6 / 53
偶然とは、必然の上に成り立つ
5
しおりを挟む
閉店間際まで人の波は途切れなかった。
時折、常連客が顔を覗かせてテイクアウトを注文する。
それらは殆ど近所に事務所を構えるクリエイター達だ。声を掛けられると、悠人もぱっと顔を明るくしてそちらへ向かった。
「いつもの、できる?」
「大丈夫ですよ、ちょっと待っててください」
そう言って悠人はキッチンにオーダーを通しに行く。
ディナータイムのテイクアウトは弁当のみだ。余りそうな食材で作ったおかずを中心に詰め合わせ、飲み物が付く。
常連客向けの隠しメニューである。
テイクアウトの注文は殆ど修羅場中のクリエイターによるものなので、飲み物はコーヒーが殆どだ。
会計を冬真がして雑談を交わす間、テキパキと袋に詰めてセットしたものを持っていく。
「ほどほどに頑張ってください。また普通に食べに来て下さいよ?」
「もちろん。またみんなで飲みに来るよ」
一日に三人程度は必ずこういった常連がやってくる。
気分転換に夜の街を歩いて来た客を見送って、悠人は再び片付けの作業に取りかかった。
食べ物類の食器は殆ど下げていたので、キッチンはそれらを洗うとクローズ体制で掃除や明日の昼の仕込みの話をし始めた。
悠人と冬真もそのために食器を下げながら、時折入るドリンクのオーダーをこなしたり、発注の数を確認したりと過ごしていた。
客はまばらに帰っていき、その度に冬真はレジで少し会話を交わしながら会計をしていた。
グラスの片付けを終えて一息吐いた悠人が時計を見た時には、すでに閉店時間のほんの数分前だった。
顔を上げた時、カウンター越しに純一がいて思わず「うわ」っと声が出た。
「び、びっくりした……」
「そんなに驚かなくていいじゃん」
「いや……驚くって」
店内にはもう純一と慎二の二人しか客は残っていなかった。
レジでは慎二が冬真とやりとりをしているのが視界の隅で確認できた。
「これ」
「え?」
差し出されたのは一枚の白い紙だった。
そこには名前と住所が書かれていて名刺だとすぐに理解した。
反射的に手を出し受け取ってしまったのは、元々はそういうやりとりをする仕事をしていた所為だ。
苦い顔をして、それでも渡された名刺に書かれた文字を追う。
「……デザイナーなの、お前」
「そ。最近、オフィスもこの辺りに引っ越して来たけど」
住所を見て、確かにこの辺りだと分かる。だが細かい場所までは分からない。
小さく頷いて、悠人は素直に思ったことを口にした。
「すごいじゃん」
「すごい?」
「だって、お前ずっと絵とか得意だったし。よく分からんけど、デザイナーってそういう感覚必要だろ?」
「まぁね。っていうか、やっと素の悠人に会えたって気がする」
そんな風に言われて、悠人はハッと気がついて視線を逸らした。
思わず素で話しをしていた。
今はもう仕事も殆ど終わっているから仕方がないといえば、仕方がない。
だがその相手が純一というのは、自分の中で不本意だった。
思わず眉根を寄せて唇を噛んだ。
「夜のテイクアウトもやってるの?」
「え? あー……さっきの?」
「そう」
突然の質問に悠人は頷いて答えた。
「この辺り、クリエイターの人が多いから。テイクアウトでお弁当みたいなの、夜も一応やってて」
「今度、来ても良い?」
「別に……いい、けど」
イヤだと断る理由はない。それにこれは売り上げとしては一つでも多くなることは悪くはない。
もちろん、夜のテイクアウトは殆どサービス価格だし、さほど売り上げに貢献するものという訳でもない。
だがしかし、客と店員としてのやり取りであるから、断る理由はないのだと言い聞かせる。
「じゃあ、また来るね。あと、いつでも連絡して。裏、俺のプライベート用の電話番号書いてあるから」
名刺を手にしていた指に触れられた。
かすめ取るように名刺を奪われ、再び裏返して手の中に納められる。
そこには手書きで番号が書いてあった。
曰く、それでメッセージアプリにも登録できるから、と微笑まれて悠人は視線を逸らす。
「むつー、行くよー」
