44 / 68
2章
32話 信頼のバランス③
しおりを挟む
「……え?」
「僕を憎みたくなかった、ということは、裏を返せば僕の行為が君にとって憎悪するに足るものだった。だからこそ君は、僕に納得できる説明を求めた。……でしょう?」
「……」
ああ、そうだ。
瑠香たちに話を聞いた時から――否、美術館で三原に田柄の話を聞かされた時から、胸の底にくすぶり続けた黒いもやつき。その正体が、ようやく漣の中で形を得る。……そうだ。本当は、納得なんかできていなかった。もっとも、怒りの対象は嶋野ではない。協会、ひいては、あまりにも厳格にギフトを封じ込めるこの世界そのもの。
確かに、封じ込めるべき危険なギフトは存在する。漣のギフトはその最たる例だろう。だが、瑠香のギフトはそうじゃない。少なくとも……一時は田柄を救ったのだ。
「憎いのは、嶋野さんじゃない。……どうしてギフトは封じられなきゃいけないんです。確かに、ギフトの危険性は承知しています。俺のもそうですけど、嶋野さんのだって、使い方次第じゃ本当に危険だって……でも、そうじゃないギフトだってあるんです。無害だったり、誰かの役に立てるものだったり……少なくとも瑠香さんの〝克服〟は、一時的にせよ田柄さんを救った。そういう、世界との共存の仕方だって、あるんじゃないですか」
いつも口癖のように、世界との繋がりを愛おしむ瑠香の寂しげな横顔を思い出す。こんなルールがなければ、瑠香の人生はもっと満たされていた。多くの人にギフトを愛され、求められて。なのに……
「せめて……ポジティブなギフトだけは、規制を緩くしてもいいんじゃないですか。少なくとも、瑠香さんのギフトは、誰かを幸せにできるギフトです。そういうギフトに限って隔離せず社会に還元すれば、より多くの人が幸せになれる。……いえ、わかってます。これも、例外を作ると駄目なんですよね。というか……何がポジティブで何がネガティブかなんて、どうやって線引きするんだって話で」
「ええ。だからこそ現状、協会では、ギフテッドは例外なく保護する方針を取っています。ただ……それも決して一枚岩ではないのです。実のところ、ギフトの効果を積極的に社会に還元すべきだと主張する派閥も存在します」
「渡良瀬……って人ですか」
嶋野の声には確かに、誰かを懐かしむ響きがあった。見ると嶋野は、サンドイッチを運ぶ手を止めたまま、切れ長の目を見開いてじっと漣を見つめている。……どうやら図星だったようだ。
「その名前を、誰に」
「えっ? ……あ、ああ、三原さんが。あ、でも雑談のついでにポロッと出ただけで、詳しいことは何も……」
本当は、嶋野とは親子のような関係だったと聞いているが、二人の過去に何があったかわからない以上、あまり無神経なことは言えない。
気まずい沈黙がテーブルを包む。見ると嶋野は、見たことがないほど深刻な顔で何かを考え込んでいる。いや、これは……迷っているのか。
やがて嶋野は、迷いを振り切るように短く溜息をつく。
「え……ええ。彼は、ここの前の所長でして、そして……僕を、ギフテッドとして保護してくださった方です。僕は……あの人に憧れて、キュレーターの仕事に就きました」
言いにくそうに、それでもどうにか言葉を紡ぐ嶋野はひどく痛々しい。やはり二人の間には、何か、第三者が迂闊に踏み入るべきでない過去があるのかもしれない……
わかっている。でも。
「じゃあどうして、嶋野さんは協会に残ったんですか」
すると嶋野は、それを聞くのかと言いたげに苦い顔をする。……わかっている。それでも聞かずにはいられないのだ。漣は、嶋野のことを何も知らない。どんな人間で、どんな過去を持ち、どんなことに喜びや悲しみを見出すのか。どんな傷を負い、どんな葛藤を経てここにいるのか。
憧れたはずの渡良瀬と別れ、なぜ一人、協会に留まったのか。スパイとしてか。それとも、彼なりの信念があったのか。
「あの人は現在、テロリストとして国際手配がなされています」
「――は?」
テロリスト。その、思いがけない単語に漣が面食らっていると、さらに嶋野は続ける。怖いほど色のない、淡々とした語り口だった。
「あの人は所長時代から、社会とギフテッドとの間に設けられた壁を取り払い、共存させてゆくべきだと主張していました。それこそが、人類のあるべき未来の姿だと。……結果、本部の指示により更迭され、ここ日本支部は、現在の高階さんを中心とする体制へと移行しました」
