはずの〝いのち〟を取り入れてしまった。しかも、その味わいはどこまでも優しく、あたたかく、敦を癒した。――無理もない。それは新藤たちが、この食糧難の折に身を挺して仕入れてきてくれた貴重な食べ物だったのだから。
新藤は、いくら敦が拒んでも食事を用意することを止めなかった。敦が自殺を働き、おおいに彼らに失望を与えた――敦はそう思った――後も、それは変わらず続いている。
そのこと自体は、とても、感謝している。
それ以上に済まなく思う。こんな、ぶざまな死に損ないのために――
立ち上がり、部屋のすみの机に歩み寄る。抽斗から、もう何度眺めたか知れない政府発行の便箋を取り出す。
「……創一郎」
中の通知を開き、目を通す。何度眺めても決して変わることのない文面を、改めて、敦はその目に焼きつけた。
「僕は……どうすれば、君のもとに……」
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