「お前がむつって呼ぶな」
会計が終わった慎二が呼んで、純一は笑いながら文句を言った。
ふと視線を戻してしまい、笑う純一の表情を見上げて悠人は慌ててやはり視線を逸らす。
「じゃあ、また」
「あ……ありがとうございました」
店員としての挨拶をして軽く頭を下げる。
それが今の自分に出来る唯一の挨拶と言ってよかった。
立ち去る足音を聞きながら、すぐには視線を上げなかった。
視線の先には手書きされた数字の羅列が並んでいた。
「賄い、食べて帰るだろ?」
声がして顔を上げると、冬真が口元に少しだけにやついた笑みを浮かべて立っていた。
「……なんか、その顔で言われるとすげぇイヤな予感しかしないんですけど」
「まぁまぁそう言わず。どうせ明日休みだろ? それに、吐き出したいもんは吐き出した方が楽じゃない?」
そう言って冬真は何もかも見透かしているように微笑んだ。
別に悪い気はしない。彼は別段困らせようとしているわけでもなく、純然にそう思っているのだ。
そしてそれに救われたことがある悠人としては、その誘いを断る理由もなかったい。
すでに店の入口にはCLOSEの看板が下げられている。
キッチンの方もすでに片付けは済んでいて、休憩室の方から声が聞こえる。皆、着替えて殆どが退勤の準備が出来ているだろう。
いつも悠人は冬真と共に最後の作業を終わらせて帰る。
一応、店の中で冬真の次に年長であるし、実質責任者と言ったところでもある。
明日は自分が休みということも踏まえて、悠人はやることを考えた。すでに営業時間中に発注処理は終わらせてあるし、あとは簡単な掃除をして、ランチ営業用のメニュー差し替えなどで終わる。
「なに飲む?」
「アイスティーで。なんか、ちょっと暑いんで」
「その暑いってさ、その彼の所為?」
そう言って指差したのは、手にしたままの名刺だった。
少しだけ睨みつけるように冬真を見る。冬真は笑みを浮かべたままだ。
悠人はすぐに言い返す言葉もなく、睨んでいた視線を横に逸らした。
小さなため息と共に無言になれば、それは肯定と捉えられても文句は言えない。
そして実際にそのとおりだった。
「はぁ……まぁ、そうっすね。適当に話聞いてください」
「うん、聞く聞く」
楽しげに言って冬真は食事と飲み物の準備を始めると言い、悠人は片付けを仕上げることにした。
時折、常連客が顔を覗かせてテイクアウトを注文する。
それらは殆ど近所に事務所を構えるクリエイター達だ。声を掛けられると、悠人もぱっと顔を明るくしてそちらへ向かった。
「いつもの、できる?」
「大丈夫ですよ、ちょっと待っててください」
そう言って悠人はキッチンにオーダーを通しに行く。
ディナータイムのテイクアウトは弁当のみだ。余りそうな食材で作ったおかずを中心に詰め合わせ、飲み物が付く。
常連客向けの隠しメニューである。
テイクアウトの注文は殆ど修羅場中のクリエイターによるものなので、飲み物はコーヒーが殆どだ。
会計を冬真がして雑談を交わす間、テキパキと袋に詰めてセットしたものを持っていく。
「ほどほどに頑張ってください。また普通に食べに来て下さいよ?」
「もちろん。またみんなで飲みに来るよ」
一日に三人程度は必ずこういった常連がやってくる。
気分転換に夜の街を歩いて来た客を見送って、悠人は再び片付けの作業に取りかかった。
食べ物類の食器は殆ど下げていたので、キッチンはそれらを洗うとクローズ体制で掃除や明日の昼の仕込みの話をし始めた。
悠人と冬真もそのために食器を下げながら、時折入るドリンクのオーダーをこなしたり、発注の数を確認したりと過ごしていた。
客はまばらに帰っていき、その度に冬真はレジで少し会話を交わしながら会計をしていた。
グラスの片付けを終えて一息吐いた悠人が時計を見た時には、すでに閉店時間のほんの数分前だった。
顔を上げた時、カウンター越しに純一がいて思わず「うわ」っと声が出た。
「び、びっくりした……」
「そんなに驚かなくていいじゃん」
「いや……驚くって」
店内にはもう純一と慎二の二人しか客は残っていなかった。
