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南太平洋の空
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「アンダース大尉!」
自分を呼ぶ声にふと目を覚ます。――瞬間、南太平洋の貫くような日差しが眼球に飛びこみ、レイは思わず瞼をしかめた。一眠りするうちに日が傾いて、すっかり木陰から取り残されてしまったらしい。
のそり草叢から身を起こし、声の方を振り返る。ジャングルのまっ只中に切り拓かれたこの飛行場は、右を見ても左を見ても、青い空と白い雲、そして痛いほどに眩しい緑の密林が目に入る。その飛行場の傍らにある駐機場の方から、今まさに作業用のつなぎを着た整備兵のジェフが、大きく手を振りながらこちらに駆け寄るのが見えた。
レイは跳ねるように立ち上がると、シャツやパンツにまとわりついた草を手早く払った。
胸ポケットから取り出した煙草に火を点けたところで、ようやく整備兵がレイのもとに駆け寄り、ぴしり踵を揃えて敬礼した。
「間もなく新型機を搭載した輸送船が埠頭に到着します!」
「そうか」
さっそく駆け出そうとしたレイの背中を、整備兵の声が呼び止める。
「これをお忘れです」
「忘れ物?」
整備兵は、草叢に転がったままのカーキグリーンの略帽を取り上げると、軽く草を払いながらうやうやしくレイに差し出した。
頭に手をやる。しばらく散髪を怠って伸びた髪が指先にさらりと触れた。
「おう、すまん」
手櫛で髪を撫でつけ、受け取った略帽をかぶり直すと、さっそくレイは埠頭のあるルンガ泊地へと駆け出した。
――久しぶりに、昔の夢を見た。
あれは、そう、今からちょうど18年前の話だ。あの埠頭での別れを機に、レイは少年の自分に別れを告げ、それまでは無邪気な子供の夢にすぎなかった航空機パイロットへの道に踏み出したのだ。大嫌いだった勉強にも打ち込み、その甲斐あって一七歳のときにアナポリスの海軍兵学校に入校。以来、航空将校への道をひた走った――……
そして今は、第二海兵航空団の将校として、ここガダルカナル島ヘンダーソン基地にてソロモン諸島の防衛任務に当たっている。
途中、同じくルンガ泊地に向かうジープを見つけて荷台に飛び乗り、ほどなく埠頭に駆けつけた時には、すでに新型機の陸揚げ作業は始まっていた。
「……あれか?」
埠頭に接岸した輸送船から、蝶のように翼を縦に折りたたんだ戦闘機が次々と降ろされているのが疎林越しに見える。ざっと数えても三十機以上はあるだろうか。
そのうちの一機が、埠頭の隅で羽根を広げているのを目敏く見つけたレイは、ジープが止まるや待ちかねたように荷台から飛び降りると、機体めざして一目散に駆け出した。
見たことのない機体だった。
上部が青、下部が灰色に近い白のツートンカラーは、現在乗るワイルドキャットとそう変わらないものの、極端に後方に寄った操縦席とWの字に折れ曲がった逆ガル式の翼はワイルドキャットのそれとは似ても似つかない。
空戦では、搭乗者の腕はもちろん、マシンの性能もまた勝敗を大きく左右する。その勝敗がそのまま生死を分けることの多い戦闘機乗りとしては、それが命運を託すに足るマシンか否かが何よりも気になるところだった。
「F4Uコルセア。今回投入されることになったワイルドキャットの後継機だ」
振り返ると、栗色の髪をていねいに撫でつけた上品な顔立ちの士官が、眩しそうに新型機に目を細めて立っていた。レイと同じ航空部隊で、同じく戦闘機乗りのクラークだ。
「最大出力2000馬力。最高時速はおよそ1024マイル。12.7ミリ重機関銃を六挺搭載した対ゼロ用新型戦闘機だよ」
ふん、とレイはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「カタログをなぞるだけの説明は要らないんだよ。俺らにとって重要なのは、こいつが戦闘機なのか、それともただの棺桶なのかってことだ。そうだろう?」
「そんなこと言って、本当は今すぐにも乗り回したくてうずうずしてるくせに」
からかうように言うと、クラークは鳶色の目を細めてにやりと口の端を歪めた。模擬戦ではともかく、こと口撃となると、このハーバード卒の秀才にかなうパイロットはこの基地には一人もいない。
「うぉうこれか! 対ゼロ用に投入される新鋭機ってのは!」
背後から乱暴なテキサス訛りが聞こえ、振り返る。案の定、やはり同じ部隊に属するハービーが、口の端に銜えた煙草をぶらつかせながら、マッチョ気取りのガニ股歩きでのそのそやってくるところだった。
「何だぁ、この病気の牛みてぇに曲がった羽根はよ! こんなんで本当にゼロを墜とせるのか、ったくよぉ!?」
「まったく、君は口を開けばゼロ、ゼロとうるさいな。ひょっとして、牛肉の食べすぎで脳味噌まで牛のそれとすげ替わってしまったんじゃないだろうね」
「おおそうとも!」
嫌味に気づいていないのか、ハービーはむしろ誇らしげに胸を張った。
「何せこちとら、おぎゃあと生まれたその日から猛牛(ブル)の肉を喰らって育ったテキサスっ子だからなぁ。赤いものを見るとついつい血が騒いじまうのさ。とくにゼロの翼に描かれた日の丸(ライジングサン)を見るとなぁ!」
うわははは、と豪快な笑い声を響かすハービーに、レイとクラークは目を見交わすと、どちらともなくやれやれと肩をすくめた。と――
「アンダース大尉!」
男のそれにしては甲高い声がして、見ると、一人のほっそりとした体躯の青年が輸送船の甲板から顔を覗かせていた。
エメラルドの眸。透明感のある金髪が南洋の豊かな日差しを浴びてきらきらと輝いている。女はもちろん、男でもため息をつきたくなる素晴らしい美青年だ。
青年は跳ねるようにタラップを駆け下りると、そのままの勢いで埠頭を駆け、ひさしぶりに飼い主と再会した飼い犬よろしくレイの懐に飛びついてきた。
ひゅう、とハービーが下卑た口笛を吹く。
「こりゃまた随分と可愛い坊やだな」
「知り合いか?」
クラークが探るように振り返る。
「ああ、エリックだ。エリック=ハミルトン少尉。以前、同じ空母に乗艦していたことがあって、」
「そうそう。あの頃は楽しかったですよねぇ。甲板で毎晩のように愛を語らって」
途端、二人の戦友の顔が音を立てて固まる。
「え? マジかよレイお前……」
「まぁ、しかし、この美貌なら分からないでもないな」
「ち、違う、誤解だ! ――エリックお前も、そういう誤解を受けるようなことを言うんじゃない!」
「誤解じゃないですよぅ」
林檎色の頬をむくれさせるエリックに、レイは軽くうんざりした。慕ってくれるのは嬉しいが、将校である以上、もう少し節度のある態度を取ってもらわなければ困る。
「あなた方は?」
ようやくエリックが、二人の傍観者の存在に気づいて振り向く。
「あ、ああ……こっちの、いかにも育ちが良さそうなハンサムは俺と同じ小隊に属するクラーク=キッシンジャー中尉。で、こっちのワイルド気取りのカウボーイが、やはり同じ小隊で飛ぶハービー=マーレイ中尉だ」
「へぇ。お二人のこれまでの撃墜数は?」
「俺は3機だ」
「僕は4機」
ふうん、と、つまらなそうにエリックは鼻を鳴らした。
「大尉の戦友というわりには、案外大したことないですね」
「んだとぉ!?」
