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路地裏乃猫

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見えるんです

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「おい月島、何だそりゃ」
  だしぬけに横から割り込んできた声に、優人は抱き込むように慌てて弁当を隠す。振り返ると案の定、立っていたのは三つ年上の先輩社員、中村だった。
  学生時代にプロレスをやっていたというがっちりとした身体はまるで戦車のようで、実際、社内ではひそかに豆タンクと綽名されている。立派なガタイとは裏腹に顔立ちは意外と愛らしく、とりわけ瞳のつぶらさは仔牛のそれを思わせる。
  その仔牛の瞳が、にやにやと、優人の手元を見下ろしていた
  優人は現在、投資用不動産の販売会社に勤めている。住まうためのものではなく、家賃収入で利益を得るための不動産を投資家たちに薦めるのが主な仕事だ。
  アボが取れたら、基本的に優人の方から投資家のもとに出向いて行く。そのため、出先で昼食を取ることも多いが、アポの入っていない日は基本的にオフィスで食事を取る。
 「な……何かご用ですか、先輩」
 「何かじゃねぇよ。そんな愉快な弁当見せつけやがってよ。どう見てもツッコミ待ちにしか見えねーじゃねーか」
  先輩のごもっともな指摘に、優人は返す言葉もなく黙り込む。それもそのはず、たったいま優人が隠した弁当は、その白飯に巨大なハートマークが描かれていて、とてもオフィスでは披露できないビジュアルに仕立てられていたのだ。
  が、あいにく今日は土砂降りで、さすがに外で弁当を開くわけにもいかず。
  ――あいつの仕業だ……
  一瞬その脳裏を、なぜか幸せそうに弁当に桜でんぶを散らす男の姿がよぎって、優人は心底うんざりする。なまじ善意であるだけに、その救いようのなさといったらない。
 「まさか彼女か? え? やっぱ彼女なのか?」
 「じ……自分で作ったんですよ。早く素敵な彼女ができますようにっていう願掛けのつもりで……」
  我ながらどうかと思うほどの苦しまぎれの言い訳に、優人は自分で自分が厭になる。せめてそこは「そうなんすよー先輩!」と、あえてチャラさを装って答えた方がまだ厭味でないだけ良かった。が、それは優人のプライドというか元々の性質が許さなくて、結局、こんなつまらない言い訳を繕う羽目になる。我ながら損な性格だと優人は思う。
  案の定、優人の言い訳に中村は、ふぅん、とつまらなそうに鼻を鳴らした。どう考えても嘘にしか聞こえない後輩の返事に鼻白んだのだろう。
 「けど月島、そんだけ立派な弁当が作れるんならよ、お前、彼女なんかいらなくね?」
 「えっ?」
  探るような、からかうような中村の目に、ますます優人は追いつめられる。
  実際、弁当には黄金色に焼けた玉子焼きや野菜の肉巻き、煮しめ、そしてポテトサラダが図ったようなバランスでみっしり詰められている。美味しいのは見た目だけでなく、実は味の方もかなりしっかりしていることを、ここ半月ほどの生活で優人は思い知っていた。
  たしかに、料理に慣れない独り暮らしの男に作れる代物ではない。
  そして優人は、こと料理という点では全くもって駄目だった。料理だけではなく、掃除も、洗濯も、要するに家事全般が。
  ふと思い立ち、言った。
 「あの……中村さん」
 「ん? 何だよ」
 「中村さんって今、独り暮らしですか」
 「そうだけど……んだよっ、独りじゃ悪いかよ」
 「そうじゃなくて。その部屋、ええと……たとえば幽霊とか、そういうのに準じた何かが住んでたりしてません?」
  は? と中村が怪訝そうに顔をしかめる。無理もない。優人自身も自分が何を言いたいのかいまいちよく分かっていないのだから。
 「幽霊……に準じた何か? 何だそりゃ?」
 「はい。例えばその…………部屋の精霊、とか」
 「はァ? 部屋の精霊っ!?」
 「い、いきなり大声出さないでくださいよ! そ、そうです部屋の精です! 見た目は確かに人間なんですけど、でも本当は人間じゃない、みたいな……」
  が、相変わらず中村は怪訝な顔で、
 「ごめん、やっぱ言ってることよくわかんねぇや」
  と、憐れむように言った。
 「えっどゆこと? つまり、お前の部屋に幽霊が出るってこと?」
 「あ、いえ、そうじゃないんですけど――あっ、そういえば今度、中村さんが幹事で合コンやるんですよね?」
  やっぱりこんな話振るんじゃなかったと思い、慌てて話題を変える。が、
 「お前、それ絶対事故物件だぜ。そういうときは不動産屋にはっきり文句言った方がいい。俺も昔、賃貸やってたから分かるんだけどさ、そういのは告知義務っって、たとえば物件内で殺人とか自殺が起こったときは、その事実を次の入居者に必ず伝えなきゃいけない決まりになってんだ。――まぁ、その次の入居者にはわざわざ伝えなくてもいい規則になってるから、そのあたりの規則を悪用して、あえて一度身内を契約させるっていうあくどい店もあるが……でも、一度ぐらいは文句言って損はないんじゃねぇか?」
 「そ……そうですね」
  ありがたい先輩のアドバイスに、優人は苦笑で応じる。意外にも食いつきが良かったのは、ひょっとするとこの手の話が好みなのかもしれない。
 「大丈夫です。さっきのは、その、ただの冗談ですから」
 「ほんとか?」
 「はい」
  覗き込むような先輩の目はどこか残念そうでもあって、口では何だかんだと言いながら、やっぱり幽霊の存在を期待していたのだろう。だが、本当のことを語ったところでありのままを信じてくれるとも思えず、結局、優人はそれ以上は何も言えなかった。
  確かに、部屋の精と言われても、聞いた方としては「は?」と思わずにはいられないだろう。その点、まだ幽霊の方がわかりやすくていい。なぜそこに出るのか、そもそも正体は誰なのかが一応はっきりしているから。
  そういえば――
  そもそも、どうして見えるのだろう。本人も分からないと言っていたが……
 
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