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ある日
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耳障りな鶏の声が遠くから聞こえた。今日もまた朝が来てしまったようだ。陰鬱な気持ちが泥のように湧き出てくる。泥は足をとって動きを妨げるが、動かないわけにはいかない。
それがこの村の決まりだからだ。
眠気が残る頭から精神力を絞り出して、どうにかベッドから起き上がる。動き出すことができれば、あとは体がどうにかしてくれるはずだ。今まではそうだった。だから今日もそうなるはずだ。
何も考えずに朝食を食べて、外に出る。
「おう、おはよう!」
出て早々、人に会ってしまった。大きく腹の出たその人物は、村の自警団として働いている男だ。もっとも、外敵など一度も現れたことのない村である。自警団は彼一人だけで、仕事も一日中村の中を回るだけであった。丁度この辺りを歩いていたところだったらしい。
運が悪い。顔を歪めないよう気をつけながら、おはよう、と挨拶を返す。
「おう、元気そうだな。どこ行くんだ?」
どうしてわざわざ尋ねるのか。心の中で悪態をつきながら、村長のところへ、と決まりきった答えを返す。
「そうか。俺は反対側に行くからついていけねえな。気をつけて行けよ」
良かった。心の底からそう思った。額の汗を拭って去っていく彼に背を向ける。彼の足音が消えてようやく一息つけた。
「あら、おはよう」
しかし少しもしないうちに、また人に会ってしまう。子供を連れた女だ。反射的に逃げ出そうとする足を抑えて、どうも、とだけ言う。
「あら、どうかしたの?」
「だいじょうぶ?」
女の言葉に反応し、子供からも心配の声が上がる。吐き気がこみ上げてきた。
だいじょうぶです。ありがとう。村長のところに行きます。きっとそう言えたはずだった。
「そう? 何か私に力になれることがあったら言ってね。さ、行きましょ」
「うん!」
笑みを浮かべる子供から目を逸らし、女とすれ違う。今すぐ家に帰りたかった。
それから村長の家に着くまでは、誰とも会わずに済んだ。息を整えてから挨拶をする。おはようございます、村長。
「おはようございます。今日は畑仕事をしてもらってもいいですか?」
いいえと言えたらどんなに楽だろう。だけどそれは許されない。はい。
「ありがとうございます。それでは、よろしくおねがいいたします。それと、明日は雨が降りそうですから、家の中に水が入ってこないよう、気をつけてくださいね」
最後の方は背中で聞いて、畑がある方へと向かう。その道中、自警団の男とは別の男と会ってしまった。
「おや、こんにちは」
……こんにち
「あなた、待って。あ、こんにちは」
叫ばなかった自分をほめたかった。会釈の振りをして、相手の顔を視界から外す。
「どうしたんだい? おまえ」
「お弁当、忘れたでしょう? はい」
「あ、ホントだ! ありがとう」
可愛らしい包みのお弁当を受け取る男は、見るに堪えなかった。畑に行きます。
「おや、そうなのか? 一緒に働くことになったらよろしくな!」
「主人をよろしくお願いしますね」
無言で頭を下げ、走り出す。一刻も早くここから離れたかった。
畑には、既に働き始めている者の姿があった。そこらからできるだけ離れた場所を探し、仕事を始める。
しなくてもいい仕事だと、そう思う。そう決まっているから、しなくてはいけないだけだ。そう決まっている理由も知っている。それでも、しなくてもいい仕事だと、そう思う。
無心で鍬を振り下ろす。土が耕される。その繰り返し。考えなくていいということだけが救いだった。
幸い、その日はもう誰とも話すことなく、家に帰ることができた。
それがこの村の決まりだからだ。
眠気が残る頭から精神力を絞り出して、どうにかベッドから起き上がる。動き出すことができれば、あとは体がどうにかしてくれるはずだ。今まではそうだった。だから今日もそうなるはずだ。
何も考えずに朝食を食べて、外に出る。
「おう、おはよう!」
出て早々、人に会ってしまった。大きく腹の出たその人物は、村の自警団として働いている男だ。もっとも、外敵など一度も現れたことのない村である。自警団は彼一人だけで、仕事も一日中村の中を回るだけであった。丁度この辺りを歩いていたところだったらしい。
運が悪い。顔を歪めないよう気をつけながら、おはよう、と挨拶を返す。
「おう、元気そうだな。どこ行くんだ?」
どうしてわざわざ尋ねるのか。心の中で悪態をつきながら、村長のところへ、と決まりきった答えを返す。
「そうか。俺は反対側に行くからついていけねえな。気をつけて行けよ」
良かった。心の底からそう思った。額の汗を拭って去っていく彼に背を向ける。彼の足音が消えてようやく一息つけた。
「あら、おはよう」
しかし少しもしないうちに、また人に会ってしまう。子供を連れた女だ。反射的に逃げ出そうとする足を抑えて、どうも、とだけ言う。
「あら、どうかしたの?」
「だいじょうぶ?」
女の言葉に反応し、子供からも心配の声が上がる。吐き気がこみ上げてきた。
だいじょうぶです。ありがとう。村長のところに行きます。きっとそう言えたはずだった。
「そう? 何か私に力になれることがあったら言ってね。さ、行きましょ」
「うん!」
笑みを浮かべる子供から目を逸らし、女とすれ違う。今すぐ家に帰りたかった。
それから村長の家に着くまでは、誰とも会わずに済んだ。息を整えてから挨拶をする。おはようございます、村長。
「おはようございます。今日は畑仕事をしてもらってもいいですか?」
いいえと言えたらどんなに楽だろう。だけどそれは許されない。はい。
「ありがとうございます。それでは、よろしくおねがいいたします。それと、明日は雨が降りそうですから、家の中に水が入ってこないよう、気をつけてくださいね」
最後の方は背中で聞いて、畑がある方へと向かう。その道中、自警団の男とは別の男と会ってしまった。
「おや、こんにちは」
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叫ばなかった自分をほめたかった。会釈の振りをして、相手の顔を視界から外す。
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「あ、ホントだ! ありがとう」
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しなくてもいい仕事だと、そう思う。そう決まっているから、しなくてはいけないだけだ。そう決まっている理由も知っている。それでも、しなくてもいい仕事だと、そう思う。
無心で鍬を振り下ろす。土が耕される。その繰り返し。考えなくていいということだけが救いだった。
幸い、その日はもう誰とも話すことなく、家に帰ることができた。
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