ギフテッド

路地裏乃猫

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2章

31話 信頼のバランス②

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 二階の食堂は、最大百人が同時に食事できるゆったりとしたスペースだ。フロアには、四人掛けの丸テーブルがずらりと並び、フロアの奥に料理を盛ったサービングプレートや、サラダ、スイーツ用の冷蔵庫が並ぶ。ただ、普段はどのテーブルも賑わうフロアも、午後九時を超えた今は全体に閑散としている。

 というのも、この時間は多くの料理が提供を終えているからで、今の時間はおにぎりやサンドイッチ、そばなど、深夜でも提供の切れない料理や、夕方提供分の余りが辛うじて残るばかりだ。これは、最近わかったことだが、ビュッフェは、二十四時間つねに新しい料理が供給されるわけではない。近隣のホテルからサービングプレートごと取り寄せ、陳列するここのビュッフェでは、その供給ペースと内容は当然、近隣ホテルのそれに依存する。

 とりあえず漣は、辛うじて残っていたカレールーと白飯、唐揚げを根こそぎ回収してテーブルに運ぶ。と、ちょうどそこに、着替えを終えた嶋野が現れる。黒のトレーニングパンツに真っ赤なTシャツ。シャツには、抽象度の高い窓とテーブルが独特な色使いでプリントされている。あれは……つい最近、どこかで見た覚えがある。そうだ、図書室の図録で見たマティスの『大きな赤い室内』だ。大方、どこかの美術展の物販で手に入れたのだろう。そういえば高階も、嶋野は暇さえあればどこぞの美術館なりギャラリーを回っていると。

 その嶋野は、漣のプレートを見るなり「うわ」と間の抜けた声を漏らす。

「多少は野菜も取った方がいいですよ。見ているだけで胃がもたれそうです」

「俺ぐらいの歳には、これぐらいガッツリしてる方がちょうどいいんすよ。……あれ? 嶋野さんってひょっとして、結構年齢いってます?」

「そんなことないですよ。こう見えて、まだ二十八ですし」

「二十八!? えっ……もう少し若いかと思ってました」

 すると嶋野は、なぜか怪訝な――というより、不安そうな顔をする。

「僕、そんなに幼く見えます?」

「えっ? あ……幼い、っていうか……」

 正確には、容貌が整いすぎて年齢がわかりにくい、とは、思っても口には出せない。単純に、他人の容姿について口にするのは下品だし、何より、同性に容姿を褒められたところで嬉しくも何ともないだろう。

「そ、それより……嶋野さんも何か食ったらどうすか。なんつーか、もうちょっと肉つけた方がいいっすよ。嶋野さんの場合」

 さっき嶋野の部屋で目にした、白く細い身体を思い出す。不健康、とまではいかないが、成人男性としては、やはり不安になる肉づきだ。

「それとも、北海道で美味いもんたくさん食ってきたとか?」

「ははっ。それは……まあ、それなりに」

 やっぱり食べてきたのか。

「じゃあせっかくですし、僕も何か取ってこようかな」

 言い残すと、嶋野は漣をテーブルに残してビュッフェに向かう。その背中を、何を選ぶのかなと遠目に見守っていると、サラダやサンドイッチなど、成人男性には心許ないメニューばかり選んで戻ってくる。

「今回は、ギフテッドの方は見つかったんですか」

 すると嶋野は、漣の向かいに腰を下ろしながら目をしばたたかせる。

「……いえ、見つかりませんでした」

 そう答える嶋野は、気のせいか、あまり残念がっているようには見えなかった。逃したのが、さほど危険なギフテッドではなかったのか。あるいは……いや、渡良瀬との繋がりは、あくまで三原が勝手に疑うだけ。たとえ、答えの間際にほんの一瞬考え込むような間があったとして、そんなものは何の証拠にもなりはしない。

