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57 なぜ探偵は謎解きの場に関係者を集めたがるのか

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 モーフィアスの屋敷に到着すると、突然の来訪にもかかわらず、すんなり中へと通された。
「ジェラルド様も、王太子殿下とウェリントン様をお待ちしておりました」
「待っていた?」
 隣を歩くウェリナがすかさず問い返す。すると、俺たちの三歩ほど先を歩く屋敷のメイドは、前を向いたまま「ええ」と頷く。
「昨晩の騒動は、すでにジェラルド様の耳にも入っております。それで、いつでも侯爵様の調査に応じることができるよう待機しておられました」
「……なるほど」
 が、頷くウェリナの表情は硬い。今のメイドの言を信じるなら、モーフィアスの当主ジェラルドとやらは今のところ調査に協力的だといえる。ただ、こちらの目を攪乱するための擬装である可能性も残ってはいるのだ。……まぁ、ジェラルド個人の人となりを知らない俺としては、現段階では何とも評しきれないわけだが。
 モーフィアスの屋敷は、規模的にはウェリントンのそれと変わらない。ただ、何となくだが全体に鄙びた雰囲気が漂っていた。埃にまみれた調度品。廊下に敷かれた絨毯も、人のよく通る真ん中だけが獣道のように擦り切れ、黒くくすんでいる。
 やがて中庭に面した回廊に出る。と、その庭もひどい有様だった。一面の雑草まみれ。しかも、本来噴水が湧いているであろう人口泉は枯れて底があらわになっている。領地から戻ったばかりで手入れが行き届いていない? いやいや、たとえ屋敷の主が領地に戻ったとして、王都にある屋敷の留守は執事なりメイドによって保守管理がなされるはずだ。一体、この家に何が……?
「な、なぁウェリナ。どうなってるんだ、この家」
 前のメイドに聞こえないよう、そっとウェリナに耳打ちする。するとウェリナは、何の話だと言いたげに目顔で俺を見つめ返してきた。
 そんなウェリナに、なおも俺は声を落として続ける。
「何つーか……侯爵家ってどこもそれなりに金があるんだろ? なのに、ここは……」
「ああ。以前……といっても、今から十年以上も前の話だが、現当主のジェラルド様が事業で失敗し、以来、苦しい資金繰りが続いているそうだ」
「……なるほど」
 やがてメイドさんは、回廊奥の扉の前で足を止めると、ノックとともに短く用向きを告げる。と、中から美しいバリトンで「入りたまえ」と返事があり、メイドさんは失礼しますと断ってドアを開いた。
 そこは、どうやら応接室らしかった。ここまでの廊下と同じ、一応は豪奢な(しかし、全体的に何だか埃っぽい)内装に、やはり豪奢な(でもやっぱり埃っぽい)調度品の数々。その中央に置かれたソファセットに悠然とかける四十からみの男性が、どうやらこの屋敷の主ことジェラルドらしい。というのも、年齢にしては豊かな髪とそして髭が、カサンドラの髪と同じ見事な橙色に輝いていたからだ。ジェラルドはカサンドラの実の兄である。
 その橙の目が俺の方に向けられるや、男は弾かれたように立ち上がる。
「これはこれは。王太子殿下もご一緒だったとは」
 そして優雅な一揖。一応は仕立ての良いジャケットとパンツに身を包む彼は、高い等身やダンディで精悍な顔立ちとも相まって大変見栄えがする。
 ……あれ?