「で……渡良瀬とそのシンパは協会を飛び出した、と?」
「ええ。しかも厄介なことに、彼らは未だにギフトを温存している。通常、ギフテッドが協会を辞める際には、手術によってギフトを手放す必要があります。……ところが、あの人は所長の椅子を去る間際、施設のサーバーにウイルスを仕込みました。協会にアクセス権を返上した後でも、バックドアからサーバーに侵入し、データを改竄できるウイルスをです。そうして彼はデータを不正に改竄し、架空の非ギフテッド職員のIDを複数偽造しました」
「なるほど。つまり、そのIDを使って……?」
「はい。ご存じのように非ギフテッドの職員は、外出の際にあんな物騒なものを装着する必要はありませんから」
ここでいう物騒なものとは、例のチョーカーを指しているのだろう。爆弾つきの。
嶋野はコーヒーカップを手に取ると、一口啜り、ふう、と重い溜息をつく。何とも不味そうな飲み方だが、こんな話題が肴では、どんなに美味いコーヒーも味わうどころではないだろう。まして……嶋野にしてみれば、おそらく最も触れてほしくない過去の一つなのだ。
その証拠に嶋野は、未だに質問の答えを避けている。
「あの……さっきの質問ですが、その、答えたくなければ、もう、」
すると嶋野は、一瞬、痛みを堪えるように顔を顰め、それから無理やり口角を吊り上げる。どうやら笑おうとしているらしい。でも、残念ながら全く笑えていない。……こんな時ぐらい、無理に笑わなくてもいいのに。
「いいんです。せっかくここまで話したんですし。……ええ、理由は単純です。確かに、あの人の掲げる理想は美しかった。ギフテッドと非ギフテッドの間に何の垣根も設けない世界。問題はその方法です。あの人は、ギフトを――アートをテロに用いることを厭わなかった」
「はぁ……えっ、ちょっと待ってください。垣根を取っ払うために、テロなんか起こしたらむしろ逆効果じゃないですか」
例えば、漣のギフトの被害者やその遺族が、壁の落書きのせいであんな目に遭ったと知れば、もう二度と、落書きを目に入れようとはしないだろう、ともすれば絵画そのものを恐れるようになるかもしれない。
「ええ。だからこそ僕は協会に残った。これが、先程の質問の答えです。――ご存じのように、僕はとても冷たい人間です。田柄さんが亡くなった時も、僕を慕ってくれた彼女のために、僕は、涙ひとつ流すことができなかった。ただ、そんな僕にも守りたいものはある。人とアートとの関係がそれです」
残りのコーヒーをくっと飲み干すと、嶋野はまたぎこちなく笑う。
「今のところ僕は、あの時の選択を後悔していません。あのまま渡良瀬さんに従っていたら、今頃、多くのテロ事件に関わることになっていたでしょう。実際、公表こそされていませんが、すでに国内外で何十件ものテロが彼の主導で引き起こされています」
「テロ……ギフトを使った?」
「はい。表向きは事故として処理されていますが、いずれもギフトの存在を隠蔽するための措置にすぎません。例えば先週、ニューヨークのホテルで乱闘騒ぎが起きたでしょう。あれも調査の結果、ホテルのロビーに飾られたギフテッドの作品が原因だったことが判明しています。ギフトは〝怒り〟。効果は三原さんのそれと同様ですが、あちらは絵画でした。しかも、鑑賞レベルは5」
「5……って、んなの、」
「ええ。キュレーターでもない限り、まず抗えない。そうしたテロを、あの人はこれまで世界各地で引き起こし、なお繰り返そうとしている」
俯く嶋野は、怒りよりは悲しみの方が色濃く見えた。慕っていたはずの人間が、自分の信念とは真逆の行為に手を染めている。漣も、もし嶋野がそんな奴と共謀し、あまつさえテロで人々を傷つけていたら、胸が潰れるほど辛い思いを強いられていただろう。
「だから……瑠香さんの作品を回収したんですね。瑠香さんの行為を許すと、渡良瀬って人のことも許したことになる」
すると嶋野は、一瞬はっと目を見開き、それから、長い睫毛を静かに伏せる。その表情は、何か強い痛みを堪えているようにも見えた。人間としての僕を信じるな――そう嶋野は言った。僕は冷たい人間だ、と。でも今、この人は確かに傷ついて、その痛みに苦しんでいる。
心がない、だなんて嘘だ。
「俺は、支持します。何があろうと……誰に何と言われようと、嶋野さんを」
「えっ」
