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58 シン・悪役令嬢

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 その夜。俺は王宮にある俺の応接室に客を招いた。
 一人は、モーフィアス家の当主ジェラルド。昼間の会話で、ここに呼ばれた理由を何となく察していたのか、登城した時から彼の表情は浮かなかった。ただ、今回の客は彼だけではない。俺にしてみればむしろ、今回の主役とも言える一組が応接室に現れたのは、ジェラルドが一杯目の紅茶を飲み終えた頃だった。
「これはこれは王太子殿下、すっかり良くなられたようで!」
 俺の顔を見るなり相好を崩したのは、レスラーのように固太りした身体にこれまたゴツゴツと起伏の激しい顔(穏当な表現)を持つ中年男、ロッド=システィーナだ。岩の精霊の加護を受けるシスティーナ家の当主で、国内に多数の鉱山を抱える大資本家でもある。そんな彼の経済力を誇るかのように、ロッドは仕立ての良い上下に身を包み、手には全指どころか節ごとにでっかい指輪を嵌めている。あの拳で殴られたらまずタダでは済まなさそうだ。
 その隣には、彼の妻と思しき小柄な女性。黒髪黒目のチャーミングな容貌を持つ彼女は、おそらくロッドの妻でシスティーナ夫人のルチルだろう。
 そんな二人の背後から、ポーンに護られるクイーンのような立ち位置で現れたのは、二人の愛娘にしてアルカディアの婚約者――イザベラ。
「おや、モーフィアス侯もいらしておりましたか」
 ロッドが、意外なものを見る目でジェラルドに声をかける。ただ、口調こそ上機嫌を装っているが、その目がほんの一瞬、強い猜疑の色を浮かべるのを俺は確かに見た。もっとも、俺にしてみればこれも想定通りのリアクションではある。
「あ、ああ……王太子殿下から直々にお話がある、ということでね……」
 曖昧に語尾を濁すと、ジェラルドはロッドの隣に立つルチルを、次いで、その背後に立つイザベラに目を移す。一瞬、その目が痛みを堪えるような色を宿し、それに気づいたのかどうかはともかくルチルは静かに目を伏せる。イザベラは――わからない。どこまでも無の顔で両親の背後に立ち尽くしている。ただ、この状況と顔ぶれに、彼女が何も感じていないはずはないのだ。
「まぁ、まずはこちらへ」
 とりあえず親子にソファを勧める。ソファはコの字を描くかたちで置かれ、システィーナ夫妻は、すでに長椅子の一つを占めるジェラルドの向かいに、その斜向かいの余った一人掛けソファにイザベラを座らせた。彼女の対岸に立つ俺から見下ろすと、奇しくもイザベラが両家に挟まれるかたちになる。
「さて、始めるか」
 そして俺は、隣に立つウェリナを振り返る。ウェリナが小さく頷き返したのを合図にジェラルドとシスティーナ親子に向き直ると、挨拶を端折り、さっそく本題から切り出した。
「えーと、今回お招きしたのは、昨日のウェリントン邸襲撃事件について手打ちを行なうためです」
「……手打ち?」
 ジェラルドのバリトンと、ロッドのやや甲高い声が奇妙なハーモニーを作る。二人が驚くのも無理はない。何せ、真相の解明を飛び越えて、いきなり手打ちなんて話が出てきたのだから。
 それはつまり、彼らが事件の関係者だと断言したにも等しいわけで。
「ま、待ってください殿下。あの件は、まだモーフィアスの人間の仕業だと確定したわけでは――」
「お静かに。殿下がお話し中です」
 ウェリナが釘を刺すと、ジェラルドは恨めしそうに唇を噛む。それをロッドは、なぜか可笑しそうに眺めている。どうやら彼は、手打ちの証人としてここに呼ばれたものと解釈したらしい。いやいや、あんたらも立派な当事者なんだがな。
「そうです。これは手打ちの場です。ちょうど当事者全員が綺麗に雁首を揃えているわけですしね。被害者と、加害者、それから、加害者に一連の事件を仕向けた人間が」
 すると、質問の主であるロッドは分厚い眉毛を不快そうに寄せる。
「当事者……私も含めてですか?」
「はい。あなたなんですよね。僕を暗殺しようとしたのは」
「はぁあ!?」
 銅鑼に似た大声が鼓膜をしたたか揺さぶる。身体がデカい分、声もデカいようだ。
「わ、私が!? 何をおっしゃいます! そもそも殿下は、娘の婚約者でいらっしゃいますぞ! その殿下を、なぜ、」
「なぜって、邪魔になったんでしょ。最初は、王子なら相手は誰でもよかった。正確には、王家の血を引く人間なら誰でも――でも、その後、カサンドラ妃が王子を産んで、やっぱこっちとくっつけよう、ってことになったんだ。けど、そうなると、すでに娘と婚約する僕が邪魔になる。僕が死ぬか、さもなければ僕の方から婚約を破棄するかしないとイザベラはフリーになれないからね」
「あの、一体、何の話で……」
「何の話も何も、証拠はすでに挙がっている」
 俺の代わりに一歩進み出たのはウェリナだ。その手には、見せつけるかのような捜査資料の束。もっとも内容は、すでに奴の頭にしっかりインプットされている。
「これは先日、デリタ地区で殺されたメイドについて調べたものだ。このメイドについては、すでに、デリタ地区のマフィアに王太子殿下の暗殺を依頼したことが明らかになっている。彼女が当時、カサンドラ妃の宮に勤めていたこともあり、当初、我々は妃殿下を暗殺の首謀者と疑っていた。第二王子の母親が、王太子である第一王子の排除を願うのは動機としてもわかりやすいからな」
「妹はそんな女じゃない!」
 咄嗟に口を挟むジェラルドを、ウェリナは冷たく一瞥する。そこには明らかに、むしろ明らかすぎるほど軽蔑の色が込められている。もっとも、奴のこれまでの苦しみや葛藤を考えるなら仕方のない話だ。
「が、その後の調査でこのメイドが、以前はシスティーナ家の屋敷に勤めていたこと、また、システィーナ家に対し多額の借金を負っていたことが判明した。表向きはカサンドラ妃のメイドだが、その実、システィーナの駒として動いていたとしても不思議じゃない」
「ああ、そういえばそんなメイドがいたな。うちを辞めて妃殿下の宮に入った……だが、ははっ、それを言えば、我々に借りを作る人間はそれこそ何百、いや何千を下りませぬぞ。あなたの理屈で言うと、その全員が私の手駒という話になる。それはいくら何でも暴論ですよ」
 そしてロッドは、ぐふぐふといかにも悪役らしい含み笑いを漏らす。ここまでテンプレらしいテンプレを演じてくれるなんて、ある意味サービス精神旺盛だな、このオッサン。
「カサンドラ妃の宮で働くメイドらの証言によると、そのメイドは一応、妃殿下付きではあったものの宮にはほとんど顔を出さず、イザベラがリチャード王子に会いに来るときのみ対応に当たっていたそうだ。妃殿下も、あまり馴染みのない顔だったと証言している」
「まぁ、妃殿下は多くのメイドを抱えておられたからな。いちいち顔など覚えておれんだろう」
 ぐふぐふぐふ。いや、ああいえばこう言うの典型例だな。ある意味したたかというか。まぁ……このオッサンがこういうキャラだったからこそ、この悲劇は生じてしまったともいえるが。
 一方、父親の斜向かいで成り行きを眺めるイザベラは、相変わらず無の顔を貫いている。が、その表情の訴えるものが、今の俺にはわかる気がした。要するに、彼女にとっては全てが茶番なのだ。嘘と謀略に満ちた世界で、彼女は、ただ静かに心を閉ざして生きてきた。
 でも。そんな茶番はいい加減、終わらせるべきなのだ。
「イザベラ」
 名を呼ばれたイザベラが、ようやく顔を上げる。井戸の底の闇に似た黒い瞳が、のろり、と俺を見上げる。
「君なんだね。昨晩、僕を殺すためにウェリナの屋敷を襲ったのは」
 はっ、と息を呑む声。それはイザベラではなく、斜向かいに座るジェラルドの方から聞こえた。いや、この期に及んでそのリアクションはさすがに白々しいだろ。
 一方のイザベラは、それまでの無の顔にやんわりと笑みを貼りつけながら答える。
「何をおっしゃいます、殿下。私は、ご存じのようにシスティーナの人間。ところが、噂によればウェリントン邸を襲ったのはモーフィアスの人間だと」