レジでは慎二が冬真とやりとりをしているのが視界の隅で確認できた。
「これ」
「え?」
差し出されたのは一枚の白い紙だった。
そこには名前と住所が書かれていて名刺だとすぐに理解した。
反射的に手を出し受け取ってしまったのは、元々はそういうやりとりをする仕事をしていた所為だ。
苦い顔をして、それでも渡された名刺に書かれた文字を追う。
「……デザイナーなの、お前」
「そ。最近、オフィスもこの辺りに引っ越して来たけど」
住所を見て、確かにこの辺りだと分かる。だが細かい場所までは分からない。
小さく頷いて、悠人は素直に思ったことを口にした。
「すごいじゃん」
「すごい?」
「だって、お前ずっと絵とか得意だったし。よく分からんけど、デザイナーってそういう感覚必要だろ?」
「まぁね。っていうか、やっと素の悠人に会えたって気がする」
そんな風に言われて、悠人はハッと気がついて視線を逸らした。
思わず素で話しをしていた。
今はもう仕事も殆ど終わっているから仕方がないといえば、仕方がない。
だがその相手が純一というのは、自分の中で不本意だった。
思わず眉根を寄せて唇を噛んだ。
「夜のテイクアウトもやってるの?」
「え? あー……さっきの?」
「そう」
突然の質問に悠人は頷いて答えた。
「この辺り、クリエイターの人が多いから。テイクアウトでお弁当みたいなの、夜も一応やってて」
「今度、来ても良い?」
「別に……いい、けど」
イヤだと断る理由はない。それにこれは売り上げとしては一つでも多くなることは悪くはない。
もちろん、夜のテイクアウトは殆どサービス価格だし、さほど売り上げに貢献するものという訳でもない。
だがしかし、客と店員としてのやり取りであるから、断る理由はないのだと言い聞かせる。
「じゃあ、また来るね。あと、いつでも連絡して。裏、俺のプライベート用の電話番号書いてあるから」
名刺を手にしていた指に触れられた。
かすめ取るように名刺を奪われ、再び裏返して手の中に納められる。
そこには手書きで番号が書いてあった。
曰く、それでメッセージアプリにも登録できるから、と微笑まれて悠人は視線を逸らす。
「むつー、行くよー」
「お前がむつって呼ぶな」
会計が終わった慎二が呼んで、純一は笑いながら文句を言った。
ふと視線を戻してしまい、笑う純一の表情を見上げて悠人は慌ててやはり視線を逸らす。
「じゃあ、また」
「あ……ありがとうございました」
店員としての挨拶をして軽く頭を下げる。
それが今の自分に出来る唯一の挨拶と言ってよかった。
立ち去る足音を聞きながら、すぐには視線を上げなかった。
視線の先には手書きされた数字の羅列が並んでいた。
「賄い、食べて帰るだろ?」
声がして顔を上げると、冬真が口元に少しだけにやついた笑みを浮かべて立っていた。
「……なんか、その顔で言われるとすげぇイヤな予感しかしないんですけど」
「まぁまぁそう言わず。どうせ明日休みだろ? それに、吐き出したいもんは吐き出した方が楽じゃない?」
そう言って冬真は何もかも見透かしているように微笑んだ。
別に悪い気はしない。彼は別段困らせようとしているわけでもなく、純然にそう思っているのだ。
そしてそれに救われたことがある悠人としては、その誘いを断る理由もなかったい。
すでに店の入口にはCLOSEの看板が下げられている。
キッチンの方もすでに片付けは済んでいて、休憩室の方から声が聞こえる。皆、着替えて殆どが退勤の準備が出来ているだろう。
いつも悠人は冬真と共に最後の作業を終わらせて帰る。
一応、店の中で冬真の次に年長であるし、実質責任者と言ったところでもある。
明日は自分が休みということも踏まえて、悠人はやることを考えた。すでに営業時間中に発注処理は終わらせてあるし、あとは簡単な掃除をして、ランチ営業用のメニュー差し替えなどで終わる。
「なに飲む?」
「アイスティーで。なんか、ちょっと暑いんで」
「その暑いってさ、その彼の所為?」
そう言って指差したのは、手にしたままの名刺だった。