はっと顔を上げると、嶋野は驚いた目で漣を見つめる。やがてぎこちなく笑むも、結局うまく笑みを作れずに、どこか気まずそうに目を伏せる。
「あの夜の返礼のつもりなら……そんな気遣いは要りません。さっきも言ったように、そもそも僕には――」
「それは俺が決めることです。そして俺は、嶋野さんを信じたい」
返答は、なかった。ただ嶋野は、呆然と漣を見つめる。一方、言いたいことを言い切ってしまった漣は、とりあえず残りのカレーを黙々と胃袋に収めた。そうして漣が皿を空にした頃、不意に嶋野は席を立つと、テーブルを回り込み、漣の背後に立つ。そして――
「えっ?」
またしても不意に、嶋野は漣の肩に腕を回し、頭頂部に鼻先を埋めてくる。つむじに触れる嶋野の吐息。安堵とも悲しみの吐露ともつかない溜息に、なぜか漣はどきりとなる。確かに……心を開いてほしいとは思ったが、まさか、こんなかたちで。
「あ、あの、なにを」
「すみません、しばらく、このままで」
呟くと、嶋野は漣を抱きしめる腕にぐっと力を込める。前回も嶋野に抱きつかれたが、あの時のそれは、くずおれそうな漣を支えるための腕だった。……でも今回は、むしろ漣の方が嶋野に縋られている感がある。枝先をほんのひととき、気紛れな小鳥に雨宿りで拝借されるような。
世界と繋がるって、こういうことかな。
ふと、普段の瑠香の口癖を思い出す。世界との繋がり。それは別にギフテッドだとかアートの在り方だとか、そんな難しい議論の上じゃなく、ただ、誰かの心の支えになったり、逆に誰かを支えにしたり、そういうささやかな営みの中にこそあるんじゃないか。
胸元の嶋野の手にそっと手を重ねる。嶋野の手は、気の毒なほど小刻みに震えていて、彼もまた世界の片隅に放り出されて不安なのだと、以前、抱き寄せた瑠香のことを思い出しながら漣は思う。ここでは、皆、不安なのだ。世界の一部になれない孤独だとか悲しみを、喉元に押し込めながらどうにか笑っている。
「やっぱり……君に出会えてよかった」
なおも漣のつむじに顔を埋めながら、嶋野が囁く。あの晩かけられたものと似た言葉。ただ、あの時のそれは、あくまでも漣のギフトに対して、といった響きがあった。でも今回は――
「俺も、嶋野さんに出会えて、よかったです」
「僕を憎みたくなかった、ということは、裏を返せば僕の行為が君にとって憎悪するに足るものだった。だからこそ君は、僕に納得できる説明を求めた。……でしょう?」
「……」
ああ、そうだ。
瑠香たちに話を聞いた時から――否、美術館で三原に田柄の話を聞かされた時から、胸の底にくすぶり続けた黒いもやつき。その正体が、ようやく漣の中で形を得る。……そうだ。本当は、納得なんかできていなかった。もっとも、怒りの対象は嶋野ではない。協会、ひいては、あまりにも厳格にギフトを封じ込めるこの世界そのもの。
確かに、封じ込めるべき危険なギフトは存在する。漣のギフトはその最たる例だろう。だが、瑠香のギフトはそうじゃない。少なくとも……一時は田柄を救ったのだ。
「憎いのは、嶋野さんじゃない。……どうしてギフトは封じられなきゃいけないんです。確かに、ギフトの危険性は承知しています。俺のもそうですけど、嶋野さんのだって、使い方次第じゃ本当に危険だって……でも、そうじゃないギフトだってあるんです。無害だったり、誰かの役に立てるものだったり……少なくとも瑠香さんの〝克服〟は、一時的にせよ田柄さんを救った。そういう、世界との共存の仕方だって、あるんじゃないですか」
いつも口癖のように、世界との繋がりを愛おしむ瑠香の寂しげな横顔を思い出す。こんなルールがなければ、瑠香の人生はもっと満たされていた。多くの人にギフトを愛され、求められて。なのに……
「せめて……ポジティブなギフトだけは、規制を緩くしてもいいんじゃないですか。少なくとも、瑠香さんのギフトは、誰かを幸せにできるギフトです。そういうギフトに限って隔離せず社会に還元すれば、より多くの人が幸せになれる。……いえ、わかってます。これも、例外を作ると駄目なんですよね。というか……何がポジティブで何がネガティブかなんて、どうやって線引きするんだって話で」
「ええ。だからこそ現状、協会では、ギフテッドは例外なく保護する方針を取っています。ただ……それも決して一枚岩ではないのです。実のところ、ギフトの効果を積極的に社会に還元すべきだと主張する派閥も存在します」
「渡良瀬……って人ですか」