「モーフィアス、じゃない。正確には、炎の精霊の加護を受けた人物だ。そして君は、システィーナの人間でありながら、その条件にも合致する……そうだろう?」
 水を打ったような沈黙がテーブルを包む。それはしかし、ただの沈黙ではない。触れれば切れそうな緊張を孕む一触即発の空気。……あーはいはい。わかってるよ。けど、それでも俺は言わなきゃなんだ。さもないと俺は永遠に命を狙われる羽目になる。が、それ以上に、このままじゃ彼女が不憫でならないんだ。仮にも彼女は、一度は俺の婚約者でいてくれた女性だ。だから。
「ダブルなんだね。岩と、それから炎の」
 するとイザベラは、今度ははっきりとまなじりを険しくする。改めて見ると、つくづく実の父親にそっくりだ。とりわけ、女性ながらも精悍な眉目と、きゅっと締まった一文字の唇が。
 そんな彼女の両隣では、本当の父親と母親、つまりジェラルドとルチルが気まずそうに、それでいて互いを責めるように睨み合っている。お前が秘密を漏らしたのか――彼らの目は言っている。まさかバカ王子と称される俺が独自に真相に辿り着いたなどとは思ってもいない顔だ。
 ウェリナは言った。かつてウェリントン家は、ルネス家の令嬢を孕ませたことで多額の賠償金をルネスに支払ったと。同様のことがモーフィアスとシスティーナの間でも起きたのだろう。ただ、システィーナはルネスのように金で片をつける方法を取らなかった。むしろ、よりタチの悪い方法――すなわち、強請りの材料にすることで長期的に収奪する方法を選んだのだ。モーフィアスの資金難も、この収奪関係によって生じたものだと考えると合点がいく。ジェラルドの事業失敗も、おそらくはこの醜聞を隠すための嘘だ。
 しかもシスティーナは、単にモーフィアスから搾り取るだけでは終わらなかった。
 今度は、その娘をモーフィアスの系譜であるリチャード王子に嫁がせようとしたのだ。すでに支配下にあるモーフィアス。その流れを汲む王子にさらに閨閥として取り入ることで、システィーナは次代の王を駒として完全に掌握することができる……そんな青写真が、ロッドのゴツゴツと不格好な頭の中では完成していたのだろう。
 ところがそこに、一人の邪魔者が存在した。すでに娘を婚約者として宛がっていた王太子アルカディアだ。なぜアルカディアにイザベラを宛がったのか。おそらく、五侯の血をキャンセルする力を持つ王家になら、嫁がせたところでイザベラの秘密が露見することはないと考えたのかもしれない。しかしその後、モーフィアス系列のカサンドラが王子を産んだことで状況は一変する。娘を救うはずの婚約者が邪魔者へと転じたのだ。事実、システィーナにしてみれば、アルカディアが生きている限り――あるいは婚約破棄を言い出さないかぎり、イザベラをフリーにできない。しかも、この婚約者はウェリントンの流れを汲み、手駒としても使い勝手が悪い。だから処分すべく暗殺者を放った。それもご丁寧に、カサンドラ妃の仕業のように見せかけて。確かに……将来この結婚に異議を唱えそうなカサンドラ妃の排除も同時にこなせるなら、これほど効率的な話もない。
「反論があるのなら言ってほしい。昨晩、君はどこで何をしていた? ちなみに、家族と過ごしていた、なんて話は残念ながら通用しない」
 俺の前世でも、家族の証言は信憑性に欠くとして弾かれるのがセオリーだった。ここは警察先進国たる前世のやり方を踏襲しよう――
「失敬な!」
 怒号が鼓膜を揺らしたのはそんな時だ。その主ことロッドは、岩肌を思わせる醜い顔をさらに険しく顰めながら、ぎりりと俺を睨む。
「イザベラは間違いなく私の血を引く娘! そして、殿下の婚約者でもございますぞ! あまり侮辱が過ぎますと、たとえ殿下であっても――」
「もういいわ、お父様」
 冷ややかな声が、ロッドの大喝を遮る。一方ロッドは、今度は娘に向けて怒鳴りはじめる。「何を言うこいつは」「お前は侮辱されたのだぞ」――そんな父親の怒声を、しかしイザベラは見ているこちらの肝が冷えるほど冷ややかに受け流す。彼女は知っているのだろう。こうした父親の怒りや怒号は、全てシスティーナを富ませるための演技に過ぎないことを。本当はその胸に、血の繋がらない娘に対する愛など微塵も宿らないことを。