少しだけ睨みつけるように冬真を見る。冬真は笑みを浮かべたままだ。
悠人はすぐに言い返す言葉もなく、睨んでいた視線を横に逸らした。
小さなため息と共に無言になれば、それは肯定と捉えられても文句は言えない。
そして実際にそのとおりだった。
「はぁ……まぁ、そうっすね。適当に話聞いてください」
「うん、聞く聞く」
楽しげに言って冬真は食事と飲み物の準備を始めると言い、悠人は片付けを仕上げることにした。
46
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
トリップしてきた元賢者は推し活に忙しい〜魔法提供は我が最推しへの貢物也〜
櫛田こころ
BL
身体が弱い理由で残りの余生を『終活』にしようとしていた、最高位の魔法賢者 ユーディアス=ミンファ。
ある日、魔法召喚で精霊を召喚しようとしたが……出てきたのは扉。どこかの倉庫に通じるそこにはたくさんのぬいぐるみが押し込められていた。
一個一個の手作りに、『魂宿(たまやど)』がきちんと施されているのにも驚いたが……またぬいぐるみを入れてきた男性と遭遇。
ぬいぐるみに精霊との結びつきを繋いだことで、ぬいぐるみたちのいくつかがイケメンや美少女に大変身。実は極度のオタクだった制作者の『江野篤嗣』の長年の夢だった、実写版ジオラマの夢が叶い、衣食住を約束する代わりに……と契約を結んだ。
四十手前のパートナーと言うことで同棲が始まったが、どこまでも互いは『オタク』なんだと認識が多い。
打ち込む姿は眩しいと思っていたが、いつしか推し活以上に気にかける相手となるかどうか。むしろ、推しが人間ではなくとも相応の生命体となってCP率上がってく!?
世界の垣根を越え、いざゆるりと推し活へ!!
この手に抱くぬくもりは
R
BL
幼い頃から孤独を強いられてきたルシアン。
子どもたちの笑顔、温かな手、そして寄り添う背中――
彼にとって、初めての居場所だった。
過去の痛みを抱えながらも、彼は幸せを願い、小さな一歩を踏み出していく。
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
ビジネス婚は甘い、甘い、甘い!
ユーリ
BL
幼馴染のモデル兼俳優にビジネス婚を申し込まれた湊は承諾するけれど、結婚生活は思ったより甘くて…しかもなぜか同僚にも迫られて!?
「お前はいい加減俺に興味を持て」イケメン芸能人×ただの一般人「だって興味ないもん」ーー自分の旦那に全く興味のない湊に嫁としての自覚は芽生えるか??
恋は、美味しい湯気の先。
林崎さこ
BL
”……不思議だな。初めて食べたはずなのに、どうしてこんなに懐かしいのだろう”
外資系ホテルチェーンの日本支社長×飲食店店主。BL。
過去の傷を心に秘め、さびれた町の片隅で小さな飲食店を切り盛りしている悠人。ある冬の夜、完璧な容姿と昏い瞳を併せ持つ男が店に現れるが……。
孤独な2人が出会い、やがて恋に落ちてゆく物語。毎日更新予定。
※視点・人称変更があります。ご注意ください。
受(一人称)、攻(三人称)と交互に進みます。
※小説投稿サイト『エブリスタ』様に投稿していたもの(現在は非公開)を一部加筆修正して再投稿しています。
きみに会いたい、午前二時。
なつか
BL
「――もう一緒の電車に乗れないじゃん」
高校卒業を控えた智也は、これまでと同じように部活の後輩・晃成と毎朝同じ電車で登校する日々を過ごしていた。
しかし、卒業が近づくにつれ、“当たり前”だった晃成との時間に終わりが来ることを意識して眠れなくなってしまう。
この気持ちに気づいたら、今までの関係が壊れてしまうかもしれない――。
逃げるように学校に行かなくなった智也に、ある日の深夜、智也から電話がかかってくる。
眠れない冬の夜。会いたい気持ちがあふれ出す――。
まっすぐな後輩×臆病な先輩の青春ピュアBL。
☆8話完結の短編になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる