愛の償い

伏織

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階段の先には古い神社があった。荒れ果てているというほどでもないが、ほとんど人が来ていない様子。
時が止まった様な雰囲気に妙な安心感を覚え、階段を上り切ってさらに本殿まで歩いて行った。小綺麗ではあるがボロボロで、正面の障子は何ヶ所か破れている。

財布には10円が2枚しかはいっていなかったが、せっかく来たんだしと、思い切って2枚とも賽銭箱に投げ入れた。乾いた音が虚しく鼓膜を震わせた。
ほとんど鳴らなくなっている鈴を揺らし、うろ覚えで柏手を二度打ち、手を合わせた。


……普通の家庭になりたい。


誰一人いびつではない、ごくごく普通の家庭がいい。
お金持ちじゃなくてもいい、貧乏でもいい、優しい母と、優しい父。それだけでいい。


「ううっ」


急に目頭が熱くなって、滝のような涙が溢れてきた。
助けて。誰か助けて。
どうして私なんだ。

泣き声を上げそうになっていたわたしの背を突き飛ばす様に、恐ろしく鋭く、強い風が吹いた。前につんのめった私は数歩前によろめいて、賽銭箱に手をついた。指先に痛みを感じ、慌てて手を離して見ると、大きめの木片が人差し指に刺さっていた。


「……」


大して何の感情も生まれないまま木片を摘んで引き抜いた。不思議と血はほとんど出なかった。そんなことよりも、目の前に持ち上げた人差し指の、さらに向こう側の光景にギクリとした。

さっきまで閉まっていた本殿の障子が、全開になっていたのだ。開け放たれた本殿の中は暗く、ぽっかりと口を開けた様だった。


外からの光で薄ぼんやりと見える本殿の中は、何にもない伽藍堂でしかなかった。本尊なんてものも無い。何だか少し悲しくなった。空っぽの、神様も何も居ない神社にお祈りしていたなんて、つくづく自分が情けない。


救われない。私は救われない。自分で自分を救う?綺麗事言うな。
皆、皆、無責任に慈悲の無いことばかり言う。言葉はお綺麗だし、立派だ。しかし結局は言えばかっこいいだけで、何の役にも立たない。



手を差し伸べてくれる人がいるくせに、心配してくれる親がいるくせに、それが無い人間にもお前らと同じ様に生きろと言う。じゃあ助けてくれるのか、支えてくれるのかというと、そうじゃない。


何も知らないなら知ってくれよ、同じ苦しみを味わえとは言えないけど、頼むからもう少しその曇った目で知ろうとしてくれよ。
それもしないで、ただ綺麗事を言ってこちらの努力不足であるかの様に突き放すのは、さぞ気分がいいことだろう。嗜虐心しぎゃくしんを満たせるだろう。
嫌いだ。全部、大嫌いだ。


私の怒りに呼応するかの様に、鈴が鳴り出した。下がった綱が激しく揺らぎ、今にも落ちてくるんじゃないかと怖くなった。思わず周囲を見回しても、当然だが誰もいない。

本殿の中で、一瞬何かがひるがえったように見えた。動き回る綱を避けながら覗き込むと、何か紙の束が奥の方にあるのが見えた。猛烈にそれが何なのか気になって気になって、胸の奥が疼いた。中に入ってもいいものだろうか、よくわからないが、祟られたりはしないだろうか。


ぱっと見小綺麗とはいえ、何となく靴を脱いで上がる気にもなれなくて、結局土足で本殿への台に上がった。ギシギシと足元が軋んだが、床が抜ける様な強度ではなさそうだ。

恐る恐る本殿の中を覗き込むと、やはり中はほとんど空だった。だがしかし、奥の奥の方に、一冊の本の様なものが、確かに落ちていた。見間違いではなかった。

足音を立てちゃいけないような気がして、抜き足差し足で本殿に入った。埃っぽい臭いのする空気だが、不愉快ではない。とても懐かしい、暖かな心持ちになった。

僅かに軋む床を踏み締めながら奥まで行って、それの前まで来た。
ハードカバーの本のようだが、よく見ると「Diary」と表紙に書いてある。誰かの日記だ。

一度外を振り返って、もう帰ろうかと悩む。途端に心細さに襲われたのだ。ここには居てはいけない、しかしここは自分の居場所であるかのようにも感じる。
「産まなきゃ良かった!」母の鋭い叫びが聞こえたような気がした。どこにいても、最終的に向かうところは同じだ。この後私は家に帰らなくてはいけない。そしてまた母に殴られる。



どうせ殴られるのなら、別に帰りが遅くなってもいいかな。苦しいのは変わらない。
気づいたら、その日記はすでに私の手の中にあった。いつの間に持っていたのだろう。大人っぽいデザインの控えめな花柄があしらわれた表紙をめくると、古い紙の香りが鼻をつく。そしてそのまま一番最初のページに書かれていた、小さな子供の書いたらしい拙い文字を目で追った。


『ママにたくさんぶたれた
いらないこだっていわれた
かなしかった
あしたはいいこになれるようにがんばろう』


とても尖っていて、とても長い刃物で喉元から脳天まで一気に刺されたような気持ちになって、勢いよく日記を閉じた。日記を挟みながら拝むように、両手を顔の前に持ち上げた。
息ができなくなっていたが、不思議と苦しくなかった。私はその場でへたり込み、口は情けなくぽかんと半開きになって、しばらくのあいだ呆けて居た。


日記の角を額に軽く押し当てながら、何とか息をしようと努力した。しかし、なぜだろう。吸ったはずの息が、肺にまで達していない。それなのに何度も息を吸っている。吸った酸素は一体どこに行っているんだろう。息が吐けない。

なんだこれ、なんだこれ、もう見たくない。
そう思うのに、どう言うわけか私の指は再び日記を開こうとしている。
……見ないほうがいい、早く捨ててしまわないと。
またあの悲しい文字を読まなくてはいけないのか。もう見たくないのに。


「___うっ」


背後でとんでもなく大きな音がした。
驚いて日記を投げ捨ててしまって、少しだけ申し訳ない気持ちになったが、それ以上にホッとした。振り返ると、本殿の前に下がっていた鈴が、板の間に転がっていた。
何だか助けられた様な気がして、私は早足でその場から逃げ出した。



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