「だから、もういいと言っているの」
 ゴゴゴ、とどこからともなく不穏な地鳴りが響く。続いて、身体の芯をずずずと揺らす不快感が襲い、その、日本人にはお馴染みの感覚に俺は思わず身構える。まさか――と、反射的に床に伏せかけた次の瞬間、その床板が次々とめくれあがり、さらにその底から――
「――溶岩!?」
 刹那、今度は強烈な一撃が全身を襲い、それがウェリナの起こした暴風だと気付いた時には、もう俺は窓から庭へと吹き飛ばされていた。
「痛ってぇ!」
 芝生にぶざまに叩きつけられ、痛みを堪えつつのろのろと身を起こす。慌てて宮殿に目を戻すと、割れた窓越しに覗く応接室はすでに火の海で――いや違う、あれはただの炎じゃない。割れた床から今この瞬間もぼこりぼこりと湧き上がるあれは、そう、溶岩だ。それも、かなり高温の。
 そんな、溶鉱炉を髣髴とさせる光景の中に立つ、長い髪を真っ赤に輝かせた女。その顔は、地獄めいたシチュエーションには場違いなほど無表情で、なのに、黒い双眸が宿す感情はどこまでも悲しい。
「もういい、疲れた。本当に……本当に疲れた。この血を隠すのも、この血のせいで起きる茶番も、もう、全部、何もかもうんざり」
「……イザベラ」
 呻いたのは俺ではなく、俺の隣で身構えるウェリナだ。その声に滲む同情の色に、俺は思わず胸が詰まる。彼もまた同じダブルとして、彼女の慟哭に思うところがあったのかもしれない。
「よ、よしなさい、イザベラ!」
「やめるんだ、えっと、イザベラ……さん」
 燃え盛る部屋の中で、二人の父親がそれぞれ娘を止めようとするが、当の娘はもはや聞く耳を持たない。駄目だ、完全にブチ切れている。が、それも仕方がないなと俺は思う。きっとイザベラは、これまでもずっと我慢してきたのだ。自身の血や存在を道具として利用されることに。それを止めようともしない、止めることもできない実の父親の不甲斐なさに。
 誰も、彼女を救わなかった。救おうともしなかった。
 彼女は、ずっと独りだったのだ。
「……なぁウェリナ、重ね重ね悪いんだが、ちょっと頼まれてくれるか」
「えっ、今度は何――」
「俺を、お前の水の加護で守ってほしい」
「――は?」
 面食らうウェリナを横目に俺は走り出す。向かう先は、たったいま脱出したばかりの応接室。その中央で、割れた窓越しに俺たちを睨みつけるイザベラに俺は全速力で駆け寄る。って、熱い! 当たり前だ、何せ目の前は溶岩の海。息するだけで肺が焼けちまう! けど……だけど。
 と、不意にその熱さが和らぎ、見ると、俺の全身を分厚い水の膜が覆っている。ご丁寧に口元には空気の塊。さすがは水と風のダブルだなと改めてウェリナの力に感心する。ところがその水の膜も、イザベラに近づくにつれみるみる蒸気と化してゆく。一応、ウェリナの力で適時水が追加されているようだが、それでもじわじわと装甲を削られているのがわかる。このままじゃいずれ――だとしても。
「ほっとけるかよぉぉぉッ!」
 やがて、蒸気と陽炎の向こうにイザベラの姿を捉える。その顔は涙こそ流していないが、明らかに表情で泣いているんだとわかる。でも彼女の血と力が発する熱は、頬に涙が伝うことすら許さない。それがまた悲しくて、俺は、無我夢中で彼女に飛びつき、抱きしめる。強く。強く。
 ぼばばばばばば!
 彼女の身体に触れた水の膜が、すさまじい音を立てて水蒸気と化してゆく。というか、もうこの水の膜自体が熱い。完全に熱湯だ。このままだと焼かれはしなくても茹で蛸になっちまう。つまり何にせよ死ぬ! でも俺は、彼女を決して離さない。なぜなら、それが俺という人間だからだ。だから前世では呆気なく命を落として、こんな世界に転生して――
 そんで、あいつに会えた。
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