 一瞬、ある感覚が俺の脳裏をよぎる。これは……既視感? この人に、俺は以前、どこかで会ったことがある……? いや、考えてみれば当たり前の話だ。前回の舞踏会には、五侯爵家をはじめとする多くの貴族が集まった。当然、モーフィアスの当主であるジェラルドも顔を出しただろう。そこで俺も挨拶なりを交わしたのかもしれない。残念ながら記憶には残っていないが。
 そうでなくとも、さすがは兄妹というか、ジェラルドとカサンドラは顔立ちがよく似ている。そのカサンドラの面影を、つい頭の中で重ねてしまったんだろう……と、いうことにしよう。
 俺とウェリナは、ジェラルドに勧められるまま向かいのソファに並んで腰を下ろす。ほどなく先程のメイドさんが紅茶と茶請けを運んできて、さっそく一口啜ると、これが何の香りもしない。おそらく茶葉が古すぎて香りが飛んでいるのだ。
「さて……さっそく本題に入るか。現在、我々の方でも襲撃犯の条件に該当する人間を洗っている。例えば、君が目撃したという女に似た背格好を持つ男だとかな。ただ……やはり全員、昨晩は確かに我が領地に滞在していたことが判明している」
「それは、信頼できる情報ですか」
「我が名に誓って」
 そしてジェラルドは、椅子の上で軽く胸を張る。そんな演技じみた仕草も不思議と不快でないのは、どこまでも誠実な双眸のおかげだろう。派手な容貌のせいで何となく尊大な性格を想像したが、中身は妹のカサンドラに似てまっすぐな人間なのだろう。
「むろん、仮に我が一族の所業だと判明したさいは、我々に出来る限りの謝罪と補償をさせてもらう」
 そしてジェラルドは、深刻そうに眉根を寄せる――その、険しいまなじりに。何より一文字に引いた唇に。
「あ」
「どうしました、殿下」
 怪訝な顔で振り返るウェリナに、俺は「あ、いや」と曖昧に笑う。その実、頭の裏側では、たったいま捉えた既視感の正体を――それが意味する事実を――その事実が招く新たな事態を――とてつもない速度で弾き出していた。普段は亀の歩みでのんびりまったり働く脳味噌が、今は締め切り前の同人作家(例・姉貴)ぐらいきりきり思考を回している。
 ああ、そうだ。
 だから彼女は、あんなにも堂々と襲撃できたんだ。が、そうなると何故俺を襲ったのかという話だが……いや、動機はある。俺にしてみればあまりにも身勝手で、でも、彼女としてもやむにやまれない、まさに全方向で救われない動機。
「……ちなみに、一族以外の人間に心当たりは?」
 今度は、俺の方から問うてみる。するとジェラルドは、ほんの一瞬だが確かに狼狽の色を見せた。やはり……
「い……いや。そもそも……一族以外の人間であのような真似ができるとは思えんが。まぁ……仮にそうだとしたら、正直な話、肩の荷が下りて結構だがね」
 と、言いながらもジェラルドの笑みは硬い。もっとも、彼のしたことを考えれば、たとえ冗談でも呑気に笑い飛ばせる話じゃないだろう。
 その後、俺とウェリナは間もなくモーフィアスの屋敷を後にする。
 帰りの馬車で、さっそく俺はウェリナに問うた。
「モーフィアスと、あと、システィーナって……その、結構仲が良かったりするのか?」
「システィーナ? ……まぁ、悪くはないな。システィーナが採掘した鉱石の加工には、どうあっても炎の精霊の加護が要る。一方、モーフィアス単体では営利手段が乏しく、孤立すればジリ貧は必至だ。戦争でも起きればそれこそモーフィアスの独壇場になるが、幸か不幸か現状、周辺国との外交関係は極めて安定している」
「つまり、平時の今は互いに持ちつ持たれつの関係、と……じゃあ……ええと、そうだな、ここ十数年のうちに、その力関係が急激に変わったことは?」
「急激に? ……そういえば、十五年ほど前に両家の間で新たな協定が結ばれているな」
「システィーナに有利なかたちで?」
「ああ。それまでの加工代を、いきなり四分の三に下げるという、傍目にも無茶な協定だった。にもかかわらず、モーフィアスはこれをすんなりと受け入れた。さすがに父も怪しんで、両家の裏事情を洗ったそうだが、結局、問題らしい問題は見つからなかったそうだ。……で、さっきから質問の意図が読めないんだが、一体、君は何を考えている?」
「あー……いや、うん、こっちの話」
 じろりと睨みつけてくるウェリナに、俺は曖昧に笑い返すと、とりあえず奴の視線から逃れるべく車窓の景色に目を移す。が、当たり前だが景色などまるで頭に入ってこない。それほどに俺の脳みそは、元々の仮説に今の話を組み入れることで忙しかった。
 やはり……そういうことになるのか。
 だとすれば、この件は慎重に、それこそ精緻なプログラムのバグを直すみたいに紐解いていかなきゃならない。その上で、最後の仕上げとなる謎解きは、関係者を一堂に集めた状態で行なうべきだろう。個別にやるのは手間だし、何より、誰が誰にどんな情報を与えたか、誰か何を知っているのか等、謎解き自体が新たな火種になりかねないのだ。……あーなるほどね。いわゆるミステリ物でいちいち探偵役が謎解きの段に関係者を集める理由がようやくわかったわ。つーか、むしろ集めなきゃ駄目なやつだこれ。
「なぁウェリナ、一つ、面倒事を頼まれちゃくれないか」
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