嶋野の声には確かに、誰かを懐かしむ響きがあった。見ると嶋野は、サンドイッチを運ぶ手を止めたまま、切れ長の目を見開いてじっと漣を見つめている。……どうやら図星だったようだ。
「その名前を、誰に」
「えっ? ……あ、ああ、三原さんが。あ、でも雑談のついでにポロッと出ただけで、詳しいことは何も……」
本当は、嶋野とは親子のような関係だったと聞いているが、二人の過去に何があったかわからない以上、あまり無神経なことは言えない。
気まずい沈黙がテーブルを包む。見ると嶋野は、見たことがないほど深刻な顔で何かを考え込んでいる。いや、これは……迷っているのか。
やがて嶋野は、迷いを振り切るように短く溜息をつく。
「え……ええ。彼は、ここの前の所長でして、そして……僕を、ギフテッドとして保護してくださった方です。僕は……あの人に憧れて、キュレーターの仕事に就きました」
言いにくそうに、それでもどうにか言葉を紡ぐ嶋野はひどく痛々しい。やはり二人の間には、何か、第三者が迂闊に踏み入るべきでない過去があるのかもしれない……
わかっている。でも。
「じゃあどうして、嶋野さんは協会に残ったんですか」
すると嶋野は、それを聞くのかと言いたげに苦い顔をする。……わかっている。それでも聞かずにはいられないのだ。漣は、嶋野のことを何も知らない。どんな人間で、どんな過去を持ち、どんなことに喜びや悲しみを見出すのか。どんな傷を負い、どんな葛藤を経てここにいるのか。
憧れたはずの渡良瀬と別れ、なぜ一人、協会に留まったのか。スパイとしてか。それとも、彼なりの信念があったのか。
「あの人は現在、テロリストとして国際手配がなされています」
「――は?」
テロリスト。その、思いがけない単語に漣が面食らっていると、さらに嶋野は続ける。怖いほど色のない、淡々とした語り口だった。
「あの人は所長時代から、社会とギフテッドとの間に設けられた壁を取り払い、共存させてゆくべきだと主張していました。それこそが、人類のあるべき未来の姿だと。……結果、本部の指示により更迭され、ここ日本支部は、現在の高階さんを中心とする体制へと移行しました」
「で……渡良瀬とそのシンパは協会を飛び出した、と?」
「ええ。しかも厄介なことに、彼らは未だにギフトを温存している。通常、ギフテッドが協会を辞める際には、手術によってギフトを手放す必要があります。……ところが、あの人は所長の椅子を去る間際、施設のサーバーにウイルスを仕込みました。協会にアクセス権を返上した後でも、バックドアからサーバーに侵入し、データを改竄できるウイルスをです。そうして彼はデータを不正に改竄し、架空の非ギフテッド職員のIDを複数偽造しました」
「なるほど。つまり、そのIDを使って……?」
「はい。ご存じのように非ギフテッドの職員は、外出の際にあんな物騒なものを装着する必要はありませんから」
ここでいう物騒なものとは、例のチョーカーを指しているのだろう。爆弾つきの。
嶋野はコーヒーカップを手に取ると、一口啜り、ふう、と重い溜息をつく。何とも不味そうな飲み方だが、こんな話題が肴では、どんなに美味いコーヒーも味わうどころではないだろう。まして……嶋野にしてみれば、おそらく最も触れてほしくない過去の一つなのだ。
その証拠に嶋野は、未だに質問の答えを避けている。
「あの……さっきの質問ですが、その、答えたくなければ、もう、」
すると嶋野は、一瞬、痛みを堪えるように顔を顰め、それから無理やり口角を吊り上げる。どうやら笑おうとしているらしい。でも、残念ながら全く笑えていない。……こんな時ぐらい、無理に笑わなくてもいいのに。
「いいんです。せっかくここまで話したんですし。……ええ、理由は単純です。確かに、あの人の掲げる理想は美しかった。ギフテッドと非ギフテッドの間に何の垣根も設けない世界。問題はその方法です。あの人は、ギフトを――アートをテロに用いることを厭わなかった」
「はぁ……えっ、ちょっと待ってください。垣根を取っ払うために、テロなんか起こしたらむしろ逆効果じゃないですか」
例えば、漣のギフトの被害者やその遺族が、壁の落書きのせいであんな目に遭ったと知れば、もう二度と、落書きを目に入れようとはしないだろう、ともすれば絵画そのものを恐れるようになるかもしれない。