「それは……残念っすね。いや、逆によかったのかな。ギフテッドだとわかったところで別に――」

 何もいいことないですからねと言いかけ、それを漣は咀嚼した唐揚げと一緒にぐっと飲み込む。

 確かに、自分がギフテッドだとは知りたくなかったし、それ以前に、ギフテッドとして産まれたくもなかった。こんな力がなければ、誰の命も奪わずに済んだのだとも思う。……一方で、ギフテッドだとわかったからこそ嶋野にも会えたのだ。それに嶋野も、だから漣に会えたと言ってくれた。

「田柄麻美さんの件は、僕も、気の毒に思っています」

「えっ?」

 思わず怪訝な声を漏らしてしまう。すると嶋野は、なぜか不思議そうに漣を見上げ、小首を傾げた。

「……彼女の話を聞きに来たんじゃないんですか?」

「あ……ええと……まあ、それも、ありますけど……単純に、嶋野さんと話ができたらな、って……そんだけです」

 そう言葉を繋ぎながら、漣は妙に気恥ずかしくなる。田柄のことも、それに、何なら渡良瀬のことでさえ、今となってはただの言い訳という感がしてくる。本当はただ、嶋野と会って話がしたかった。それだけだったのだ。――俺、マジでこの人に惚れてんのかな。

「いいんです。きっとあの後、君は、黙って談話室を出て行った二人を追いかけたはずです。そこで二人に、田柄さんの死の原因が僕にある、といった話を聞かされたのでしょう。で、ひとしきり二人の言い分を聞いて、でも、僕に浅からぬ恩がある君は、僕を憎みたくないがために話を聞きに来た――違いますか?」

「そ、れは……」

 あまり深くは考えなかったが、ここまではっきり言葉にされると、そうなのかな、という気がしてくる。少なくとも……恨みたくなかった、というのは本当だ。ただ、それだけではない感情が胸の底にもやついていて、しかし、漣の言語能力ではそれをうまく言語化できない。

 一方の嶋野は、サンドイッチを手に取ると、名刺大にカットされたそれを一気に口に放り込む。かと思えばすぐに次の一切れを口に押し込み、何切れかあったサンドイッチはあっという間に消えてしまう。まるで、そういうマジックでも見せられているかのようだった。かといって食べ方が汚いわけでもなく、最後の一切れを飲み終えると、ナプキンで優雅に口元を拭い、何食わぬ顔でコーヒーを啜る。

 カップをソーサーに戻すと、嶋野は一つ溜息をつき、言った。

「君には残念な話ですが、彼女達の言い分は、人として正しい」

「えっ?」

「と、いうより……人間としての僕は信頼しない方がいい。あの状況では確かに、田柄さんから東雲さんのギフトを奪うべきではなかった。奪えば、多大なデメリットが彼女の身に生じてしまう。……わかっていました。わかった上で僕は、協会のルールを優先したんです」

「それは……でも、仕方ないじゃないですか! ルールって、そういうものでしょ。例外を作ると、結局そこが穴になって、形骸化してしまう……」

「ですが、結果的に田柄さんは亡くなった。それとも君は、人命よりルールを優先すべきだと? あれだけ高階さんに、人命を奪った罪を譲りたくないと啖呵を切った君が?」

 まっすぐに見据えられ、漣は言葉に詰まる。が、それを言えば漣は、命への償いよりも絵筆を選んでしまった人間だ。高階への啖呵は、その後ろめたさから出た一時凌ぎの言葉だった、という気も今はする。

 嶋野は、彼を信じるなという。が、漣に言わせれば自分自身を誰よりも信じられない。

「そ、れは……買い被り過ぎです。俺の方こそ、あなたが思うほど、できた人間じゃない……」

 ところが嶋野は、相変わらず静かに漣を見つめている。どんな時も漣のアートを愛すると告げたあの瞬間の、強くも穏やかな眼差し。

「少なくとも、僕よりはできた人間ですよ。なぜなら君は、心の底では僕の行為に納得していない」

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