「それより大尉」
いきり立つハービーなど眼中にないとでも言うように、エリックはレイに目を戻した。
「聞きましたよ。先々月の戦時国債キャンペーンでは、行く先々でご婦人方に取り囲まれて大変だったそうですね?」
「ああ、あれは……」
ふと嫌な思い出が脳裡を掠め、レイは思わず苦笑を浮かべた。
今から二ヶ月前、急遽本国に戻るよう命令があり、さては航空学校の教官でもやらされるのかと思い帰国してみれば、わけがわからないままアメリカ大陸を西から東に引き回され、そこかしこで戦時国債の購入を訴えるパーティーに引っぱり出された。
パーティーはどこもかしこも大盛況で、レイは詰めかけた市民から次々と握手やサインを求められた。中には頬にキスを押しつけてくるご婦人もいて、彼らにしてみれば戦地の将兵をねぎらうつもりでそうしたのだろうが、当のレイは、自分がサーカスの見世物にでもなった気がしてひどく気分が悪かった。
「この映画俳優なみのルックスなら、まぁ当然ですよね。しかもルックスだけじゃなく実績まで申し分ないとくれば――そうそう、先日の戦闘でもまたゼロを2機墜としたそうじゃないですか」
「ま、まぁ……それよりエリック、先に本部に行って着任の挨拶をしてこい。積もる話は、夜に酒でも呑みながらゆっくりやろう、な?」
「あ、そうですね。……それに、こんな猿臭い身体じゃ大尉に申し訳がありませんし、一度シャワーを浴びてから出直します」
「猿ぅ? 何で輸送船に猿なんか載せてんだよ」
ハービーが怪訝そうに問うのへ、エリックは吐き捨てるように答えた。
「とにかく乗ってたんですよ! わがアメリカ軍の輸送船に、あの黄色い猿が!」
そして、くるりレイに向き直ると、「ではまた夜に」とにこやかに言い残し、仔犬の尻尾よろしくぶんぶんと手を振りながら本部庁舎に駆けていった。
「何なんだ、アイツ」
ハービーがうんざりげに吐き捨てる。その横では、クラークがやれやれという顔で煙草に火をつけている。
「なかなか面白い後輩だな、レイ」
「すまないな。根は悪い奴じゃないと思うんだが……」
「いいさ。彼の言うとおり、僕らの戦績が大したことがないのは事実だしね。――というより、君と並べられると、いま現在太平洋を飛ぶほとんどのパイロットはその存在が霞んでしまうわけだが」
「それは……いくら何でも大袈裟だろう」
「僕は無能な人間を褒めたりはしないよ」
これまでのレイの戦績は撃墜数21。共同戦果も含めると、その数は30を下らない。
一般に、撃墜数が5を越えた操縦士にはエースパイロットの称号が与えらえる。その点では、レイは紛うことなき南太平洋戦線のエースだった。
かといって、面と向かって褒められると照れくさくなってしまうのは仕方なく。
「話は戻るが」
クラークが、ふと端正な顔を曇らせる。
「ああして、人種差別的な言葉を平然と口にするセンスだけは改めさせた方がいいだろうな」
クラークが言っているのは、先ほどエリックが口にした〝黄色い猿〟云々の件だろう。おそらく輸送船の中に、東洋人か、それに準じた人間が同乗していたのに違いない。
「厳しいことを言わせてもらえば、あれは我らがアメリカの忌むべき恥部だ」
「ああ、そうだな……」
――恥部。
その時、ふとレイの頭をよぎったのは、自分の生まれ故郷で起こったある事件だった。
きっかけは、二年前の暮れに起こったあの事件だ。
1941年12月8日――その日、日本海軍の機動部隊が、ハワイ真珠湾にあるアメリカ海軍の基地を奇襲。いわゆる真珠湾攻撃(パール・ハーバー)である。この攻撃を機にそれまで中華民国を軍事的に支援するかたちで日本と対峙してきたアメリカは、ついに日本との直接的な交戦状態に入ることになった。
そして、この一件は、アメリカに住む約11万人の日本人の運命を大きく変えた……
自分を呼ぶ声にふと目を覚ます。――瞬間、南太平洋の貫くような日差しが眼球に飛びこみ、レイは思わず瞼をしかめた。一眠りするうちに日が傾いて、すっかり木陰から取り残されてしまったらしい。
のそり草叢から身を起こし、声の方を振り返る。ジャングルのまっ只中に切り拓かれたこの飛行場は、右を見ても左を見ても、青い空と白い雲、そして痛いほどに眩しい緑の密林が目に入る。その飛行場の傍らにある駐機場の方から、今まさに作業用のつなぎを着た整備兵のジェフが、大きく手を振りながらこちらに駆け寄るのが見えた。
レイは跳ねるように立ち上がると、シャツやパンツにまとわりついた草を手早く払った。
胸ポケットから取り出した煙草に火を点けたところで、ようやく整備兵がレイのもとに駆け寄り、ぴしり踵を揃えて敬礼した。
「間もなく新型機を搭載した輸送船が埠頭に到着します!」
「そうか」
さっそく駆け出そうとしたレイの背中を、整備兵の声が呼び止める。
「これをお忘れです」
「忘れ物?」
整備兵は、草叢に転がったままのカーキグリーンの略帽を取り上げると、軽く草を払いながらうやうやしくレイに差し出した。
頭に手をやる。しばらく散髪を怠って伸びた髪が指先にさらりと触れた。
「おう、すまん」
手櫛で髪を撫でつけ、受け取った略帽をかぶり直すと、さっそくレイは埠頭のあるルンガ泊地へと駆け出した。
――久しぶりに、昔の夢を見た。
あれは、そう、今からちょうど18年前の話だ。あの埠頭での別れを機に、レイは少年の自分に別れを告げ、それまでは無邪気な子供の夢にすぎなかった航空機パイロットへの道に踏み出したのだ。大嫌いだった勉強にも打ち込み、その甲斐あって一七歳のときにアナポリスの海軍兵学校に入校。以来、航空将校への道をひた走った――……
そして今は、第二海兵航空団の将校として、ここガダルカナル島ヘンダーソン基地にてソロモン諸島の防衛任務に当たっている。
途中、同じくルンガ泊地に向かうジープを見つけて荷台に飛び乗り、ほどなく埠頭に駆けつけた時には、すでに新型機の陸揚げ作業は始まっていた。
「……あれか?」
埠頭に接岸した輸送船から、蝶のように翼を縦に折りたたんだ戦闘機が次々と降ろされているのが疎林越しに見える。ざっと数えても三十機以上はあるだろうか。
そのうちの一機が、埠頭の隅で羽根を広げているのを目敏く見つけたレイは、ジープが止まるや待ちかねたように荷台から飛び降りると、機体めざして一目散に駆け出した。
見たことのない機体だった。
上部が青、下部が灰色に近い白のツートンカラーは、現在乗るワイルドキャットとそう変わらないものの、極端に後方に寄った操縦席とWの字に折れ曲がった逆ガル式の翼はワイルドキャットのそれとは似ても似つかない。
空戦では、搭乗者の腕はもちろん、マシンの性能もまた勝敗を大きく左右する。その勝敗がそのまま生死を分けることの多い戦闘機乗りとしては、それが命運を託すに足るマシンか否かが何よりも気になるところだった。
「F4Uコルセア。今回投入されることになったワイルドキャットの後継機だ」
振り返ると、栗色の髪をていねいに撫でつけた上品な顔立ちの士官が、眩しそうに新型機に目を細めて立っていた。レイと同じ航空部隊で、同じく戦闘機乗りのクラークだ。
「最大出力2000馬力。最高時速はおよそ1024マイル。12.7ミリ重機関銃を六挺搭載した対ゼロ用新型戦闘機だよ」
ふん、とレイはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「カタログをなぞるだけの説明は要らないんだよ。俺らにとって重要なのは、こいつが戦闘機なのか、それともただの棺桶なのかってことだ。そうだろう?」
「そんなこと言って、本当は今すぐにも乗り回したくてうずうずしてるくせに」
からかうように言うと、クラークは鳶色の目を細めてにやりと口の端を歪めた。模擬戦ではともかく、こと口撃となると、このハーバード卒の秀才にかなうパイロットはこの基地には一人もいない。
「うぉうこれか! 対ゼロ用に投入される新鋭機ってのは!」
背後から乱暴なテキサス訛りが聞こえ、振り返る。案の定、やはり同じ部隊に属するハービーが、口の端に銜えた煙草をぶらつかせながら、マッチョ気取りのガニ股歩きでのそのそやってくるところだった。
「何だぁ、この病気の牛みてぇに曲がった羽根はよ! こんなんで本当にゼロを墜とせるのか、ったくよぉ!?」
「まったく、君は口を開けばゼロ、ゼロとうるさいな。ひょっとして、牛肉の食べすぎで脳味噌まで牛のそれとすげ替わってしまったんじゃないだろうね」
「おおそうとも!」
嫌味に気づいていないのか、ハービーはむしろ誇らしげに胸を張った。
「何せこちとら、おぎゃあと生まれたその日から猛牛(ブル)の肉を喰らって育ったテキサスっ子だからなぁ。赤いものを見るとついつい血が騒いじまうのさ。とくにゼロの翼に描かれた日の丸(ライジングサン)を見るとなぁ!」
うわははは、と豪快な笑い声を響かすハービーに、レイとクラークは目を見交わすと、どちらともなくやれやれと肩をすくめた。と――
「アンダース大尉!」
男のそれにしては甲高い声がして、見ると、一人のほっそりとした体躯の青年が輸送船の甲板から顔を覗かせていた。
エメラルドの眸。透明感のある金髪が南洋の豊かな日差しを浴びてきらきらと輝いている。女はもちろん、男でもため息をつきたくなる素晴らしい美青年だ。
青年は跳ねるようにタラップを駆け下りると、そのままの勢いで埠頭を駆け、ひさしぶりに飼い主と再会した飼い犬よろしくレイの懐に飛びついてきた。
ひゅう、とハービーが下卑た口笛を吹く。
「こりゃまた随分と可愛い坊やだな」
「知り合いか?」
クラークが探るように振り返る。
「ああ、エリックだ。エリック=ハミルトン少尉。以前、同じ空母に乗艦していたことがあって、」
「そうそう。あの頃は楽しかったですよねぇ。甲板で毎晩のように愛を語らって」
途端、二人の戦友の顔が音を立てて固まる。
「え? マジかよレイお前……」
「まぁ、しかし、この美貌なら分からないでもないな」
「ち、違う、誤解だ! ――エリックお前も、そういう誤解を受けるようなことを言うんじゃない!」
「誤解じゃないですよぅ」
林檎色の頬をむくれさせるエリックに、レイは軽くうんざりした。慕ってくれるのは嬉しいが、将校である以上、もう少し節度のある態度を取ってもらわなければ困る。
「あなた方は?」
ようやくエリックが、二人の傍観者の存在に気づいて振り向く。
「あ、ああ……こっちの、いかにも育ちが良さそうなハンサムは俺と同じ小隊に属するクラーク=キッシンジャー中尉。で、こっちのワイルド気取りのカウボーイが、やはり同じ小隊で飛ぶハービー=マーレイ中尉だ」
「へぇ。お二人のこれまでの撃墜数は?」
「俺は3機だ」
「僕は4機」
ふうん、と、つまらなそうにエリックは鼻を鳴らした。
「大尉の戦友というわりには、案外大したことないですね」
「んだとぉ!?」
「それより大尉」
いきり立つハービーなど眼中にないとでも言うように、エリックはレイに目を戻した。
「聞きましたよ。先々月の戦時国債キャンペーンでは、行く先々でご婦人方に取り囲まれて大変だったそうですね?」
「ああ、あれは……」
ふと嫌な思い出が脳裡を掠め、レイは思わず苦笑を浮かべた。
今から二ヶ月前、急遽本国に戻るよう命令があり、さては航空学校の教官でもやらされるのかと思い帰国してみれば、わけがわからないままアメリカ大陸を西から東に引き回され、そこかしこで戦時国債の購入を訴えるパーティーに引っぱり出された。
パーティーはどこもかしこも大盛況で、レイは詰めかけた市民から次々と握手やサインを求められた。中には頬にキスを押しつけてくるご婦人もいて、彼らにしてみれば戦地の将兵をねぎらうつもりでそうしたのだろうが、当のレイは、自分がサーカスの見世物にでもなった気がしてひどく気分が悪かった。
「この映画俳優なみのルックスなら、まぁ当然ですよね。しかもルックスだけじゃなく実績まで申し分ないとくれば――そうそう、先日の戦闘でもまたゼロを2機墜としたそうじゃないですか」
「ま、まぁ……それよりエリック、先に本部に行って着任の挨拶をしてこい。積もる話は、夜に酒でも呑みながらゆっくりやろう、な?」
「あ、そうですね。……それに、こんな猿臭い身体じゃ大尉に申し訳がありませんし、一度シャワーを浴びてから出直します」
「猿ぅ? 何で輸送船に猿なんか載せてんだよ」
ハービーが怪訝そうに問うのへ、エリックは吐き捨てるように答えた。
「とにかく乗ってたんですよ! わがアメリカ軍の輸送船に、あの黄色い猿が!」
そして、くるりレイに向き直ると、「ではまた夜に」とにこやかに言い残し、仔犬の尻尾よろしくぶんぶんと手を振りながら本部庁舎に駆けていった。
「何なんだ、アイツ」
ハービーがうんざりげに吐き捨てる。その横では、クラークがやれやれという顔で煙草に火をつけている。
「なかなか面白い後輩だな、レイ」
「すまないな。根は悪い奴じゃないと思うんだが……」
「いいさ。彼の言うとおり、僕らの戦績が大したことがないのは事実だしね。――というより、君と並べられると、いま現在太平洋を飛ぶほとんどのパイロットはその存在が霞んでしまうわけだが」
「それは……いくら何でも大袈裟だろう」
「僕は無能な人間を褒めたりはしないよ」
これまでのレイの戦績は撃墜数21。共同戦果も含めると、その数は30を下らない。
一般に、撃墜数が5を越えた操縦士にはエースパイロットの称号が与えらえる。その点では、レイは紛うことなき南太平洋戦線のエースだった。
かといって、面と向かって褒められると照れくさくなってしまうのは仕方なく。
「話は戻るが」
クラークが、ふと端正な顔を曇らせる。
「ああして、人種差別的な言葉を平然と口にするセンスだけは改めさせた方がいいだろうな」
クラークが言っているのは、先ほどエリックが口にした〝黄色い猿〟云々の件だろう。おそらく輸送船の中に、東洋人か、それに準じた人間が同乗していたのに違いない。
「厳しいことを言わせてもらえば、あれは我らがアメリカの忌むべき恥部だ」
「ああ、そうだな……」
――恥部。
その時、ふとレイの頭をよぎったのは、自分の生まれ故郷で起こったある事件だった。
きっかけは、二年前の暮れに起こったあの事件だ。
1941年12月8日――その日、日本海軍の機動部隊が、ハワイ真珠湾にあるアメリカ海軍の基地を奇襲。いわゆる真珠湾攻撃(パール・ハーバー)である。この攻撃を機にそれまで中華民国を軍事的に支援するかたちで日本と対峙してきたアメリカは、ついに日本との直接的な交戦状態に入ることになった。
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