「ええ。だからこそ僕は協会に残った。これが、先程の質問の答えです。――ご存じのように、僕はとても冷たい人間です。田柄さんが亡くなった時も、僕を慕ってくれた彼女のために、僕は、涙ひとつ流すことができなかった。ただ、そんな僕にも守りたいものはある。人とアートとの関係がそれです」
残りのコーヒーをくっと飲み干すと、嶋野はまたぎこちなく笑う。
「今のところ僕は、あの時の選択を後悔していません。あのまま渡良瀬さんに従っていたら、今頃、多くのテロ事件に関わることになっていたでしょう。実際、公表こそされていませんが、すでに国内外で何十件ものテロが彼の主導で引き起こされています」
「テロ……ギフトを使った?」
「はい。表向きは事故として処理されていますが、いずれもギフトの存在を隠蔽するための措置にすぎません。例えば先週、ニューヨークのホテルで乱闘騒ぎが起きたでしょう。あれも調査の結果、ホテルのロビーに飾られたギフテッドの作品が原因だったことが判明しています。ギフトは〝怒り〟。効果は三原さんのそれと同様ですが、あちらは絵画でした。しかも、鑑賞レベルは5」
「5……って、んなの、」
「ええ。キュレーターでもない限り、まず抗えない。そうしたテロを、あの人はこれまで世界各地で引き起こし、なお繰り返そうとしている」
俯く嶋野は、怒りよりは悲しみの方が色濃く見えた。慕っていたはずの人間が、自分の信念とは真逆の行為に手を染めている。漣も、もし嶋野がそんな奴と共謀し、あまつさえテロで人々を傷つけていたら、胸が潰れるほど辛い思いを強いられていただろう。
「だから……瑠香さんの作品を回収したんですね。瑠香さんの行為を許すと、渡良瀬って人のことも許したことになる」
すると嶋野は、一瞬はっと目を見開き、それから、長い睫毛を静かに伏せる。その表情は、何か強い痛みを堪えているようにも見えた。人間としての僕を信じるな――そう嶋野は言った。僕は冷たい人間だ、と。でも今、この人は確かに傷ついて、その痛みに苦しんでいる。
心がない、だなんて嘘だ。
「俺は、支持します。何があろうと……誰に何と言われようと、嶋野さんを」
「えっ」
はっと顔を上げると、嶋野は驚いた目で漣を見つめる。やがてぎこちなく笑むも、結局うまく笑みを作れずに、どこか気まずそうに目を伏せる。
「あの夜の返礼のつもりなら……そんな気遣いは要りません。さっきも言ったように、そもそも僕には――」
「それは俺が決めることです。そして俺は、嶋野さんを信じたい」
返答は、なかった。ただ嶋野は、呆然と漣を見つめる。一方、言いたいことを言い切ってしまった漣は、とりあえず残りのカレーを黙々と胃袋に収めた。そうして漣が皿を空にした頃、不意に嶋野は席を立つと、テーブルを回り込み、漣の背後に立つ。そして――
「えっ?」
またしても不意に、嶋野は漣の肩に腕を回し、頭頂部に鼻先を埋めてくる。つむじに触れる嶋野の吐息。安堵とも悲しみの吐露ともつかない溜息に、なぜか漣はどきりとなる。確かに……心を開いてほしいとは思ったが、まさか、こんなかたちで。
「あ、あの、なにを」
「すみません、しばらく、このままで」
呟くと、嶋野は漣を抱きしめる腕にぐっと力を込める。前回も嶋野に抱きつかれたが、あの時のそれは、くずおれそうな漣を支えるための腕だった。……でも今回は、むしろ漣の方が嶋野に縋られている感がある。枝先をほんのひととき、気紛れな小鳥に雨宿りで拝借されるような。
世界と繋がるって、こういうことかな。
ふと、普段の瑠香の口癖を思い出す。世界との繋がり。それは別にギフテッドだとかアートの在り方だとか、そんな難しい議論の上じゃなく、ただ、誰かの心の支えになったり、逆に誰かを支えにしたり、そういうささやかな営みの中にこそあるんじゃないか。
胸元の嶋野の手にそっと手を重ねる。嶋野の手は、気の毒なほど小刻みに震えていて、彼もまた世界の片隅に放り出されて不安なのだと、以前、抱き寄せた瑠香のことを思い出しながら漣は思う。ここでは、皆、不安なのだ。世界の一部になれない孤独だとか悲しみを、喉元に押し込めながらどうにか笑っている。
「やっぱり……君に出会えてよかった」
なおも漣のつむじに顔を埋めながら、嶋野が囁く。あの晩かけられたものと似た言葉。ただ、あの時のそれは、あくまでも漣のギフトに対して、といった響きがあった。でも今回は――
「俺も、嶋野さんに出会えて、よかったです」
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる